筑摩選書で出たばかりの北村匡平「美と破壊の女優 京マチ子」は映画女優論としても、戦後社会論としても大変優れた本だ。折しも角川シネマ有楽町で「京マチ子映画祭」が開催中で、連動した企画になっている。60年代までは日本映画界に「5社」と呼ばれた会社があった。松竹、東宝、東映、日活はそれなりに続いているが、大映は角川に買われて名前が完全になくなった。しかし角川は市川雷蔵や若尾文子など大映が持っている古い映画で大々的な映画祭を開催している。京マチ子も戦後の大映が世界に誇った大女優である。
この本を読むと、あるいは映画祭のラインナップを見ると、僕はその全部ではないけれどかなりの映画を見ているなと思う。でも自分でこのような本を書こうとは思ったことはない。日本の女優では、原節子や田中絹代、あるいは高峰秀子や山口淑子などが論じられることが多い。巨匠の映画を支えてきて、日本映画のイメージを作ってきた女優たちだ。「満州映画協会」の大スターからハリウッド女優に転身した山口淑子などは時代を考える意味で非常に興味深い存在だ。だけど、同じぐらい興味深い京マチ子は僕の問題意識に上ってこなかった。
京マチ子は黒澤明の「羅生門」、つまりヴェネツィア映画祭グランプリにより日本映画で初めて世界に認められた作品に主演した。続いて溝口健二「雨月物語」でヴェネツィア映画祭銀獅子賞、衣笠貞之助「地獄門」でカンヌ映画祭グランプリと世界で評価された作品に主演して「グランプリ女優」と呼ばれた。もちろんそんなことは知っていたが、僕は今まで「羅生門」は黒澤、「雨月物語」は溝口と監督で見ることが多くて、「京マチ子の映画」として意識しなかった。
OSK(大阪松竹歌劇団)のダンサーから大映にスカウトされて「肉体派ヴァンプ女優」として売り出される。世界的作品に出たことから、映画祭向けに企画された「名作」で日本を背負う役柄を演じる。非常に興味深いが、戦後の占領下での「肉体派」の役割、そして「グランプリ女優」に求められた所作。それらを著者はじっくりと論じてゆく。京マチ子の変幻自在な演技の裏にあったものは何か。京マチ子の顔だちや演技の分析は鋭く、社会史として大変すぐれた作品だと思う。
しかし、「真実の京マチ子」の章を読むと、実像が大きく違うことに驚く。1924年生まれの京マチ子は90歳を超えて今も存命だけど、原節子のように神話化された女優にならなかった。スキャンダルもないまま、生涯独身を貫いている。スキャンダルによって、あるいは結婚相手や子どもによって記憶される女優もいるが、京マチ子は映画界の全盛期とともに(その後も舞台やテレビで活躍したけれど)、知名度も低くなってきたかもしれない。古い映画をよく見る人を除けば、若い人だと顔が思い浮かばない人が多いだろう。著者の北村匡平氏は、1982年生まれで東京工業大学准教授とある。世代的に直接知らない時代なのによく研究している。
その後、文芸作品、国際的作品、演技派女優らと分析が続く。最後に山本富士子や若尾文子と競演した「闘う女」を論じている。それらの映画、「夜の蝶」「女の勲章」「女系家族」などは昔はほとんど上映されなかったが、近年古い日本映画を専門的に上映する映画館が東京に出来て、僕も見ることができた。ものすごく面白いので驚いたが、これらの作品の京マチ子はもう貫禄たっぷりの役柄である。戦後の映画全盛期を駆け抜けた名女優の歩みをとことん追求した本。
京マチ子映画祭は、1日5回上映で3月21日まで続く。会場の角川シネマ有楽町は、ビックカメラ有楽町店の8階だが、昔のそごうデパート。ここを舞台にしたヒット曲の映画化「有楽町で逢いましょう」も上映される。他社作品の「甘い汗」(1963)は女優賞独占の傑作だが上映がないのはやむを得ないか。大映作品では「あにいもうと」の上映がない他、本でも大きく取り扱われている「牝犬」「馬喰一代」「穴」「大阪の女」「夜の蝶」などの上映がないのが残念。「羅生門」「雨月物語」「赤線地帯」「鍵」などの名作の他、貴重な映画の上映が多い。
この本を読んで、京マチ子が小津安二郎、溝口健二、成瀬己喜男、黒澤明の日本映画の4巨匠の映画にすべて出演した経験があった貴重な女優だと改めて気づかされた。
この本を読むと、あるいは映画祭のラインナップを見ると、僕はその全部ではないけれどかなりの映画を見ているなと思う。でも自分でこのような本を書こうとは思ったことはない。日本の女優では、原節子や田中絹代、あるいは高峰秀子や山口淑子などが論じられることが多い。巨匠の映画を支えてきて、日本映画のイメージを作ってきた女優たちだ。「満州映画協会」の大スターからハリウッド女優に転身した山口淑子などは時代を考える意味で非常に興味深い存在だ。だけど、同じぐらい興味深い京マチ子は僕の問題意識に上ってこなかった。
