尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「非行少年」ー映画に見る昔の学校⑥

2013年11月06日 23時53分17秒 |  〃  (旧作日本映画)
 1964年の日活映画「非行少年」(河辺和夫監督)を見た。ラピュタ阿佐ヶ谷の「蔵出し!日活レアもの祭」という企画での上映。つまりこの映画は「レア」扱いである。しかし、公開当時は新人監督にしては非常に高い評価を得て、キネマ旬報ベストテン14位に選出された。10位以下は、鬼婆(新藤兼人)、帝銀事件・死刑囚(熊井啓)、五辨の椿(野村芳太郎)、非行少年、乾いた花(篠田正浩)、暗殺(篠田正浩)…と続く。この「非行少年」だけが忘れられた感じだ。他の映画は、有名な俳優や監督の特集で上映されるが、「非行少年」には有名俳優が一人も出ていない。河辺監督もその後に数作品があるが、記録映画が多く監督特集もできない。藤田敏八監督と作った「ニッポン零年」など、60年代末期の学生運動などを撮りまくって、当時は公開されなかったほどである(2002年公開)。

 「非行少年」は、当時の東京の中学の状況をセミ・ドキュメンタリー的なリアリズムで撮った白黒映画。ギャング映画などをたくさん書いた佐治乾が脚本を担当した劇映画だが、記録映画的な作りなので、当時の学校事情がかなり判る。今見ても非常に面白かった。「映像で見る教育社会学」という感じの映画だ。ほとんどロケで作られていて現実感が強い。教育事情が変わってしまい、現実告発の社会派映画としての意義は少なくなったけれど。

 その頃、似たような題名の映画が多く作られた。「非行少女」は1年前に日活で作られた浦山桐郎監督の2作目。「不良少年」(1961)は、羽仁進監督の劇映画第1作でベストワン。「不良少女」はないのかと調べたら、1960年の東映に小林恒夫監督作品があった。これだけ集まっているには理由があるはずである。一つは世界的な流行で、アメリカの「暴力教室」「理由なき反抗」、日本の「太陽の季節」「狂った果実」以後、たくさんの「無軌道な若者映画」が作られた。しかし、それらは20代か、10代でもハイティーンの、かなり本格的な犯罪を扱うことが多い。一方フランスで作られたトリュフォー「大人は判ってくれない」が、子どもの目で「非行」を描いて日本でも評判になった。日本でも60年代前期に、多くの「ローティーンの犯罪」が描かれた。世界的に大きな同時代性があったということだろう。

 この映画では、中学3年生がほとんど都立高校への進学を希望している。中三の生活はほぼ受験一色という感じに描かれている。落ちこぼれている各クラス数名の生徒は、授業ではほとんど無視されている。その結果、トイレとか腹痛を理由に教室を抜け出し、保健室で傍若無人にふるまったり、屋上に集まって喫煙したりしている。屋上が開放されているのは、今見ると不思議かもしれない。施錠しないと学校の責任が問われる現在と違い、70年代頃までは大体開いていたと思う。教員も見回ったりしてない感じだ。学校の「問題生徒対応」もシステム化、マニュアル化されていなかった。

 学校に居場所がない生徒たちは、街でたむろして犯罪集団の下部を構成する。「番長」が一番強い存在で、代々各学年で受け継がれる。その継承儀式も出てくる。「番長」の語源は旧軍の「当番長」から来たのではないかという見解が映画内で語られる。単にさぼっているだけでなく、カツアゲや「性非行」もあり、「縄張り」意識も強い。転校してくると、まず誰が番長かを気にしている。学校も問題が起こると、転校させている。やがて里山の中に「根拠地」の小屋を作り、そこで寝泊まりするようになったところを警察に踏み込まれ、一人は少年院に送られる。(自分たちの居場所を作るというのは、鈴木清順「素っ裸の年令」でも見られた。今と違い、まだ「空き地」などが街のあちこちに見られた時代である。)

