尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

フィルム映画を守りたい…

2012年09月24日 23時15分20秒 | 社会(世の中の出来事)
 富士フィルムが映画用フィルムの販売を中止するという。富士フィルムのホームページに、「当社の映画事業の取り組みについて」が掲載されている。「富士フイルムはこれまで撮影用フィルムや上映用フィルムの生産工程のコストダウンなどに取り組み、供給を継続してまいりました。しかしながら、ここ2、3年の急激な需要の減少は、企業努力の範囲を超えるものとなり、撮影用/上映用フィルムについては平成25年3月を目途に販売を終了いたします。」
 
 世界の映画フィルムは、コダック富士がほぼすべてを占めていた。ドイツのアグファも戦前のヨーロッパの名画に使われてきた。この3社が中心だったけど、アグファはすでに撤退し、一部で継続されているようだけど、ほぼフィルム映画は先の2社を使って来た。しかし、今年コダックが破産し、富士も撤退すると、他に小さな会社があるのかもしれないけど、すべての映画がデジタルになってしまうのか!

 写真用フィルムもコニカが撤退し危機的状態だけど、映画が全部デジタルでいいんだろうか。と言いつつ、製造会社の判断で仕方ないと言えば仕方ない…。税金で支えて残すというものでもないだろうし…。その前に上映がほとんどデジタルになってきた。デジタル素材しかない新作も増えてきて、シネコンではない昔からの名画座なんかでは、デジタル映写機を入れられずに廃業するところが多い。もう映写機自体を作っている機械メーカーがないらしい。機械もやがて磨滅して壊れてしまう。部品がないから直せない。ボランティア的に、やめる映画館から映写機を集めている映写技師がいるそうだ。部品交換のために機械を残しておこうという試みである。

 デジタル映画の技術水準は大幅にアップしてると思うけど、僕は場合によってはまだまだフィルムの方がいいのではないかと思っている。最近見た「そして友よ、静かに死ね」というフランスの「ノワール」。こういうのは全体的に「暗い場面」が多くなる。その暗いシーンは技術アップで高感度フィルムに負けないとは思うけど、そうすると明るい場面でなんかチラチラする気がした。背景の光が気になるわけ。フィルムだと前景にフォーカスして背景をぼかせるけど、デジタルだとかえって全部映ってしまうのかな。技術的な面はよく判らないが、ノワール映画なんかはフィルムで見たいかも。

 それと他にもまだ大きな問題が。保存の問題である。9月19日付東京新聞にフィルムセンターの主任研究員の話が載っていた。フィルムは温度と湿度管理をしっかりすれば500年以上保存できるという。一方、デジタル素材は30年ほどで劣化するんだという。意外な感じである。デジタル素材こそ半永久的に残るかと思っていた。家庭用のCDやDVDも同じなんだろうか?

 また、フィルム撮影ができなくなると、撮影、照明等の技術の蓄積が途絶えてしまう。さらに、デジタル化されてない映画会社、図書館などが持っているぼう大なフィルム映画も、映写機がなくなると上映そのものが難しくなる。僕は最近ずっと古い映画を見続けているが、こうした昔の映画をフィルムで見るということが、もう少しするとできなくなるかもと思うと、一つの文化の滅びゆく様を見つめていきたいと思うのである。

 またデジタル問題だけでなく再開発などもあって、東京では小さな映画館の閉館が相次いでいる。もうすぐなくなるのが、銀座シネパトス、シアターN渋谷、銀座テアトルシネマ、浅草中映はじめ浅草に残った映画館5館(ピンク映画館を含む)がビル再開発で来月に閉館して浅草の映画館がなくなる。この数年間になくなった映画館は、シネセゾン渋谷、テアトルタイムズスクエア、テアトルダイヤ(2館)、シネアミューズ渋谷(2館)、シブヤ・シネマ・ソサエティなどがある。特に渋谷のミニ・シアターが少なくなってしまった。こうして東京でもアート・シネマ市場が細ってしまった。

 映画の世界は「光と影」である。ものを認識するということ自体が「光」なくしてできない。その光をどう処理するか。白黒映画の時代の方が技術が高かったのではないか。イギリスの映画雑誌「サイト・アンド・サウンド」が10年ごとに発表する「世界映画ベストテン」をブログで紹介しておいたが、今年の批評家選定ベストテンでは、市民ケーン、東京物語、ゲームの規則、サンライズ、カメラを持った男、裁かるるジャンヌ、8 1/2と7本が白黒。さらに言えばそのうち3本は無声映画だった。映画芸術の技術は白黒時代に確立してしまっていたのである。

 「光と影」なのは、世界そのものとも言える。光当たる世界とその影になる世界。一人の人間の中にも、光と影がある。そういう人間世界を写し撮るにはフィルムはまだまだ捨てがたいと思う。どうかすればという案もないんだけど、これは大変なことではないかと思うんだけど。
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