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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中国では記者の免許更新試験

2014年08月23日 23時20分26秒 |  〃 (教員免許更新制)
 新聞報道によると、中国では今年1~2月にかけ、全国の新聞、テレビ、通信社などの記者25万人に統一の免許更新試験を初めて実施したという。報道に対する様々な規制が強まる中でのこの政策、当局がいかに理由をつけようが「記者の資質向上」が目的ではないのは明らかだろう。「免許更新」という発想そのものが、「いうことを聞かないと職を失うぞ」という強迫的要素を持っているのである。さすがに日本のマスコミも、いいかげん「免許更新」という発想に潜むものに気づいて欲しい。

 久しぶりに教員免許更新制について書いておきたい。しかし、何か新しい動きがあったとか、新しく考えを深めたということでもない。今までに書いた記事(特に2011年に書いたもの)と同じようなものなんだけど、やはり時々書いておかないと、意識が薄れてくるのではないかと思うからである。現実的には第2次安倍内閣の発足により、教員免許更新制の改廃は当面の政策課題ではなくなってしまったというのが実情だろう。民主党政権下の数少ない「功績」である「高校教育無償化」も訳の分からない面倒な制度に変えられてしまった。その後、教育委員会制度の法改正、教科書検定基準の改定、道徳の教科化等々、ありえないような「安倍教育改悪」が進行しつつある。それらの問題が続々と起こり、対応するヒマもない状態。来年の中学教科書の採択年に、どのような状況になるか。(恐らく下村博文氏が文科相を退任して党に戻り、全国にはっぱを掛けるのではないか。)

 文科省にサイトにある「事後評価」結果を見ても、毎年大体同じである。「よい」と「だいたいよい」を合わせて9割以上。それでも必修領域と選択領域では、必修(最新の教育事情)の方が10%以上低い。この読み方は前に書いた「更新講習は好評なのか」を読んでくれれば、まあそれにつきている。「だいたいよい」は「受けなくても良かった」だと思うし、選択領域はともかく、必修領域は「仕方ないから受けた」ということだろう。この制度は実施時に制度設計で議論があり、結局講習を大学等で受けることになった。大学教授が担当するのだから、中には教育政策を批判したり、じっくりと分析したりする「講習」もあるらしい。だから、中国の記者の免許更新ほど露骨な「締め付け」政策にはなっていない。各都道府県教委にしても、今まで採用以来育ててきた教員が突然失職されても損失なので、地方によっては教育委員会と教員組合と地元教育系大学が協力して「失職しないシステム」を作っているところもあるらしい。それを「一定の評価」ととらえて、運悪く当たった年回りの教員も「何となくガマンするしかない」という状況にあるのではないか。

 しかし、医師免許にしろ、弁護士などの法曹資格にしろ、不祥事を起こして有罪が確定した結果「資格を喪失」することはあるけれども、いったん取得した国家資格が不祥事を起こしたわけでもないのに突然失効するという教員免許更新の仕組みはどう考えてもおかしい。これでは「公務員」である意味がない。授業や部活動やクラス担任で頑張っていても、何の意味もない。なんかすごい表彰でも受けた場合は特例があるけど、普通の教員には縁がない。唯一、主幹教諭や管理職(校長、教頭、副校長)になった場合だけ、免除という「特権」がある。

 しかし、主幹教諭というのは、本来更新講習を免除すべきものなのだろうか。東京都では7月に13件の処分が発令され発表されている。その中で7月18日に発表された4件の事例を見ると、4人全員が主幹教諭である。(中学2人、高校2人)主幹なんだから、皆学年主任とか生活指導主任かなんかをしているはずである。(ちなみに14件の職階別内訳を見ると、校長=1、主幹教諭=5、主任教諭=3、教員=3、寄宿舎指導員=1。処分内容は、体罰=9、わいせつ=3、情報=1。)こういう実態を見れば、むしろ校内で主任に任命される主幹教諭こそ、免許更新講習がいるのではないか。管理職は教員管理が仕事だからともかく、主幹教諭は授業も部活顧問も受け持つんだから、免許更新制度を免除する必要はないはずである。

 このような実態を見れば判るように、教員免許更新制度は「生涯一教員」という生き方を否定し、教師も普通の公務員(あるいは会社員)のように、「上を見て出世を目指す行き方をしなくてはならない」という刷り込みがこの免許更新制度の本質と言うべきだろう。こんな制度があって、教員はやる気が出るのだろうか。というと、実際に「教員の大量退職」が起こっているようである。そのことを次回に書きたい。つまり、「教員免許更新制度は所期の目的を達成しつつある」と言っていいのではないかと思う。

 ところで別件だけど、都教委の処分発表を見ていて、非常に不思議なことがある。「職名」が発表されるが、校長、主幹教諭、主任教諭などであるが、それらになっていない場合は「教員」とあるのである。僕はまず教師は「教諭」に発令されるものだと認識しているのだが、東京都では「教諭」という職はなくなってしまったのだろうか。主幹や主任になる以前は「教員」と呼ばれることになったのだろうか。「職名」に「教員」とある以上、そう解釈せざるを得ないのだが。
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昨年度の教員免許更新制の結果

2013年09月26日 22時03分08秒 |  〃 (教員免許更新制)
 インターネットのニュースサイトを見ていて、産経新聞の9月24日付に今年(昨年度)の教員免許更新制の結果に関する記事を見た。ところが、それを裏付ける文科省の発表が見つからない。他の新聞でも見当たらない。とりあえず貴重なデータだから紹介しておく。教員免許更新制については、実施初年度(2010年度)が終わった2011年には、文科相のサイトでかなり早くまとめの数字が公開された。昨年(2012年)はなかなか発表されなかったので、ここでは紹介していない。(もっとも初年度の数字はかなりわかりづらく信用性が疑わしい部分もあった。)

 さて、産経の記事によれば、3月末に更新期限を迎えたのは全部で9万5919人。講習を受けて更新が認められたのが7万6734人だという。管理職などで講習が免除されたのは1万3026人、病欠などで期限延期が認められたのは5719人だった。以上を計算すると、「それ以外」が440人いることになる。
 
 その内訳は判らないが、「免許を失効したのは0.1%に当たる99人」だと「24日、文部科学省の調査で分かった」と新聞記事(というかネット上の記事)にはある。更新講習を受けずに退職すれば、この数字には含まれないはずだから、この「99人」というのは、「免許を更新するつもりだったけど、失効してしまった」という人のはずだ。その理由がどこにあるかは不明だが、10年、20年、30年と教員を続けていた人ばかりなんだから、「99人」というのは多いのではないか。

 その99人のその後は、
 「更新講習修了の確認手続きを忘れるなどして期限後に免許を取得し直したのが29人」
 「事務職など免許が不要な職種に移ったのが37人」
 「退職したのが33人」
    
 国公私立別の内訳は、公立33人、私立64人、国立2人。
 都道府県別では、東京が30人で最も多く、兵庫が10人、茨城と埼玉がそれぞれ6人。
 東京にそれほどいたのか。公立で「失効」すると「失職」してホームページで発表されるので、これは私立学校かも知れない。それは「事務職など免許が不要な職種に移った」という人が37人もいることでも想像できる。公務員の場合、採用試験に必要な資格が失効すると公務員の資格も失うという最高裁判例がある。一方、私立学校の場合は、学校法人の職員だから、その学校法人が(教員以外の職種で)雇用を継続することは可能である。だから、つまりそれでいいのである。公立学校だって。校長に民間人を登用するとか、塾と提携して学力向上を図るとか言ってる時代に、教員の免許が事務的に失効したからどうだこうだなどと問題視する必要があるか。また日本全国、設置者別を問わず、(校種は判らないが)、どこでも起こっている。国立学校でも失効者がいるというのには驚く。

 これほど失効者が毎年出ているというのに、制度を見直すという動きはあるのか。文科省のサイトには、「平成25年度免許更新制高度化のための調査研究事業について」なる発表がある。「高度化」の意味がよく判らないが、とにかく大学等になんらかの「調査研究」を依頼している。しかし、「高度化」することが目標だろうか。教員研修が時代にあったものになるためには、「免許更新制」そのものの再検討が必要なのではないか。しかし安倍政権になり、それは不可能かと諦めているというのが現状ではないか。
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東京都の「採用取り消し」問題

