尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「教員不足」の原因と対策-「常勤講師」を制度化したら?

2022年05月11日 22時43分49秒 |  〃 (教育問題一般)
 教育問題に関して二つ書くと言ったが、「部活動の大転換」の次は「教員不足問題」である。新聞やテレビで数多く取り上げられている。朝日新聞(5月7日)には「新年度 公立で教員不足相次ぐ」「自習続き・教頭が授業…子どもの学習に影響」「長時間労働などで教職敬遠か」と大きく報じられている。この問題に関しては、5月10日朝日新聞にも「公立校の4割で教員不足」という調査結果が報道されている。もっとも大学教授によるインターネット調査なので、行政当局による悉皆調査ほどの正確性はないだろう。不足しているところほど回答すると考えられるので、実際はもう少し少ないと思う。それにしても、文科省も「特別免許」という制度を活用せよという通達を出しているぐらいで、やはり相当深刻な状況と考えられる。
(「特別免許」を活用せよと文科省は言うが)
 ただし、記事の書き方は「長時間労働が背景にある」などとちょっと紋切型。それもあると思うが、実際は複合的なさまざまな要因があるはずだ。その前に「教員不足」というと、どういう事態を想像するだろうか。「自習続き」とあるが、現場では多くの場合「負担増」で対応しているはずだ。教師一人当たりの授業の持ち時間数は決まっているが、クラス数は学校ごとに異なるから、教科ごとに端数が出る。それを非常勤講師などで対応するが、講師が見つからないときは、結局正教員がその分を分け持って基準以上に授業をする。それが一番多いんだろうと思う。少し講師の授業クラスがあっても、試験範囲を合わせるのが面倒だ。生徒理解のためにも、自分でやっちゃおうとなるわけである。

 なお、「教頭が授業」とあるが(東京は「副校長」などと呼んでいるから、これは東京じゃない)、昔は当然教頭は授業を持っていたものだ。初めから授業担当者数に入れられていたのである。(もちろん、担当時間は少ない。)ただし、それは何十年も前のことだから、今では知らない人ばかりかもしれない。僕の生徒時代はそうだったし、教員になった時点でもそうだった。担当教員が見つからないならば、教頭(副校長)も校長も昔は授業してたのだから、当然率先してどんどん授業するべきものだ。
(2021年度冒頭での「教員不足」の実態)
 「教員のなり手不足」と言っても、採用試験の倍率が1倍を切っているわけではない。正教員の採用予定数を満たせないということではない。だから、「学級担任がいない」なんていう事態が起こっているわけではない。正教員はいるけれど、非正規教員が足りないのである。そして非常勤講師は授業だけ担当し、授業が終われば帰れるんだから、「長時間労働」が敬遠されてなり手が見つからないわけではない。じゃあ、なんで足りないのか。学校としては非常勤講師の前に「産育休代替」「病休代替」を先に探さないといけない。正教員が産育休などに入る場合、「フルタイムで働ける非常勤職員」が必要になる。働ける条件を持っている人は、引く手あまただろう。講師をしていても、急に病休などが出れば、そっちが優先になるのではないか。

 そういう条件は昔から同様で、自分の生徒時代もあったし、自分が教員になったときもあった。講師が見つからないことは昔から時々あったが、今騒がれるような「4割の学校」なんてことはなかっただろう。では特に今この問題が大きく言われるようになったのは、何が理由だろうか。そもそも「正教員の数が抑制されてきた」という前提条件がある。小泉内閣の「三位一体改革」で「義務教育の教員給与の国庫負担」が「二分の一」から「三分の一」に削減された。それ以来、特に地方では財政不足から非正規教員が増加したと言われる。では、そのような非正規教員には誰がなるのだろうか

 ①教員を目指しながら、教員採用試験に合格していない若手
 ②定年または勧奨退職した高齢の教員経験者
 ③結婚、育児、家庭事情などで途中退職した教員経験者
 ④教員免許を取得したが、民間などに就職した「ペーパー・ティーチャー」

