尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「夫婦別姓」問題①-最高裁判決の読み方

2015年12月21日 22時54分36秒 | 社会(世の中の出来事)
 いわゆる「選択的夫婦別姓」をめぐる違憲訴訟で、12月6日に最高裁大法廷判決があった。判決は「現行制度は合憲」というものだった。また、同時に女性だけに離婚後の再婚禁止期間6カ月があることに対する違憲訴訟の最高裁大法廷判決も同日にあり、これは「離婚禁止期間が100日を超える部分に関しては違憲」という判断だった。この問題をどう見るかに関しては、書きだすと長くなるのでどうしようかなと思っていたのだが、翌日の新聞の見出しを見たら書いておきたいと思った。

 翌日の新聞は大体一面トップでこの問題を報じた。(いわゆる「在京6紙」では日経だけが一面の左横上。)その見出しを並べてみると、以下のようになる。
 朝日 夫婦同姓規定 合憲
 毎日 夫婦同姓は合憲
 読売 夫婦同姓規定 合憲
 産経 夫婦同姓「合憲」
 日経 夫婦同姓規定は合憲
 これはきわめて問題の多い「ミスリード」ではないか。一方、東京新聞だけは違う
 東京 夫婦別姓認めぬ規定 合憲

 これだけが「正しい見出し」だと思う。そもそも、「夫婦同姓」が「合憲」なのは当たり前である。誰も夫婦同姓規定そのものが違憲だという訴えはしていないのだから。この見出しだけ見た人は、「夫婦同姓そのものが憲法違反で、夫婦はすべて別姓とするべきだと主張した裁判」だと理解するのではないか。だけど、もちろんそうではない。「夫婦同姓だけ認め、夫婦別姓は認めない現行の規定」が憲法違反であると主張をした裁判である。合憲という意味では、法制審議会が1996年に答申している「選択的夫婦別姓」制度も合憲である。(法制審が違憲立法の制定を答申するはずがない。)

 この判決に関しては、意外だとか期待外れだという声も強い。しかし、僕が見るところ、これは「予想通り」の判決だった。(じゃあ、先に予想を書いとけと言われてしまうかもしれないが。)例えば、直近の大法廷判決である11月25日の「衆院選一票の格差訴訟」の判決は、「違憲状態」というものだった。近年の最高裁の傾向は、大昔よりは「憲法判断」に積極的だけど、「違憲判断は抑制的に行い、立法府の裁量に配慮する」といった感じを受ける。今回の判断も似たような文脈で理解できる。

 今回も、「女性の離婚禁止期間)に関しては、違憲判決を出した。これは法律が違憲だと判断したわけで、戦後10例目である。一票の格差問題を除き、最近の例では、2008年の「国籍法」(婚外子国籍取得制限規定)、2012年の「民法」(婚外子の相続格差)といずれも家族関係をめぐる判断だった。最高裁は憲法判断と判例の統一を主な任務とする。15名の裁判官が3つの小法廷に分かれて審理するが、新たな違憲判断は15名全員が参加する「大法廷」に送付する。だから、今回の訴訟を大法廷に回した時に、違憲判断が出るのではないかと期待(反対派からいえば「心配」?)する声が聞かれたのも当然だろう。だけど、結果的に「100日超の離婚禁止のみ違憲」という「最小限の違憲判決」だった。

 僕には、この「女性に100日の再婚禁止期間」というのも、違憲ではないのかと思える。だけど、今その問題は起き、「夫婦別姓」の問題だけを考えたい。この判決をどう思うかだが、僕は「配慮に欠ける判決」という側面は否定できないと思う。だけど、日本の法制度からみて、「ある制度を設けないことが憲法違反」であるという判決は非常に難しいのも確かだと思う。(いいか悪いかの問題ではなく。)そのためには、96年の法制審答申による「法が改正されるとの強い期待」が、一定程度経過しても何の判断も国会でなされていないことを理由とするしかないだろう。だけど、国会は「国権の最高機関」であり、非常に幅広い裁量権を持っているとされるから、この訴えは難しいのである。(違憲の定数で選ばれた国会、憲法を顧みない安倍政権といえど、国民が選んだ国会議員であるのは間違いない。)

 この判決(多数派)は、結婚に際しては「夫または妻」の姓を名乗るということで、当事者の決定に任されているから「性差別には当たらない」。現実には妻が改姓することで、不利益があることも事実だが、「通称使用が広まることで一定程度は緩和できる」としている。これは「配慮に欠ける」ものだと思う。というか、「偽善」以外の何物でもない。こういうことを言えるためには、「最高裁では通称使用が認められていますよ」という事実が必要だろう。だけど、実際は「最高裁裁判官は通称使用が認められていない」。違憲の少数意見(5人)の一人である櫻井龍子裁判官は、労働省の官僚時代、および大阪大学、九州大学の教員時代は、「藤井龍子」の旧姓で活躍していた。(藤井名義の著書もあるが、櫻井名義の著書はない。)ところが、最高裁判事に任命された時から、「戸籍名」を使用しているのである。そういう実態が足元にあるというのに、「通称使用の拡大」で対応できるとは、よくも言えたもんだ。しかし、それが最高裁裁判官というもんであって、「少数派の痛み」は判らないのである。(まあ、それは櫻井龍子裁判官の過去の判決にだって、言えることだと思うが。)

 僕はこの問題は「国会にボールを投げ返した」ということだろうと思う。多数派の判断であっても、「このままでいい」ということではない。だから、このまま国会が何もしないならば、やがて「違憲判決」に代わる日が訪れるのではないか。今後、女性判事の数はもっと増えるはずだし、その時はさらに違憲判断は増えるだろう。「一票の格差」訴訟でも、「婚外子相続格差」訴訟でも、何度も何度も門前払いをされながら、ついには違憲判決を勝ち取ったわけである。今回の「合憲対違憲」が「10対5」という判断の分かれ具合は、来るべき違憲判決を予告している数字だ。「合憲判決だから、このまま何もしなくてもいい」という人がいたら、それは大間違いだということである。(今後数回続く予定。)
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