2013年04月27日 00時43分31秒 |  〃 (教員免許更新制)
 時間が経ってしまったけれど、東京で4月15日付で公表された、「東京都公立学校教員の採用取消しについて」と言う問題を考えておきたい。何度も書いたことだけれど、教員免許更新制と言う制度は、更新講習を受け、講習開設者より終了認定を受け、教育委員会に更新を申請し、認められるということをしないと、10年間で教員免許そのものが失効する。(もちろん病気休職等の場合など、延期することも可能だが、それも事前の申請が必要である。)教育公務員は教員免許があることが公務員の条件であるという解釈を文科省が取っている(古い最高裁判例がある)ので、教員免許が失効すると失職することになる。現実にそうした事例は起こった。そのことはこのブログで何回も書き、いかに意味のない愚劣な制度であるかをその都度書いてきた。

 だから、手続きのミスなどで免許失効、失職になるということは、それが一体何の意味があるのかは疑問だけど、制度そのものの中に想定されていた事態である。しかし、教員免許更新制に関わって「採用取り消し」が起こりうるということは、今まで指摘されてこなかったのではないか。考えてみれば、多くの自治体で教員採用試験の受験を35歳以上にも認めているわけだから、受験、合格時点では教員免許が有効だったのに、採用時点で失効しているということもあるはずである。でも、僕はそういう事態を想定しなかった。30歳を過ぎて教員に採用される人もいることは知っているが、おおよそそういう人の場合も、ぞれまでずっと一般企業に勤めていて突然教員採用試験を受けるのではなく、大体は非常勤講師や産休代替教員などをしてきたという人が多いと思うからである。何らかのかたちで学校に関わっていれば、教員免許を更新しなければいけないことは伝わるはずだ。(正教員ではなく、非正規の非常勤講師や臨時教員であっても、免許を更新しなければ失職する)

 実際に起こったことをホームページで確認したい。4月15日付で、以下の4人の採用が1日にさかのぼって取り消しになったと発表された。
(1) 区立小学校教諭 36歳 女
(2) 区立中学校教諭(期限付任用教員) 35歳 女
(3) 都立高等学校教諭 46歳 男
(4) 都立特別支援学校教諭 35歳 女

 どうしてこういう事態が起こったかは僕にはよく理解できない。つまり、教員採用試験というのは、免許を持っている人だけでなく、免許取得見込みの大学生も受験できる。現役ですぐ合格するというのは、(小学校を除けば)、今はあまりないかもしれないが。その場合、合格して採用されたものの、①卒業に必要な単位を落として卒業できなかった ②卒業に必要な単位は取得して卒業はできたが、教員免許取得に必要な教職課程の単位を落として教員免許は取得できなかったという場合がありうる。現にそういう例が時々起こっているのは、知っている人も多いだろう。だから採用を決めた各学校は、3月になって免許を確認するはずである。多分歳のいった合格者のことは、当然免許は持っているものと思って疑わなかったんだろうけど。

 ところで、上記の③の人は46歳である。35は判るとして、46と言う新規採用はありうるのか。そこで東京都の平成25年度東京都公立学校教員採用候補者選考実施要綱を見てみる。一般選考は、条件が「昭和48年4月2日以降に出生し…」となっている。2012年度実施の試験で、1973年生まれまで受けられるわけだから、「39歳まで可能」ということになる。自分の時代に比べてずいぶん高齢まで可能となっている。

 しかも、それに加えて「特例選考」があるのである。東京で非常勤講師などを経験したもの、東京以外の国公立学校の教員を3年以上経験したものなどについては、なんと「昭和28年4月2日以降に出生し…」という資格になっている。ほんとか。60歳定年だっていうのに、59歳まで受験できるのか。この「特例選考」のなかに「社会人経験者」と言う項目もある。民間企業や官公庁勤務経験者は、免許があれば59歳まで受けられたのである。(なお、当然のことだが、今年実施の試験では昭和29年4月2日以降となっている。インターネットで5月9日まで願書を受け付けている。)なお、今年の試験を僕自身も受験可能である。免許更新講習を受けさえすればだが。(「過去に、東京都公立学校の正規任用教員として、受験する校種等・教科(科目等)で3年以上の勤務経験があり、平成25年3月31日現在、東京都公立学校の正規任用教員として在職していない者(平成25年3月31日付けの退職者は該当しません。)」と言う項目に該当する。)

 いやあ、ビックリした。こういう特例選考があったとは。これでは「46歳」があっても、何の不思議もない。昔の教員、他県の教員かもしれないが、社会人枠で受けた人で、今まで民間企業等で活躍してきたという可能性もある。「ペーパー・ティーチャー」になった人は一杯いるものである。採用試験が高倍率だったり、給与水準が低いのを嫌ったり、合格発表が遅く民間企業に先に決まったり、福祉や学芸員の資格も取っていてそちらが第一希望だったりと言った様々な理由がある。でも自分の子どもが学校に通う時期になって、特に高校の英語、情報、商業、工業などの教科では、民間で活躍したスキルがすぐに生かせる場合も多いから、あらためて教師を希望すると言う人もいるだろう。

 ところで、教員免許更新制は何のために作られたか。文科省がタテマエで言うことを引用すれば以下の理由になる。「教員免許更新制は、その時々で教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。」「定期的に最新の知識技能を身に付ける」というのは、明らかにすでに教員になっていることを想定して言っている。その目的自体がおかしいが、それはさておき、このようにすでに教員となっているものが、「自信と誇り」を持つために「最新の知識技能」を身に付けよ(何でもいいからどこかの大学で30時間の講義を聞くことで)と言う制度である。
 
 一方、ペーパーティーチャ―はどうすればいいのか。文科省のサイトの「現在教員として勤務していない教員免許状所持者の方々へ」にはこうある。
問1.現在、教員免許状を持っていますが教職には就いていません。平成21年4月から教員免許更新制が実施された場合、教員免許状はどのようになるのでしょうか。
答1.
 既に教員免許状を持っている方(平成21年3月31日までに教員免許状を授与された方)で教職に就かれていない場合には、平成21年4月に教員免許更新制が実施された以後も、免許状更新講習を受講・修了しなくても免許状は失効しません

 ペーパーティーチャーは受けなくても失効しないのである。もちろん教員に就くときには年齢が来ていたら講習が必要と他の項目で書いてある。でも採用試験時に失効していないんだから、もし採用されたらその時に、または次の45歳や55歳の時に講習を受ければいいんだと思っても、何の不思議もない。試験に合格しても、実際に学校に採用されるかどうかは判らない。実際に採用されるかどうかわからないのに、どうして教員免許更新講習を受けなければいけないのか。

 これらの人がどういう経歴の人かは知らない。でも「採用」とある以上は、仮に他の学校で経験があったとしても、少なくとも東京では初の教員体験である。初任者である以上、これらの教員にまず必要なのは「初任者研修」のはずである。初任者研修がある人が、同時に免許更新講習を受ける必要があるのか。更新講習は、すでに10年、20年と教員を長くやってる人を対象にしているはずである。

 今回の事例ほど、教員免許更新制というものの馬鹿げた性格を浮き彫りにした事例はないだろう。教員に採用されてこれから頑張ろうと言う人が、免許そのものが失効してるから採用取り消しというのは、全く意味がない制度である。正教員としては一度も使わなかった免許が、ようやく生かせるという時に失効していたというのは、全く制度設計がおかしい。もしこの更新制が必要だと言うなら、採用された年に受ければいいと言う特例を設ける必要がある。もともと意味不明の、教師と言う職業をバカにするだけの制度だけど、さすがにここまでのケースが起こるとは、僕も考えが及ばなかった。改めて全く意味がない制度だという思意を強くする次第である。
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免許更新制は「違憲」ではないのか-教員免許更新制再論③

2012年10月12日 22時53分13秒 |  〃 (教員免許更新制)
 法的な問題点を指摘して、この問題の再論を終わることにする。この免許更新制度で失職すると言う事例が相次いだわけだが、それを止める手立てがない。それがどうにも納得できない。勤務状況に問題があったというわけではない。むしろ「優秀な教員」であると報道されている。単なる手続きミスである。それで「失職」するのか。退職ではないので、退職金も出ないという解釈さえ行われている。労働法的な見方からは、考えられない。あってはならない事態である。救済策が何もないのだとしたら、制度そのものが憲法違反ではないのか

 この「失職」規定もそうだが、教員免許のみが10年期限とされている点管理職や一部教員にのみ「免除」される点、どちらも「法の下の平等」に反するのではないか。その問題については、昨年いっぱい書いているので、ここでは再論しない。

 でも一応繰り返しになるが、以下のことは確認しておきたい。これが民間企業だったら、「手続きミスのみで退職させられる」ということは確実に司法で救済される。公務員であっても、何か問題行動があって「懲戒免職」になったのなら、それが重すぎるということで裁判できて、免職処分が取り消しになる判決もいろいろ出ている。「懲戒免職」の方がむしろ裁判しやすいのである。また、民間企業だったら「身分保障の仮処分申請」もできるし、認められるのではないか。ところが、行政の行う「処分」などは、「行政事件訴訟法」の規定により、仮処分はできないのである。
 第四十四条  行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については、民事保全法 (平成元年法律第九十一号)に規定する仮処分をすることができない

