(はじめに)
戦前の弁護士の任意団体として、大日本弁護士報国会なるものが存在していました。「報国会」とは、いかにも戦争翼賛体制っぽい名前なのですが、この大日本弁護士報国会が何をしていたのか謎の多い会のようです。
(大日本弁護士報国会はどのように見られているか)
第二東京弁護士会の「憲法記念日を迎えての会長声明」(2015年5月3日)には、「戦争は最大の人権侵害です。この国を「戦争ができる国」にしてしまっては、弁護士法1条の趣旨を貫くことはできません。」と不戦の声明を行っています。大日本弁護士報国会については、「過去、第二次世界大戦のときには、弁護士が「大日本弁護士報国会」を結成するなどして総戦力体制に組み入れられてしまった苦い教訓があります。」と述べています。
ここからは、総戦力体制のために報国会がつくられ、弁護士が協力してしまったという認識が読み取れます。
また、参考文献1では、日本弁護士協会や、帝国弁護士協会は、1938(昭和13)年ころまでは、戦争反対の意見を主張していたが、その後戦争翼賛体制に移り、1944(昭和19)年には、大日本弁護士報国会が設立されたというように書かれれています。ここからも第二東京弁護士会の会長声明と同様の認識が読み取れます。
(大日本弁護士報国会は何をしていたのかはよくわからない)
しかし、報国会がどのような戦争協力をしていたのかについては、インターネットを検索していっても、ほとんど書いておらず、何をしていのたかよくわからないのです。
大日本弁護士報国会は、1944(昭和19)年2月、佐藤博・小林俊三らを中心として、「不断に皇国の現実に即する積極果敢なる実践活動を展開し法曹報国の誠を致さん」という目的をもって設立されたのですが、全弁護士が加入していたわけではなく、現実の積極的活動も行われていない、同年4月から「法曹報国」という機関誌を出しているが、わずか数号で休刊しているとの指摘を大野正男はしています(参考文献2)。
理事などの役員には、過去の分裂の経緯から第一東京弁護士会は加わっていなかったということからすると、一致協力して戦争協力というような実態はなかったのではないかという印象です。
大野は、「戦争に協力するにせよ、反対するせよ、弁護士会階層は無力であったといってよい」と言っていますが、何をしていたのかよくわからないのであれば、そのような結論はやむを得ないでしょう。
(大日本弁護士報国会がいつ解散したのかどこにも書いていない)
活動実態もよくわからないのですが、いつこの会が解散したのかもわかりません。比較的報国会に詳しい参考文献2ですら書かれていません。
この辺もまた謎なのです。
(敗戦から日弁連成立までの弁護士史の空白)
弁護士の書いているものは、戦後の話になると、いきなり弁護士法改正の話しになり、日弁連の誕生(1949(昭和24)年9月1日)から新しい歴史が始まったと結論付けるのですが、敗戦から1949年まで弁護士法制定以外の弁護士会の活動に何ら触れられないものばかりです。
この間の弁護士の活動は何だったのか?この点の問題意識がないまま今日を迎えている気がします。
例えば、この間には戦犯の弁護活動がありましち。BC級戦犯では、戦犯とされた者も多いので、それに伴い相当数の弁護士が活動していたはずなのですが、弁護士史の問題としては何ら言及されていません。スルーされてしまっています。
このような穴を少しでも埋めていかなければなりません。
参考文献1 金子武嗣「私たちはこれから何をすべきなのかー未来の弁護士像」(2014年;日本評論社)
参考文献2 大野正男「職業史としての弁護士および職業団体の歴史」(1970年;「講座現代の弁護士2 弁護士の団体」所収;日本評論社)