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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

内田裕也と萩原健一ー2019年3月の訃報②

2019年04月06日 23時09分23秒 | 追悼
 内田裕也(1939.11.17~2019.3.17、79歳
 萩原健一(1950.7.26~2019.3.26、68歳
 二人とも、誕生日と同じ日に死んだ。月は違ってるけど。内田裕也は戦時中の生まれだったのか。萩原健一は戦後5年目の生まれで、11歳も違ったのか。内田裕也も萩原健一も、いつかは死ぬわけである。でも僕にとってはそれ以上の感慨もある。「内田裕也や萩原健一が死ぬ時代を生きているのか」ということである。自分たちの世代の訃報が届く時代の足音が聞こえてきた感じがする。

 内田裕也は長い音楽歴があって、ビートルズ日本公演の前座に出演していた。そんなことは僕は知らなかった。僕は「フラワー・トラベリン・バンド」で名前を知った。1973年に悠木千帆と結婚したが、この結婚にはビックリした。(結婚相手は「樹木希林」ではない。)当時のイメージ的にはあり得ない感じがした。反体制的ロックンローラーと「不細工が売りのお茶の間の人気者」にどんな接点があったのか、僕には不思議だった。今になると、人生には不思議なカップルがいくつかあると知っている。
  (後者=当時の内田裕也と悠木千帆)
 音楽で誰にも知られる代表作がないのと違って、俳優としては代表作がある。間違いなく「コミック雑誌なんかいらない!」(1986、滝田洋二郎監督)である。キネマ旬報男優賞を取ったほか、脚本にも参加して毎日映画コンクール脚本賞まで取っている。芸能リポーター役で出演して、圧倒的な存在感を見せた。豊田商事事件もこの映画で残るかもしれない。「水のないプール」「十階のモスキート」なども忘れられない。でも日活ロマンポルノで作られた「実録不良少女 姦」「少女娼婦 けもの道」「嗚呼! おんなたち 猥歌」などの内田裕也こそ最高に良かったと思う。
 (コミック雑誌なんかいらない!)
 内田裕也は都知事選に出るなど、話題も豊富だった。結婚もすぐに破綻し、いろんな人と付き合っていたようだけど、よく知らない。内田裕也と萩原健一は何度か逮捕されているという共通点がある。どんな罪状かはここでは書かない。萩原健一はいしだあゆみと結婚・離婚するなど女性関係の話題も豊富。いろいろと「お騒がせ」が共通しているが、芸能人に倫理的な規範をも求める現在では活躍できたかどうか。二人のいた時代はここまで窮屈ではなかった。
  (後者は萩原健一といしだあゆみ)
 萩原健一は「テンプターズ」の「ショーケン」である。沢田研二がいた「タイガース」がトップで、その次あたり。「グループサウンズ」って言われた。少女のアイドルだから、僕はその時点では名前を知ってるぐらい。1972年に斉藤耕一監督の「約束」に出て演技が高く評価された。これは本当に驚いた。最近見直したのだが、今も感動的な傑作。「ショーケン」がこんなすごい俳優だったのか。そして1974年に神代辰巳監督の「青春の蹉跌」に出て、キネマ旬報主演男優賞を受賞した。その頃の若い世代なら皆が見てるんじゃないか。仕草の様々がいちいちよく判る感じがして共感した。桃井かおりも忘れられないが、やはり萩原健一がすごかった。その後の男優の演技に大きく影響していると思う。
 (青春の蹉跌)
 その後テレビに出て「太陽にほえろ」や「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などで人気者になった。映画でも黒澤明監督の「影武者」(武田勝頼役)や神代辰巳監督、連城三紀彦原作の「恋文」などの代表作レベルがある。でも僕にとっては、やっぱり「約束」や「青春の蹉跌」の思い出につきる感じがする。21世紀になると、スキャンダル報道を耳にすることが多くなって残念な気がした。病気とはいえ、早すぎる思いが残る。あんなに生き生きとしてカッコよかった人だったのに。
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