 ところで、この「失職」は処分でさえないので、「処分取り消し訴訟」もできない。裁判所に身分保障を求めたり、取り消し訴訟を起こすことも難しいのである。(もちろん、この法律そのものが「憲法違反である」という裁判はできるが…。)

 ところで、何で免許がなくなると「失職」するのだろうか?つまり、「教員免許」がなければ確かに授業はできないことになっている。でも、教員は公務員であって、公務員には教育以外の職員がいっぱいいる。たとえば、事務の仕事に回るとか、公立の体育館や博物館などで働くということはできないのだろうか。これに関しては、争った裁判が昔あって、最高裁で「免許=公務員の地位」という判例が確立されている。教員は「教員採用試験」に合格して採用されたわけだが、その採用試験が受けられる条件は、教員免許があるか、来春卒業とともに取得見込みであることである。このように採用試験の受験条件が免許を有することだったので、その免許が失効すれば受けたときの条件が違ってしまうわけで、だから公務員であるという地位も失うというリクツである。

 だが、この昔の判例も今では古いのではないだろうか。そのときとは教育を取り巻く環境も大きく変わった。大体、最高責任者である校長自身が、教員免許がいらないことになった。教員の仕事も授業はもちろんだが、いじめ問題などを見れば、生活指導、進路指導などの比重が大きくなっている。更新講習に合格したかとか、ましてや手続きをしたとかではなく、長年勤務して経験してきた積み重ねこそが重要なのである。そういう経験を生かすため、定年退職した教員も含め、「いじめ相談員」「進路相談員」「部活指導員」など、授業やクラス担任には当たらない経験者の活用が望まれているのではないか。手続きミスや講習未修などの場合は、そのような「免許を必要としないポスト」を作り、一時的に任命するという形は取れないか。その後、免許が復活すれば、教師に戻る選択ができる。ただ、僕が言いたいのは、そのような「第三者的相談員」を地域住民など免許のない人、退職後の教員などを含めて、創設して欲しいということだ。そっちが先で、そういう職があれば、うっかりミスがあれば一時的にそちらで救済できる可能性ができるのではないかということである。

 過去の判例にとらわれず、新しい発想で救済策を考えて欲しいと思う。もちろん「廃止」が一番望ましいわけだが。また「免除」条件を拡充して、35歳はともかく、45歳、55歳は実質免除する方向も考えられる。というか、教員人生に3回もあるのかと思うだけで、若い人は教員になる意欲が失せるだろう。仮にこの制度を残すとしても、40歳と50歳の2回になるなら、まだだいぶ気持ちが軽くなるだろう。新規採用後の研修があまりにも多い現状では、35歳で一回目の更新というのは早すぎる。現役で大学に入学し、卒業とともに採用されるなどと言う教員は、今はまずいない。20代半ばで採用され、新採から数年間研修漬け、次の学校に異動したら、もう更新時期が間近、では何のための教師なんだろうか。生徒と関わるより行政と関わるだけで10年間が過ぎてしまう。で、バカバカしい講習が嫌だから、早く管理職を目指したりすれば、まあそういう教員を行政は望ましいと思っているのだろうけど、生徒には不幸な出来事である。
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なぜ更新制は廃止されないのか?-教員免許更新制再論②

2012年10月11日 21時39分44秒 |  〃 (教員免許更新制)
 昨日に続いて、教員免許更新制について。岩波書店の雑誌「世界」11月号に、池田賢市、大森直樹両氏の「なぜ教員免許更新制は廃止されないのか」という論文が掲載されている。中央大の池田さん、東京学芸大の大森さんとは去年一緒に文科省で記者会見を行った。教員免許更新制について、はっきり発言している教育学者である。(ちなみに僕の名前が出てた。)

 この論文の中で、中教審特別部会での藤原和博氏(臨時委員)が「免許更新制はやめるとはっきり書くべきだ」と発言していることが紹介されている。(恐らくそれは「専門免許制への発展・進化」で、形式的な廃止という意味だろうと論文では指摘されているが。)ホームページで確認すると、「教員の資質能力向上 特別部会(第11回)議事録」で確認できる。
 
 一方、10月4日付朝日新聞では「修士はいい先生の条件か」という特集記事を掲載し、陰山英男氏と鈴木寛氏の意見が掲載されている。この中で陰山氏(大阪府教育委員長)は「更新制の悪影響」という見出しの下で以下のように語っている。「あまり知られていないことですが、教員免許更新制のせいで、教師という仕事は、若者にとって魅力が薄れたように思います。私は多くの学生に『教師は面白くて、やりがいのある仕事だよ」と勧めていますが、『途中で免許がなくなるかもしれないような仕事はちょっと』と言って、あまり反応がよくありません。免許更新制をそのままにして、修士レベル化を進めれば、優秀でやる気のある学生はますます教師の仕事を敬遠するように思えるのです。」

 陰山氏は大阪府教育委員長(2008.10~教育委員)、藤原氏は大阪府教育委員会特別顧問(2008.6~)である。「百ます計算」の陰山氏、「よのなか科」の藤原氏、この10年間でももっとも有名な教育関係者に入るだろうが、いずれも2008年1月に大阪府知事に当選した橋下徹氏の協力者である。このように大阪府の教育行政に親和的な両氏でも、教育現場に関心を持っている限り、「教員免許更新制は廃止した方がいい」と思うような制度なのだということがよく判る。

 よく教員免許更新制について「現場の負担」ということが言われる。それは確かで、時間的、金銭的な負担は決して軽くはない。しかし、本質は負担問題ではない。「頭上に垂れ込める暗雲」である。いや、普通に勤務していれば「失効」したりはしないように作られてはいる。しかし、それならそれで、また疑問が募る。普通に勤めていて講習に合格すれば、免許が更新されるというなら、この「更新制度って何?」。とにかく、大学で何十時間も勉強して単位を取得したというのに、その結果として取った教員免許が10年しか有効ではない。10年ごとに「更新」しなければならない。その更新講習そのもの以前に、そういう有期の仕事になってしまったという納得の行かない屈辱感のようなもの。多分、期限が来たら自分はどうなるのだろうと思っている派遣社員、有期雇用の労働者、教育現場にも今はとても多い臨時の職員は、大体そうなんだろうけど、言うに言われぬ「頭上の暗雲」である。

 さらにこれを逃れるすべがある。主幹になり、さらに管理職になるという道である。35歳は仕方ないけど、45歳、55歳は管理職になっていれば「免除」される。そこで自分の教員人生を見通して、今まで以上に自問自答せざるを得ない。授業や部活動に力を入れたりせずに、管理職を目指すべきなのかと。恐らく今まで以上に、適任ではない「講習逃れ」の主幹、管理職が増大していくのだろう。(前に書いたことだが、ここに再度書いておく。「免除」は可能であるというだけで、管理職だったら「免除を申請しなければならない」とされているわけではない。従って、現場教員とともに学校作りを進めていこうと思っている管理職、主幹教諭は、免除申請をせずに自分でも更新講習を受けるべきである。そうしなければ、僕には教育者として認められない。)

 誰にとっても意味がないと思えるわけだが、それは「教育をよくする」という目標を共有している場合である。陰山氏が報告するような学生の事例は、当然学生は「途中で免許がなくなるような仕事は…」と思うに決まっているんだから、もちろん事前に予想していたはずである。だから、そのような事態は「予期に反して」起こっているのではなく、そのような事態を目標にしていたのだと僕は思う。つまり教育には国家として投資しないということである。それは小泉政権、安倍政権で起こった出来事である。

 それに対して、「子ども手当」「高校授業料無償化」を掲げた民主党政権は、当初「教員免許制度の抜本的改正」を掲げていた。それは「大学院義務化」も含む、実現の難しい問題が含まれていたと思うが、更新制度はとりあえず実質的にはなくなるのではないかという期待が現場にはあった。それが実現できなかったのは、一つには確かに「ねじれ国会」があるだろう。教育に限らず、選挙制度改正のような党派を超えて協議しなければならない問題でも、まったく「決められない政治」状態になってしまっている。
 
