尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「少子高齢化」の問題-夫婦別姓問題③

2015年12月23日 21時47分06秒 | 社会(世の中の出来事)
 前回は「女性の進出」という視角から考えたが、これはつまり「主張する女」ということになる。今も大方の人は、この問題を女性の主張だと思っているのではないだろうか。だからこそ、そういう「変化を求める女性」に対する「対抗言論」が出て来て、「夫婦別姓」を単に夫婦関係だけでなく、国家・社会の統一を損なう事を目的とする陰謀だなどと主張する人もいるらしい。だけど、多分夫婦別姓制度ができた時に、一番利用する人は、「高度な専門職女性」ではなく、「地方に住む一人っ子の女性」なのではないだろうか。ということで、夫婦別姓問題を「少子高齢化」から考えてみる。

 さて、大法廷判決は「夫婦同姓」が「社会に定着」していると判断した。確かに今までの日本社会を大筋でとらえると、そういう判断もできるだろう。だけど、今後も国民の多くがこの制度(夫婦同姓)に納得して続いていくのだろうか。常識で考えれば判るけど、「夫婦同姓」が国民の納得を得るためには、「多くの家庭に男子が一人以上いる」ということが必要である。そうじゃないと、女子しかいない家庭では、結婚に伴う改姓(男性の姓に変えることが圧倒的に多い)により、長年続いていた「自分たちの姓」を受け継ぐ人がいなくなってしまう。あるいは、その家の墓所の管理は誰が受け継いでいくのかという問題も起きる。これが今、日本の各地で起こっている問題で、一番「夫婦別姓」を待ち望んでいるのは、そういう立場の人ではないかと思う。

 後になってそんなことを言うんだったら、もうひとり子どもを作っておけばいいではないか、などと言ってももちろん仕方ない。作ろうとしてもできないこともあるし、経済的な事情や仕事の状況(単身赴任とか)もある。というか、もうひとり子どもを作っても、その子の性が男になるとは決まっていない。常に半々の確率である。もちろん、延々と子どもを作れば、いつかは男女双方の子どもに恵まれるだろうが、自分の家や収入を考えると、そんなことはとてもできない。第一、晩婚化が進み、30過ぎで結婚するような女性が、戦前のように10人も子どもを産むなどは不可能である。

 大昔には確かに子どもの数が多かった。だけど、それは経済状況や避妊方法などの問題ではない。幼児死亡率が高く、戦争で死ぬこともあり、結核などの死病がはびこっていた。たくさん産んでも、半分ぐらいは大人になれないかもしれない。確実に「家の継承」を図るには、ある程度たくさんの子どもを産んでおかないと心配だったのである。それに義務教育は小学校だけだったから、10年ちょっと面倒を見ればいいし、農村では子どもの労働力もあてにできる。しかし、今は幼児死亡率がグッと下がったから、(事件、事故、自殺、難病等で子どもの死という悲しい出来事がなくなることはないわけだけれど)まずは大人になるわけだ。半数は大学まで行くし、高校は義務に近い。アルバイトは出来たとしても、就職難が続いて、いつまでも親がかりというケースもある。とても子どもを10人も作れないわけだ。

 子どもがいる世帯では、「子どもは2人」が一番多い。自分の子ども時代もそうだし、教員になってみた生徒の家庭もそうだった。その間、何十年か経っているけど、その点は同じである。家の大きさや経済力からしても、大体多くの家庭ではそういうことになるんだろう。もちろん、「子ども1人」や「子ども3人」もかなりある。珍しくはない。4人以上になると、かなり少なくなるだろう。そうすると、確率的に考えて、「子どもが2人」だと25%は女子だけとなる。もう一人産めばいいのかもしれないが、その場合、確かに「子ども3人家庭」では「男3人」「女3人」はそれぞれ「8分の1」となるから、両方の性の子どもが産まれる可能性はある。だけど、次の子どもを作った時に、その子が男か女かは、あくまでも半々の確率でしかない。自分の見てきた範囲でも、女子だけの家庭がたくさんあるのである。

 「家制度」なんかないわけだし、継がせるほどの財産もない多くの家では、もう男子の子どもがいるかどうかにはこだわっていないということだろう。それに「高齢化」の今となっては、仕事が忙しくて老親の介護や入院にも付き添えない男子よりは、結果的に女子が複数いてくれる方が「むしろ良かった」と思っているのがホンネだろう。死んだ後の墓の心配よりは、まずは介護の助けになる方がずっといい。それが「高齢化社会」の実情である。

 法的に「家」制度はないわけだし、財産も実子の間で均等に分ける。(遺言などで指定がない場合。)高度成長の過程で、そこそこの財産を形成した家庭が多いと思うが、長男の「ヨメ」が一生懸命義父母の介護をしても、(遺言があるとか、養子縁組をしたなどの特段の事情がない限り)、相続財産は長男分しかない。一方、実家の父母の介護の方は、何と言っても実子であるし、相続財産もあるわけだから、「嫁したら他家の人間」という時代ではない。親も80、90になるわけで、子どもも定年を過ぎた「老老介護」となれば、実の親子関係でもなければなかなか親身にもなれないだろう。そういう事情が重なり合って、「実父母と女子」の関係は昔よりずっと深くなっていると言える。

 というか、特に実の親子関係が深くなったというよりも、「家制度」は弱まり、「個の確立」も未だという現代では、相対的に「親子関係」がアップしたというべきかもしれない。「離別すればそれまで」の配偶者に比べて、親子関係は切れない。それに、さまざまの葛藤や迷惑もあったとしても、まあ親子関係は何とかなっている家が多いのではないか。だからこそ、親の方も女子だからと言って、家の姓を継いでくれなくてもいいという親が多いだろう。「婿を取れ」などと言い張っていたら、娘は未婚のまま歳を取ってしまうかもしれない。相手の家だって、男子は1人しかいないというケースが確率的には多いわけだから。「男の姓を名乗るという社会通念」がある中では、妻の姓を名乗ってくれとも言いにくいわけである。だから、一抹の寂しさを感じつつも、自分の娘の幸福を優先する。

 世の中に多い姓もあるが、全国的に珍しいという姓もある。そういう姓の人は、いつも珍しいと言われ続けてきて、早く田中とか鈴木などの姓の持ち主と結婚したいという人もいるだろう。でも、自分の姓に愛着を持ち、できればその姓を名乗り続けたい、一種の文化だと思っている人も多いと思う。実は「夫婦別姓」を一番待ち望んでいるのは、そういう女性、あるいはそういう家の親ではないか。

 世の中には、結婚しない人も多いし、結婚しても子どもがいない人も多い。それに加えて、女子しかいない家がかなりあるのである。それに男子が複数生まれても、その男子がまた結婚しなかったり、子どもがいなかったり、いても女子ばかりだったりすることがある。老親から孫世代まで考えると、男子がいない家というのは、たぶん、全国民の半分に近いのではないだろうか。そうすると、墓はどうなる。いや、死後の世界なんかないし、墓もいらないと言える人もいるだろう。でも、そこまでは言えないけど…と悩んでいる人が多くいるはずである。

 「選択的夫婦別姓」という制度は、結婚を否定するわけではなく、今まで「事実婚」だった人も「婚姻制度」に誘引するわけだから、反体制的というよりは、「結婚制度」という体制を補完する制度というべきだろう。しかも、女子しかいない家庭では、「別姓」により、「妻方の姓の保存」と「妻方の墓所の管理者」を確保できるかもしれない。革命的というよりは、実に保守的に機能するような制度だと思うけど、それを望む「潜在的世論」はかなり大きいのではないか。「主張する女性」の後ろに、少子高齢化社会のさまざまな問題が潜んでいるのである。
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