尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

五野井郁夫、池田香代子『山上徹也と日本の「失われた30年」』を読む

2023年08月04日 22時50分19秒 | 〃 (さまざまな本)
 五野井郁夫池田香代子による『山上徹也と日本の「失われた30年」』(集英社インターナショナル)という本を読んだ。これは非常に刺激的で多くのことを学んだ本だった。現代日本で生きる人の必読本と言っても良い。論文も入ってるけど、大部分は対談で読みやすい。全部合わせても170ページほどで、値段も本体価格1600円。夏のチャレンジ本に相応しい。

 書評を読んで買ったんだけど、なかなか読む気になれなかった。もちろん表題の人物は「安倍晋三元首相暗殺事件で起訴されている被告人」である。2023年3月末に出た本で、事件から1年になる頃には読みたいと思ったが、読むにはちょっと頑張るエネルギーがいりそう。この本は著者二人が彼のものとされるツイッターへの投稿を分析して語りあった本である。論点が非常に多くてなかなか消化できないけど、ものすごく興味深い論点が並んでいて、考えるべきことが満載だった。
(池田香代子氏)
 池田香代子氏は1948年生まれで、もともとはドイツ文学の翻訳者だった。1995年にヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』の翻訳(ノルウェー語原作をドイツ語から重訳)がベストセラーになって名を知られた。2001年には『世界がもし100人の村だったら』(ダグラス・ラミスとの再話)が評判になった。以後、様々な社会運動に関わってきた。五野井郁夫は1979年生まれで、政治学や国際関係論の学者(高千穂大学教授)。親がカトリックで、「宗教2世」を自認している。「氷河期世代」の一人として、自分は幸運に恵まれただけだと何度も述べている。帯には「宗教2世の政治学者対「100人の村」著者」とある。
(五野井郁夫氏) 
 事前に注意点がある。まず取り上げられた人物はまだ裁判も始まっていない被告人であること。またここで分析されているツイッター投稿は、本人によって間違いなく自分のものと確認されているわけではない。ただし、事件前日に島根県在住のジャーナリストに送った「犯行予告」的な手紙の中で、自身のアカウントとして書かれていたという。このアカウントは事件後(7月19日)に凍結されていて、現在は見られない。しかし、凍結前にコピーしていた人がいた。内容的には本人以外のものとは考えにくい。

 アカウント名は「silent hill 333」というもので、著者によるとコナミから2003年に発売されたゲーム「サイレントヒル3」と関連しているのではないかという。これは「前世で母の手によってカルト的な神の儀式の生贄にされ、家族も殺された少女が復讐を果たす物語」だという。2019年10月13日に始まり、2022年6月30日までの間に1364件のツイートを投稿した。この本の最後に、その中から重要なものが引用されていて、直接読むことが出来る。これが意外なことに、なかなか興味深いのである。ある種「狂信的」あるいは「復讐心に燃える」といった先入観があったが、それは覆された。単純な人物ではないのである。

 例えば、今までの報道では「コロナ禍で旧統一教会の韓鶴子総裁が来日できなくなり、代わりに安倍晋三元首相を狙った」的なイメージを持っていた。しかし、どうも違うようである。教会側の警備が厳しいこともあるが、内部で揉めている旧統一教会で総裁を殺害したら、かえって喜ぶ内部勢力がいると認識したらしい。本人はもともと「ネトウヨ」的な世界観があり、安倍政権も支持していたようだが、ツイッターを見る限り石破茂氏への期待の方が大きかったらしい。

 映画『ジョーカー』など様々な映画、音楽、本などにも言及している。韓国発祥の宗教だけに、「反韓」傾向は強いが、これもかなり揺れも見られる。それ以上に「女」「女性」という言葉が多いようで、「インセル」をめぐる言及が多い。これは"involuntary celibate"を略したもので、「不本意な禁欲主義者」「強いられた独身」のような意味だという。「非モテ男性」のことで、ネットではよく使われる用語らしい。このように統一教会問題だけでなく多くの問題が語られている。

 しかし、やはり山上被告の特別な生育歴には語る言葉が無い思いがする。彼は何度も何度も「母」に裏切られながら、母を否定出来ないのである。外部の者は否定できても、家族だけは完全には否定しきれない。単に母親が教会側に多額の献金をして、そのため大学への進学がかなわなかった(それは事実だが)というレベルでは語れない。それを僕が完全に読み解くのはなかなか難しい。五野井氏(1979年生まれ)と山上被告(1980年生まれ)という同世代に降りかかった「就職氷河期」という「失われた年代」を無視しては語れないのである。それは著者たちのように、一度きちんと考えてみる価値がある問題だ。

 もちろん「殺人は絶対悪」である。それは前提だが、なぜこのような人物が生まれたのか、彼は秋葉原無差別襲撃事件ややまゆり園襲撃事件などの「犯人」と、どこが共通しどこが違っているのか。この世界に生きていて、われわれも考えなくてはいけない。内容的には相当大変だが、多くのことを考えさせられた。まだ自分でも上手く言えない。なお、見田宗介氏の「まなざしの地獄」論や栗原彬氏の分析に何度も言及されている。たまたま僕もよく知っている社会学者なので、そこら辺から深めて行きたいと思う。
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