 もう一つが「更新講習ビジネス」が出来上がってしまったことである。池田・大森論文では「18億円」と試算されている。教師も今はバラバラに競争させられている現状なので、まとまって反対するのが難しい。自分が損しては困るので、何とか楽に講習を受けられないかというのが実情だろう。最初だけ実施して途中でなくなるのは自分が損、10年間はやって一巡して欲しいという声もある。教師がそういう風になってしまえば、「皆でいじめに対処する」など不可能である。つまり、そういう「学校の荒廃」こそが、更新制の結果であり、また目的でもあるということではないか。

 「荒廃が目的」などと言うと言い過ぎかと思うかもしれないが、中教審などでは私立大学、私立高校などの関係者が強い影響力を持っている。この間、株式会社の学校経営などがどんどん認められてきた。教員の大部分は公務員である。「公務員バッシング」と「公立学校はダメだキャンペーン」=「私立優位への誘導」が結びついて進んでいる。大阪では、私立高校の授業料も実質無償化(または10万円程度)を進めている。「私立高校生等に対する授業料支援について」を参照。他地域では案外知られていないだろう。政府の考えでは、公立だけ無償化すれば私立へ通う家庭だけ大変になる、だから同額程度を私立生徒にも援助するという仕組みになっている。しかし、大阪では私立も完全に無償に近くしたほうが、公私立で「競争原理」が働くということを考えたわけである。しかし、これはよく考えて見れば「不平等」である。私立高校は大学へ直結しているところも多い。またほとんどの私立高校で、公立校以前に推薦入学を実施している。タダなら早めに決まった方がいいから、中学生はどんどん私立へ行ってしまうようになっているということだ。公私立を「競争」させたければ、全高校同一日に学力試験を行うという条件にしなければおかしい。

 まあそれはともかく、公立学校に対するテコ入れも行われていないわけではないが、それらは大体「税金で私立学校を作る」というのに近い。中高一貫でエリート育成を図るというようなやり方である。更新制で教員のやる気をそぐとともに、公立学校を意識的に低いままにしておくという政策が進められているのではないかと僕は考えている。(更新制の法的問題を次に。)
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「失職」は「想定外」なのか?-教員免許更新制再論①

2012年10月10日 21時04分45秒 |  〃 (教員免許更新制)
 10月10日付朝日新聞の社会面トップに、「教員免許うっかり失効 更新講習受けたのに手続きせず」という大きな記事が掲載されている。記事そのものを載せておく。長い記事なので、上下に分かれてしまった。途中で重なる部分がある。
 

 東京都で失職が相次いだことは、このブログで随時報告してきた。今回の記事で、東京、大阪、千葉で私立の失効例があることがわかった。今回の東京の失職事例は、いずれも「申請がいるとの認識を持っていなかった」と書いてある。にわかに信じられない事態である。本人に認識がなくても、管理職が判っていれば申請を確認するはずなのだから。だから「管理職の責任」がかなり大きい。

 単に申請を忘れただけなのだから、失職した後に申請を済ませて、もう免許は復活して臨時教員などで再雇用されている。では、この「失職」という事態は一体何なのか。教師に対する嫌がらせなのか?そう、「教師という仕事」に対する嫌がらせなのである。他に考えられない。

 「申請を忘れて失効する『想定外』(文科省の担当者)の事態。関連法にも救済策はない。」この問題については、前にすでに書いたので繰り返しになるが、大事なことなので、もう一回書いておきたい。僕は「年度内に失職者が出ること」は確かに「想定外」だったろうと思う。しかし、「申請忘れで失職する」という仕組み自体は、そういう風にわざわざ作ってあるんだから「想定外」のはずがない。免許更新申請の期限は、1月31日である。なんで3月31日ではないのかというと、2月以後は新規大卒者に対する新免許交付の事務があるからである。と同時に、現職者の更新確認期間が必要だからだろう。現に第1回(2011年)は、熊本県で2月になってから更新をしていないということがわかり、退職か失職かを迫られている。そういう事態になったのは、熊本県教委に責任があるが、それはそれとして2月以後の確認作業の結果、「新年度が始まってからの失職」という事態は起こらなかったわけである。

 今年「想定外」だったのは、その確認作業をさぼっていたふざけた教育委員会があったということである。もっとも東京都は大学が多いから新規免許交付者が多く、事務が相当大変なことは考えられる。しかし、更新制では免許の確認は、都道府県教委の責任で行うしかない。それを怠っていた責任は大きい
 
 ところで、今回の記事でも「免許期限だった前年度末にさかのぼって失職した」と書かれている。しかし、(これも前に書いたことだが)、3月31日には免許が有効である。3.31に失職するいわれはない。4月1日になると、確かに申請していないと失効する。だから「4月1日付で失職」なら理解できるのだが、「3月31日にさかのぼっての失職」は法的におかしいのではないか

 また、免許失効が明らかになるまでは普通に勤務していたのに、突然「3月31日付にさかのぼって失職」ということがありうるのか。それができるのなら、「1月31日にさかのぼって、免許更新申請を受け付ける」ことにすればいいのではないか。これは夏に文科省に直接ただす機会があり、検討するということだったがどうなんだろうか。

 もちろん、この更新制そのものがいらない。また、更新講習を受けた後に申請しないと更新されないというあまりにも面倒で、教育のジャマとしか思えない仕組みもいらない。でも、たぶんなくならない。この記事でも「予防策」とか言っていて、仕組みを変えるとは言ってない。何でだろうか?それはこの更新制度が、「教員免許は私的な資格である」ということを徹底させる目的があるからだと思われる。「教育は私的なサービス」であり、「公教育を破壊していく」という大きな目的の一環として、「教員免許を有期制にして、教師の権威を落とす」ということなのだろうと思う。

 「教師という仕事」の魅力をなくし、公教育をダメにしていくというプログラムは、すでにかなり成功を収めている。全国学力テストに対する教員の抵抗はほとんどできないし、いじめ事件が起これば教師が悪いというキャンペーンが行われる。当然教師になりたい人は少なくなるだろう。今回のいじめ問題では、もう教師がダメなのは放っておいて、「教育委員会制度そのものを解体せよ」というキャンペーンが行われている。それは教育委員の公選制度を復活させ住民参加を進めようというような方向ではなく、選挙で当選した政治家が好きなように教育制度を変えられるようにする、という意味らしい。まあ、そういう大きな問題、あるいはなぜ更新制度はなくせないのかなどは、明日以後に。
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更新制、文科省交渉の報告

2012年08月10日 22時21分33秒 |  〃 (教員免許更新制)
 第3回「日の丸・君が代」裁判全国学習・交流集会で行われた文部科学省交渉に行って来ました。様々な課題に関して交渉しましたが、僕は特に「教員免許更新制」に関する事項を取り上げると言うので参加した次第です。

 事前に質問項目を提出していました。大項目を書いておくと、以下のようになります。
1.日の丸・君が代問題
2.大阪府・市条例関係
3.国際人権関係
4.教科書関係
5.教員免許更新制関係

 文部省関係者は若手官僚ばかりで、デジカメを持って行ったんだけど写真を撮るまでもないかなと思いました。最初、1や2は主に地方で起こっている問題を取り上げたこともあり、文科省と教育委員会の法的な権限問題のような答弁が多く、かみ合わないというか、論点がずれているというか、問題意識の差というべきか、答えになってないような感じでした。まあ、東京都の「10.23通達」や大阪の教育関係の各条例に「問題意識」を持っていては文科省官僚をやっていられないかもしれませんが。

 教員免許更新制に関しては、質問事項は資料として最後に載せますが、大きく言うと「被害救済問題」と「今後の制度設計問題」。今後の制度設計は中教審でも課題とされているところで、「10年研修」と「更新制」の二重負担問題などを問題として取り上げておきました。その課題は文科省として認識しているのは確認できました。

 問題は「被害」。熊本で昨年度1名、東京で今年度4名の失職者が出ていることは、各教育委員会より報告を受けて承知しているとのことでした。失職という事態になることは、答弁者も公務員なので重大性は理解していると言ってました。防止策、救済策はできることがあるか検討しているとのことを言ってました。(僕は今後の制度設計はともかく、東京の失職者の「救済」が今は一番重要だと思っています。本人だけではなく、都教委や国にも責任があるのは明白だと思っているので。)

 「3月31日に遡って失職」は法的に有効かという質問には、最初は有効と言ってましたが、「3.31には免許が有効なはずで、4月にならなければ失職しないはずではないか。3.31日付で失職と言う辞令は法的には無効なのではないか」と再質問したところ、「検討させてほしい」とのこと。さらに「3.31に遡ることができるなら、1.31に遡って更新申請を受理することも可能なのではないか」との追加質問にも「検討させて欲しい」とのことでした

