尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ゲルハルト・リヒター展を見るーわけが判らないけど面白い

2022年09月26日 22時10分19秒 | アート
 東京国立近代美術館で開催中(10月2日まで)のゲルハルト・リヒター展を今日(2022年9月26日、月曜日)見てきた。国立美術館や博物館は、祝日ではない月曜日は本来休館である。しかし、明日(9月27日)に近くで「あれ」が行われるので、今週だけ特例で月曜開館、火曜休館に変更されたのである。実は土曜日に行ってみたんだけど、予約してない人は大分待つようで断念した。その代わり、月曜開館というので、今回はウェブ予約をして出掛けていったわけである。

 ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932年2月9日~) は、ウィキペディアを見ると「現在、世界で最も注目を浴びる重要な芸術家のひとりであり、若者にも人気があり、「ドイツ最高峰の画家」と呼ばれている」とのことである。しかし、僕はこの人の名前を映画『ある画家の数奇なる運命』を見るまで知らなかった。この映画は2020年に日本で公開され、僕は非常に感銘深く見た。米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品である。『善き人のためのソナタ』という傑作を作ったフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督作品。3時間超の長い映画で、日本でももっと高く評価されて欲しい映画だ。
(ゲルハルト・リヒター)
 ナチスが政権を取る前年に生まれ、ナチス時代、旧東ドイツの「社会主義政権」を生きた後、「ベルリンの壁」建設直前に「西ドイツ」に移動して、デュッセルドルフでヨーゼフ・ボイスについて美術を学んだ。映画には名前は出てこないけど、教授のモデルはボイスだと知って、そう言えば昔ヨーゼフ・ボイス展を見たことを思いだした。映画では新聞や雑誌の写真をもとにした「フォト・ペインティング」を創出するまでを描いているが、その後もどんどん「アートの限界」に挑むような試みを続けている。完全に「現代アート」の世界だから、判るような判らないような、いや全然判らないといった方が正直な作品群ばかり。
 (「ビルケナウ」シリーズ)
 それを代表するのが、日本初公開の大作『ビルケナウ』である。幅2メートル、高さ2.6メートルの作品4点で構成される巨大な抽象画で、名前はナチスの強制収容所である。これはビルケナウで撮影された写真をもとにしているというんだけど、その上に黒や白、赤の絵の具が塗り重ねられ、下の写真を意識することは出来ない。このシリーズが分散しないように、作者は「リヒター財団」を作りベルリンの国立美術館に貸与しているとのことである。この前見た香月泰男のシベリア・シリーズも全然シベリア感がなかったが、この「ビルケナウ」シリーズも僕はよく判らない。
(「アブストラクト・ペインティング」)
 展示室の相当部分を占めるのが、「アブストラクト・ペインティング」である。70年代後半から作られたもので、上掲写真のような絵がたくさんある。一つ一つが大きいので、嫌でも目立つのである。そして判るかと言えば、「ある意味では判る」。つまり、メチャクチャ子どもが絵の具を塗りたくっているのではなく、明らかに「作品」なのである。そして全部が面白いのではなく、成功の度合いが違っている。幾つも見ているうちに、何となく感じるのである。そして僕にはそれ以上は何も言えない。
 (「ストリップ」シリーズ)
 面白いのは、ひたすら細い色が横長につながっている「ストリップ」シリーズである。どうやって描くんだろうと思うと、2011年から始められたデジタルプリントだそうである。ほとんど目まいがしてしまうような抽象的な世界だけど、実はすべて1980年に制作された「アブストラクト・ペインティング」に由来するんだという。絵をスキャンした画像を縦に二等分し続けて、幅0.3ミリの色の帯を作り、その帯を横方向にコピーしてつないでいく。そういう風にして制作されたというから、これが「絵画」と言えるのかも微妙だ。しかし、まさに「アートを見た」としか言いようのない感慨を残すのである。

 他にも「フォト・ペインティング」「グレイ・ペインティング」「カラーチャート」「アラジン」など多種多様な手法で作られた作品が多数展示されている。どの順番で見るべきだというのはなく、どう見ても良いということらしい。「アラジン」というのは、一種のガラス絵だということだが、幻想的なムードになるため「アラジン」という命名をしたということだ。そんな中に「ガラスと鏡」もある。「何か」を描いているものを「絵画」と呼ぶならば、これは何も描かれない。例えば一面グレーの鏡になっていて、そこには観客が映り込む。自分の姿を見ても「アート」なのか。何だかアート限界を超えているような気もする。

 ともかく、アートとは何かと考えてしまうような展覧会だった。そんなことを考えなくてもいいのかもしれない。でも、ただ見ていても理解を超越する作品があるのも事実。2200円を出す価値があるのかと悩む人もいるだろう。常設展も見られるから、何度も見ているけど駆け足で回った。2階にもリヒターの作品も展示されている。ドイツの現代画家の作品が幾つか展示されているが、もうどれがリヒター作品かすぐに判った。4階の「ハイライト」展示室には、特に有名な近代日本の作品が集まっている。岸田劉生道路と土手と塀(切通之写生)」(重要文化財)とか安井曾太郎金蓉」など、もう何十回も見ているけどホッとしたのも事実。
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