尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

記録映画『美と殺戮のすべて』、薬害と闘うアーティストの生涯

2024年04月03日 20時41分22秒 |  〃  (新作外国映画)
 『美と殺戮のすべて』(All the Beauty and the Bloodshed)という映画が公開された。あまり知らないと思うけど、2022年のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作である。ヴェネツィア映画祭と言えば、黒澤明『羅生門』や北野武『HANAーBI』に最高賞を与えるなど世界への目配りで知られてきたが、近年は翌年のアカデミー賞狙いの映画が集まる傾向が強い。『シェイプ・オブ・ウォーター』『ROMA』『ジョーカー』『ノマドランド』などである。23年の金獅子賞も『哀れなるものたち』だった。ところが、2022年は『イニシェリン島の精霊』『ター』『ザ・ホエール』などを押えて、ドキュメンタリー映画が受賞したのである。

 ローラ・ポイトラス監督の『美と殺戮のすべて』は、驚くほど鮮烈な傑作だ。内容はアングラ系アーティストであるナン・ゴールディン(Nan Goldin、1953~)の生涯を追いながら、薬物中毒を引き起こした製薬会社を告発する近年の活動に密着している。日本ではあまり知られてない題材、人物なので、観客にアピールする要素が少ない。公開も2年遅れたが、これは見逃すにはもったいない映画だ。しかし、2週目からはもう上映時間も少なくなっている。ヴェネツィアでは最高賞を得たが、米アカデミー賞では長編記録映画賞ノミネートで終わった。受賞作は『ナワリヌイ』だったが、同じように刺激的だ。
(抗議するナン・ゴールディン)
 冒頭はメトロポリタン美術館である。そこに人々が集まっている。絵を見に来たのではない。人々は幕を広げ、池に何か(薬の空きビン)を投げ込み、スローガンを発する。多くの人々が中毒死して社会問題になっているオピオイド鎮痛剤。その「オキシコンチン」を作っている会社のオーナー、サックラー一族は美術館の支援で知られ、メトロポリタン美術館にもサックラーの名が付いた部屋があった。集まった人々はサックラー家を非難し、寄付金を受け取る美術館にも責任があると声を挙げたのである。
(ルーブル美術館前の抗議活動)
 そこから運動の中心になっているナン・ゴールディンの人生を振り返る。それが凄まじく、目を奪われてしまう。11歳の時、18歳の姉が自殺してそれが大きな衝撃となった。姉は同性を好きだと妹に告げていたが、両親は彼女を理解出来ず精神病院に送ったのである。そして彼女も養女に出されてしまう。その体験からセクシャル・マイノリティの人々と暮らす「拡大家族」を好むようになり、写真や映像などで彼らを記録するようになった。ニューヨークのゲイ、トランスジェンダーの文化を描く『性的依存のバラード』が話題になった。僕は知らなかったのだが、ナン・ゴールディンは有名な前衛アーティストだったのである。

 しかし、彼女の友人たち、写真のモデルになった人々は多くが亡くなってしまった。エイズである。そして、やがて病気になった彼女は鎮痛剤を処方され、オピオイド中毒になってしまう。何とか立ち直った彼女は、薬害を告発するPAINという団体を作り、抗議活動を始めたのである。この薬物中毒のことは全米で50万以上が亡くなり、大きな社会問題になっている。そのことは知っていたが、ナン・ゴールディンとこの抗議活動をのことは知らなかった。彼女の数奇な人生と現在の抗議活動が交互に織りなされ、非常に興味深く、深い感慨を覚える映画になっている。この映画はナン・ゴールディンの姉に捧げられている。
(ヴェネツィア映画祭のローラ・ポイトラス監督)
 映画を作ったローラ・ポイトラス(1964~)は『シチズンフォー スノーデンの暴露』(2014)でアカデミー賞を受賞している。アメリカの外交文書を暴露したスノーデンを追ったドキュメンタリーである。この映画に関しては『スノーデンを扱った2本の映画』で紹介した。アメリカの暗部を告発する映画を作り続ける勇気ある女性監督である。奇しくも直前に紹介した『戦雲』の三上智恵監督と同年生まれである。薬害告発とともに、20世紀のゲイ・コミュニティやアートに関心がある人にも是非見て欲しい映画。
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