尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

最初で最後の「第三舞台」

2011年12月30日 22時39分50秒 | 演劇
 鴻上尚史の「第三舞台」の封印解除&解散公演「深呼吸する惑星が各地で公演中です。東京の紀伊國屋ホールで始まり、大阪、横浜で今年は終わり。来年早々、東京のサンシャイン劇場、15日の福岡公演が千秋楽となります。その日の公演は、全国各地の映画館でライブ・ビューイングされるそうです。3300円。上映劇場とチケットは、ホームページで見て下さい。

 鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)はすごく人気があって、今の若い人にもファンが大勢いると思うけど、実は僕は「第三舞台」は初めて。紀伊國屋は取れなくて、昨日横浜まで行って来ました。まあ、紀伊國屋ホールは418人のキャパシティに比べ、神奈川芸術劇場は大きくて1300人ということだから、取れるはずです。年末だからかもしれないけど、空いてたもんね。でも、ファンと思しき人々がいっぱいで、熱気があった。終わった後で、あれほど多くの人がアンケートを書いてた舞台も珍しい。演技のアンサンブルも良かったけど、内輪受けみたいな展開もあったんでしょうね。

 内容はSF仕立てなので書きません。(昔はSFをよく読んだけど、今は割と苦手。)ここで書きたいのは、なんで第三舞台が初めてなのかという話。第三舞台に限らず、野田秀樹など80年代に活躍を始めた舞台はほとんど見てません。映画は後追いできるから少しずつ追いかけてるけど、やはり80年代後半にはベストテン級でも見落としが結構あります。理由は簡単で、83年に就職して結婚したからです。今のように、パソコンでチケットぴあの会員になって、予約を申し込んでおくという方法などなかった頃です。人気チケットを取るのは、カネよりもヒマが必要だったのです。ということで、僕と同年代の劇作家(野田秀樹は同年、鴻上尚史は3つ下)はあまり見てないわけです。僕が一番影響を受けたのは、高校、大学のころに一番活躍していた人々で、例えば作家なら大江健三郎、安部公房、映画なら大島渚、吉田喜重、劇作家なら井上ひさし、別役実などということになり、生まれ年からは20年ほど年上の世代となります。そういうタイム・ラグと言うのがどの世代にもあるんじゃないでしょうか。

 あのころは、若くて、勤め始めたばかりで、結婚したばかりで、カネもなく、ヒマもなかった。おまけに勤めた学校が荒れるということがあり、再建のために力をつかった。結婚した時に、テレビ要らないよねということになったのでテレビも持たなかった。だから日航機事故も天安門事件もベルリンの壁崩壊も湾岸戦争もテレビでは知らない。ドラマやヒット曲やスポーツ中継も80年代は記憶から抜けてる。そんな、カネもなく、ヒマもなく、学校も荒れて、大変だった時期なんだけど、戻れるんだったらあの頃に戻りたい。他の時代に戻っても同じことをするだけだろうけど、あの時期ならやり方によっては後の自分が違っただろう。懐かしいというよりも、一番学んだ時期なんだと思う。一番失敗した時期でもあるのかもしれないが。

 「深呼吸する惑星」のパンフを見てて、なんだか回顧的な気分になったので、自分の80年代を思い出してしまった。もう少し下の年代の人には、また違う感想があるんだろうな。舞台の話自体が、昔と今、昔の過ちと今どう向き合うか、みたいなテーマだったこともあるだろう。

 横浜に行くのは久しぶりだけど、思ったより近かった。その後、渋谷に出てユーロスペースで、「東京ドリフター」を見た。2011年5月27日、東京各地で前野健太という歌手が歌って歩く姿を撮った松江哲明のドキュメンタリー映画。面白いけど、同時によくわからない映画だった。震災、節電下の東京の街が記録に留められている。
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