 その後、各県からの参加者から、更新制そのものの意義についてなど質問が相次ぎ、ある程度「更新制が教師の資質向上に役立っていない現状」を伝える機会になったのではないかと思っています。時間のない中で「更新制そのものの持つ非教育的問題」はあまり触れることはできませんでしたが、少なくとも「失職を防げなかった制度上の欠陥」があるという問題意識は伝えられたと思います。

 なお今回は敢えて触れませんでしたが、私立学校や管理職教員などに「全員調査」を文科省が行ったら、大変な実態がもっと明らかになると思っています。ただ教育現場を混乱させるのは本意ではないので、やれとは言いませんが。ただ公立学校の教員のみ細かく調査され失職につながったのは納得できない感じを持っています。以上、簡単な報告。

 教員免許更新制の関する事前質問は以下の通り。

(1)被害実態と救済について
①教員免許更新制の実施以後、熊本県や東京都で「失職者」が出るなどの事態が生じていることを把握しているか?特に、東京都では実施2年目が終わった今年度途中で正規教員だけで4人(講師等を含めると7人)もの「失職者」が出ていることをどう考えるか?
②更新講習は終了しているものの更新手続きをしていないというだけで免許が失効し、失職につながるという現行制度は、あまりにも不利益が大きいと思うが、救済措置を考えるべきではないか?
③救済措置がない現状は、制度の欠陥というべき状態ではないか。再発防止策および今後の制度改正の方向性を示してほしい。
④年度途中で失職者が出た場合、東京都では「3月31日に遡って失職」という措置を取っているが、法的に問題はないか。その場合、本来は免許が失効していた教員が教えていた期間の学習活動はそのまま認められるのか?

(2)「10年研修」との関連性について
①2002年の教育公務員特例法改正により、いわゆる「10年研修」が制度化された。更新制導入後も「10年研修」は残されたため、若手教員には二重の負担になっている。これは現場の多忙化をもたらす要因の一つだと考えないか?
②今後も更新制が続行されるなら、「10年研修」を廃止または凍結する考えはないか?

(3)これからの免許制度の見直しについて
①教員免許制度の全面的再検討は、中教審の「教員の資質能力向上特別部会」のまとめも発表されたが、文科省として今後どのようにすすめる見通しを持っているか?
②教員免許制度の今後の在り方については、大学における教員養成のみならず学校現場にも大きく影響するものと思うが、教員の声を聞き生かしていく考えはあるか?
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東京で、またまた「失職者」2人!

2012年07月23日 21時08分58秒 |  〃 (教員免許更新制)
 7月23日付で、東京でまたも、更新制による失職者が。夏休みの初日に。

 (1) 公立小学校教員(区部) 教諭 36歳 男
 (2) 公立中学校教員(区部) 教諭 55歳 男 の二人である。

 いずれも、更新講習は修了していながら更新手続きを行っていなかったというケースである。
 これで全教員調査を終えたと都教委のサイトには出ている。
 なお、賛育休代替教師、非常勤講師、管理職、私立学校教員の調査を行ったという趣旨ではないので、今後講師で失職する人が出る可能性はある。管理職と私立はやる気がないと思うけど、やり始めると特に私立は大変なことになるのではないかと思う。

 また今度も「3月31日に遡っての失職」であるが、毎回書くように、3月31日には免許が有効なので失職通知は出せないはずだ。相変わらず、この制度そのものへの批判はどこにもない。

 朝日新聞に、本当に不運なケースで「酒気帯び」運転をしたとされ「懲戒免職」になった教員の話が出ていた。「酒気帯び」は「飲酒運転」ではないので、人身事故、物損事故がないときの「一発解雇」は過酷に過ぎると思う。現に何件も裁判で免職取り消しの判決が出ている。しかし、そういうケースは「処分」なので、処分が重すぎると言うことなら、人事委員会に提訴したり、処分取り消しの行政訴訟を起こせる。

 朝日の記事には「日本で一番不運な教師」と表現されているが、そういう意味では「日本で一番不運な教師」は、更新講習を済ませていながら、手続きをしてないということで今ごろ失職させられる教員ではないだろうか。なぜなら、処分ではなく、法的効力が及んだだけなので、処分取り消し訴訟がしにくいと言うことがあるからだ。もちろん、今ごろまで調査をしなかった都教委の不手際を裁判で問うことはできる。また、更新制そのもの、あるいは手続きなしで失職する仕組みを、そもそも憲法違反であると訴えることはできる。しかし、それもこれも都教委が勝手にしていると言うよりも、国権の最高機関である国会で立法された仕組みなので、国会の裁量権の範囲内とされてしまう可能性が、今の裁判所ではかなり強いと思う。

 しかし、マジメに働いていて、更新講習も終えているのに、失職する仕組みそのものがおかしくないとすれば、一体何がおかしいのか。本当は弁護士会が一丸となって違憲訴訟をおこすような問題だと思う。
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何のために?-東京で、また「失職者」問題③

2012年07月13日 23時09分46秒 |  〃 (教員免許更新制)
 大津市の「いじめ」問題をテレビや新聞で見て、学校や教育委員会の対応に納得できない人が多いだろう。この問題はいずれまとめて書きたいと思うけれど、「教育委員会制度はいらない」という「維新の会」政策に賛同したくなる人も多いんではないかと思う。

 ところで、学校の教員の一番大切な仕事は何だろうか?「児童・生徒のいのちを守ること」だろうか?「授業を工夫して、学力を向上させること」だろうか?「子どものいのちを守ることが第一なのは当たり前ではないか」と思われるかもしれないが、実はどちらも違う。少なくとも、東京の初任者研修においては。教員にとってもっとも大切なことは、「公務員として上司に従って仕事をすること」なのだと教えているという話である。大阪では条例まで作っている。

 だから、「いじめ防止に努めていない」「いじめ解明に熱心でない」と学校の教員に不信を持つのは、本来はおかしいわけである。教育委員会や学校長の姿勢こそが問われなければならない。

 教員免許更新制について考えていて思うことは、教師は何を考えて仕事をすべきなのかということだ。「手続きミスだけで失職する」んだから、一番大事なことは、「教育行政が求める手続きなどをきちんと期限までに行うこと」である。間違っても「生徒第一」とか思い込んではいけない。たったそれだけのことで失職するんだから、10年に一度の更新制だけではなく、他の問題でも手続きを厳守するということが大事だと思わせる「波及効果」が期待できる。自己申告書は期限厳守で提出しておかないとまずいし、君が代では起立して斉唱しないなんて考えてもいけない。更新制の一つの「効用」(教育行政側にとって)は、そこ(行政の定めにきちんと従わないと大変なことになると見せしめにする)にあるのは明白であると思う。

 しかし、それでけでもないだろう。簡単に言えば「教師への嫌がらせ」が目的なんだろうと前から思っているけど、それでも年度途中でこれだけ失職する人が出るとは思わなかった。これはすべて、講習を終了した後に「更新手続き」があるという二度手間に問題がある。そこだけでもなんとかならないかと思う人は多いだろう。でも、たぶんダメ。なぜなら、「教員免許は、自動車免許と同じ」にするのが目的なのだから。自動車免許を持っている教員が、更新するときは当然休暇を取っていく。(か、土日を利用する。)「私的資格」なんだから当然である。同じように、教員免許というのも「私的資格」なんだということになったので、自分で更新手続きをしないといけないわけである

 だけど、現に公立学校で問題なく教えていた先生が、年度途中で失職する。これは「私的な問題」なのか。では、公立学校の教育行為は、「私的な資格」を持つ教師が行っている私的なサービスなのか。いや、その通り。「公教育」は解体して、教員は公務員ではなくし、私的な資格を持つ専門員が私的な経済行為として生徒を指導する。塾や予備校と同じ仕組みにして、世界との競争に勝ち抜けるリーダー育成に特化する。つまり、そういう方向性を持った「教育改革」を目指していくためには、「教員免許」というものの公的性格をはく奪しておくことが何よりも重要なことだったのだろう

 僕の見立てでは、だから「教員免許更新制」は新自由主義的な公教育破壊政策に整合的な制度なのではないかと思う。それに対して、「教育は次代の民主国家の担い手を育てる、社会にとって重大な仕事」だという教育の原点を皆で確認することがまず必要なのではないか。学力やスポーツも大切だが、「いじめ」に象徴される「人権を尊重しない社会」の中で苦しむ生徒を支援することこそが、教師にとってもっとも大切なはずである。教師はそういう重大な仕事をしているという誇りを持って仕事している。そういう人が今でも多いはずである。「上司に従うことが教師の仕事」だなんて、そんな腑抜けたことを本気で思ってるバカものはさすがにごく少数であると思う。そういう大多数の教師を支援するためにも、免許そのものが失効するなどという、社会の「教員いじめ」もなんとかして欲しいと思う。
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東京で、また「失職者」問題②-これは違憲ではないのか