 ①はもともと少子化で若い世代の数が少ない上、コロナ禍前は民間の求人が好調だった。長時間労働が避けられたこともあるだろうが、待遇面で公務員は民間に及ばないのだから、希望者が減ってきたと考えられる。③④は今まで最後に頼る砦のようなものだったが、「教員免許更新制」なる愚策の実施によって、免許が少しすると無効化してしまい雇用できなくなってしまった。非常勤講師になるために免許を更新する人なんて、まずいないだろうから、頼みようがなくなってしまったわけである。それなのに、今まで「教員不足」が問題化しなかったのは、21世紀になって続いていた退職者の増加が終わったからではないか。

 ベビーブーム世代(団塊の世代)は1940年代後半に生まれている。その世代から10年ぐらい、つまり1950年代生まれころの世代はもともと数が多い上に、大学を卒業した70年代、80年代前半に教員の大量採用が続いた。高度成長で都市人口が急増し、また高校まで進学することが一般化した。クラスの生徒数も減ったし、第2次ベビーブーム世代が学校に通う時代がやって来ることが予想された。(なお、義務教育の生徒数の基準は、60人から50人、45人と漸減していって、1980年代から1クラス40人と定められた。)そして、今は2022年なんだから、もう1960年代生まれの教員が定年退職しつつあるのである。急に減っては困るから、校長などは「定年延長」、教員は「再任用」「再雇用」など出来るだけ現場に引き留めようとしている。

 教師としても、年金支給までなるべく働きたい。今の60歳は昔と違って、人にもよるけれど元気な人が多い。その退職教員を各校に配置することで、今までは「教員不足」が顕在化しなかったのではないか。この間、20世紀末の頃から学校が希望したわけではないのに、嘱託員(退職教員)が配置されることがかなりあった。そのため例年お願いしてきた非常勤講師を断らざるを得ないようなこともあった。しかし、60年代生まれの教員はそれ以前より少ない。退職教員の数が減ってきたことが、最近になって「教員不足」が大きなニュースになっている最大の要因ではないだろうか。
(「こころの病」による休職者の推移)
 学校現場では「精神的失調による休職」が再び増えている。もっともコロナ禍前の資料だが、より大変になってオンライン授業などを行うようになって、常識的に考えれば増加しているのではないか。それともあまりにも大変過ぎて、教員の方が倒れてはいけないとアドレナリンが出ていたような2年間だったのかもしれない。それなら、コロナ禍が一端落ち着いた段階で、「燃えつき」症候におちいる教員が激増する可能性があるだろう。(それは他のどの職種にも言えることだけど。)

 何か抜本的な対策がなければ、どんどん「教員不足」が続くに違いない。僕が前から考えているのは、「常勤講師」という制度である。非常勤講師という仕事は、大学もそうだけど、それだけで生計を立てるほどの収入にならない。さらに次年度以後の職が保証されていない。そんな仕事をしたい人がいるだろうか。しかし、必ず非正規教員の仕事は必要になる。もちろん、正規の教員をもっと増やせればいいわけだが、そうなっても授業数に半端な数は出て来るし、学年途中で病気になる教員も出てくる。それなら、必要が生じてから「非常勤講師」を探すのではなく、ある程度「いつでも各校に赴任出来る人」をプールしておくべきではないか。

 ちゃんと「正規の公務員」として、年金や保険は公費で負担する。その代わりに、給与はある程度減額される。授業は他の教員より多く持つけれど、学級担任、学校行事、校務分掌、部活動などにはタッチしない。従って、原則として勤務時間通りに下校出来る。場合によっては、2校、3校と授業することもある。65歳を定年とし、それまで職が保証される。早めに退職して、そっちに回りたいという高齢教員は結構いるのではないか。その分、退職金や給与の節約になる。一方で、若い層では教員採用試験不合格でも次年度以降正教員を目指す人は、希望すれば「常勤講師」に優先して雇用し、問題がなければ2年後から正教員に試験なしで採用とする。最初は面倒かもしれないが、結果的には何年かすれば、教員確保と同時に人件費節減にもなるのではないか。
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