リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

同情と共感の違い

2014年05月01日 | 日々の風の吹くまま
今日から5月。暑い。きのうも夜の10時にもなってまだ袖なしの薄いTシャツ1枚で外を歩
けるくらいだった。最高気温は21度で、バンクーバーでは「夏日」。平年並みは15度くらい
だから、季節外れの暑さ。気の早い「夏」を味わったような1日だっただけど、週末には平年
以下になって雨が降るという予報。まさか、これで今年の夏はおしまいってわけじゃないだ
ろうけど・・・。

今日のJapan Timesに、有道出人が日本人はすばらしい「同情力」を持っているのに、よ
そ者に対する「共感力」が足りないために外国人やマイノリティへの差別をなくすことができ
ないのだと書いていた。有道は日本に帰化したアメリカ人(アメリカ系日本人)で、外国人差
別反対の活動家。皮肉にも外国人(特に欧米人)の反発を招くことが多いけど、この記事に
は同感だな。「同情」と「共感」は同じではないというのも、まさにその通り。同情はする人の
方にパワーを与え、共感はする人のパワーを他人に与えると言うのも同感。

誰がEmpathyを「共(に)感(じること)」と訳したのか知らないけど、本来の意味は「人の身
になって考えること」で、英語的には「人の靴を履いて考えること」。つまり、自分が他人の
置かれた状況や立場だったらどう思うかを想像すること。「同情」はかわいそうとか気の毒と
いった「感情的な反応」だから、サイコパスでもなければ想像力がなくても誰にでもできるし、
することで自分を高揚させられる。でも、「共感」は他人の状況に自分が置かれたときの気
持を想像する能動的な行動なので、反応的に沸いてくる感情とは違う。あっけらかんと不適
切な発言をしたり、差別行動を取る人は想像力がないということで、要するに自分の発言や
行動を理解していないんだろうな。

特に自分が差別されたり、ばかにされると大憤慨するのに、他人を差別したり、ばかにして
何とも思わない人たちは、生理的に快適な領域から見えるものに反応(同情)することはで
きても、その快適な安全圏の外にあるものは想像できないから、その立場になった自分を
想像することもできなくて、結果的にその状況で自分がどう感じるかも想像できない人たち
ということかな。そういう人たちほど逆に他人に「共感(一緒に感じること)」を要求するきらい
があるようなのは、自分で感じられる「自分」がないということかもしれない。行き着くところ
はやっぱり「自己」の問題か・・・。