わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代の陶芸248(内田鋼一)

2012-11-30 22:51:25 | 現代陶芸と工芸家達

現代陶芸の、最も有望な若手の一人として注目を集め、人気のある作品を次々に発表しているのが、

三重県四日市市在住の内田鋼一氏です。

1) 内田鋼一(うちだ こういち): 1969年(昭和44) ~

  ① 経歴

  1969年 愛知県名古屋市に生まれます。

  1990年 愛知県立瀬戸窯業高等学校 陶芸専攻科を卒業します。

         三重県の製陶所に勤務し、更に修行を重ねます。

  1992年 三重県四日市に独立します。

  2000年 「うつわをみる 暮らしに息づく工芸展」に出品。(東京国立近代美術館)
     
  2004年 静謐なかたち「内田鋼一 Uchida Kouichi works : 2003-2004展」

         4th MUSEUM リバーリトリート雅樂倶 (富山)

  2006年 「陶芸の現在、そして未来へ Ceramic NOW+」(兵庫 陶芸美術館)

         「SOFAニューヨーク2006」出展

  2008年  「メルボルンアートフェア2008」(オーストラリア)へ 出展

         「Rosso : Uchida Kouichi」Daniela Gregis (ベルガモ、イタリア)

  2012年 新窖窯を築窯:「お茶のこといろいろ、小壷 いろいろ」内田鋼一作品展を開催。

  
  個展: 三重パラミタミュージアム。「内田鋼一 Uchida Kouichi works : 2003-2004展」。 

      その他多数。  

  ② 内田氏の陶芸

     窯を築き、独立後には、日本各地は元よりイタリア・アフリカ・スペイン・オーストラリア・韓国・

     インド・東南アジア・アメリカなど、世界各国の窯場に住み込み修行を重ね、当地で作品を

     発表しています。 その為、特定の師と呼ぶ方はいなかったそうです。

     更に、公募展にも応募せずに、主に個展を中心に作品を発表しています。

   ) 作品は、窖窯、ガス窯、灯油窯を駆使して、鉢、瓶子、茶碗、花入、大壺、ぐい呑、急須など

      茶道具や食器類や壷、花器などが多い様です。

   ) 土は地元の山や近隣の山から掘り出し、轆轤挽き、紐作り、そして叩き技法と多くの方法を

       用いて制作しています。

   ) 釉は黒陶や紅陶、緑青彩、銀彩、錫白釉、そして最近ではプラチナ彩まで創っています。

     世界各地で修行した事が、彼の釉に強く影響している様です。

     「黒陶」は東南アジアやアフリカにいた頃の技術の応用だそうで。

     「緑青」はインドいた時に体験した、原始的な蜜蝋を使う鋳造方法を参考にしたそうです。

     更に、「白錫釉」はヨーロッパの低火度焼成ではなく、1100度に上げて焼成しています。

   ) 古いシンプルな土器や須恵器などで、大きな壷や大甕(かめ)も作っています。

 
  ③ 内田しの作品

    ) ブラチナ彩: ブラチナ彩線刻文鉢、ブラチナ彩線刻文盃、プラチナ彩碗皿など。

    ) 加彩: ざらっとした化粧土に鉄分を混ぜ、赤茶けた肌に仕上げる方法。

       加彩瓶子。加彩高大台皿。加彩線刻文壷などの作品。

    ) 焼締:無釉の焼締陶器で、茶注(急須)は独立後から、長年手掛けている作品です。

       「茶注は使い勝手が良くなければとは思うが、それだけでなく形や土の質感や焼きにも

        自分が見て『心地いい』と思える処を入れていきたい」と述べています。

    ) 内田氏は、見る人にも心地よいシンプルな作品を、心がけて作陶しているとの事です。

       それが「用の美」となり、内田作品の人気の元と成っています。

次回(中川自然坊氏)に続きます。

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現代の陶芸247(大嶺 實清)

2012-11-28 22:19:47 | 現代陶芸と工芸家達

沖縄の読谷村に窯を築き、工芸(クラフト、日常)の作品と、美術品(オブジェ、非日常)の作品を

手掛けている陶芸家が大嶺 實清氏です。

1) 大嶺 實清(おおみね じっせい): 1933年(昭和8) ~ : 読谷村窯主宰

  ① 経歴

   1933年 沖縄県に生まれます。

         沖縄で小学校教師をした後、画家を志して京都へ。そこで、哲学者の舩山信一の影響を

         受け、立命館大学文学部哲学科に入学します。

   1961年 立命館大学 文学部哲学科を卒業と同時に陶芸家の道へ進みます。

         (陶芸に進む過程や動機は、公表されていない為不明です。)

   1963年 絵画 「グループ耕」 を結成します。

   1970年 首里城北に「石嶺窯」を開きます。

   1980年 読谷村山中(やちむんの里) に「登窯」と「窖窯」の「読谷山窯」を築きます。

   1986年 沖縄県立芸術大学の開校と同時に教授となります。

   1989年 韓国、慶尚湘南道の左蜂家窯で、井戸茶碗を焼成。

   1990年 パナリ(新城島)下地で、土器を焼成します。

   1991年 タイ パンチェン・カムオウ村や、中国、雲南省西双版納で土器を焼成。

   1997年 沖縄県立芸術大学教授を退官します。

   2002年 沖縄県立芸術大学学長に就き、2003年 同大学学長を退官します。

   2012年 「大嶺實清展 沖縄・読谷村の器」 現代っ子ミュージアム(宮崎市) 

