散歩というほどじゃないんだけど、「渋谷区立郷土博物館」でやってる「ハチ公 生誕100年記念展」を見てきた。(10月9日まで。)教育映画として作られた「ハチ公物語」(1958年、50分)の上映が午後にあるのは今日が最後だから行っておこうかなと思ったのである。場所がよく判らないが、地図を見ると國學院大學の近くである。そう言ってもよく知らないが、簡単に言えば青山学院大学の裏の辺りの地域になる。渋谷駅から歩いて15~20分ぐらいだが、土地勘がないのでバスで行った。行きは渋谷区のハチ公バス、帰りは國學院大學前から渋谷行きの都バスに乗った。
ハチ公バス「郷土館・文学館前」で下りると、真ん前に「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」がある。白根って誰だと思うと、白根全忠という元渋谷区議会議員。「そんな人しらねえ」と皆言うだろうけど、この博物館の土地を提供した人だという。1階に入ってすぐにハチ公像があり、その奥でハチ公展をやっている。2階が郷土博物館、地下2階が文学館になっている。郷土博物館はどこも似ているが、ここは前近代が少なく、現代(戦後)の渋谷の発展が詳しい。
(ハチ公像)
ハチ公展は写真を撮れず、カタログもないけど、ハチ公及び飼い主の上野英三郎(1872~1925)博士、上野夫人に関しては非常に充実した展示になっている。特に夫人に関しては僕もほとんど知らなかったので、いろんな事情があったのことを知った。ハチ公は周知のように秋田県大館市で生まれた「秋田犬」で、1923年11月10日に生まれた。(日付には異説あり。)そこで今年が生誕百年ということになるわけだが、上野博士は1925年に亡くなっている。具体的には5月21日である。そうすると上野博士のもとで飼われたのは、1年半もなかったのである。その後ハチ公は1935年3月8日に死ぬまで、10年近く生きた。
ところで今になって思うのだが、上野博士は毎日渋谷駅からどこへ行っていたのか。それは東大教授なんだから東大に決まってるわけだが、当時は東大農学部は駒場にあった。一高と土地を交換して本郷に移ったのは1935年のことである。駒場だったら京王井の頭線かと思うと、その開通は1933年。それとも上野博士担当の「農業工学」は当時から本郷だったのか。それにしても渋谷からではルートが判らない。秋葉原・神田間がつながって山手線が環状運転を開始するのは、1925年11月で上野博士の没後である。いや、こんな疑問はきっと解決済みなんだろう。僕は今初めて疑問に思ったので、事前に気付いてたら博物館で聞いたのに。
(郷土博物館)
それはさておき、午後2時からの映画上映の整理券を1時から配布するという。博物館を見てたら結構並んでて33番になった。上映まで1時間あるので、國學院大學博物館に行ってみた。歩いて1分ぐらいである。非常に広くて、今までに見た大学博物館でトップ級なのに驚いた。神社の歴史や考古資料の展示が充実していて、郷土博物館とはレベルが違う感じ。まあ神社、神道、国学には関心が薄いので通り過ぎる程度だったが、関心と時間がある人には非常に充実した場所だろう。関東大震災時の折口信夫に関する展示があり、朝鮮人虐殺に激しく怒っているのが印象的だった。
(國學院大學博物館)
郷土館に戻って、映画の上映。「ハチ公物語」は1958年に作られた教育用の映画と思われ、近年になって再発見された。監督は中川順夫(なかがわ・のりお、1909~2004)という人で、劇映画も手がけたが主に脚本家や記録映画で活躍した人らしい。僕は初めて聞いた名前で、「中川信夫」かと思ったぐらいである。ハチ公像の前で教師がハチ公の伝記を語り始めるという劇映画。戦後のシーンはロケが興味深いが、戦前の駅などはセットだろう。まあ大した映画じゃないが、「ハチ公伝説形成史」的な意味で興味深い。それに幼犬期、成犬期、老犬期と秋田犬を3頭用意していて、特に子犬の時期がカワイイのである。子犬は何でもカワイイとは思うが、秋田犬の中でもとりわけ美犬を選んでいるだろう。
そこから渋谷駅に戻って、やはり最後にハチ公の銅像を見ていこうか。自分の家の場所から遠く、僕はハチ公前で待ち合わせをしたことがない。通りすがりに見てはいるけど、ちゃんと見たことがないのである。まあ東京人は大体そんなものだろう。今はもう写真を撮るために外国人観光客が列を作っていて、ここで写真を撮ろうとしている日本人などいない感じだった。そういう話は聞いていたけど、今は「世界のハチ公」なのである。
(写真を撮る人々)
