① 古瀬戸が施釉陶器として、中世の一時期脚光を浴びる最も大きな理由は、耐火度の高い
良質の土が間近で入手出来た為と言われています。即ち、瀬戸周辺の東山地区より東側に移動
するに従い、白色の良質な粘土が豊富に存在し、水簸(すいひ)せずに単味で用いていました。
肌理(きめ)の細かい土は小物用に、目の粗い土で大型の作品を作っています。
② 東山の西方では、鉄分を含む粘土を産出し、茶入や茶壷などの茶道具を作っています。
③ 成形技法は、主に水挽轆轤成形か紐土巻上成形です。
) 高さが10cm程度の器であれば、水挽轆轤成形で行います。
) 四耳壷や瓶子(へいし)などは、一部水挽制法ですが、ほとんどは紐土巻上による方法
です。但し、南北朝から室町時代になると、再び水挽方法になります。
尚、本家中国(宋)では、一貫として轆轤水挽制法を取っています。
④ 古瀬戸の装飾方法。中国陶器の模倣から始まりますが、やがて古瀬戸特有の文様が描かれる
様になります。その方法とは、印花文、劃花(かっか)文、貼付文、櫛描き文の四方法です。
これらは、時代と伴に変化して行きます。
) 最初に出現するのは、書劃牡丹(ぼたん)文です。
) 次に、印花文、櫛描文が出現します。
) 一度途絶えた劃花文が復活し、貼付文と併用される様になります。
これらの文様の題材は、丸、角、菱、十字、格子、点列などの幾何学文様や、牡丹、蓮、菊、
梅、桜、松、椿、藤、葵、竹、柳、唐草などの植物文、魚、鳥、猿などの動物文が多いです。
) 当初は壷の肩に印花文や櫛描文を施すものが多いですが、やがて胴部中央に廻らせる様に
大きく描いていきます。更に最盛期には胴の中央の他に、その上下にも文様が施され全体を
覆う様に文様が着けられます。
⑤ 古瀬戸の釉に付いて。
釉には、灰釉(かいゆ)と鉄釉の二種類があります。
) 初期の頃は灰釉を施した作品が多いです。木灰を単味で使った場合は、釉の厚みが薄く
流れ易い釉に成りますが、次第に長石質の材料(サバと言う)を加える事で、厚みの有る
安定した釉層に成って行きます。
灰釉は、木灰の種類によって、灰色(グレー)、黄褐色、くすんだ緑色、淡い緑色に発色
します。
) 鉄釉は鎌倉後期頃から使われ始めます。鉄分は鬼板(おにいた)と呼ばれる粘土質の
固形物ですが、南北朝以降になると、黒浜や水打などが使用される様になります。
鉄釉は、鉄の含有量に応じて、赤褐色、茶褐色、黒褐色に変化します。
いずれの釉でも、器面に施した文様は釉を通してしっかり確認できます。
⑥ 焼成方法は、従来と同じく窖窯(あながま)が使われています。
初期の壷などの口縁には、重ね焼きした数箇所の目土痕が有るものが多いです。
3)古瀬戸焼の終焉。
15世紀末~16世紀中葉(室町後期)にかけて、古瀬戸焼の窯は一斉に廃れていきます。
その原因は、応仁の乱やその後の戦乱で不況が続き、販売量が減った為と言われています。
4)古瀬戸焼の逸品
① 重要文化財 瀬戸灰釉瓶子 一対: 正和元年銘(1312年)
岐阜県郡上郡白鳥町 白山神社境内出土: 白山神社蔵。
a) 高さ 30.4cm、口径 7.3cm、胴径 19.2cm、 底径 12.0cm
b) 高さ 31.8cm、口径 7.1cm、胴径 20.1cm、 底径 12.0cm
黄緑色の灰釉が全面に厚く掛り、数本の流条化文となっています。
古瀬戸最古の紀銘瓶子として、年代基準資料に成っています。
② 重要文化財 灰釉画花文壷(がっかもんつぼ):14世紀 鎌倉円覚寺開山塔出土
円覚寺蔵。 円覚寺開山の心慧智海(しんえちかい)和尚の蔵骨器です。
文様は細い箆(へら)描きで、器面と蓋の全体に草葉文が施されています。
高さ 27.7cm、口径 14.2cm、胴径 27.6cm、 底径 12.0cm
淡緑色の灰釉がかかっています。
③ 重要文化財 灰釉巴文広口壷: 14世紀 梅沢記念館蔵。
高さ 22.4cm、口径 13.4cm、胴径 23.5cm、 底径 11.6cm
三角形の断面を持つ凸条の帯を胴の上下に設け、その間を17本の縦の突帯で結び、その間に
三つ巴(ともえ)浮文を貼付たものです。黄褐色の灰釉が掛り、細かい貫入が見られます。
④ 瀬戸鉄釉巴文瓶子:14世紀
形は梅瓶(めいびん)と呼ばれる肩の部分は最大径で、底に向かう程細くなっています。
黄白色の素地で、紐土巻上成形されています。文様は肩と胴に櫛目を施し、上段櫛目の上に
二本線による蓮弁文を施し、肩から胴に掛けて印花による巴(ともえ)文が付けられています
明るい茶褐色の鉄釉が全面に施され、良く熔けて素晴らしい釉調と成っています。
以下次回「中世の美濃焼」に続きます。