          1980年代から最近作までを展示しました。 

   ・ 個展:銀座松屋ギャラリー(東京) 、沖縄タイムスホール (那覇市)、工芸館画廊 (那覇市)、

     青山グリーン・ギャラリー (東京)、クラフト国吉ギャラリー (那覇)、渋谷西部デパート (東京)

     ぎゃらりー大村 (秋田)、GALLERY 宇(そら) (那覇)など多数。

  ② 大嶺 實清氏の陶芸

    彼は、日常使われる食器類、即ち「「クラフト(工芸)」の作品と、非日常的な「オブジェ」の作品を

    手掛けています。

   ) 日常使われる食器類。

      皿(プレート)、椀、鉢、壷、扁壷、土瓶、花器など多種類の作品を作っています。

      その中で、特「青彩シリーズ」と呼ばれる器類は、鮮明なペルシャブルーの釉が施されて、

     彼の代表的な色に成っています。

    ・ ペルシャブルー大鉢 、ペルシャブルーカップ&ソーサー 、ペルシャブルーカラカラ瓶など。

  ) 非日常的な作品。

   a) 沖縄の伝統を求め、「壺屋焼」以前の焼き物に関心を持ち、八重山新城島で作られていた

     「パナリ焼」と呼ばれる土器に注目し、その再現を図ります。

     その作品が、陶板、土器板や、偶「土への回帰シリーズ」の作品です。

     野焼きによる焼成で、偶と題する作品は、高さが75cmの丸い煙突状の作品で黒光りして

     います。 又、植「土への回帰シリーズ」では、茶色の土の色を出した器や家型、割れた卵型、

      折れた円筒などの作品があります。

   b) 黒色土器の作品

     片口、扁壷、水注などの作品で、器の表面には、引っかき(線刻)文様などが見られます。

     土器ですので、野焼きなど低い温度で焼成した作品です。

   c) 「ストライプ シリーズ」の作品は、砂や小石の入った土肌の荒れた花瓶や扁壷、角皿などの

     一部に、白と黒(又は白と青)の縞模様(ストライプ)が着けたられた作品です。

   e) 金彩、銀彩を施した作品

      陶板(皿)や扁壷に金や銀で全面又は一部の平面を覆う作品で、特別の文様を表したもの

      ではありません。

   f) 「黒陶シリーズ」の作品

     陶板、裂、相、畏などと題された作品です。中央から十文字に割られた陶板や、縦に裂けた

     円柱、切断された繭型(まゆがた)の土の塊などの作品で、黒陶の表面には「くすんだ青」

     色で着色されています。(断面のみが黒くなっています。)

  ) 「芸術品(非日常)を少量作るのではなく、生活に溶け込んだ作品を作りたい。そして、

      日常(クラフト)を非日常へと高めたい」と述べています。

尚、 大嶺 實清氏は、現在、御子息である大嶺 由人(よしと)氏、亜人(つぐと)氏、音也(おとや)氏

の三人と大嶺工房の下で、力を合わせて、個々がそれぞれ創作活動を行っています。

次回(内田鋼一氏)に続きます。

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現代の陶芸246(森岡成好、由利子)

