コージーアンティークの日記

日記や修理・メンテナンス、アンティーク情報などもろもろをご紹介してゆきます。

GEORGE NAKASHIMA ジョージ・ナカシマのこと~その1

2007-10-18 03:07:54 | イサム・ノグチ / ジョージ・ナカシマ
おはようございます!!ちょっと肩こりと首のこりが痛いんですけど、頑張って更新します~

George Katsutoshi Nakashimaジョージ中島 (May 24, 1905~June 15, 1990) は、20世紀の家具デザインをリードした革新者の一人であり、アメリカン・クラフト・ムーブメントをリードした日系アメリカ人の木工職人であり、デザイナー、家具メーカーでした。また、1983年には、日本政府並びに天皇陛下から勲三等瑞宝章を授与されています。

Nakashimaという名前は、日本ではあまり馴染みが無いかもしれませんが、Mid-Centuryを代表する日系アメリカ人であるIsamu Noguchiと同等か、それ以上にアメリカでは有名になっています。

Nakashimaは1905年にワシントン州Spokaneスポケーンで生まれました。
彼は、ワシントン大学で建築を学び、1929年建築の学位を取得して卒業。1931年には、MITマサチューセッツ工科大学にて、建築の修士学位を取得。その後、彼の車を売却して、世界を回るための船のチケットを購入しました。うーん、チャレンジャーですネ!!

彼は、フランスで1年間、放浪者の生活をした後、北アフリカへ。そして、最終的には日本へ向かいました。

日本滞在中は、アメリカ人の建築家Antonin Raymondアントニン・レイモンドの下で働いていました。アントニン・レイモンドは、帝国ホテルのプロジェクトでは、かの有名な建築家Frank Lloyd Wrightフランク・ロイド・ライトと共に仕事をした経験があります。

レイモンドとの仕事を通して、Nakashimaは日本を広範囲にわたって旅をし、日本の建築及びデザインの機微を学びました。

1937年、レイモンドの会社は、インドのポンディシェリーにある(ヒンドゥー教の)僧院の寄宿舎の建設に任命され、Nakashimaは建設コンサルタントの主要なポジションでした。ここで、Nakashimaは彼の最初となる家具を製作しました。

1940年に、Nakashimaはアメリカに戻り、木工の教育を開始し、同時にワシントン州シアトルにて家具の製作を始めました。

他の日本人の祖先と同様、彼は第二次世界大戦の間、抑留され、1942年3月にはアイダホ州Huntハントにあるミニドカ収容所に送られました。
抑留時代の事については、以前のブログにも書きましたが、是非、Los Angelsのリトル・トーキョーにある全米日系人博物館を訪れてみて下さいネ。貴重な写真や常設展示がありますヨ。
ちなみに、この全米日系人博物館にて以前にNakashimaの展示が行われた事もありますので、参考まで…。
つづく・・・。
(画像は、アンティーク・オークション専門業界紙Antique West10月号のジョージ・ナカシマの特集です。)

今日のフェニックス:最高気温は28度です。だんだん朝晩は、寒くなってきました~

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コメント
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