尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「アジア太平洋戦争」ー「戦争と文学」を読む⑦

2020年12月20日 22時37分24秒 | 本 (日本文学)
 毎月一冊ずつ読んできた集英社文庫の「セレクション 戦争と文学」もついに7冊目。後一冊を残すのみ。12月は「アジア太平洋戦争」だが、これは水木しげるの巻末インタビューを入れると、全部で750頁を超える一番の大冊だ。持ち歩くのも重くて大変である。しかも、読んでる短編小説が一番多い。中でも大城立裕亀甲墓」なんか、ついこの間読んだばかりだ。よっぽど飛ばそうかと思ったが、折角だから全部読むことにした。そのため予定より時間が掛かってしまった。
(カバー画=橋本関雪「曙光」)
 日本時間の1941年12月8日に、米英との戦争が始まった。今でも一応マスコミでは触れているが、僕の若い頃よりはずっと少なくなった。戦争は「真珠湾攻撃」で始まったのではなく、「マレー作戦」の方が早かった。そのこともずいぶん言ってきたのだが、一向に定着しないようだ。大日本帝国はこの戦争を「支那事変」(日中戦争)を含めて「大東亜戦争」と呼ぶとした。アメリカはこの戦争を「太平洋戦争」と呼んだが、戦争はインド洋方面にも及んでいた。歴史学界から「アジア太平洋戦争」という呼称が提案されたが、これも一般には定着したと言えない。

 長くて最初の頃に読んだものは忘れかけている。戦時中に書かれた太宰治上林暁高村光太郎の3作は「資料的価値」というべきだろう。北原武夫嘔気」はインドネシアに徴用された作家の無為な日々を描く。名前は知っていたけど初めて読んだ作家である。宇野千代の夫だった人物で、ずいぶん達者な筆力だ。何も出来ぬ無力感が印象的。

 庄野英二船幽霊」は貴重な作品だ。「タースデー・アイラン」にいた日本人がオーストラリアに抑留される。どこだと思うと、北部にある小島「木曜島」のことだった。アコヤ貝採取のため、南紀串本の漁民が戦前は大挙して出掛けていたという話は聞いたことがある。彼らが全員「捕虜」として抑留されていたとは知らなかった。演芸会を行ったり、毎月8日に「大詔奉戴日」をやってるなど、やはりという感じ。戦中にあった不思議な日本人集団の歴史である。

 火野葦平異民族」は、インパール作戦中のビルマ(ミャンマー)で「異民族統治」にあたる日本兵の様子を描いている。厳格を重んじる上官に人々は恐れを抱き従っているように見えたが…。火野葦平の戦後作品で、読みやすくて考えさせる。中山義秀テニヤンの末日」は前に読んでるけどすっかり内容を忘れてた。サイパン島近くのテニヤン島に赴いた二人の若き軍医の話で、やはりよく出来ている。やはりというのは、僕はこの作家が好きでずいぶん読んでいるから。戦前に芥川賞を受けた「厚物咲」は強烈な作品である。発表当時評判になった作品だが、今になっては戦争文学としては時間が立ちすぎた感じもした。
(中山義秀)
 全部書いてると大変なので、三浦朱門礁湖」、梅崎春生ルネタの市民兵」などは名前を挙げるだけで。負けていく日本兵を描く小説は大体パターン化していく。若い時に読んだら衝撃を受けたろうが、案外似ているのが多くて飽きてくる。そんな中で、大城立裕亀甲墓」は、沖縄の伝統的習俗と圧倒的な米軍の攻撃力の交錯する場を描き尽くしていて見事だ。

 それに対して若い時に読んで感銘を受けた吉田満戦艦大和の最期」は読みにくさが先に立った。戦艦大和から辛くも生還し、戦後は日銀監事まで務めたが1979年に56歳で亡くなった人物である。戦後になって「書き残す」ために書かれた記録なので、戦艦大和そのものを問い直す視点はない。空母も残ってなくて制空権を持たない中をただ撃沈されるだけの「特攻出撃」だった。もともと帰りの燃料を積んでなかった。これだけ読むと荘重な史劇を読む感を受けるが、今から見ると恐るべき愚挙に驚きが先に立つのである。

 文学として一番評価したいのは島尾敏雄出発は遂に訪れず」だ。島尾敏雄も若い頃に大体読んでいて、ずいぶん久しぶり。読みやすいとは言えないが、最後まで気が抜けない名作だ。奄美の加計呂麻島に配属された大学出身の若い海軍士官。ひたすら特攻訓練に明け暮れ、ついに8月13日に出撃命令が下るも、結局最後に延期される。そのまま次の日も命令がなく、15日には司令部に集まるように伝達される。彼は島の娘と恋仲になり彼女は毎日心配で見に来る。これは有名な話で、結局出撃前に「8・15」を迎え、二人は戦後になって結婚するがそこでも壮絶な話が起きる。それはともかく「極限における心の揺れ」を見事に文章化した傑作だ。
(若い頃の島尾敏雄)
 三島由紀夫英霊の声」が入っていて初めて読んだ。二・二六事件で死刑となった反乱兵と特攻で死んだ兵の霊魂が呼び下ろされる。そこで天皇(昭和天皇)の「裏切り」に痛烈かつ痛切な告発をなすという「問題作」として有名だ。「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」と「人間宣言」を批判する。解説の浅田次郎は美しい文章と評するが、僕には空疎な観念的文章としか思えなかった。本当に「二・二六」の霊魂ならば、まずは陸軍刑法に反して私兵を動かしたこと、多くの人の生命を奪ったことへの謝罪が最初にない限り信用出来ない。何も戦後になって裏切って「人間」になったのではなく、もともと天皇は人間である。こんな程度の認識では「昭和維新」なんかできない。結果的に依り代となった盲目の青年まで死んでしまった。罪深い作品だ。

 吉村昭「手首の記憶」は樺太でのソ連軍侵攻時の悲劇、蓮見圭一「夜光虫」は潜水艦に乗務していた祖父の思い出。ともに貴重な作品で、特に吉村作品は何だか最後に重大な問題が残っていたなあという感じを持った。
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