尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「戦争が出来る国」に向けて「前例打破」ー学術会議問題③

2020年10月06日 23時13分28秒 | 政治
 日本学術会議が今回の問題以前に大きく報道されたのは、2017年のことだった。1950年、1967年になされた「軍事目的の研究は行わない」という声明を今後も継承するかどうかが問われたのである。その背景には防衛省防衛装備庁)の「安全保障技術研究推進制度」(2015年度発足)があった。この制度に研究者としてどう対応したら良いのかが問われたのである。
(2017年の声明)
 実は当時の大西隆会長(都市工学、東大名誉教授)は「自衛のためなら許容してもいい」という考えだったと言われる。2016年4月の日本学術会議総会では「大学などの研究者が、自衛の目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきだ」とする考えを示したとウィキペディアに載っている。大西氏は2015年に豊橋技術科学大学学長に就任し、同大学では防衛省の研究費を獲得して研究しているという。そういう経過があったため、2017年には過去の2度の声明が変更されるのではないかと注目されたのである。
(軍事研究の関する学術会議の声明の推移)
 しかし2017年3月24日に出された「軍事的安全保障研究に関する声明」(Statement on Research for Military Security)では「近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。」と明確にうたっている。

 さらに「学術研究がとりわけ政治権力によって制約されたり動員されたりすることがあるという歴史的な経験をふまえて、研究の自主性・自律性、そして特に研究成果の公開性が担保されなければならない。しかるに、軍事的安全保障研究では、研究の期間内及び期間後に、研究の方向性や秘密性の保持をめぐって、政府による研究者の活動への介入が強まる懸念がある」とも述べている。この声明は「日本学術会議安全保障と学術に関する検討委員会」(杉田敦委員長)がまとめて、幹事会が決定したものと出ている。
(当時の学術会議総会)
 この時の声明がどうなるかは非常に注目されていた。ここには書かなかったが、当時経過はずっと追っていた。大学の研究費がどんどん削られる中、自然科学系の研究者はのどから手が出るほど新しい資金が欲しいだろう。「自衛」を理由にして防衛省の資金が得られるならば、それでいいではないかという研究者の声も聞こえてきた。しかし学術会議は辛くも踏み止まった。結局、これが今回の問題の真の原因なんだと思う。

 日本経済発展のため「規制緩和」を進めると称して、学術会議を「抵抗勢力」に見立てて「印象操作」する。いずれは「学術会議」を屈服させて、軍事研究を自由に出来る環境を整える。そして「武器輸出」が堂々と出来るようにする。理由さえ整えば、もうけのために「死の商人」になってもいいと考える人は、ホンネで言えばかなりいるのではないか。しかし、いったん「軍産複合体」が成立すれば(というか、日本ではすでに大きな兵器産業があるわけだが)、作ったものを生かしたくなる。紛争の続く国双方に売りたくなってくる。

 今の日本では、先の声明こそが防衛省と協力したい研究者の自由を奪うものだと言う人までいる。「学術会議こそ学問の自由を奪っている」と言うのだ。保守系新聞の社説を見てみると、やはり学術会議の方に問題があると書いている。10月6日になって掲載された読売新聞の社説では「菅首相は、判断の根拠や理由を丁寧に語らねばならない」としつつも、最後には「情報技術が飛躍的に発展した現在、科学の研究に「民生」と「軍事」の境界を設けるのは、無理がある。旧態依然とした発想を改めることも必要ではないか。」とまとめている。あるいは産経新聞3日付社説ででは、学術会議の声明を「防衛省創設の研究助成制度も批判し、技術的優位を確保する日本の取り組みを阻害しかねない内容だ。」と非難している。これが政権のホンネだろう。

 かつて学術会議は公選で会員を選んでいた。選挙すれば、当時のことだからマルクス主義的な世界観を持っている人が多数当選する。1950年の声明が「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」と題されていたのは、戦争とは帝国主義勢力による侵略戦争だと考える学者が多かった時代を反映していると思う。しかし、推薦制に変更後は左派系の人もいるにはいるけれど、部の構成も変わって各学界で業績のある著名な人が多くなってきた。学者の世界も研究・教育に多忙で、さらに政治的活動に関わっている学者は、(左右を問わず)学術会議に関与する時間的余裕はないだろう。

 今回除外されたメンバーも(一人一人を詳しく知っているわけではないが)、「左派系の学者」とはとても言えない。安倍政権に反対したではないかというかもしれないが、「学問的良識」を持っているならば疑問を持たざるを得ない法案を安倍政権が続けざまに出してきたのである。市民感覚を持っていれば、当然疑問を持つことを表明しただけだ。学術会議を「左翼の巣窟」のように「印象操作」する人もいるが、会員をちゃんと調べていないのだろう。政府にとって一番困るのが、「市民的良識」を失わない学者なのだということなのだ。
コメント
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