2012年07月12日 20時56分20秒 |  〃 (教員免許更新制)
 教員免許更新制そのものはちょっとおき、東京で起きている年度途中の失職問題。ケアレスミスで失職するような制度設計になっているんだから、当初からこういうことが起こることは「想定内」だったはずである。つまり、作った側にとっては。なんでそういう制度につくってあるのだろうか。そのことは、次回詳しく考えたいと思う。ところで、しかし制度を作った時には、このように年度途中でパラパラと失職することは、さすがに想定してはいなかったと僕は思っている。1月末までに各人各校で確認するだろうし、都道府県教委で年度内に確認するだろうから、「4月から失職はありうる」ということを想定したのだろうと思う。それだって大問題だけど、とりあえず新年度の学校は、免許更新が確認された教員(と更新時期に当たっていない教員)でスタートできる。

 それが年度途中で失職すると言うのは、①で書いたように「都教委の責任」である。責任というより、「怠慢」で「職務懈怠」である。「懈怠」は「けたい」と普通は読むが、「かいたい」と読んで、法律用語で「法律において実施すべき行為を行わずに放置すること」である。年度内に確認せずに、今回のホームページ発表を見る限り、7月3日に初めて確認している。本人が都教委に確認してしまったために。ところが「7月6日付」で失職したのではなく、「3月31日付で失職」になっている。これは前に書いたけれど、「3月31日には、まだ免許が有効なので、失職はしない」はずである。そのまま4月1日を迎えて初めて失職するはずなので、日付がおかしい。

 それは前に書いたことだけど、そこで今回さらに考えていて、気付いたことがある。以下のことは初めて書くことである。「7月3日に気づいたのに、なんでさかのぼって失職辞令を出せるのだろうか」ということなんだけど、それができるんだったら「1月31日にさかのぼって、免許更新手続きを受け付ける」ことだって、できるのではないか。更新講習は終わっているので、単に手続きを忘れたケアレスミスである。さかのぼって、更新手続きを終えたことにすればいい。なぜ、それができないのか。どうなんだろうか?

 さて、普通に働いていて、突然失職するという、この更新制。その法律のはらんでいる「凶暴性」が東京でまざまざと目の当たりになった。ところが、どの新聞にも出ていない。(かどうか、全部は調べていないけれど。)東京新聞では、教員処分と教員採用試験の問題ミスは小さな記事になっているが、この失職問題は記事になっていない。マスコミ記者の人権意識が問われるのではないか。いくら法律で決まっているからと言って、自分の身に置き換えてみれば「こんなことが起こっていいのか?」と強く思わないか。それは教育学界や教員組合などにも強く言いたいことである。ことのきっかけは、単なる事務手続きミスなんだから、それで事実上「懲戒免職」になるようなことか

 たまたま今回のケースが起こる前日に、都教委は教職員4名の処分を発表している。ちょっと紹介してみる。(紹介文の中身は文章を省略した。)
小学校主任教諭(39歳、男)
 都内の歩道において通行していた女性に対して、後方から右足で背中付近を蹴って転倒させるなどの暴行を加え、現金約千円等の入った肩掛けかばんを奪うとともに、同女性に頭部外傷等による加療約3日間の傷害を負わせた。

小学校教員(27歳、女)
 勤務校から自宅までの間において、特別支援学級児童12名分の児童名簿、特別支援学級児童4名分の個別の教育支援計画等の個人情報を保存した自己所有のUSBメモリを紛失し、個人情報を紛失した。また、個人情報の紛失について速やかに管理職に報告することを怠った。

中学校教員(52歳、男)
 勤務校バレーボール部の男子生徒が練習を無断で欠席したことについて指導した際、生徒に対して、殺すなどの不適切な発言を行う、手のひらで頬を押すようにたたく、左足の裏で右すね及び腹部をそれぞれ押すように1回蹴るなどの体罰を行い、鼻から出血させた。また、体罰について、速やかに管理職に報告することを怠った。

小学校事務主事(60歳、男)
 勤務校の事務室において、合計60日間、勤務時間中を含め約83時間30分にわたり、アダルト・サイトを含む業務に関係のないウェブ・サイトを閲覧した。

「失職教員」(中学校主任教諭、35歳、男)のことは前回引用したが、更新講習は修了していたが、期限までに更新手続きをすることを忘れていたことが、今月になって自分で心配になり都教委に問い合わせたわけである。

 さて、それぞれの教職員の「処分」は、どの程度だと思うだろうか。
①懲戒免職
②減給10分の1 1月
③減給10分の1 1月
④戒告
⑤失職

 更新手続きを(多分多忙で)していなかったということは、強盗するのと同じなのか。アダルトサイトを見ていて戒告なら、そこまでも行かない単なるケアレスミスだと僕は思うが。

 これが「憲法違反」でないならば、なにが「法の下の平等」なんだろうか。法律家の見解も聞きたいところである。
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東京で、また「失職者」問題①

2012年07月11日 21時50分55秒 |  〃 (教員免許更新制)
 7月6日付都教委のサイトに、「東京都公立中学校教員の失職について」という発表が掲載された。僕はこの事実に対し、もちろん起こった事実の重大性を訴えたいと思うけど、それ以外にもいろいろショックを覚えた。そのことから始めて、教育問題について何回か書きたいと思う。折しも再びみたび、「いじめ」が大きな問題となっている。一方、「大阪維新の会」が発表した「維新八策」には、全く理解しがたい「教員の非公務員化」などという文言が挿入されている。

 僕は6月上旬頃は毎日都教委のサイトで失職者が出ていないかをチェックしていた。東京で失職者が相次いでいることを知って、このブログにも「東京で「失職者」!」「都教委の責任」を書いた後のことである。しかし、しばらく見続けたけど、新しい失職者の情報がないので、東京都では今年度に教員免許更新制に関わる失職はもう起こらないものと判断していた。何故かというと、5月7日付の発表の中に、「再発防止策」という項目があって、「(1) 区市町村教育委員会及び都立学校長に対して、公立学校教員全員を対象として、有効な教員免許状を所有しているか、教員免許状の原本確認を求めるなど、5月中に総点検を実施」と出ていたからである。

 5月中に総点検を実施すれば、遅くとも6月初めには失職者の有無が判明するはずである。だから、要するに「総点検」なんてやってないのである。それはやってる校長はやってるだろうけど、多忙で取り組めない学校では「やったことにしている」ということなんだろう。そうじゃなければ、今頃失職者が出るわけがない。

 僕が不思議に思うのは、なんで都教委が自分で調査しないのかということである。講習に合格していても手続していないだけで失職するという仕組みの問題性はひとまず置き、失職の発令を何回もしてるんだから、都教委は「失職させなくてはならない」と思っているわけである。だとするならば、失職発令は早い方が「まだいい」だろう。その学校の生徒に取っても、教員自身に取っても。(今回の事例は35歳の教員だから、4月当初に判明していたら、来期の教員採用試験を受験して来年度からの職場復帰をめざすという可能性もあった。)教員の人事管理は都教委の管轄であり、教員免許の更新事務、免除事務も都教委の管轄である。自分のところで免許が更新されたかが判るんだから、普通は自分で調べるだろう。昨年度の熊本県の事例も、2月になって県教委から失職と言われたということだから、それは遅すぎるけれども、新年度になる前に県教委自身で確認作業があったわけである。全国で都道府県教委自身が確認作業をしてるのかと思ったら、都教委はしてないらしいのである。それは本当なんだろうか。

 今回の事例は、市部の35歳の中学教員(主任教諭)である。
 「3 事故発覚までの経緯」を引用してみると、
(1) 同主任教諭は、平成22年度及び平成23年度が教員免許更新の年度に該当していることを認識しており、平成23年8月、教員免許状更新講習を受講し、修了した。
(2) 同主任教諭は、教員免許有効期間の2か月前まで(平成24年1月31日)に教員免許状更新手続をしなければならなかったが、行わなかった。
(3) 平成24年7月3日、校長が今年度免許更新対象の教員に対して更新手続きの確認の話をしている中で、同主任教諭が免許状更新講習は修了しているが、教員免許状更新の手続をした記憶がなかったので心配になり、都教育委員会へ確認した。この際、教員免許状が失効していることが判明した。

 今回の事例、また今までの事例を見ると、「都教育委員会へ確認し」てしまったのが、「発覚」の直接要因である。要するに、確認しなければいいのである。都教委は更新手続きが終わっているかを自分でわかる。だからこそ、確認したところ手続きが済んでないことがわかり「失職」してしまったのである。でも都教委に確認さえしなければ判らなかったはずだということになる。それにしても、ここまで来てしまったんだから、夏休みまで「知らんぷり」してればいいのではないかと思うけど。