2012-11-27 21:52:09 | 現代陶芸と工芸家達

和歌山県の山中で、夫は主に無釉の焼き締め陶器を、妻は白磁を制作し、個展を中心に活躍

しているのが、森岡成好・由利子夫妻です。

1) 森岡成好(もろおか しげよし): 1948年(昭和23)~

  ① 経歴

    1948年 奈良県に生まれ、和歌山県で育ちます。

                幼児より山に親しみ高校、大学時代山岳部に入部し、登山に没頭します。

    1973年 高野山で陶芸を学びます。

    1974年 和歌山県伊都郡かつらぎ町下天野に築窯し、種子島を訪れ南蛮焼き締めと出会い、

        沖縄の窯場を訪ねます。以後、焼き締めを中心に作陶を続け、国内はもとより、外国の

        窯場に出掛け陶器や、土器作りの実際を学びます。

        北、中米。韓国。東南アジア、タイ。インドネシア。インド、スリランカ。台湾、沖縄などで

        陶芸を学びます。

    2000年 バンコクにてグループ展

    2001年 ニューヨーク、コネチカットにて個展    

    2010年 八重山古陶復活を目指し、石垣島に工房と鉄砲窯(薪窯)を築きます。

          ここでは、八重山焼き、南蛮焼き締め、黒釉、灰釉、透明釉などの作品を作ります。

    2012年 石垣島での初窯の作品は、ギャラリー夢雲(奈良県) で「南蛮と白磁展」を

          発表しています。

  ・ 個展: 東京、南青山グリーンギャラリー。ニュウヨーク、アーロン・フェイバーギャラリー。

      渋谷西武百貨店、池袋西武百貨店。熊谷守一美術館ギャラリーなど多数開催しています。

  ・ ニュウヨーク近代美術館パーマネントコレクションとして大壷をお買い上げと成っています。

  ② 森岡氏の陶芸

       彼は主に、南蛮焼締め、南蛮黒釉、南蛮灰釉の陶器を手掛けています。

   ) 作品は、鶴首の器、徳利、ぐい呑み、壷、どら鉢、お椀等の器や、急須、土瓶、丸皿、

      角皿、葉皿などの日常雑器が多い様です。

   ) 別のジャンルとして、遊び心満載の置物などの作品を作っています。

     ・ 「やまのかみ」や「かんき」と題する家の模型と、その中に住む男女の浮き彫りや、道祖神を

       思わせる作品、更には、「とり」と題する作品では、糸で吊るされた、グロテスクな鳥が

       宙に浮いています。

     ・ 「さかな」と題する作品は、見慣れない平べったい大きな魚や、頭部の大きな深海魚らしき

       作品もあります。これらの一部は皿としての役目があるかも知れません。

     ・ 「はととっくり」と題する徳利は、脚と尻尾があり、斜めに置く徳利に成っています。

       注: 彼の作品名はほとんどが、「ひらがな表記」と成っています。

    ) 作品の種類に応じて数基の窯を使い分けています。

     ・ 和歌山県天野での鉄砲窯(薪窯)は、南蛮焼き締めを主に焼いています。

     ・ 同所にあるスコタイ窯は、南蛮焼き締め、南蛮黒釉、南蛮灰釉、南蛮白化粧釉などを

       焼いています。

     ・ 天野の倒炎式窯は、白磁、灰釉などの施釉した作品を焼いています。

2) 森岡 由利子(もりおか ゆりこ): 1955年(昭和30) ~

 ① 経歴

   1955 年 岩手県に生まれます。

   1978年 早池峯(はやちね)に登り、以来山登りをする様になります。(日本山岳会会員)

   1982年 焼き締め、土器制作を経て、白磁制作を始めます。  韓国の窯場を訪れ陶器作りの

         実際を学びます。

   1985年 李朝の陶器に魅かれ、薪窯での磁器制作を続け、現在に至っています。

   2012年 「森岡成好・由利子展」を、あるぴぃの銀花ギャラリー(埼玉・大宮)で開催。

          その他、国内外で多数個展を開催しています。 

次回(大嶺 實清氏)に続きます。

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現代の陶芸245(杉本貞光)

2012-11-26 22:10:41 | 現代陶芸と工芸家達

京都大徳寺の立花大亀老師は、高僧であると共に大茶人でもあり、「桃山に帰れ」の教えを忠実に

実行して、信楽、伊賀から始まり、長次郎、本阿弥光悦の楽、高麗物の井戸、粉引、織部、志野等

多様な焼き物を手掛けているのが、杉本貞光氏です。

1) 杉本貞光(すぎもと さだみつ); 1935年(昭和10) ~  : 寺垣外窯

  ① 経歴

    1935年 東京に生まれます。

    1968年 信楽の山中に窖窯(あながま)を築き、信楽焼きと「レリーフ制作」を開始します。

    1974年 大徳寺、立花大亀老師よりご教導を受けます。  

          沖縄海洋博にレリーフ制作します(レリーフ活動を終える)。

    1979年 茶陶伊賀の研究制作を開始。  大徳寺の如意庵にて個展を開催します。
     
    1981年 長次郎風黒茶盌(ちゃわん)、光悦風の赤茶盌の研究制作を開始します。

    1985年 高麗物、井戸、粉引の研究制作を開始します。

    1995年 自然灰釉による彫塑の制作発表。

    1997年 施釉による彫塑の制作と発表。  光悦風白茶盌の制作と発表。

    1999年 古信楽土再発見及び研究、制作発表

    2002年 京都・建仁寺晋山記念として井戸茶碗を納めます。

    2012年 喜寿記念 寺垣外窯 杉本貞光 「陶」展を開催します。

   ・ 個展 : 日本橋・壺中居など多数。

   ・ 収蔵 :吉兆(湯木美術館、1992)、エール大学美術館(1994)

  ② 杉本氏の陶芸  

    1968年 「侘びた信楽焼の古い壷との出会いが、焼き物の世界で生きて行く決心をさせた。」

    と述べています。

   ) 彼が生涯のテーマとして掲げる「桃山に帰れ」は、彼の師であった、故立花大亀老師の

    言葉です。老師は現代茶道の変質に警鐘を鳴らし、「利休に帰れ」と利休が完成した

    「侘び茶の心」を現代に問うた茶人であり名僧でもあります。

    その師から「桃山を見よ」と桃山時代に生まれた、茶陶の世界に生涯を掛けて挑めとの

      教示を受けます。

   ) 杉本氏は信楽に築窯し、無釉の焼締めの信楽焼きから出発します。

    1974年 立花大亀老師との出会いにより、作陶活動と人生に大きな方向づけの転機と

    なります。

  )信楽焼きの茶碗、水指、花入、信楽蹲壷などの茶陶器以外にも、伊賀水指、伊賀

    花入、伊賀壷、伊賀大壷などに発展し、更には長次郎風の黒茶盌や、光悦風の赤茶盌

    高麗物美濃の茶陶の黄瀬戸、瀬戸黒、蕎麦釉、井戸茶盌などを、精力的に

    制作しています。

    注: 信楽焼きは生活雑器を中心に制作しているのに対し、伊賀焼きの作品は茶陶が

      中心に成っています。いずれも、深い「焦げ」などの中に、一筋、二筋、三筋と

      流れる、透明感のある青いビードロが特徴に成っています。 

  )「信楽は農家の民具から生まれた素朴な世界、

     伊賀は織部の美の世界

     黒茶盌は利休の世界

     赤茶盌は光悦の世界

     おのおの桃山の偉大な世界です

     立花大亀老師の御教導もと

     この世界のでっちをさせていただいています。」

     と杉本氏は述べています。

次回(森岡成好・由利子氏)に続きます。

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現代の陶芸244(長谷川塑人)