京マチ子は黒澤明の「羅生門」、つまりヴェネツィア映画祭グランプリにより日本映画で初めて世界に認められた作品に主演した。続いて溝口健二「雨月物語」でヴェネツィア映画祭銀獅子賞、衣笠貞之助「地獄門」でカンヌ映画祭グランプリと世界で評価された作品に主演して「グランプリ女優」と呼ばれた。もちろんそんなことは知っていたが、僕は今まで「羅生門」は黒澤、「雨月物語」は溝口と監督で見ることが多くて、「京マチ子の映画」として意識しなかった。
OSK(大阪松竹歌劇団)のダンサーから大映にスカウトされて「肉体派ヴァンプ女優」として売り出される。世界的作品に出たことから、映画祭向けに企画された「名作」で日本を背負う役柄を演じる。非常に興味深いが、戦後の占領下での「肉体派」の役割、そして「グランプリ女優」に求められた所作。それらを著者はじっくりと論じてゆく。京マチ子の変幻自在な演技の裏にあったものは何か。京マチ子の顔だちや演技の分析は鋭く、社会史として大変すぐれた作品だと思う。
しかし、「真実の京マチ子」の章を読むと、実像が大きく違うことに驚く。1924年生まれの京マチ子は90歳を超えて今も存命だけど、原節子のように神話化された女優にならなかった。スキャンダルもないまま、生涯独身を貫いている。スキャンダルによって、あるいは結婚相手や子どもによって記憶される女優もいるが、京マチ子は映画界の全盛期とともに(その後も舞台やテレビで活躍したけれど)、知名度も低くなってきたかもしれない。古い映画をよく見る人を除けば、若い人だと顔が思い浮かばない人が多いだろう。著者の北村匡平氏は、1982年生まれで東京工業大学准教授とある。世代的に直接知らない時代なのによく研究している。
その後、文芸作品、国際的作品、演技派女優らと分析が続く。最後に山本富士子や若尾文子と競演した「闘う女」を論じている。それらの映画、「夜の蝶」「女の勲章」「女系家族」などは昔はほとんど上映されなかったが、近年古い日本映画を専門的に上映する映画館が東京に出来て、僕も見ることができた。ものすごく面白いので驚いたが、これらの作品の京マチ子はもう貫禄たっぷりの役柄である。戦後の映画全盛期を駆け抜けた名女優の歩みをとことん追求した本。
京マチ子映画祭は、1日5回上映で3月21日まで続く。会場の角川シネマ有楽町は、ビックカメラ有楽町店の8階だが、昔のそごうデパート。ここを舞台にしたヒット曲の映画化「有楽町で逢いましょう」も上映される。他社作品の「甘い汗」(1963)は女優賞独占の傑作だが上映がないのはやむを得ないか。大映作品では「あにいもうと」の上映がない他、本でも大きく取り扱われている「牝犬」「馬喰一代」「穴」「大阪の女」「夜の蝶」などの上映がないのが残念。「羅生門」「雨月物語」「赤線地帯」「鍵」などの名作の他、貴重な映画の上映が多い。
この本を読んで、京マチ子が小津安二郎、溝口健二、成瀬己喜男、黒澤明の日本映画の4巨匠の映画にすべて出演した経験があった貴重な女優だと改めて気づかされた。
田中絹代も、黒澤明にはほんの少しですが『赤ひげ』に出ていますので、一応全部に出ています。
京マチ子では、『甘い汗』が大好きで、私の先輩は撮影所で衣装の助手で実際に見たそうですが、「到底50代には見えなかった」そうです。
田中絹代は気づきませんでした。「赤ひげ」は偉そうなのが好きになれず、若い時に見たまま再見していないので。当時の俳優は原則としては会社に所属していたわけで、時々他社に招かれる時はあっても、普通はまず自社しか出ないわけです。香川京子さんの場合は、独立して活動したので多くの会社作品に出られました。京マチ子さんの場合は、大映の溝口は別にして、小津や黒澤、成瀬も大映に来て監督したからそれぞれの作品に出られたという特徴がありますね。
その最たるものは藤原釜足で、一見すると気が付きませんが、娘の根岸明美を手籠めにしているのです。そのために彼は稼ぎをみんな他人にやってしまうのです。
黒澤は、山本の原作から1作だけ外しています。それは男性同性愛の話です。黒澤の道徳観に合わなかったのでしょう。
この全員が謝っているというのは、黒澤の贖罪意識から来ていると思います。戦争に行かなかったという。
ともかくこれを撮るのに1年間掛かったというのですから異常です。そのため、三船や加山らの主要俳優は他の作品に出られなかったのですから、ただ事ではありません。
この辺から黒澤は、明らかにおかしくなっていて、私は彼のピークは『天国と地獄』だったと思います。これは、彼の息子と娘が大きくなって、当時起きていた誘拐事件の恐怖がモチーフになったので、リアリティができたのだと思うのです。いずれにしても『赤ひげ』をヒューマニズムの集大成などと言う人はどうかしていると私は思うのです。