リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

旅の空から~さようなら、シルバーシャドウ号

2021年10月25日 | 日々の風の吹くまま
10月24日(日曜日)。☁🌤(バルセロナ→カルカソンヌ)。朝6時半に起きて、下船の準備。夜の間に勘定の精算書が来ていて、開けてみてびっくり。パッケージには船の上で使えるクレジットがだいたい1人100ドルほど(船の上ではアメリカドルが標準通貨)ついてくるんだけど、精算書を見たら1件だけどんと1000ドル。セールで大きな額がつくことがあるけど、航行中に増えることはまずないのに、合計で1500ドルのクレジット。予約して前払いしてあった寄港地でのツアーの代金とプレミアムWifi(1人2台のデバイスを使える)の料金と相殺すると、クレジットカードへの請求額はたったの46ドル。うはぁ、日本だったら4500円くらいかな。すごい出血サービスだけど、いいのかな。朝ご飯を済ませて、忘れ物がないか今一度確認していたら、バトラーのデンバが来てさよならのあいさつ。来年の6月にはシルバームーンで北ヨーロッパを回るから会えるといいねと言ったら、「2月から11月までムーンに配属されることが決まっているんですよ」とのこと。おお、じゃあ、船のどこかで会えるねえ。私たちの船室の担当だったらなおいいなあ。それじゃあ、来年また会うまでのさよならってことで、故郷のアフリカでの2ヵ月の休暇はしっかり休養して来てね。と、8時前に船室から退去して、デッキ5のラウンジで預けてあったパスポートと陰性証明を受け取って、下船の順番待ち。

オレンジタグの番になって、船から空港にあるようなブリッジを渡ってクルーズ・ターミナルへ。スーツケースを引き取って、待合室に出て待つこと10分ほど。カルカソンヌまで送り届けてくれる運転手が黒光りのベンツで来て、いざ、乾燥した田園風景の中のモダンなハイウェイをカルカソンヌに向かって3時間ちょっとのドライブ。交易の要衝だった地中海沿岸の歴史を反映してか、ちょっと高くて険しそうな丘があると、相当な確率で頂上に城塞のような遺構が見えるし、風が強い地方なのか、あちこちに風力発電の白い風車が立ち並んでいて、新旧のコントラストがおもしろい。運転手のダニエルが「フランスに入りますよ」と言ったけど、フランス語の標識が立っていた以外は「国境」を示すものは何もなく、スピードを落とすこともなかったからびっくり。スペインの方が物価が安いということで、国境の手前の小さな町には場違いに大きなスーパーがあって、フランスからの買い物客で賑わっているんだそう。まあ、古代からオクシタン語と言う共通言語を持っていた人たちだから、近代の国境観は薄いのかもしれないな。

カルカソンヌは12世紀に造られた城壁に囲まれた部分がユネスコ世界遺産で、実際に住んでいる人は50人に満たず、4万6千人の市民は川を隔てた新市街に住んでいるそう。一般車両は乗り入れることができないので、城壁の外にあるホテルの駐車場に止めて荷物を下ろし、許可のあるホテルの小型車にバトンタッチ。東西南北4ヵ所にある城門を入って、ホテルまでが細い道を日曜日のせいかたくさん歩いている観光客をかき分けるようにのろのろ、くねくね。どこを見てもおみやげ屋にカフェにレストランと言う感じで、外から見る城壁の威容とはまるで別世界の感。ここから1週間は私たちだけの旅。去年の5月初めの予定から遅れに遅れること1年半でやっと来れたわけで、いや、長かったなあ。




旅の空から~クルーズの終点バルセロナに到着

2021年10月25日 | 日々の風の吹くまま
10月23日(土曜日)。☁🌤☀(バルセロナ)。午前8時ちょっと前に私たちのクルーズの終点であるバルセロナに入港。船は明日の夜にマラガに向けて出港するそうで、カディスの後はジブラルタル海峡を抜けて大西洋のカナリア諸島を回って、リスボンが最終的な終点。地中海の観光シーズンが終わったので、大西洋に出て暖かいところへ移動するんだろうな。Silverseaには、AとBの間のクルーズの他に、AからB、BからC、CからD、DからEと言うように、1週間から10日のクルーズをつないだグランド・クルーズと言うのがあって、AからCまでとか、BからDかEまでとか、暇がたっぷりあればAからEまでぶっ通しとか、予算と時間に応じて選べるようになっている。

乗客定員が一番大きな船でも600人足らずの小型の船ばかりだし、子連れ向きの設備が何もないし、若い世代が遊べるような娯楽もないので、船にはお金と暇を持て余していそうな高齢者ばかり。私たちも高齢者に違いないけど、もっと年が上で杖を突いていたり、歩行器を使っている人たちもけっこういて、口の悪いカレシなんか「老人ホームみたいだ」。おいおい。でも、そういう人たちが、上げ膳据え膳で何週間ものんびりとリタイア暮らしを楽しんでいるんだろうと思う。私たちも来年の6月に北ヨーロッパのグランド・クルーズ5区間のうち最後の2区間を合わせて、アイスランドのレイキャヴィクからノルウェイ、デンマーク、エストニア、ロシアのサンクトペテルブルク、フィンランド、スウェーデンと回ることになっていて、船旅は3週間、前後のレイキャヴィクとストックホルムでの2日か3日を加えると1ヵ月の大旅行。でも、カレシは79歳、ワタシも74歳だから、「いずれそのうちに」という選択肢はほとんど残っていないのよね。