2012-11-25 22:00:01 | 現代陶芸と工芸家達

九谷焼の中で、独自の文様と新たな色を創作し、九谷色絵の世界に新風を吹き込み、色絵磁器に

挑戦し続けているの作家が、長谷川塑人氏です。

1) 長谷川塑人(はせがわ そじん): 1935年(昭和10) ~

  ① 経歴

    1935年 金沢生れます。

    1954年 金沢市立工業高等学校 機械科を卒業し、整備士として名古屋の自動車会社に

          勤務します。

    1956年 陶芸を志し、知人の紹介で九谷焼の梅山陶房に勤め、陶芸家の二代目中村梅山に

           8年間師事し、九谷焼を修行します。

    1964年 金沢市小立野台で独立し、窯を築きます。

          第二十回金沢市創作工芸展に初出品し、金沢市長賞を受賞します。

          石川県産莱工芸展に初出品し、石川県工芸振興会長賞を受賞。

    1965年 朝日陶芸展初出品、初入選 以後三回入選。

    1966年 石川県新進作家陶芸展で最高賞。 涌波へ陶房を移します。

          金沢市創作工芸展で県知事賞。

    1967年 金沢市創作工芸展で県知事賞。

    1968年 石川県産業工芸展で金沢市長賞。 石川県九谷焼新作展で金沢市長賞。

    1969年 第二十六回日本伝統工芸展初入選 以後22回入選します。

          石川県九谷陶磁器新作展で金沢市長賞。

    1970年 第十一回石川の伝統工芸展で奨励賞。 同71年最高賞 同79年同展奨励賞 

          以後、無鑑査出品となります。

    1978年 日本伝統工芸で、奨励賞を受賞します。 

    1979年 第二回伝統九谷美術展で優秀賞 同80年 優秀賞、同89年 石川県伝統九谷展大賞 

    1997年 九谷国際陶芸フェステバルで奨励賞。

           日本伝統工芸展 で優秀賞を授賞(日本工芸会会長賞)。

    1998年 日本伝統工芸展鑑査員になります。

    2002年(妖精文大鉢)、2003年(妖精と鳥文) などの作品で、同工芸展に入選しています。

   個展:グリーン・ギャラリ(東京・南青山、赤坂)、横浜高島屋、大阪阪急百貨店、千葉三越百貨店

       高松三越百貨店などで多数開催しています。  

  ② 長谷川塑人の陶芸

   ) 師匠の中村梅山から直接教わった事は、「土はこうやって揉(も)むがや」という事だけだ

     そうですが、師匠の動作や仕事振りを身近に見て、学びとります。轆轤は師匠が回す足の音に

     耳を澄ませて学びます。夜に自分の轆轤で練習し、更に九谷焼の基礎を学びます。

   ) 独立後の陶房は、金沢刑務所と寺の墓場の間に作り、その寺の住職がつけた名前が

      「塑人」であるとの事です。又、鉄絵銅彩の技法を開拓した人間国宝の陶芸家の田村耕一氏

      (1918~1987年)の指導を得て鉄釉、柿釉、油滴などの研究を始めます。

    ・ 従来、九谷焼ではなかった、もえぎ色に似たオリジナルの色を作り出し、梅の枝を描いた

      湯飲みで大ヒットし、東京へ進出する切っ掛けと成ります。

    ・ 幼い頃より、絵を描く事が好きでしたが、中断していた絵を昭和40年代後半から再開し、

       色絵磁器の仕事に専念します。

       絵付けの作品は、創意と詩情に富んだ独自の世界を表わしています。 

   ) 長谷川の代表的なモチーフの一つの「鳥」は、工房の窓から見えたヒヨドリの飛ぶ姿を見て

      「発見」したとの事です。

    ・ 赤絵鳥文大鉢: 高 12 x 径 49 cm (1992年)

      丸い大鉢に黒い丸い線を五個描き、その中に空を飛ぶ鳥や、止まっている鳥を赤絵で

      描いた作品です。

   ) 「妖精」のシリーズの作品は、友人との会話がヒントになったそうです。

      愛らしい表情で、自由に羽ばたく姿に「陽のエネルギー」が溢(あふ)れています。

     ・ 色絵妖精大鉢: 高 13 x 径 46 cm (1991年)

      濃紺の呉須で、矩形に区切られた中に、赤絵とオレンジ色で描かれた六人の妖精が、

      大空を駆け巡っています。その躍動感は、前記矩形をはみ出して表現されています。

   ) 鳥や妖精以外にも、牡丹色絵大鉢(高 7 x 径 40 cm 1973年)を作っています。

      又、コーヒーカップなど食器類にも、色絵付がされています。

     各地の公共の建物に壁画を制作しています。

       金沢市健康センターロビー(1982年)。片山津矢田屋梅光閣ロビー(1983年)

       金沢市中央公民館彦三館ロビー(陽嬉生々2001年)などです。

次回(杉本貞光氏)に続きます。

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現代の陶芸243(坂本瀧山)

