尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

関屋貞三郎と寺崎英成-「終戦のエンペラー」と史実③

2013年10月05日 00時51分02秒 |  〃 (歴史・地理)
 映画「終戦のエンペラー」では、調査に行きづまったフェラーズが天皇側近に話を聞くべくマッカーサーの命令を持って宮城(きゅうじょう=今の皇居)に乗り込むと、そこに宮内次官関屋貞三郎(1875~1950)という人物がいる。関屋が言うには、天皇は平和主義者であり、その証拠として御前会議で天皇が読み上げた明治天皇の御製(ぎょせい=天皇の和歌)を朗々とうたいあげる。
  「四方(よも)の海 みな同朋(はらから) 思う世に など波風の 立ちさわぐらん

 この御前会議のエピソードは史実である。会議直後には東条陸相も「大御心は平和だぞ」と受け取ったと言われる。1941年9月6日に開かれた御前会議では、10月上旬までに日米交渉がまとまらない場合、米英蘭に対する開戦を決意するという「帝国国策遂行要領」が決定された。

 この描き方はどうも違和感がある。まず関屋なる人物が判らない。どこかで聞いたようにも思うが、ほとんど記憶にない。それになぜ「宮内次官」が出てくるのだろうか。マッカーサーの命令なんだから、当然トップ(宮内大臣)が対応すべきだ。なんでナンバー2が出てきてくるのか。これはこの映画を見て、一番違和感を持つところだろう。調べてみると、関屋貞三郎は、1921年から1933年の宮内次官で、敗戦より10年以上も前に辞めていた。1900年に官界入りし、三一独立運動時は朝鮮総督府学務部長だった。19年8月より静岡県知事、21年宮内次官、33年に退官後は貴族院議員を務めた。
(関屋貞三郎)
 実際の宮内次官は大金益次郎という人物で、後に侍従長となった。宮内大臣は石渡荘太郎、侍従長は藤田尚徳である。それらの人物を差し置いて、なぜ当時の職員でもない関屋なる元宮内次官が活躍するのか。それはプログラムを読めば氷解する。プロデューサー奈良橋陽子の祖父なのである。なんだ、ファミリー伝説の映画か、身びいきのフィクションかと脱力してしまうが、そういう設定にしたくもなる背景はあった。関屋貞三郎は確かにフェラーズの協力者だったのである。

 東野真昭和天皇 二つの『独白録』」(NHK出版、1998)によれば、関屋はフェラーズと同じクエーカー信者で、そこからつながりができたという。もっとも関屋がフェラーズに会ったのは、フェラーズ・メモが提出された10月2日より後の16日である。その時にフェラーズは「天皇が真珠湾攻撃を承知していたかどうかを確かめることが最も重要」と河合道を通じて関屋に伝えたと同書にある。河合は恵泉女学園を創設した女性教育者で、フェラーズとは戦前来の知人である。彼がクエーカー系の大学に在学していた時に、日本から留学していた渡辺ゆりと知り合い、来日した時に恩師の河合を紹介したという。なお、渡辺の方が年上で映画のような恋愛関係はもちろんない。大体フェラーズは45年当時49歳で、学生時代の恋愛相手が仮にいたとしても40代後半のはずだ。

 このようなクリスチャン人脈による日米協力が、天皇免責の裏にあったのである。しかし、この映画では関屋を元の公職に戻してしまった。それはご愛嬌かもしれないが、これだけで史実とは無関係と宣言しているようなものだ。さらに問題なのは関屋の説明である。大体御前会議のメンバーではない宮内次官が、なぜ内容を知っているのか、また外国人に漏らしていいのかという大問題もあるが、それは一応置く。そこでの説明では、昭和天皇は平和主義者で、天皇の力なくしてポツダム宣言の受諾は出来なかったと言う。それは確かに事実なのだが、この時期には慎重な配慮が求められる問題だった。

 天皇の力が軍を押さえるほど強力で、戦争を終わらせる力を持っていたのなら、その強大な力をなぜ開戦阻止には使わなかったのかという疑問を直ちに招くのである。積極的な侵略主義者ではなかったとしても、「不作為」という戦争犯罪があるのではないか。この難問にいかに答えるべきか。「天皇を戦犯として裁くか」という問題がすべて終わった現在では判りにくいが、関屋の説明はフェラーズの求める答えとしては危険なのである。

 実際の戦犯裁判が近づくと、東京裁判へ向けた対策として、天皇の回想を記録することになった。1990年に公開された「昭和天皇独白録」(文春文庫)がそれである。この独白録で、天皇の免責論理が語られている。立憲君主として内閣や軍が一致している政策は認めないわけには行かない。しかし、2・26事件と終戦時だけは内閣が機能せず天皇が判断を迫られたので決断したというのである。それが事実かどうかは別にして、映画に関屋を登場させたことで、重要な人物が映画に全く出てこないことになったと思う。それは寺崎英成(1900~1951)である。
(寺崎英成)
 寺崎は戦前に米国勤務経験がある外交官で、妻はアメリカ人だった。娘の「マリコ」の名が日米交渉の中で暗号として使われたことでも知られている。(柳田邦夫のノンフィクション「マリコ」で知られ、NHKドラマにもなった。)寺崎英成はなかなか複雑な人物なのだが、当時天皇の御用掛として独白録の聞き取りに参加していた。そして数十年を経て、「独白録」はマリコの家で発見されたのである。

 当時から、独白録に英語版があるかどうかが問題となった。それをついに発見したのがNHK取材班で、フェラーズの未亡人が管理するフェラーズ文書の中にあった。その経緯は東野の本に詳しい。ところで、これは寺崎とフェラーズが会った後で判ったことらしいが、寺崎の妻グエンドレンは、フェラーズの祖母ベッツィー・ハロルドの姪で、二人は姻戚関係にあった。フェラーズを主人公にするなら、関屋ではなく寺崎を出す方が自然で、その方がドラマチックになる。「寺崎とフェラーズが協力して天皇を戦犯から救った」という物語なら、フィクションにしても、もう少し違和感のない映画になっただろう。
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