 学校には就職担当の教師のように親身になってくれる教員もいるが、そういう教師は校内で甘いと思われている。力で押さえるというより、授業に参加しない生徒は無視するのが学校の現状だろう。他の生徒も、非行生徒の指導に時間を使わず授業を進めて欲しいと思っている。平家物語の授業で非行生徒にヤクザの話などをさせていた教員は、女生徒から受験に意味ない話はやめてくれと要望されている。試験があれば順位が全校に発表される。(70年前後の自分の中学でも同様。)

 図書室で開かれる職員会議では、校長が「PTAの強い要望で、例年のように3学期からは体育と美術の授業を補習に切り替える。補習の手当はある見込み」と報告をしている。それでは「未履修問題」が発生するはずだが、当時はそれが常識だったのである。映画には出てこないが、最初の全国学力テストが行われていた時代である。(中学生全員調査は、1961年から1963年。)独立した会議室がなく、図書室で職員会議をしているのもリアリティを出している。

 この時代は都立高校が優位だった。私立高校でも「御三家」(麻布、開成、武蔵)や早慶などは別だが、概して私大付属校も都立普通科の下にランクされていた。家庭の経済状況で私立は大変だった。都立の東大合格者数も多く、大学受験には都立普通科が有利と思われていた。高校の数が少なく、都立有名校は難関とされていた。経済的に恵まれず、都立全日制に入れない生徒は、夜間定時制高校に進学した。この時代には定時制高校で学ぶ勤労青年を描く青春映画が数多く作られている。

 そういう時代だったから、親は中学に高校受験の指導を要望し、それが「補習の過熱化」として社会問題にもなっていた。その結果、東京では1967年から、個別の高校を受けるのではなく、いくつかの普通科高校を組み合わせた「学校群」を受ける(合格校は抽選で決まる)制度に変更された。(それは普通科高校の場合で、職業高校は個別の学校を受けた。)この制度変更は今では非常に評判が悪いのだが、この映画を見れば判るように、何らかの制度改革が避けられない状況にあった。

 もちろん戦前には「中学生の非行問題」は存在しない。中学が義務教育ではなかったのだから。戦後すぐには「アプレゲール」(戦後派)と呼ばれた若者の犯罪が注目を集めた。「軍隊帰り」「特攻くずれ」などと呼ばれた青年が暴力犯罪に走ったこともある。でも、年少犯罪はあまり問題視されなかった。「浮浪児」問題はあった。空襲で親を失った少年が路上生活をしてかっぱらいをするのだが、これは「かわいそうな少年」で「理解可能な犯罪」である。それが1960年頃から「ローティーン犯罪」が問題化されてくる。保守政治家の側からは、それは「権利を強調する日教組の問題」とされ、「戦後教育の間違い」を正すため「道徳教育の強化」が叫ばれた。政府は60年代半ばに「期待される人間像」をまとめ、徳育主義的観点から「非行防止」を求めた。

 しかし、実際の「非行事情」は違っただろう。まず第一に「ベビーブーマーの成長」がこの時期の大きな問題で、これは世界各国で共通の問題だった。1964年の映画だから、中3生徒の多くは1949年生まれである。その前後が「団塊の世代」と言われるベビーブームの子供たちである。急激に増える中学生を受け入れるのが大変で、学校では特別教室や図書室を普通教室にしたり、クラスが50人定員だった。この生徒急増に見合って公立高校が同時に増えたわけではないので、高校受験が難関になるのは当たり前。学校が受験指導で手いっぱいで、問題生徒に対応できないのも当たり前である。教組や教育運動は、「高校全入」が目標とされ、公立高校増設が求められた。