2012-11-23 21:49:47 | 現代陶芸と工芸家達
初代坂本瀧山氏(秀樹)は、大正前期、東京で銀行員をしていたが、当時衰退していた茶陶を制作する
 
伊賀焼を再興すべく、三重県伊賀市(旧阿山町)に移り住み、西山窯を築き伊賀焼を焼き始めます。
 
以後、二代目・三代目瀧山と引き継がれ、重厚かつ気品あふれる、古伊賀(こいが)と呼ばれる伝統の
 
伊賀焼に息吹を吹き込んでいます。
 
1) 二代目坂本瀧山(さかもと ろうざん): 1926年(昭和元年) ~ 2011年(平成23)
  ① 経歴
    
    1926年 東京に生まれる。
 
    1950年 早稲田大学を卒業します。
 
    1952年 伊賀焼継承者、父秀樹の西山窯を継承します。
 
          伊賀上野(あがの)の陶芸家、日根野作三氏(当ブログの現代陶芸85を参照)に
 
          師事します。
 
    1958年全日本産業展入選、以後公募展辞退、制作活動に打ち込む様になります。
 
    1988年 東京京王百貨店新宿店にて毎年個展。
 
    ・ 個展 :名古屋丸栄、阪急百貨店、阪神百貨店、新宿京王百貨店など。
 
   ② 二代目坂本瀧山氏の陶芸。
 
    無釉の「焼締」にこだわり、古伊賀(こいが)焼きの伝統を継承しつつ、豊かな感性で創り出
 
    された豪放ともいえる力強い作風の作品が特徴に成っています。茶陶・古伊賀の世界を今に
 
    表現しています。
 
    ) 焼成は窖窯を用い、伊賀焼を代表する「耳付花入」などは、4~5度(1度が4~5昼夜)
 
       焼く事で、初めて幽玄な景色が現れるとの事です。  
 
    ) 伊賀焼きのイメージは、豪放磊落で、へら目が大胆に施された歪んだ器体ですが、
 
       瀧山氏の作品は、むしろ控えめで奥床しさが見られる作品が多い様です。
 
     ・ 代表的な作品に、「算木花入」があります。角柱に丸い首と口が付いた作品で、表面は
 
       算木の模様が彫り込まれています。 
 
       注: 算木(さんぎ)とは、江戸時代に「そろばん」と伴に使われていた計算道具で、
 
          和算を行う人が使用していた、赤と黒に塗られた拍子木の様な形の計算棒の事です 

2) 三代目坂本瀧山(俊人=としひと): 1960年 ~

  ① 経歴

   1960年 三重県上野市に二代目瀧山氏の長男として生まれます。

   1983年 大学を卒業後、伊賀西山窯の三代瀧山を継承します。

   1984年 伊賀の巨匠、新歓嗣に師事します。

   1987年 日本美術工芸会に入選します。

   1988年 三重県上野市で個展を開催します。

   ・ 東京や大阪のデパートなどで個展を中心に活動を行っています。

  ② 三代目瀧山しの陶芸

   ) 伊賀織部の再興

      幻の「伊賀織部茶碗」が、現在岐阜の美術館に残されているという事を知ります。

      織部が桃山時代に作らせたものの、これまで伊賀で発見された事は無かったそうです。

      彼は、「伊賀織部茶碗」の再興に取り組み、十数年の歳月の研究により、成功させ高い

      評価を得ます。

   ) 窯変の水指、茶盌、香合、香炉などの茶陶の他、茶碗、湯呑みなど日用食器も制作して

       います。

次回(長谷川塑人氏)に続きます。

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現代の陶芸242(澤清嗣、澤克典)

2012-11-21 21:58:04 | 現代陶芸と工芸家達

信楽は瀬戸、備前などと並ぶ日本六古窯の一つで、歴史は鎌倉時代に遡ります。

壷や甕(かめ)、擂鉢(すりばち)等が焼かれ、江戸時代には大量生産に適した登窯が登場し、

最盛期には100基以上の窯が有ったと言われている、一大陶器の生産地で、現在でも多くの陶芸家

と窯を有しています。

その中で、登窯や窖窯による焼締めの大物の壷を作っている人に澤清嗣氏がいます。

1) 澤清嗣(さわ きよつぐ): 1948年(昭和23)~

  ① 経歴

   1948年 滋賀県甲賀市信楽町に生まれる。

   1967年 滋賀県立 信楽高等学校窯業科を卒業します。

   1968年 京都府陶工職業訓練所を修了します。

    同じ年 京都・泉湧寺の窯元(尚泉)に入社します。

   1969年 信楽に戻り、高橋春斎氏に師事しながら作品造りに入ります。

   1981年 登窯と窖窯を築き独立します。

   2001年 滋賀県立陶芸の森「大信楽展」出品が、買上となります。     

   2005年 「日本のやきもの8人展」(新潟十日町)に出品します。

   2006年 「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ 2006」に出品。
 
     同年 澤清嗣 還暦記念 「六十壷展」を開催します。サン・ギャラリー住恵(名古屋)