ところで國學院大學の近くに実践女子大もある。そこにも香雪記念資料館があるが、日曜休みなので見られない。そこは下田歌子が創立した学校がもとになり、香雪は下田歌子の号だという。また向田邦子文庫もある。渋谷からほんのちょっと離れたところに大学が集中しているとは知らなかった。ハチ公の映画上映は、8、9、10の午前10時にも予定されている。
ハチ公バス「郷土館・文学館前」で下りると、真ん前に「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」がある。白根って誰だと思うと、白根全忠という元渋谷区議会議員。「そんな人しらねえ」と皆言うだろうけど、この博物館の土地を提供した人だという。1階に入ってすぐにハチ公像があり、その奥でハチ公展をやっている。2階が郷土博物館、地下2階が文学館になっている。郷土博物館はどこも似ているが、ここは前近代が少なく、現代(戦後)の渋谷の発展が詳しい。
(ハチ公像)
ハチ公展は写真を撮れず、カタログもないけど、ハチ公及び飼い主の上野英三郎(1872~1925)博士、上野夫人に関しては非常に充実した展示になっている。特に夫人に関しては僕もほとんど知らなかったので、いろんな事情があったのことを知った。ハチ公は周知のように秋田県大館市で生まれた「秋田犬」で、1923年11月10日に生まれた。(日付には異説あり。)そこで今年が生誕百年ということになるわけだが、上野博士は1925年に亡くなっている。具体的には5月21日である。そうすると上野博士のもとで飼われたのは、1年半もなかったのである。その後ハチ公は1935年3月8日に死ぬまで、10年近く生きた。
ところで今になって思うのだが、上野博士は毎日渋谷駅からどこへ行っていたのか。それは東大教授なんだから東大に決まってるわけだが、当時は東大農学部は駒場にあった。一高と土地を交換して本郷に移ったのは1935年のことである。駒場だったら京王井の頭線かと思うと、その開通は1933年。それとも上野博士担当の「農業工学」は当時から本郷だったのか。それにしても渋谷からではルートが判らない。秋葉原・神田間がつながって山手線が環状運転を開始するのは、1925年11月で上野博士の没後である。いや、こんな疑問はきっと解決済みなんだろう。僕は今初めて疑問に思ったので、事前に気付いてたら博物館で聞いたのに。
(郷土博物館)
それはさておき、午後2時からの映画上映の整理券を1時から配布するという。博物館を見てたら結構並んでて33番になった。上映まで1時間あるので、國學院大學博物館に行ってみた。歩いて1分ぐらいである。非常に広くて、今までに見た大学博物館でトップ級なのに驚いた。神社の歴史や考古資料の展示が充実していて、郷土博物館とはレベルが違う感じ。まあ神社、神道、国学には関心が薄いので通り過ぎる程度だったが、関心と時間がある人には非常に充実した場所だろう。関東大震災時の折口信夫に関する展示があり、朝鮮人虐殺に激しく怒っているのが印象的だった。
(國學院大學博物館)
郷土館に戻って、映画の上映。「ハチ公物語」は1958年に作られた教育用の映画と思われ、近年になって再発見された。監督は中川順夫(なかがわ・のりお、1909~2004)という人で、劇映画も手がけたが主に脚本家や記録映画で活躍した人らしい。僕は初めて聞いた名前で、「中川信夫」かと思ったぐらいである。ハチ公像の前で教師がハチ公の伝記を語り始めるという劇映画。戦後のシーンはロケが興味深いが、戦前の駅などはセットだろう。まあ大した映画じゃないが、「ハチ公伝説形成史」的な意味で興味深い。それに幼犬期、成犬期、老犬期と秋田犬を3頭用意していて、特に子犬の時期がカワイイのである。子犬は何でもカワイイとは思うが、秋田犬の中でもとりわけ美犬を選んでいるだろう。
そこから渋谷駅に戻って、やはり最後にハチ公の銅像を見ていこうか。自分の家の場所から遠く、僕はハチ公前で待ち合わせをしたことがない。通りすがりに見てはいるけど、ちゃんと見たことがないのである。まあ東京人は大体そんなものだろう。今はもう写真を撮るために外国人観光客が列を作っていて、ここで写真を撮ろうとしている日本人などいない感じだった。そういう話は聞いていたけど、今は「世界のハチ公」なのである。
(写真を撮る人々)
ところで國學院大學の近くに実践女子大もある。そこにも香雪記念資料館があるが、日曜休みなので見られない。そこは下田歌子が創立した学校がもとになり、香雪は下田歌子の号だという。また向田邦子文庫もある。渋谷からほんのちょっと離れたところに大学が集中しているとは知らなかった。ハチ公の映画上映は、8、9、10の午前10時にも予定されている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます