尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画監督山村聰-映画「黒い潮」と下山事件をめぐって①

2013年04月04日 00時08分55秒 |  〃  (日本の映画監督)
 山村聰(やまむら・そう)が監督した「黒い潮」(1954)を3月半ばに見た。前に見ているが、だいぶ前でぜひもう一度見直したいと思っていた。数回にわたってこの映画の関連記事を書いてみたい。

 山村聰(1910~2000)は、僕にとっては重厚な役柄で知られた高齢の男優だった。ウィキペディアによると、映画「ノストラダムスの大予言」やテレビの「日本沈没」などで、4回総理大臣役を演じたそうだ。トップ記録だそうである。小津「東京物語」の長男、成瀬「山の音」の父親など50年代に渋い中年の演技を披露していた。70年代、80年代にはテレビの仕事が多く、時代劇なんかにもよく出ていた。
(山村聡)
 似たような感じで高齢の有力者を演じていたのが、佐分利信(さぶり・しん、1909~1982)だった。戦前の松竹で人気俳優だったが、年齢とともに渋い中年役を多く演じた。こちらも小津映画に何度か出ていた。テレビドラマを再編集した「化石」(75)でキネ旬や毎日映コンの男優賞。その後東映実録路線の「日本の首領」シリーズで暴力団のボスを演じて話題になった。この二人、渋い中老年役で、ともに小津映画に出ていた共通性がある。この二人には、もう一点映画監督をも経験したという共通点がある。

 俳優(あるいはそれ以外の職業)で有名な人が監督にも乗り出すことは、日本でも外国でも結構多い。日本では「HANA‐BI」などの北野武や「119」などの竹中直人、「お葬式」「マルサの女」の伊丹十三などである。最近でも津川雅彦(マキノ雅彦)、役所広司なんかも監督をした。昔も大女優田中絹代が5本を監督して大手会社の女性監督第1号になっている。宇野重吉も5本の監督作品がある。

 50年代に目を向けると、佐分利信山村聰がいた。佐分利信は「執行猶予」(50年4位)、「あゝ青春」(51年8位)、「風雪二十年」(51年6位)、「慟哭」(52年10位)と連続してベストテンに入選した。その後も50年代に監督を続け、全部で10本以上に上る。これらの映画は今上映されることがほとんどない。でも日本映画史の中で、有名俳優出身で一番成功した映画監督は佐分利信なのではないか。
 
 山村聰は6本の監督作品を残している。その最初が数年前に再公開され話題を呼んだ「蟹工船」(53)である。ベストテン16位。プロレタリア文学の代表作の映画化だから、もちろん独立プロの現代ぷろだくしょん製作である。前年に「村八分」という地方の選挙違反を告発する女子高生の映画を作った会社で、後には今井正「真昼の暗黒」を作り冤罪を告発しベストワンになる。今も続いていて福祉関係の映画などを送り出している。この映画は昔見ただけで見直していないのでよく覚えていないが、基本的にはリアリズムの左翼映画で、蟹工船の現実をよく描いていたと思うが、見る前に想像されるような映画の範囲に留まっていたような感じがする。
(「蟹工船」)
 次の作品が「黒い潮」(54)だが、内容は次回以後に詳しく書きたい。ベストテン4位。これは大変な快挙である。次の「沙羅の花の峠」(55)は日活映画で、数年前にフィルムセンターで修復されて上映された。最初のシーンで、村人や学生が地方の町で検察に呼ばれて説明を始める。なんか事件があったらしい。まず学生がハイキングに出かけた。南田洋子と芦川いづみが姉妹で参加している。一方、医者のいない山奥の村で少年が腹痛を起こす。村に医者はいなくて、村人は祈祷に頼る時代である。
(「沙羅の花の峠」)
 その村ををハイキングしていた学生が通りかかる。やはり医者に見せなければと説得し、なんとか医者を探しに行くことになる。でもなかなかいない。村人は少年を戸板に乗せて山越えしようと総出で出発する。だいぶ経ってから山村聰が医者らしいとわかり、泥酔している山村をリヤカーに乗せて連れてくる。泥酔の男に任せて大丈夫か、山の上の沙羅の木の下で、緊急手術が始まるが…。実は山村は獣医だったことが判り、冒頭の場面は医師法違反が問題になったらしい。さて、難手術が始まる。いや、昔は大変だったなあとよく判る。三好十郎原案を山村聰が脚本化した。これはこれで50年代の日本のある現実を伝える映画として評価できるのではないかと思う。

 1959年に「母子草」と「鹿島灘の女」がある。後者は茨城県の鹿島灘が舞台になっている。最後の監督作品「風流深川唄」(60)は、「日本の卒業」と言うべき「結婚式略奪もの」である。ただし人情世話物だが。川口松太郎の直木賞作品を東映で映画化した。主演は美空ひばりで、深川の料亭の娘。板前の鶴田浩二と将来を約束している。しかし、父親が義理ある人の借金のため、料亭は差し押さえにあう。美空ひばりを金のある他家に嫁がせようと、鶴田浩二の母を説き伏せ、二人は別れさせられる。結婚の準備は着々と進み、花嫁衣装の美空ひばりは人力車に乗り込み、式へ向かうが…。
(「深川風流唄」)
 そこで鶴田浩二一世一代の決心が…という快作で、この映画はほとんど忘れられていると思うが、再評価が必要だ。美空ひばりはものすごく映画に出ているが、心に響く映画としてはベスト級だと思う。プロレタリア文学で出発した監督としてはだいぶ趣が違うし、なんでこの映画を監督することになったのかが不思議である。山村聡の演出力は極めて確かで、もっと監督をしても良かったと思う。俳優としても大活躍していたから別にいいのかもしれないが。
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