   2009年 信楽陶芸の森で、古来の様式をもつ金山窯を使い焼成します。

   2010年 静岡 ギャラリー文夢にて個展。大丸心斎橋本店にて「信楽 澤清嗣 作陶展ー不動ー」

     を開催しています。

   ・ 東京、名古屋、京都、大阪、ニューヨーク等 各地で個展を多数開催しています。

  ② 澤清嗣氏の陶芸

    ) 土は主に窯の近くから採取した、信楽の原土を精製せずに用い、力強い信楽焼を

        生み出しています。

    ) 窖窯や登窯による無釉の焼締めで、土の色と自然釉(灰)の緑、素地や灰が焦げ表面には

       噴出した白い長石が、美しい景色を作り出した作品になっています。

       約1200℃の高温で2~3日以上焼き上げるとの事です。約10分間隔で薪をくべる必要が

       ありますが、「薪は入れ過ぎてもダメ。耳を澄ますことが大事」と述べています。

     ) 作品は大壷などの大物作りを、得意とし、1m以上の作品も手掛けていますが、コーヒー

        カップや信楽徳利、盃、汲出茶碗などの小物も作っています。

        又、個性的でユーモアのある「信楽ツノ盃・笑う馬」の様な作品もあります。      

2) 澤 克典 (さわ かつのり) : 1980年(昭和55) ~

    若手陶芸家の中で、次代を担う旗手として注目される人に、信楽の澤清嗣氏の長男澤克典氏
 
    がいます。
 
    窖窯で焼成された窯変の美い作品や、鈴木五郎氏の弟子として身につけた遊び心が溢れる
 
    織部の器も手掛けています。

  ① 略歴

    1980年 滋賀県甲賀市信楽町に、澤清嗣の長男として生まれます。

    2002年 滋賀県立窯業試験場修了し、鈴木五郎氏に師事します。

    2005年 滋賀県信楽町に独立します。

    2006年 ギャラリー陶園 にて個展。 東京 ギャラリー陶彩 にてグループ展

         大阪 大丸心斎橋店現代陶芸サロン桃青 にて個展(毎年開催)。 名古屋 サンギャラリー

         住恵 にて父子展。 京都 ギャラリーシュマン にて個展

     以後 発表の場は個展を中心に活躍しています。

    2007年 信楽 陶成アートギャラリー 。東京 瑞玉ギャラリー 。 名古屋 サンギャラリー住恵。

    2008年 兵庫 宝塚ギャラリーリラン 。大阪 山木美術 にてグループ展。京都 延寿堂ギャラリー

     ソフォラ 。

    2009年 鎌倉 かまくら陶芯 。 千葉 ギャラリー。  その他、個展グループ展多数。

  ② 澤克典氏の陶芸

   ) 引出技法: 楽焼で行われている「引出黒」の技法と同じ方法です。

     即ち、高温の窯の中から、窯の外へ引き出す事により、独特の綺麗な「黒」や「ビードロ」色を

     発色させます。 窯の雰囲気が酸化の状態では「黒」になり、還元状態では透明感のある

     緑色の「ビ-ドロ」や、トンボ玉などが現れます。

    ) 焼締め以外にも、織部、特に鳴海や弥七田織部に力を入れています。

    今後の活躍が期待される作家です。  

次回(坂本瀧山氏)に続きます。  

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現代の陶芸241(小島憲二)

2012-11-18 21:45:30 | 現代陶芸と工芸家達

伊賀焼は、三重県伊賀市(旧阿山町)で焼かれている陶器及び器(せっき)です。 

 桃山時代の天正年間後期に、伊賀領主となった筒井定次が、阿山の槙山窯にて、茶の湯に

 用いる為の茶壺、茶入、花入、水指などを焼き始めたと言われています。

1) 小島憲二(こじま けんじ): 1953年(昭和28) ~

  ① 経歴

   1953年 愛知県知多市生まれます。

   1972年 愛知県立 常滑高校窯業科を卒業し、伊賀に移り作陶を始めます。(1年間)

   1973年 「朝日陶芸展」に初入選し、備前焼の小西陶蔵氏に師事し5年間修行します。

   1979年 伊賀に戻り、丸柱の古窯跡地に窖窯を築きます。 

        デンマーク国立博物館が、「陶筥」を買上ます。

   1995年 タイ・ダンクェン村で作陶。 三重・花御堂にて発表

   1999年 沖縄知花で作陶(2000年 同堂にて発表)。 琉球南蛮を発表します。

    (青砂工芸館・ギャラリー桃)

