尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

京マチ子と杉葉子(及び降旗康男等)ー2019年5月の訃報①

2019年06月07日 19時52分17秒 | 追悼
 2019年5月の訃報は、まず映画の話。戦後を代表する女優の一人、京マチ子が亡くなった。5月12日死去、95歳。長命のため、映画、舞台から遠ざかってずいぶん経つ。もう忘れられているかと思ったら、案外大きな訃報だった。「美と風格 世界を魅了」と大きな見出しが付いていた。ちょうど「京マチ子映画祭」が行われたばかりだった。その時に「『美と破壊の女優 京マチ子』と京マチ子映画祭」を書いたばかりだったので、独立した追悼記事は書かなかった。

 僕は若いときから古い日本映画を見てきたから、京マチ子という人は昔から知ってるけど「同時代の大スター」感はなかった。石原裕次郎や吉永小百合あたり以後しか、実感としては判らない。(この二人も若い頃を同時代的に知ってるわけじゃないけど、「ちょっと前」だから何となく判る。)確かに舞台やテレビに出てたし、寅さんのマドンナだったりしたわけだけど、もうすでに貫禄がありすぎた。
 (黒澤明監督「羅生門」)
 結局は「グランプリ女優」と言われた頃が一番残ることになった。中では「雨月物語」の若狭姫の幽玄美が素晴らしいと思う。(この「雨月物語」のストーリーは川口松太郎の創作で、上田秋成の原作にはない。後で原作を読んだので驚いた。)大学時代の英語の先生が、アメリカ留学中の話をしたことを覚えている。「アメリカの先生は皆机の上に奥さんの写真を飾っている。俺のワイフだと紹介して、お前のワイフの写真も見せてくれと言われたけど、そんなもの持ち歩いている日本人はいない。だから雑誌から切り取った京マチ子の写真をワイフだって紹介したんだ」という話だった。そんな時代だったんだなあ。

 同じく戦後のスターだった杉葉子が15日に死去、90歳。なんと言っても「青い山脈」で担任の原節子に相談する転校生で知られた。今はなき銀座シネパトスという映画館で「青い山脈」の上映があった時に行われた杉葉子さんのトークショーに行ったことがある。62年にアメリカ人と結婚してカリフォルニアに移っていて、3年前に帰国したという。日本を長く留守にしたので、若い人だと名前を知らないだろうが、アメリカでも日本文化の普及に務めて文化交流に尽くした人である。
 (杉葉子)
 「青い山脈」の記事で、当時のトークの様子を書いている。今井正監督の演出に納得し、その後もよく試写会に誘っていた話など興味深かった。成瀬巳喜男監督作品にもかなり出ていて、「めし」もあるが「夫婦」が格別じゃないかと思う。それと今井正監督の「山びこ学校」の若い教員役も忘れがたい。でも、一番記憶されるのは、今見るとトンデモ映画である「青い山脈」になるんだろう。
 (「青い山脈」左から杉葉子、原節子、若山セツ子)
 アメリカの歌手、女優のドリス・デイ(Doris Day)が13日に死去、97歳。戦時中から活躍していて、1944年の大ヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」で有名となった。その後女優としても活躍し、「二人でお茶を」や「カラミティ・ジェーン」がヒットした。それらの映画は見てないけど、ヒッチコックの「知りすぎていた男」は見てる。主題歌がアカデミー賞歌曲賞の「ケ・セラ・セラ」である。ヒッチコック作品のリバイバルで見たけど、素晴らしくドキドキの面白映画だった。その後テレビの「ドリス・デイ・ショー」、そして動物愛護運動で知られたという。50年代アメリカの懐かしさを象徴するような人だと思う。
(ドリス・デイ)
 アメリカでは脚本家のアルヴィン・サージェントの訃報があった。9日死去、92歳。「ジュリア」と「普通の人々」で2回アカデミー賞を得ている。最近もスパイダーマンシリーズなどを手がけていた。それら以上に思い出深いのは「ペーパー・ムーン」(1973)。怪しい聖書販売人親子を描き、娘役のテイタム・オニールが10歳で史上最年少でアカデミー助演女優賞を得た。あの親子の掛け合いは素晴らしかったが、現実のライアン、テイタムのオニール父子は相当凄絶な人生を送ったようだ。

 映画編集者の岸富美子(きし・ふみこ)の訃報が6月7日になって伝えられた。23日死去、98歳。この人の名前は数年前まで知る人も少なかっただろう。石井妙子との共著「満映とわたし」という本が2015年に出て、「満州国」にあった満州映画協会や敗戦後の新中国での貴重な体験が知られるようになった。劇団民芸で舞台化され「時を接ぐ」として上演されたときのことは記事に書いた。中国の革命歌劇、革命バレーとしてすごく有名だった「白毛女」の映画版(1951)の編集者が、実は岸だったのは驚いた。

 以上の人々は皆90代なのに驚くが、東映のプロデューサーだった坂上順(さかがみ・すなお)は18日に79歳で死去。「新幹線大爆破」「野性の証明」などを企画、その後「鉄道員」(ぽっぽや)で藤本賞。21世紀になっても「男たちの大和」や「剱岳 点の記」などを手がけた。普通、企画や製作の名前まで確認しないから、僕も名前を認知していなかったけど、ずいぶん見てるんで驚いた。

 その「鉄道員」などで監督を務めた降旗康男(ふりはた・やすお)が20日死去、84歳。僕はこの監督をどう評価していいのかよく判らない。だから最後に書くんだけど、うまいことはうまいと思う。特に高倉健がガマンにガマンを重ねるたたずまいをじっくり撮るような映画を量産した。見ると感動しないでもないんだけど、正直閉口することも多かった。デビューは「非行少女ヨーコ」(1966)という映画で、網走番外地シリーズなど東映東京のプログラムピクチャーを20本以上も監督している。1978年の「冬の華」から東映京都や他社で大作や話題作を撮るようになった。
 (降旗康男)
 「冬の華」、「駅 STATION」(1981)、「居酒屋兆治」(1983)、「あ・うん」(1989)、「鉄道員」(1999)、「ホタル」(2001)、「あなたへ」(2012)などが高倉健主演。松方弘樹主演の「」1995)などもある。これらの多くは、北海道など寒い地方が舞台になっている。中でも「駅 STATION」は廃線になった増毛駅など貴重な風景が残されている。八代亜紀の「舟唄」も忘れられない。どうも完全に大好きと言えないんだけど、逆に「嫌いになれない」タイプで心に残る。「鉄道員」になると、風景は美しいものの主人公がやり過ぎとしか思えず、どうしても反発してしまう。どうも評価に困る監督だ。
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