尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ザ・デストロイヤー、近藤昭仁、白石冬美等ー2019年3月の訃報③

2019年04月08日 19時46分09秒 | 追悼
 2回目は内田裕也と萩原健一だけ書いたので、他の訃報をまとめておきたい。芸能界、スポーツ界、学界にかなり亡くなった人がいた。スポーツ界というか、半分芸能界かもしれないけど、テレビや新聞の扱いが意外に大きくてビックリしたのがザ・デストロイヤーだった。3月7日死去、88歳。本名をリチャード・ジョン・ベイヤーというプロレスラーである。実は朝鮮人だった力道山に対する悪役レスラーとして来日したわけだが、日本で人気が出て親日家になった。「覆面レスラー」で知られ、「4の字固め」を必殺技にしていた。これは本当に有名で、男の子は皆知っていたと思う。

 プロ野球の大洋ホエールズ(DeNAベイスターズ)で活躍した近藤昭仁が27日に死去、80歳。弱小チームだった大洋は1960年に三原脩監督のもとで初優勝、日本一になった。近藤昭仁はその年に新人として入団し、日本シリーズのMVPになった。しかし、通算安打は1183、通算本塁打65だから、それほどすごい選手だったわけではないのである。同時期の大洋に近藤和彦という「天秤打法」という不思議なバットの持ち方をする選手もいた。名前が似ていて、僕はそれこそ「混同」してしまうことが多かった。現役引退後、横浜。ロッテで監督をしているけど、Aクラスになったことはなかった。
 
 第60代横綱双羽黒(ふたはぐろ)だった北尾光司が2月10日に55歳で死去していたことが判った。この人は「千代の富士一人横綱時代」に「連続準優勝」で、つまり一回も優勝せずに横綱に推挙された。そして親方と衝突して「失踪」してしまい「廃業」届けが出された。後の朝青龍、日馬富士をも超える辞め方である。その後の大相撲に大きく影響する事件だった。その後プロレスに入り、近年は闘病生活だったと伝えられる。

 声優の白石冬美が3月26日に死去、82歳。まあ「声優」であり、「巨人の星」やいろんなアニメを思い出す人も多いだろうけど、僕にとっては深夜放送である。TBSの「パック・イン・ミュージック」で、野沢那智と一緒に「ナッちゃん・チャコちゃん」の名コンビで聞かせた。中学から高校にかけて、ずっと聞いてた。今も声が聞こえてくる気がする。歌手の森山加代子が6日に死去、78歳。70年に「白い蝶のサンバ」が大ヒット、紅白歌合戦に4回出ているという。この歌は当時聞いていたときは、なんと早口の歌かと驚いたもんだけど、何十年かたって懐メロ番組で聞いたらあまりにもスローなのでまたビックリした。世のテンポはどんどんスピードが増していたのだ。
  (前=白石冬美、後=森山加代子)
生活評論で知られる吉沢久子が21日死去、101歳。朝日新聞の「おそうざいのヒント」、NHKの「きょうの料理」などを担当した。僕は読んでないけど、うちにたくさん本がある。
・有機化学者で、動植物の物質を解明した中西香爾が28日死去、93歳。世界的に知られた研究者で、文化勲章受章。
砂川しげひさ、6日死去。77歳。漫画家。
織本順吉、18日死去、92歳。俳優。
ジョレス・アルフェロフ、1日死去、88歳、半導体レーザーの研究でノーベル賞を受賞したロシアの物理学者。
ルーク・ベリー、4日死去、52歳。アメリカの俳優。「ビバリーヒルズ白書」で人気を得た。
バーナード・クリッシャー、元ニューズウィーク東京支局長。1975年に昭和天皇の単独インタビューを行った人。「戦争責任」を「言葉の綾」、原爆投下を「やむを得なかった」発言があった例のインタビューである。その後、カンボジアに英字紙を創刊するなどした。
ハワード・ヒベット、13日死去、98歳。日本文学研究者、谷崎潤一郎「鍵」などを翻訳。
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