リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

日本で共同名義口座を作れないのは相続税があるからかな

2022年06月16日 | 日々の風の吹くまま
6月15日(水曜日)。⛅☁。こぶの日。今夜はArts Clubの短縮シーズン打ち上げのミュージカル対策『Kinky Boots』のオープニングナイトで、コロナ関係の制約がなくなったおかげで、劇場に近いバンクーバー・テニス/ローンボーリング・クラブで盛大なレセプションがあるから、朝からわくわく。これまでレセプションの参加者を劇場とレセプション会場の間で送迎してくれていたスポンサーの観光バス会社がコロナのせいで廃業してしまったので、直接会場に行って、レセプションの後は各自で劇場へ移動と言うことになっているけど、歩いてせいぜい10分の距離。前に同じクラブに集まったときには、親しいシニア仲間がまるで高校生の群れみたいにわいわいと劇場まで歩いたっけな。いつも車を止めるお屋敷町ショーネシーからも10分だから、出かけるのは5時20分前くらいでいいかな。「晩ご飯抜きで行ってもいいよね」とカレシ。うん、金持の会員制クラブだから、出て来るおつまみの類もけっこうリッチだもんね。

というわけで、今日のウォーキングは、車からレセプション会場(下り坂)、そこから劇場(平坦)、芝居が終わったら劇場から車まで(上り坂)の歩く時間で代用することにして、出かける時間までのんびり。それではと、ネットでまずは日本の大手新聞の見出しだけざっとながめて、購読しているThe GuardianとNew York Timesをじっくり新聞を読んで(長い記事が多いので時間がかかる)、それから小町横丁をそぞろ歩き。ごくたまにはなるほどと思うトピックもあるけど、タイトルを俯瞰した限りでは相も変わらず「~をもらえなかった」、「~してくれなかった」、「~された」、「~される」と期待外れに「もやもや」。誰かに自分を肯定してほしいという嘆願のような感じがしないでもないので、破格の数のレスが付いていればつい覗いてみることもあるけど、そうでなければ素通り。同じ社会環境にいなから役に立てそうにもないし、人生にはマニュアルなんてないし、あったとしもすぐに「旧バージョン」になるしね。

でも、ひとつだけ、住宅ローンに関するトピックがあったので覗いてみたら、「ペアローン」という聞きなれない一見外来語風の言葉が出て来て、何、それ。どうやら夫婦が一緒に住む家を買うのに、互いに保証人になって別々のローンを組むしくみらしいとわかってびっくり。何か「1階があなたのもので2階が私のもの」みたいなイメージだけど、ちょっと調べてみたら、日本で住宅ローンを組むのはかなり複雑。そもそも、銀行に行って夫婦間のjoint account(共同名義口座)を作ることからしてできないとは知らなかったな。例えば、夫婦で生存者権付きの共同名義口座を作ると、どちらかが死んでも口座のお金は自動的に残った方が相続するし、マイホームも同様に登記すれば相続も自動的で、どちらも遺言検認の対象になる遺産には含まれないから、口座を凍結されるなんてこともない。だから、我が家は結婚当初の銀行口座からその後の持ち家、車、投資口座にいたるまで、すべて互いに自動的に相続できる共同名義にして、法律で共同名義にできない個人年金基金なども互いを受益者に指定してあるわけ。

日本にそういう制度がないのは、どうも日本の相続に関する法制度が根底にあるんじゃないかと言う気がする。誰がどれだけもらえるかをしっかりと決めて、相続税や贈与税の取りっぱぐれがない(政府が損をしない)ようにするってことで、結婚して家計をひとつにするのに、家計費の負担額と家事の分担比率、あるいはその家事分担率と収入の比率を結び付けようとしてもめているトピックが多いのは、そこから来る「(自分が)損をしない分配」の思想が影を落としているのかもしれないな。そこでは「私たち」という共同体意識も薄いと言う感じがする。幸か不幸か、カナダにはもともと相続税も贈与税もなくて、故人が納めるべき税金を完納して身ぎれいになって死んだという考えだから、最終申告で所得税を払って残った財産には税金は絡んで来ないし、分配に関する規定もないけど、遺産の処理を指定した遺言書の検認と言うえらく時間のかかる手続きがある。でも、.生存者権付き共同名義にすればその「遺産」の中には入らないわけで、夫婦や家族の間でもめごとがないなら、こんな便利な「私たち」ツールはないんだけどね。