 また同じようなことを書くことになるが、
①教員免許更新制そのものが不要であると思うが、それはそれとして法律が出来ているとすれば、
②更新講習を受けて合格していれば、それでいいのではないかと思うが、合格後の更新手続きをしてないだけで失職していいのか。
③それでもそういう法律だから仕方ないとすれば、期限の1月末以前に、確認作業を徹底するべきだし、
④少なくとも新年度が始まる前に確認作業をしなければ、年度途中で先生が突然変わってしまうことになるので、生徒にとって問題が大きすぎることになってしまう。
⑤それでも新年度に入って失職事例が出てしまったとすれば、確認を早急に行うべきところ、5月中に点検が終わっているはずなのに、7月になって失職者が出てしまった。

 こういう事態を招いた東京都教育委員会の無責任ぶりは、突出しているというべきだ。都教委自身が1月には確認を行うべきなのに、今ごろ失職者が出ても自分の責任を明確にしていない。こんなに失職者が出て、それを防ぐことが都教委自身で容易に可能だったというのに何もしていない。生徒、保護者に対して、どういう説明をするのだろうか。

 誰にも勧められないが、もしかすると講習を受けないまましらばっくれていても判らないのかもしれない。講習も受けないと、普通は管理職にはわかるわけだが、更新せずに55歳で辞めて再雇用を受けても合格した人が現にいる。だから55で退職していい人はやってみてもいいかもしれない。この「失職」は二度と今年度は起きないことを望むが、そのためには都教委に確認したりしないことである

 時間講師や再雇用ではなく、正規の教員が失職したのは、中学校の2人である。どちらも市部の主任教諭。これは中学の現場が他の校種にも増して多忙であることが背景にあると思う。僕も20年ちょっと前は中学教員だったわけだけど、高校に比べて規模が小さく、地域に密着し、人員も少ないので明らかに忙しい。その後、自己申告書とか学校選択制とか、もう対応不能なほど忙しいのではないか。講習に合格していることは大学から都教委に報告があるはずである。現場では、休暇を取って平日の都教委開庁時間内に手続きに行くヒマなんかなかなかないと思う。なんでこのような「突然の失職」措置を取るのか。人間の行うべきこととは思えない。(まあ昔から都教委は人間の住むところではないと思っているが。)

 あまり多忙な上、とんでもない研修や面倒くさい調査が山のように押し寄せる。だから東京に限らないと思うけど、「やったことにしておく」ということになる。「上に政策あれば、下に対策あり」である。(中国の文革期の言葉。)この教師の学校でも「5月中に総点検」はあったはずである。管理職が「問題なし」に○をして返信していたのだろう。(今は都教委、市教委と学校現場のやり取りは、インターネットを通じたメールである。メールについてる添付資料が調査で、それに書き込んで添付して返信する。)そういう現場実態もほうふつとさせる。(制度自体の問題点など、もう少し何回か。)
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都教委の責任-「失職者」問題について

2012年05月28日 23時42分19秒 |  〃 (教員免許更新制)
 既報、「東京で『失職者』」の問題、ひどく嫌な思いを抱えながら、もう少し考えて見ました。その結果、新しく考えたことがあるので、それについて。なお、28日付でもう一人、小学校の再雇用職員の任用取り消しが起こっています。新年度が始まって2か月目にして、4人もの教員が「実は免許が失効していた」との理由で、突然失職本人の生活はどうなる?今まで授業を受けていた生徒への影響は? いったい誰に責任があるのでしょう?

 ところで、都教委の5月7日付の辞令には、大変大きな疑問があります。先に書いた時には、引用しただけでうっかり見過ごしてしまいましたが、そこにはこうあります。「平成24年5月7日付けで平成24年3月31日に遡って失職」。ところで、3月31日は年度内なので、教員免許はまだ有効のはずです。法律上、更新講習を受けても、更新手続きをしないと失効するという仕組みには確かになっています。従って、そのまま4月1日を迎えると、免許失効となり「失職」するとしても、「3月31日に遡って失職」というのは明らかにおかしいです。3月31日には失職しません。この問題については、昨年書いています。(「僕の免許は失効しているのかな?」)よって、3月31日に遡っての失職辞令は、法律解釈を誤った辞令であり、法的には無効なのではないでしょうか。

 ところで実に不思議なことは、この問題が5月になってわかったことです。昨年度に関しては、熊本県で似たような失職者が複数出たことが判っています。しかし、それは1月末の申請期限を過ぎてから年度内の間に、「免許が切れるから退職を迫られる」という形で起こりました。年度をまたいで、いったん嘱託や講師に任命されながらそれが取り消されるというようなことは、少なくとも表に出る形ではどこでも起こらなかったと思います。そんなことが起こっては、年度途中で教員が変わってしまうわけで、生徒への影響が大きくなります。途中で病気休職などが起こるのは避けられませんが、年度で区切りが来る「免許更新」などの問題で、年度内で問題が起こることは本来ありえません。

 小中学校は市区町村教育委員会の管轄ですが、人事と免許更新手続き事務は都道府県教育委員会の仕事になっています。だから当然、今回の事態を招いたのは、都教委の責任です。(免許の更新はなぜか「個人の資格」として個人責任にされていますが、それを確認するのは教育行政の責任です。)なぜ東京都教委は、免許更新該当者の確認を怠ったのでしょうか。全く判りません。当該校の管理職の責任も大きいと思いますが、一番の責任は都教委にあります。

 僕が書くべきことかどうか判りませんが、管理職や主幹教諭の中で、自分は自動的に免除だと思い込み、忙しくて「免除の認定申請」を忘れていた場合が出てくることはないでしょうか。また、私立学校で確認作業がなされていない場合などもありうると思います。それらを厳しくチェックすることを求めるわけではないんですが。

 今までずっと書いてきているように、僕は教員免許更新制度の目的は、「教員のやる気をそいで教育の質を低下させること」と「教育公務員に対する嫌がらせ」だと思っています。だから、今回の事態は「例外的に起こってしまった一部の教員のミス」ではありません。この制度に本来的に備わっていた牙がむき出しになったと言うことだと思っています。また、だからそういう罠に落ちてしまった教員がいることも残念です。僕がいろいろ書いていても力不足で、法律をなくすことも大きく問題提起することもなかなかできません。でも、マスコミや教員組合はもっと問題意識を持ってほしいと思っています。どう考えても、普通には働いていた教員が、更新講習を受けていても申請をしていなかっただけで「失職」してしまうというこの法律自体がおかしい。それは弁護士会や教育学界などでも大きく取り上げていくべき問題だと思います。(政党、国会議員、文部科学省などには期待はできませんが。)
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東京で「失職者」!-教員免許更新制の不条理

2012年05月25日 00時48分36秒 |  〃 (教員免許更新制)
 帰る時間が遅かったのだが、また書こうかと思っていた事柄もあるのだが、教員免許更新制度について重大な事実を知ったので緊急に報告しておきたい。

 教員免許更新制度の年度末の実情については、全体的な統計はまだ文部科学省から発表されていない。昨年度は更新制初年度ということで、4月当初に発表があった。今年も発表があれば早速報告しようと思い、時々文科省のサイトを見ているのだが、昨日現在まだ発表はない。昨年は、当初発表の数字がよくわからない点もあった。今年度は時間をかけてまとめているのかもしれない。僕としては実施2年目であり、大きな混乱は起きていないのだろうと推察していた。

 ところが、僕も気づいたのがつい先ほどなのだが、なんと東京都で「失職者」が「続出」している。都教委の「服務事故」のサイトに掲載されているのだが、年度当初ではないので、僕も気づくのが遅れてしまった。発表があっても、マスコミ報道はなかったのではないか。東京の地方版は、最近スカイツリーの記事ばっかりである。

 「失職」事例は、今のところ3件報告されている。
4.25付 小学校 時間講師(病休代替) 55歳
 病休教員の代替として、4月9日から5月2日まで任用発令。引き続き産休代替として勤務する予定で、次の学校で確認したところ、講習は済んでいたものの更新手続きを行っていなかった。「昨年度も同区内の別の学校で非常勤の教員として任用されており、その当時、教員免許状更新講習を修了したことを管理職に報告しており、当該時間講師は、免許状の更新手続が完了したものと思い込んでいた。」

