尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「佐渡の三人」「ジャージの二人」-長嶋有を読む①

2017年09月05日 23時16分23秒 | 本 (日本文学)
 毎月夏目漱石を読むということをしてたけど、8月は読まなかった。(代わりに9月にいっぱい読もうと思う。)その代りに長嶋有(1972~)にはまってずっと読み続け。最近は「北朝鮮問題」や「関東大震災時の虐殺事件」を書いていた。さらに、この夏は母親がケガして動けなくなったので諸事大変。そんなときには漱石は読めない。けっこう漱石はメンドーなので。そこで去年暮れに買っておいた「脱力系」の長嶋有を読んで、はまってしまった。今こそ読みたい、長嶋有

 だけど、それ誰よと言われそうだ。2002年に「猛スピードで母は」で126回芥川賞を受賞した作家である。デビュー作の「サイドカーに犬」は2007年に根岸吉太郎監督によって映画化され、その映画はとても良かった。この2作は一緒に文庫本に入っているから読んでいる。割と良かったんだけど、じゃあ、この後全部読もうとまでは思わなかった。その後、「ぼくは落ち着きがない」が出た時に単行本で読んだけど、まあまあという感じだった。正直言って、よく判らなかったのである。

 今まで僕がまとめて読んで、ここで紹介した同時代の作家は辻原登小川洋子池澤夏樹などだけど、その「大ロマン」的な作品世界にひかれた面が強い。それに対して、長嶋有はまさに「脱力系」というべき世界で、「なんじゃ、これ」的な作品が多い。実際の体験に基づいたリ、テレビ番組やマンガ、ゲームなどの固有名詞もいっぱい出てくる。じゃあ、簡単に読めるかというと、そういう感じでも読めるんだけど、実はかなり綿密に仕組まれていて油断できない

 非常に綿密に仕組まれたという側面は、2016年の谷崎潤一郎賞を受賞した「三の隣は五号室」を読めばよく判る。長嶋有は小説やエッセイどころか、俳句、さらには漫画まで描いていて、その上「ブルボン小林」名義でゲーム評論、マンガ評論を書いている。多才なんだけど、「遊び」とも言える。「思想」とか「社会」を正面切って描いているわけではなく、日常の世界が多い。でもフツーの働く人々をちゃんと描く小説がどれほどあるか。「泣かない女はいない」(河出文庫)は「働く女性小説」の白眉。

 その「泣かない女はいない」という題名は、ボブ・マーリーの曲から取られている。長嶋有の小説には、僕の知らないマンガやテレビ、家電製品がいっぱい出てくるけど、よく判らんなあという気はしない。なんだか自分も知っている気になって読めてしまう。それはヤナーチェクを知らなくても、村上春樹「1Q84」を読めるのと同じである。だけど、最初の長編「パラレル」(2004)は面白いけど、僕には全く判らない。登場人物が僕には納得できないのである。

 そんな中で、イチ押しは「夕子ちゃんの近道」なんだけど、これは別に書きたい。僕が今回最初に読んだ「佐渡の三人」(講談社文庫)や映画化された「ジャージの二人」(集英社文庫、中に「ジャージの三人」という短編がある)、そしてバカバカしさ全開の「エロマンガ島の三人」(文春文庫)の「三人シリーズ」(?)から読むのがいい。「エロマンガ島の三人」というのは、バヌアツ共和国に実在するエロマンガ島に行ってエロ漫画を読むという雑誌企画を出したら通ってしまって、実際に行く話。

 飛行機を乗り継いで、だんだんボロ飛行機になっていき、登場人物が筒井康隆の「五郎八航空」っていう小説って知ってますか?というくだりで爆笑である。これはさすがに元ネタを知らないと判らないと思うけど。そして行ったエロマンガ島とはどんなとこ? 長嶋有は行ってないけど、ホントに行った人の話をもとにしている。ところで「三人」の中には、空港で初めて会った謎の人物がいる。その人物は一体何なのか。それは同じ本の後ろの方にある別の短編で明かされている。

 「ジャージの二人」(2004)は、北軽井沢にあるぼろい「別荘」に父と二人で(犬も一緒)過ごすというだけの日々。妻はいるけど、他に好きな男がいて、父の方も後妻と娘がいるけど、どうなってんだか。でも、そういう日々の問題は、コンビニもスーパーも遠くて大変な日々に紛れてしまう。仕事も辞めて作家になるという主人公の設定は作家本人と同じ。実際に別荘もあるらしい。後々「ジャージの三人」「ジャージの一人」も書かれる。2008年に映画化されたとき、主人公は堺雅人が演じた。(見てない。)なんてことないけど、哀しくて可笑しい。まあ、クルマの免許は取りましょうと思ったけど。

 「佐渡の三人」(2012)は「佐渡にいったことがなくても楽しめます」と人を食った著者の言葉が帯に書いてある。前代未聞の「納骨小説」で、父、弟と三人で「私」(実は女性の作家だと後で判る)で、先祖の墓があるという佐渡に納骨に行く。もうだいぶ前の代で東京へ出て来て、祖父は医者として知られたらしい。その三男の「父」は「実業家」(実は古道具屋)で、祖母の命令により行きがかり上三人で納骨に行くことになってしまう。ユニクロの袋に骨壺を入れて佐渡に行くてんまつが、おかしくて哀しい。ああ、同じ表現を「ジャージの二人」でも書いてるけど、こっちの方が深い。この変てこな親子、というか一族の様子はまだ続き、「私」は都合3回佐渡に行く羽目になる。トキも見ないで、ただ納骨に行く「ロード・ノヴェル」で、この面白さはちょっと伝えにくい。是非読んでみてくれというしかないな。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« フィリピン映画「ローサは密... | トップ | 「夕子ちゃんの近道」-長嶋... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

本 (日本文学)」カテゴリの最新記事