   2003年 三重・アートスペース「蔵」で 「小島憲二の眼と手(コレクションと作陶)」を開催します

  ・ 尚、朝日陶芸展、中国国際陶芸展、伝統工芸支部展、陶芸ビエンナーレ展、日本陶芸展など

      入選や受賞を多数受けています。

  ・ 名古屋橋本美術、沖縄・青砂工芸館、池袋東武、大丸京都展、大丸心斎橋店、沖縄三越、

    松坂屋静岡店、名古屋丸栄、日本橋三越本店、横浜高島屋、三重・堤側庵、名古屋丸栄など

    全国各地にて個展を中心に作品を発表しています。

  ② 伊賀焼きとは    

     伝統的な伊賀焼は一切の釉を用いず、耐火度の強い伊賀の土に、他所にない高温で

     焼成(伊賀の攻め焼き)し、赤松の灰から生み出される「ビードロ、焦げ」などの力強い景色と、

     茶人好みの雅味に富んだ造形とが特徴と言えます。

     窖窯での長時間の焼成、それに耐える力強い造形や美が見所です。

  ③ 小島氏の陶芸

     彼は、主に皿や鉢などの食器類と花入、壷などの作品が多い様です。

    ) 皿類: 手捻りの板皿が多く見受けられます。

      ・ 炭化四方皿: 黒、焦げ茶、灰色などの色が、波打ち際の砂浜の様に段々に波打って

        いる作品です。20 x 20x h2.0 cm

      ・ 彩文葉皿: 釉の掛かった葉皿で、黄、緑、黒と地の白色を、区分けして色付けした楕円形

        の皿です。14 X 27 X h3.5 cm

    ) 大鉢: エメラルドグリーンの自然釉、即ち「ビードロ」が器の中心部に集まっています。 

         伊賀 荷葉(かよう)大鉢  44 x 40 x h11 cm

          注: 荷葉とは、古来蓮の葉を意味したそうです。

       口元は蓮の葉を思わせる柔らかな曲線に波打ち、早朝の蓮の葉に宿る雫を溜めた様な

       潤いある豊かな「ビードロ」の色合いを見せています。  

    ) 「伊賀石景」の作品

        彼の作る壷や花入などには、「石景」と名付けた作品が多いです。

       ・ 伊賀石景花入: 六角の箱型の花入で、自然釉と見られる流れが見られる作品です。

         28 x 14 x h29 cm

       ・ 石景壷: 土の赤、ビードロの緑、灰が焦げた黄褐色が、絶妙なバランスで配色され、

         その景色は素晴らしい物と成った壷です。55 x 55 x h 25 cm

    ) 「塊の土瓶」 : 仙人を乗せた小舟やアジアの帆船、または鳥の様にも見える風変わり

        な土瓶です。釉は掛けられています。遊び心がいっぱい詰まった作品です。

    ) 彼は又、伊賀焼の可能性を拡げる為に、色々な土や色々の焼成を試みています。

        琉球南蛮や釉物の陶器も、手がけ個展に出品しています。

 次回(澤清嗣、澤克典氏)に続きます。

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現代の陶芸240(山田和)

2012-11-17 22:42:22 | 現代陶芸と工芸家達
今、超人気の陶芸家の一人に、福井県宮崎村の越前陶芸村に在住し、志野、青織部、黄瀬戸、
 
瀬戸黒などの作品を、個展で発表している人が、山田和氏です。
 
1) 山田 和(やまだ かず): 1954年(昭和29)~
 
  ① 経歴
 
   1954年 愛知県常滑市で、常滑焼日展作家の山田 健吉氏を父に、人間国宝 三代山田常山を
 
          伯父に持つ陶芸一家に生まれます。
 
   1976年、大阪芸術大学 芸術学部工芸学科 陶芸コース卒業します。

          同年、福井県宮崎村の越前陶芸村に築窯します。

   1988年 ドイツにて窖窯「ヤン・コルビッツ陶房」を築きます。

         マークスツェルナープロダクション制作の記録映画「炎より生まれる」に出演。

   1989年、ドイツにて作陶、初窯を焚きます。

    個展: 名古屋(丸栄、豊橋など)、東京(日本橋三越、銀座黒田陶苑など)、大阪(高島屋、

      JR大阪三越伊勢丹など) 各地で開催しています。

  ② 山田和氏の陶芸

     幼い頃より焼物に親む環境で育った為、15~16歳頃には轆轤が挽けたそうでます。

    ) 山田氏には二度の決定的な転機があったとの事です。

       それは、八木一夫氏を中心とする、京都の走泥社で新しい陶芸活動に共感を覚えます。

       更に、当時の米国で持てはやされた、アメリカン・ポップアートの影響とされています。

       もう一つは、加藤唐九郎との出会いであると語っています。

     a) 日展で活躍する、親のやっている伝統的な陶芸とは異なる陶芸をやりたいと思い、

        アメリカの陶芸に憧れて大阪芸大に入学します。

        当時の大阪芸大の柳原睦夫先生が、アメリカからどんどん仕入れて来て、米国の

        陶芸をスライドを使い、授業で見せられる事が、大変刺激的であったと述べています。

       ・ アメリカには、伝統の影響はない事から、日本人が全く気がつかないところで、

         又全く自由な考えで、なんでも有りの状態の風土が刺激的で合ったようです。

       ・ 注: 走泥社とは、1948年、京都で八木一夫、鈴木治、山田光、松井美介、叶哲夫の

        5人によって結成された陶芸革新運動の結社です。

        (山田氏の高校時代に影響し、しばしばその作品展を見に行ったそうです。)

     b) 最初の個展を、陶芸村で行った際、父の知人でもある加藤唐九郎氏が見にきてくれ

        そこで知り合いになります。唐九郎氏の志野茶碗を手にとって見てみたいと思い、

        美術商の処に連れて行って貰います。その時までは茶碗としてではなく、オブジェとして

        関心があったようです。しかし、唐九郎氏の志野茶碗を見たら、「アメリカの陶芸なんて、

        屁みたいなもんだと思う」様になり、志野にのめり込んで行きます。

       ・ 「唐九郎氏が生きている間は、心酔して僕にとっては教祖的な存在でしたね。」と述べて

         います。勿論唐九郎氏に作品を見せ、批評も受けています。

       ・ 唐九郎氏の「越前の土でいい志野ができる」との言葉で、越前の土で志野を中心として

         青織部、黄瀬戸、瀬戸黒などを手掛ける様になります。

     ) 志野宣言の後の、90年代以降は志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒などに加え、独自の

         赫釉(かくゆう)を持って各地の個展で発表し、高い評価を得ます。

   ③ 山田氏の作品: 主に抹茶々盌や水指などの茶道具と、酒器、食器、花入を作っています。

     ) 炎舞志野茶盌(えんぶしのぢゃわん)」 :1999年発表し、自ら名付けた彼の代表的な

        作品の一つです。文字通り、赤い炎が舞い上がっている様な表情をしています。

        即ち土見せ(高台脇と高台、高台内)部以外に、釉がたっぷりかかった作品です。 

        尚、この赤い色は、鉄釉によって発色させているとの事です。

     ) 赫釉(かくゆう)織部茶盌:この作品は山田和の独特の織部です。

        白化粧された白い器肌(又は白い素地)に、流し掛けされた釉や、真っ赤な文様が描か

        れた茶盌で、線刻模様に黒を入れたと思われる、抽象的(意味不明)な絵が描かれて

        います。

        ・ この赤は、上記炎舞志野よりも、透明感のある強烈な赤になっています。

          日本海に沈む夕日をイメージし、そこからヒントを得たとの事です。

        ・ この釉の発端はオブジェ時代(米国の陶芸に憧れていた時代)に作った釉だそうで、

          当時は鳥籠に入った人形が血を吐いている作品を作り、その血の色だったそうです。        

     ) 志野手斧目(ちょうなめ)茶盌: 手斧で削った痕が残る志野手茶盌です。

         手斧とは: 大工道具の一つで、木肌を削り仕上げる物で、削り痕が独特の文様に

         なります。

      ) 伊賀花入. 伊賀花入. 伊賀花入. 青織部花入. 青織部花入などの作品。

        茶盌類が、伝統的な形をしているのに対し、花入はかなりオブジェ的な作品になって

        います。若い頃手掛けた作品の名残の様なものを感じる作品です。

 

