アテルイを語ったのは日本人とは 志 とはというテーマの回 だった。
プログラムをつくるにあたり 語り部 それぞれに これぞという人物をあげてもらった。 男女差 時代のバランス 偉人としての質 その他の理由で希望があった人物の原稿のうち 三人は断った。春日の局 荻野吟子 もうひとり免疫学の権威 安保先生。
いわゆる偉人ではなく 地上の星のような 知られざるひと 志を持って 他者のために生きたひと 生きているひとの 子ども時代から どのような理由で志を持ち どのように 障害を越えて行ったか検証し それを伝えたかった。それで その生き方に感銘を受けた太田垣蓮月 を 紹介し 盲ろうの博士福島智氏 と 埼玉出身の 起業家 山口絵理子も加わった。
わたしは 書かれた文字に頼る 語り部ではない。調べる ことはする。次第に 時代のイメージ ものがたりの背景 人物像が浮かび上がる。語りたくなる。声に出す。忘れないように というか どんどん 変わってゆくので文字に固定する。かわるたびに記録してゆく。
けれども これは わたしのやり方。
教えているひとたちは 本を何冊も読む 抜き書きする 暗記する。けれども それは書かれた文字 読むための文章から 起こしているので 添削し 語ることば 語る文章に直さなくてはならない。これが大変な作業。自分でつくるほうが よっぽど 簡単だが それでは 育てることにならない。これは力しごと。なぜかというと生き方の問題なので本人が 自覚しないと変わらない。
原稿を読む 指摘する 書き直す の繰り返し。多い人は18稿まで行った。正直 テキストつくりまで 教えるつもりはなかった。だが 読み聞かせ 暗記 ストーリーテリング 育ちのひと 本に対して信仰を持っているひとはどうしようもない。本を読む と語る は 水と脂 ほど違う。天と地ほど違う。
語り は 本来 器となるものである。
わたしは無償で教えてきた。語りでお金を稼ごうとは思わなかった。だが 無償では 学ぶひとの身につかない。それで お金ではない 貢ぎ物を もってらっしゃい と 言った。たいへんオモシロイことに 皆 食べるものだった。食いしん坊だと知ってるのね。
なかで 三回もわたしの好きな ティーズティ と美味しいチョコレートを貢いでくれたひとがいて このひとの原稿は 添削の必要がほとんどない。そういうことね。
テキストの問題点はみな同じ
1 なにもかも伝えたい エピソードのてんこもり 説明もてんこ盛り
2 思い込み この正義 このやさしさを伝えたい いつの間にか 主人公と自分が入れ替わる。
3 ものがたりの流れを理解していない。軸が真っ直ぐでない。
軸が 間違っていなければ ガを捨てれば ものがたりは 自然に降りてきてくれる 内側から 浮かび上がり 外側からもアクセスがある。ヒントが与えられる。シンクロ がおきる。
語りとは 情熱と冷静のあいだにあるものだ。
情熱とは いのちへの共感 世界への愛 語りというものへの信頼と愛
冷静とは客観性。
世阿弥がいったように 妙 の世界で 語る自分を 観客を見つめる 澄んだニュートラルな眼差し。
これだけ教えても付け焼刃のひとは戻ってしまうかもしれない。だが それもよい。
語りも道である。志と生き方で変わる そのつぎの技術。
わたしは 此処までしか手助けできない あとは自分と向き合うことで 前に!進んでください。