 もう一つが「高度成長の光と影」である。この映画は東京オリンピックの年に公開されているが、東京といえども貧しい家が多く、アパートの一室で暮らしている家庭が多い。もっと貧しいあばら家のうちもある。「番長」の家庭では、母親は家出して病気の父しかいない。戦後すぐは「全員が貧しい」という「平等性の希望」があった。しかし、高度成長が始まると、全員が一緒に豊かになるわけではなく、「格差」が目立ってくる。ある程度経済的に安定すれば、子どもを高校に行かせるのは当然の時代になりつつあった。そういう時代になればなるほど、高校に行けない経済力の生徒、あるいは家庭環境で勉強できない学力不足の生徒は、中学に居場所がない。

 居場所は高度成長期の街頭にいくらでもあった。「商品への欲望」の時代となりつつあったからだ。戦前に比べ、子どもの身体は(食事や住環境の改善などで)どんどん大きくなり、中学生ならば親や教師より背が高い生徒も多かった。東京は日本中から人口が集まり、ベビーブームもあって、公立学校は増設されていく。そのため教師の大量採用時代が始まる。しかし、この映画ではまだ高齢の教員が多い。これでは体力、気力で、身体が大きい新時代の「非行少年」に太刀打ちできない。(なお、映画のセリフで、身体が大きいことを少年たちが「がたいがいい」と表現している。)街には欲望が満ち溢れ、教師には無視され、家庭は貧しいとなれば、街で「非行少年」になるのも当然すぎる展開だ。そういう時代の東京の中学がよく描かれていて、歴史的に貴重なフィルムだ。
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4 コメント

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この映画は (さすらい日乗)
2013-11-07 20:47:14
明らかに『非行少女』の成功に続いて企画されたものでしょう。さらに、日活の頭にあったのは、羽仁進の『不良少年』の高評価で、もともと、岩波映画時代の羽仁の映画は日活で公開されていたのですから。
『非行少女』と同様に、舛田組のチーフ助監督の河辺和夫が抜擢されたのもよくわかります。脚本の佐治乾は、アクション映画が多いのですが、八木保太郎の弟子で、基本的にはリアリズムなので、この脚本もかなり調べて書いたと思います。

高校時代は、もう50年前のことですが、卒業して3年して同窓会が開かれた時の担任の言葉を今も憶えています。「学校群になって非常にレベルが落ちた」と。

当時の都立高校は、実は上級階層の子弟が通っていたので、その意味では普通の家庭の子が行っている現在の方が、正常とも言えますが。
ただ、今の私立がほとんど男女別学なのは、良くないと思いますが。
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父が (キャストの娘)
2017-10-02 20:15:09
この映画出てるのですが、どのサイトも名前が間違えて書かれているのでとても悲しい気持ちになっております…
この映画のDVDなどは作成されていないのでしょうか?
又、レア扱いででも、上映予定などはないのでしょうか?
中学生の動いている父をすごく観てみたいです。
もちろんこの映画自体もとても興味があるモノなんですけれどね。
情報などありましたら是非教えて頂けると本当にありがたいです。
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DVDはないようですね (ogata)
2017-10-02 22:31:42
 画像検索してみたら、今回から入れたものがヒットしました。だからビデオかDVDが出てるのかと思ったら、これはポスターでしたね。この上映も「レアもの」と銘打って行われたもので、未ソフト化作品ばかり集めたとなっていたと思います。

 この時の上映フィルムは、国立フィルムセンター所蔵のものなので、日活にも上映に適したフィルムがないのかもしれません。そうなると、なかなか上映機会は少ないと思われます。

 いま古い日本映画を主に上映しているところが東京にいくつかあります。(ラピュタ阿佐ヶ谷、シネマヴェーラ渋谷、神保町シアターなど。)まあ丹念に調べながら待つしかないようです。あまり特集されない分野かと思いますが。
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ご丁寧に (キャストの娘)
2017-10-24 16:41:23
ご丁寧にコメント頂きありがとうございます。
気付くの遅くなり申し訳ありません…
やはり、難しいですか…わざわざ調べていただいたりして感謝します。
根気強く、観る機会に巡り逢えるよう情報を逃さないようにしたいです。
又何かありましたらよろしく。致します。
ありがとうございました。
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