尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「ピストルズ」、宿命のラビリンスー阿部和重を読む⑤

2020年10月11日 20時54分33秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重の「ピストルズ」(2010)は、大傑作「シンセミア」(2003)に続く「神町トリロジー」の第2作である。山形県東根市神町(じんまち)は著者の故郷でもあるが、阿部和重ワールドでは独特の歴史が刻まれている。戦前に海軍基地があったため空襲で大被害を受け、戦後に米軍が駐留した。その頃も町を分断する自警団が生まれたが、最近では2000年に大洪水が襲い町は大混乱に陥り一晩に10名が死亡することになった。(それを書いたのが「シンセミア」。)

 それから5年、2005年の神町では再び不穏な情勢が生じていく。しかし、この上下2冊の大長編の「語りの構造」はなかなか複雑だ。神町東方(現在は陸上自衛隊駐屯地の近く)に若木山(おさなぎやま)という丘のような低山があり、そこに古くから若木神社があった。それは以前から神町ものには出ているのだが、調べてみると実在する神社である。戦時中に山に防空壕がたくさん作られたのも事実。その神社の麓には神社とともに1200年も続いてきた「菖蒲(あやめ)一族」が存在した。ハーブやキノコの幻覚効果を利用して人々の心を支配し続けてきたのだ。

 その効能は著しく、戦後の米軍も偶然にその効果を知ることになった。米軍の心理作戦を研究する部門では、日本の「アヤメ・メソッド」に注目し続けている。テロを未然に防いだり、今も知られざる活躍をしているのである。菖蒲一族は若木山麓で果樹園を営みながら、同時に日本中から悩める人が集まってきた。今は「ヒーリングサロン・アヤメ」として開業もしている。60年代、70年代には一種のコミューンのように多くの若者が共同生活をしていた。

 菖蒲一族は一子相伝で秘術を伝承してきたが、当代の当主菖蒲水樹(あやめ・みずき)はその父から子孫をもうける呪術を掛けられ、子を産んでくれる女性を求め続ける。その結果、いくつもの悲劇を生みながら、母の違う4人の女子が生まれることになった。上から、そらみあおばあいこみずきである。さらにあいこの異父兄カイトもいるが、母親はいずれもいない。これまで代々男子が継承してきた菖蒲家の秘事だが、父は4人目の女子が生まれたのを見て当主の名「みずき」を娘に与えて女子につがせることにした。

 そんな知られざるコミューンがあったというのである。文中で自ら触れているように、これは半村良産霊山秘録」(むすびのやまひろく)みたいである。1200年も続いているというのは史料では裏付けられないと中でも語られている。というか、これまで普通の小説のように、主人公が客観的に叙述したかのように書いているが実はそこがそもそも違っている。2000年に起きた町の悲劇を食い止められなかった書店主がいた。石川という店主は神町の歴史を調べていて、過去に起こった忌まわしい事件も知っていた。自警団など作らない方がいいと主張したのに商店会では受け入れられなかった。以後5年、ほとんどうつけ者として過ごしてきたのだった。
(若木神社=おさなぎじんじゃ)
 しかし神町に小説家が住んでいるという。それは菖蒲家の次女、菖蒲あおば(ペンネーム「三月」)がジュニア小説家として何冊か書いているというのだ。全く知らなかったので、訪ねてみる。菖蒲家は地元でもほとんど知られていなかったのである。(そして実は石川書店主の娘は「グランド・フィナーレ」に出てきていた。)菖蒲家の4女みずきと石川の娘は同級生でもあった。しかし娘は彼女の記憶がほとんどないという。そんな事情をもっと詳しく知りたいと思い、石川はあおばを定期的に訪ねて話を聞くことにする。そのインタビュー記録がこの本の大部分を占めている。

 この構造は小説としては異例というべきだ。ほぼすべてが菖蒲あおばと石川の語りで構成されている。あおばは一族の秘密を全て明かすというのだが、最後には秘術を使って忘れて貰うというのだ。世に知らしめてはいけない部分もあるということで。そこで石川は話を聞いたたびに自分のパソコンに記録を打ち込んでいく。それがこの本ということになる。元々がフィクションであるわけだが、それにしても「一家の歴史」として語られたものを、さらに第三者が記録する。話が面白いから一気に読んでしまうが、すごく複雑な迷宮構造になっている。
若木山防空壕)
 上巻は父が母の違う4人の娘をつくるいきさつを語っていく。なかなか進まないので、ちょっとイライラしないでもない。ところが、下巻になると隠岐の島における「みずきの修行」がすさまじい。その修行を何とか生き延びた結果、マジカルな力を強めたみずきは全能感に浸されて行く。そこで語られるのが「グランド・フィナーレ」の真相というか、裏で起こっていたことである。町に起きた様々な危機に際して、菖蒲一族がスピリチュアルな戦いを続けてきたという「もう一つの歴史」が今明かされていく。しかし、2005年の事件はみずきの手に余り、結局は大きな悲劇を神町にも菖蒲一族にももたらしてしまった。

 というようなことをいくら書いても、この小説の奥底には届かない。最後の最後まで気が抜けない小説で、今書いたことも「表面的な読み」に過ぎず、いくつもの奥の奥があるかもしれない。「シンセミア」も意味が判らなかったが(作中で説明なし)、今度の「ピストルズ」も意味が判らない。二挺拳銃みたいな題名だと思っていたら、これは「雌しべ」(Pistil)の複数形ということだ。雌しべの香りが虫を引き寄せるように、若木山の薬用植物や毒キノコを使って独自の秘術世界を作り上げた一族。最後に生まれた4人姉妹が「雌しべ」なのか。

 今まで人工的なドラッグによる幻覚体験は阿部作品によく出てきたが、今回は植物由来の幻覚、アメリカ先住民などにあるようなものばかり。それを文章で再現してゆく手腕は見事なもので、ほとんど読むものも不可思議な感覚に浸されていく。占領下に起きた事件にも菖蒲一族が関わり、60年代末からは一種のコミューンとなった。戦後史の裏に、長く続く菖蒲一族の存在があって、それは米軍も監視している。そんな破天荒なイマジネーションが羽ばたく破格な容量を持った小説だ。もっとも僕は「シンセミア」の方が面白かったと思ったが、とにかく順番に読むことで現代小説の最前線を読んだ感じだ。文章は読みやすいが、内容的には油断も隙もない。
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