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現代の陶芸239(小川幸彦)

2012-11-16 21:21:14 | 現代陶芸と工芸家達

日本の陶磁器の原点である、須恵器の事を徹底的に研究し、須恵器の作品を作り続けた作家が

静岡県島田市に住む、小川幸彦氏です。

  注: 須恵器とは、古墳時代~平安時代に生産された陶質土器(器)で す。青灰色で硬質です。

    5世紀に朝鮮半島南部から、窯と伴に伝わったと言われています。

1) 小川幸彦(おがわ ゆきひこ): 1942年(昭和17) ~1998年(平成10)

  ① 経歴 

    1942年 東京渋谷に生まれます。

       1962年 明治大学を中退し、造形美術に進む決心をします。

          知人の紹介で、京都の陶芸家、岩淵重哉氏の内弟子として師事します。

    1967年 沖縄での南蛮焼き、栃木県益子での民藝陶器、愛知県の常滑での、平安・鎌倉      

          時代の古陶の研究をする為、各地を廻り作陶を続けます。

    1969年 日本工芸会正会員に推挙されます。この頃より、工房と窯を築く場所を探し求める

           様になります。

    1971年 静岡県島田市阿知ヶ谷に窖窯の「天恵窯」を築きます。

    1972年 その窯で信楽、常滑の土や地元の陶土を使い、須恵器を作り始めます。

    1978年 地元の古陶「志戸呂焼(しとろやき)」の、素材・材料の研究を行い、独自の灰釉の

          表現を駆使し、次々に精力的な作品を制作し発表します。

      1980年 灰釉研究の為、新たな窯を設計し窯を築き、独自の灰釉の作品を作り始めます。

   1987年 窖窯の構造を工夫して、須恵器、自然釉、南蛮などの作品を作り、発表しています。

   2005年 七回忌の回顧展が、地元「島田市博物館」で開催されました。

  ②  小川幸彦氏の陶芸

    彼は古代美術に詳しく、その鑑識眼と造詣に深い人でした。彼の作品は、「土の声」を聞き、

    「土との対話」によって、薬壷(やっこ)や大壷を小さな轆轤や、手捻り等の「手」によって制作

    しています。

   ) 灰釉薬壷: 灰釉の掛かった、蓋付きの円形(球状)の壷です。

       大きさ(H xW xD cm): 34x37x37。

       灰釉の作品には、灰釉瓶子。灰釉耳付長頚瓶。灰釉輪花鉢などの作品があります。

   ) 自然釉壷類

     ・ 自然釉蓮弁大壷: 叩き技法による叩き板の文様のある大壷で、中段に釘やヘラで描いた

       団子状の円で蓮弁を表しています。 45x47x47。

     ・ 自然釉大壷: 下部には叩き板の文様が鮮明に見えます。中段から上段に掛けて三本の

       平行線が描かれ、その間には大雑把な丸や、ニョロニョロした線が描かれている作品で、

       肩には、灰色っぽい自然釉が濃い目に掛かっています。40x43x43。

   ) 器(せっき)類:英語の"Stone ware"の訳語。。「焼き締め」ともいう。 施釉はせず、

        焼成で自然釉が掛かる焼き物です。

     ・ 器壷、器リンゴ壷、器梵字文瓶子、器板皿、(無釉の焼き締め陶器)

     ・ 器赤絵扁壷、器赤絵花器: 器の表面に青、濃紺、赤絵が施された作品です。

    ) 南蛮の作品:

     ・ 南蛮大ノ字文壷: 熔けきっていない灰が壷の肩に積み重なって、凸凹した器肌に成った

       作品です。胴部に「大」の文字が、へらで大書してあります。 21x22x22。

     ・ 南蛮線文「大日如来」壷: 平らの面を持つ偏壷で、平らな面に座す「大日如来」が線で描

       かれています。  

   ) 志戸炉(しとろ)釉の作品:

      志戸炉焼きとは、静岡県遠江(とおとうみ)国 志戸呂で産した陶器で、赤みがかった器に

      黄色釉や黒釉を掛け、独特の侘びた味わいがある作品です。茶器が好まれています。

     ・ 志戸炉釉花器: 筒型で上部には褐色の釉が、下部には黒釉が掛かった作品です。

       大きさ: 30.5 x 18 x 18 cm

     ・ 志戸炉釉大鉢: 逆円錐形の鉢で、白い器肌に黒釉が斑(まだら)に掛けられています。

       大きさ: 22 x 36 x 36 cm

   ) その他: 志戸呂徳利、南蛮徳利、信楽徳利、自然釉徳利、ぐい呑、麦杯酒盃などの酒器や

      山茶碗などの茶碗類と、灰釉灯火器(中に蝋燭を入れた明かり取り器)なども作っています

次回(山田和氏)に続きます。

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