尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

静嘉堂文庫と松浦武四郎展

2018年11月29日 22時40分43秒 | アート
 世田谷区岡本にある静嘉堂文庫美術館で「松浦武四郎展」をやっている。(12月9日まで。)松浦武四郎(1818~1888)は幕末から明治にかけての探検家、著述家で、「北海道の名付け親」とよく言われる。「静嘉堂文庫」そのものに初めて行った。「静嘉堂」は三菱財閥2代目の岩崎弥之助(岩崎弥太郎の弟)の号で、三菱が集めた美術品や古書をここに収録している。
   
 東急線二子玉川(ふたこたまがわ)駅から少し遠い。バスに乗ったけど、徒歩じゃ迷ってしまったと思う。「ニコタマ」と略称される二子玉川も多分初めて下車したんじゃないか。「セタソー」(世田谷総合高校)はここにあったのか。バス停を下りると、けっこう山道みたいで遠い。湯島の旧岩崎邸庭園に似た感じだけど、こっちはもっと遠い。そうするうちに瀟洒な静嘉堂文庫が見えてきた。1924年に建てられたもので、東京都選定歴史的建造物。貴重な古書をたくさん収蔵している。
  
 1910年に建てられたジョサイア・コンドル設計の「岩崎家廟」も貴重である。コンドルは三菱との関係が深く、湯島の旧岩崎邸も設計しているし、高輪の岩崎邸(関東閣)も設計した。美しい廟はもちろん外見しか見られないが、非常に貴重なものだ。文庫は予約制で紹介状がなくては蔵書類を見られないが、収蔵品は時々美術館で公開される。曜変天目茶碗をはじめとする国宝がいくつもあるが、常設展はないので日程を注意してないと見れない。
  
 静嘉堂文庫美術館は1992年に開館したもので、年に数回の展覧会を開催している。今開催中の松浦武四郎展は、武四郎の生誕200年記念である。幕末に蝦夷地探検を行ったことで知られ、蝦夷地を「北加伊道」と名付けた。アイヌ語に基づく地名を付けたことでも知られる。明治3年までに150冊の調査記録を残したという。蝦夷地探訪記が何冊も出展されていたが、多色刷りでビジュアルなのに驚いた。武四郎が択捉島まで訪れていることも興味深い。

 松浦武四郎は三重県松阪市の生まれで、同地に記念館もある。松阪と言えば本居宣長の生地だが、武四郎も古いものへの関心を若い時から持っていた。当時は「好古家」と呼ばれ、考古学的な遺物など多くのコレクションが展示されている。河鍋暁斎筆の「松浦武四郎涅槃図」の複製もあった。武四郎が寝釈迦のように中央に寝ていて、その周りを西行など多くの古人が取り巻く。重文指定だそうだけど、松浦武四郎という人はやはり「偉人」というより「奇人」だなあと思った。花崎皋平『静かな大地 松浦武四郎とアイヌ民族』という本が忘れられているようで残念。
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