尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「女性の進出」問題-夫婦別姓問題②

2015年12月22日 23時24分26秒 | 社会(世の中の出来事)
 この問題、ちゃんと書いていくと結構長くなりそうなので、サクサクと進めていきたい。まず、「夫婦は夫または妻の姓を名乗る」と規定されているのに、「なぜ夫の姓を名乗ることが圧倒的に多いのか」という問題がある。しかし、その問題は後で考えることにして、先に「何でこの問題が近年大きく取り上げられているのか」を書いておきたい。僕の見るところ、「女性の進出」(及び社会の変化)という問題と「少子高齢化」という二つの問題があると思う。順番に見ていきたい。

 「夫婦は同姓」という規定があるために、現実には多くの女性が改姓しているわけである。これは「性差別」なのかというと、今回の大法廷判決はそうとは言えないという。しかし、「性差別」という観点から考えるのが適当なんだろうか。この問題は「夫の姓を名乗る人」と「妻の姓を名乗る人」が半々になればいいのだろうか。でも、女性が改姓して不都合があるというのなら、男性が改姓しても不都合があるわけである。つまり、婚姻届を提出することによって、夫か妻かのどちらかが不都合をこうむる。もちろん、同姓論者が言うように、片方に不都合があるとしても、それを上回る「家族の一体感」とかもあるという考えもある。だけど、人によっては不都合の方が大きいという人だっているはずである。

 一般に「結婚することに伴う面倒」というものがある。それまでは実家で、あるいは一人で暮らしていたのが、(多くの場合は)住む部屋を探し、家具や家電商品などをそろえ、結婚式や新婚旅行の準備を進め、諸手続きや多くの打ち合わせを行い、(離職、遠方への引っ越しがある場合には)送別会などがある。それらを仕事をしながら進めていくのだが、しかしまあ、それらは苦労とは感じないわけである。その後には愛する人との結婚生活が待っているわけだから。そのための苦労なら、いとわないのが普通だろう。今までは片方の側の改姓の「不都合」も、それらの「結婚することに伴う面倒」の一部と多くの人が思い込んでいたのだと思う。

 ところが、憲法制定時には想定できなかったほどの「女性の進出」が進んできた。むろん、憲法制定時にも、活躍している女性はたくさんいた。だけど、それらの人々はペンネームや芸名を使う職業の場合が多かった。(例えば、「原節子」は「会田昌江」が本名だった。作家の中條百合子は、結婚、離婚を経て、共産党指導者の文芸評論家、宮本顕治と結ばれ、顕治の逮捕後に正式に結婚して、作家名も変えた。この場合は、宮本顕治側に「妻の改姓」という問題意識がなかったのだと思うが、「連帯の表明」ということなのだと思う。)昔は女性の大学教員や女性の高級官僚などという存在は考えられなかった。ましてや、女性の最高裁裁判官などは。(最初は1994年に任命された高橋久子で、今まで170人の最高裁裁判官の中で、女性は全部で5人しかいない。)

 結婚以前に築いた「キャリアの継続」という問題意識は、ここ20~30年の間のものだろう。(女性学者が、学術論文の「自己同一性」を失うというのは、特に理科系で大きな問題だと思う。)また、一般の場合でも「本人確認の徹底」が進んできた。詐欺や資金洗浄などの防止目的で、何でもかんでも「本人確認書類」の提出が求められる。それがまた、日本の場合は、今でも「姓による識別」と「姓を刻印した印鑑」で行うことが多い。印鑑なんかこそ、誰でも作れるんだから、旧姓のサインのほうがずっと役立つと思うけど。だから、「改姓するこの面倒」はどんどん大きくなっている。

 何も女性が最近になって働くようになったわけではない。大金持ちを除けば、いつでも男女を問わず働いてきた。だけど、昔は農業や自営の商店など、一家総出で働く場合が多かった。もちろん、小学校の教師やバスの車掌など、女性が多い職場もあったけど、そういう職場でも「出世」して管理職になるというようなことはほとんど考えられなかった。また、学校の教師なんかでも、ある時期までは給与も現金支給だった。僕が教員になった80年代初期でも、まだ現金でもらっていたのである。若い人にはもう考えられないと思うけど、現金を積んだ車が各学校を回り、事務職員が手分けして一人ひとり給料袋に一円単位で詰めていったのである。(よくそんなことができたもんだと今では恐ろしくなるけど。)そのうち、「銀行振り込みも可」となり、やがて「現金振り込み以外は不可」と変わった。いつごろだかよく覚えていないが。通称使用を認められている教員でも、銀行振り込みには「戸籍名」となる。銀行口座の名義の方が優先されるのである。

 今では、申込時に本人確認書類が必要な銀行や有価証券の口座を多くの人が複数持っている。そして、その口座から引き落とすことになっているカード類も複数持っている人が多いだろう。そして、そのカードで決済するウェブ上の取引も数件は登録しているはずである。全部変えなくちゃいけないのは、面倒だなあ。こうして、姓を変えることによる面倒が、以前の社会よりものすごく増大したのである。そして、それを逃れる方法が簡単にある。諸外国で多く実施されているような、「結婚に際しては、同姓か別姓を選択できる」という制度を日本でも導入するということである。と主張する人が多くなるのは、理の当然だろう。「必ずどちらかが改姓しなくてはいけないという制度は不平等」という観点、つまり性別に関わらず不平等を強いる制度であるという観点はこれまであまり主張されていない。だけど、今の指摘は、要するに「夫または妻の都合」であるから、「子どもの姓はどうするんだ」という反論が出てくる。そういう問題はまた次回以後に。
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