今日は下船前の抗原検査があって、船を降りるときに印刷した陰性証明書をもらえることになっている。航空会社もワクチンの完全接種だけじゃなくて、陰性証明も要求するところが多いから、無料の検査は特にイギリス人の客にはありがたいサービスだろうな。(カナダの場合は搭乗72時間前以内のPCR検査結果を事前に送って隔離免除の承認を得る必要がある。)抗原検査は今回で2週間のうちに3回目で、PCR検査みたいに鼻の奥まで綿棒を突っ込まないので、ちょっとくすぐったいだけで簡単なもの。4回目のコロナ検査になるわけだけど、今回もあっさり陰性。毎朝の検温もコンスタントに合格圏だったから、あんがい家にいるよりも安全だったかもしれないな。

午後はそろそろ荷造り。下船する時間帯と行く先によって預ける荷物に付けるタグの色が違っていて、私たちはターミナルでの出迎えが9時なので、8時台下船でホテルにも空港にも行かないから、タグはオレンジ色。飛行機に積むわけじゃないし、車でカルカソンヌのホテルまで運んでもらうだけなのでので、夜と朝に必要なものだけを残して後はざっくり。タグを付けたのを午後11時半までに船室の外に出しておくと、夜中に集めに来て、朝船から降ろしてくれるので、ターミナルに降りたら受け取るだけのこと。まあ、狭い廊下を大勢が大きなスーツケースを押したり引っ張ったりしたら大混雑になるだろうかな、船室の大掃除をして午後には次の船客を入れるための手順と言った方がよさそうかな。うん、いよいよ明日の朝には船を降りて、一路フランスはランゲドック地方の城塞都市カルカソンヌへ。まともなWifiがあって、写真をたくさんアップロードできるようになるといいなあ。


旅の空から~地中海の小さな島々の豊かな歴史と遺産

2021年10月25日 | 日々の風の吹くまま
10月22日(金曜日)。☁🌥🌥☁(パルマ・デ・マヨルカ)。午前1時半くらいだったか、ドタン、ゴロゴロという騒音で目が覚めて、何だよぉ~とイラついていたら、カーテンの隙間からピッカァ~、そしてすかさずドッタン、ゴロゴロ。あは、雷っ。船長が次の寄港地への到着が遅れるかもしれないと言ってたのは、雷雲を避けてちょっぴり遠回りするということだったのかな。海の上の雷鳴は地上の空の雷鳴とは何となく音の質が違うなあ、なんて思いつつ、寝返りを打って顔がベランダの方を向いたとたんにまたまたゴロゴロ。起き出してトイレに行ったついでにカーテンの隙間から外を見ていたら、うわわわ、暗い空いっぱいにみごとな稲妻の乱舞。コロンブスも古代のギリシャ人もフェニキア人もきっとこんな雷雨を見たんだろうな。さぞかし怖かっただろうな。いや、勇敢な海の男はなんぞこれしきって気概で恐怖心を乗り越えたんだろうな。

盛大な雷鳴も数回聞いただけで、船はほとんど遅れずにマヨルカ島のパルマに入港。バレアレス諸島はスペインの自治州で、主言語はカタロニア語のマヨルカ方言だそうな。どうりで市内観光のバスの窓から見る標識が意見してスペイン語なんだけど、どうも(ワタシが昔かじった)スペイン語とはちょっと違っているはずだな。マヨルカ島の歴史も新石器時代から人が住み着いていて、地中海での地理的な位置が良すぎたために、東からやって来たフェニキア人が植民地を作り、北アフリカのカルタゴの支配下に入り、ローマ帝国の支配下に入り、ヴァンダル人に侵略され、イスラム教国の支配下に置かれ、東ローマ帝国に取り込まれ、と中世にスペイン本土のアラゴン王国の支配下に入るまで、実に波乱万丈。

ツアーはまず船から見える高い丘の頂上の城塞。最初は弓矢と石が攻略の武器だったので、矢を放つための細い隙間が開き、塔の頂上には登ろうとする敵の上に熱湯や石を落とすための穴がぐるり。大砲が登場してからは塔の周囲に空間を作るために外側に新しい城壁を作って防戦。塔の周りは水のない掘で、地下には貯水槽があり、城塞に使われているこの地域特有の石灰岩によって自然にろ過された雨水を貯めていたそうで、敵に包囲されたときは領主の一家が高いところにある橋を渡って塔に移り、橋を破壊し、貯めた水と貯蔵してあるナッツやイチジクといった乾燥食物で何週間も籠城したんだそうな。いやはや、地中海諸国の歴史は攻めたり、攻められたり、征服したり、征服されたりの長い長い戦国時代だったようなものかな。

ツアーの後半は、これも船から見えていた大聖堂。隣接する14世紀の王宮は迎賓館になっていて、アメリカのクリントン大統領が滞在したときに掲揚したアメリカ国旗がいつも翻っているスペイン国旗の4倍も大きかったもので「アメリカに侵略された」と言うジョークが飛び交ったらしい。王宮の上の像は大天使聖ガブリエルで、金属で風見鶏として作られたので、風向きに従ってあっちを向いたり、こっちを向いたり。おかげでマヨルカでは聖ガブリエルは移り気で信用ならない人間の代名詞になってしまったとか。大聖堂は14世紀のゴシック時代に建設が始まって、完成まで370年もかかったそうで、その間に移り変わる装飾文化を取り入れたので、イスラム風だったり、ルネッサンス風だったり。チャペルや所蔵品を見て回って、最後に出た礼拝堂で、壮大なステンドグラスに息をのんでしまった。中でも大きな円形窓から差し込む日差しが柱や壁にステンドグラスの色を映し出していて、見とれているうちに、これがスペイン人(というかカタロニア人)の色彩感覚の源泉かもしれないなあと思ったくらい。観光客が大挙して押し寄せる小さな島の観光地だと思っていたけど、地中海の要所に浮かぶマヨルカにはその豊かな歴史がぎっしり詰まっているという感じだった。