5.7付 中学校主任教諭 56歳
 事情に関しては、都教委のサイトから引用する。(太字=尾形)
ア 当該主任教諭は、教員免許更新の年度に該当していることを認識しており、平成23年8月、教員免許状更新講習を受講し、修了した。
イ その後、教員免許有効期間の2か月前まで(平成24年1月31日)に、教員免許状更新手続をしなければならなかったが行わなかった
ウ 平成24年5月2日、当該主任教諭が免許更新の手続きのため、東京都教育委員会へ手続をした際、教員免許状が失効していることが判明した。

5.7付 小学校臨時任用教員(育休代替) 55歳
 同じく、都教委のサイトから。
ア 当該校は今年度の臨時的任用教員を任用するに当たり、昨年度から当該校で勤務している当該臨時的任用教員を選定し、区教育委員会へ具申を行った。その際、当該臨時的任用教員は、当該校の管理職に対し、大学が発行した教員免許更新講習修了書の写しを渡した。本人はそれで更新が済んだものと判断していた
イ 区教育委員会は当該校の具申を受け、当該臨時的任用教員の免許更新について口頭で確認を行い、その後、都教育委員会へ内申を行い、都教育委員会は平成24年4月1日から平成25年3月25日まで発令した。
ウ 当該臨時的任用教員は、平成24年7月1日から平成26年6月30日までの2年間有効となる東京都公立学校臨時的任用教職員採用候補者名簿への登載更新書類を郵送により提出したが、更新手続修了者に都教育委員会が発行する更新講習修了確認証明書がないため、本人に確認したところ、免許状が失効していることが判明した。

 ①の方は元々臨時の講師なので、問題がわかった時点で「失職」とされている。②③のケースは深刻で、本来は今年度いっぱいは勤務することが予定されていた(が、3月末で免許が失効していることになる)ので、「平成24年5月7日付けで平成24年3月31日に遡って失職」という「通知」を交付されている。これでは、4月の勤務がなかったことになってしまうので、「4月分給与の返納」が求められるのではないかと心配である。

 ところで、以上を見てみればわかるように、3人とも「更新講習は済んでいる」が、「更新手続きをしていなかった」ということである。「更新講習」が意味のあるものとは思えないが、それにしても更新講習は終わっているのだから、「実質的には教員免許があるのと同じ」である。②の方など「勤務時間中に休暇を取って申請に行っていなかった」というだけのことである。単なる事務的ミスである。「単なる事務的ミス」で、職が失われてしまっていいのか。常識で考えてくれればわかるだろう。教員に問題があるならば、懲戒処分を行えばいいし、教員に勉強をさせたいという趣旨なら大学で研修することを義務付ければいい。ちゃんと大学へ行って免許更新の講習は受けているのに、単に手続きをミスしているというだけで、「失職」してしまう。この制度は一体何のためにあるのか?

 僕が元々何度も書いているように、「教育をよくする」とか「教員の資質を向上させる」ということが目的なんだったら、こんな馬鹿げたことは起こりえないはずである。これは「教師に対し、職を維持するためには、学校の仕事より、事務手続きの方が大事なんだ」と思わせる仕組みである。すなわち「学校教育の質の低下」と「教師に対する嫌がらせ」が目的だとしか、僕には思えない。

 今後のことだが、都教委のことだから、「失職者」に何の対応も取らず、退職金も出さないまま放置することが考えられる。しかし、昨年の熊本県のように、夏の採用試験で特例選考を実施するなどの措置を講じることが必要である。

 また教員組合も是非支援しなければならないし、マスコミにも訴えていかなければならない。こういう馬鹿げた制度は一刻も早くやめさせなければならない。
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夏休みの教師には「休息」こそー教員免許更新制再考⑩

2011年12月05日 23時54分51秒 |  〃 (教員免許更新制)
 東京の学校事務について書こうと思っていたら、免許更新制に関して書きたいことが残っていたことを思い出した。まず、こっちから。いや、もう一般論になるのだけど。よく「対案を出せ」などと言う人がいるので、それについて答えておきたいなと。で、対案は「何もいらない」「元に戻せばいい」というものである。もちろん、自分の今までの勉強だけでは理解できない様々な現象が学校には起こっているから、大学や研究団体で勉強を深めたいという人は、夏休みを使って研修できる制度が必要である。それは「研修の保証」という問題で、むりやり「失職のおどし」で大学へ通わせるというのは目的と手段を取り違えている

 最近の学校に関する調査では、教員の意欲の減退がはっきりしている。新聞報道をあげれば、例えば「ベテラン教員 すり減る意欲」(9.26朝日)、「辞める新人教員増加 10年で8.7倍」(11.8朝日)といったものがある。僕は最近現職で亡くなる教員が多くなったように感じている。東京では、新採教員の自殺と言う悲劇も例年のように起こっている。僕のように定年前に退職する教員も数多い。だから、「学校がおかしい」と感じを多くの人が持つわけだが、それに対し研修の強化、命令的な教育行政、教員免許の更新制など、やることなすこと「逆効果の対策」ばかりである。ますます教育行政への信頼を失い、意欲を失い、早期退職を考えることになる。

 特に大きいのは、夏休みがほとんどなくなってしまったこと。東京の小中では、夏休み自体が少なくなってしまった区市が多い。以前と同じく8月中は休みでも、研修などが多く、おちおち休めない。さらにそこに10年にいっぺん「免許更新講習」があったりすれば、もうその年は休みらしい休みがなくなってしまう。夏に自分なりの勉強ができると言うのが、昔は教師という仕事の醍醐味だった。僕もよく国会図書館に通ったり、古書店めぐりをしたものだったが。今はその夏休みという期間が少なくなってしまった。これは教師と言う職業に非常に大きなマイナスを及ぼしていると思う。一年を通した「学校カレンダー」を見通して仕事をしているわけだが、夏休みに十分休息して「タメ」を作って秋の長丁場に臨むという流れが滞ってしまうからである

 一体、世の中の人々は学校や教師に何を期待しているのだろうか?多分、教育行政に携わる官僚などは、「勉強しなさい」と言われれば勉強し、頑張っていろいろな試験を突破してきたのだろう。世の中、そういう「素直な努力家」ばかりだったら、教師はどんなに楽なことだろう。だから、「学力向上策として夏休み短縮」などという愚策を打ち出す。最近は9月に入っても彼岸頃まで残暑が厳しいのに、8月下旬から登校させて勉強して学力が上がると思っているのか。それともわざと「勉強嫌いの国民」を育成したいのだろうか。マスコミや教師自身も、そういう「素直な努力家」が基本的に多いから、「生徒理解」が薄っぺらなものになることが多い。だから、そういう教師が夏休みも目いっぱい研修したりすると、指導力がアップしたつもりの教師だけ頑張ってしまうという結果におちいりがちなのである。

 夏に行うべきは、本を読んだり、旅行をしたり、いろいろな体験を積む。こんな面白いことを夏にしたぞ、見たぞ、行ったぞと休み明けに生徒に言える体験をすること。教師が、自分の人間力のアップを行うのが夏休みではなかったか。そして、育児や介護を抱える教員は、夏休み中に悔いなく個人の時間に使えばいいのではないかと思う。夏休みには、教師の「休息」の時間を。現職教員は言えないし、言わないと思うので、辞めた人間があえて書いておきたい。それこそが、学校の教育力のアップにつながるはずだ。

 なぜ、そう断言できるかというと、秋は本当に大変なのである運動会(体育祭)、文化祭、修学旅行という一大イベントのうち、多くの学校では秋に2つはある。それだけでも大変なのに、部活の大会が土日祝日に行われ、おちおち休めない。サッカーや文化部の多くの大会は秋が本番だし、運動部も3年が引退した後の大会があり、野球なんかも来春の選抜大会の出場予想校も秋の大会結果でもう決まっている。その上に進路活動が本格化するのが秋である。9月16日に高卒就職面接が始まり、10月頃から大学の推薦入試や専門学校の募集が本格化する。高校の学校説明会も10月頃に始まり、中学や高校の教員は多忙を極める。もちろん進路決定の前には、三者面談をすることも多いし、推薦入試の日程はシビアなので、生徒も教師も気を抜けない。冬に入試を受けるのが進路本番という人は、いまや中高では半分くらいで、秋こそ進路に向けて生徒も教師も一番頑張るというのが、大部分の学校ではないかと思う。

 ところで、行事も部活も進路活動も、初めから判っていることである。そこへ向け、4月から準備をしていくのであって、それだけだったら忙しくて大変だけど、何とかなるし、何とかするのがプロというべきだろう。ところがそれだけではないのである。学校の事件は秋に起こるのである。入学・クラス替えで1学期はまだ前の人間関係を引きずっているが、夏休みで人間関係が変わり、あたらしく「つるむ」相手ができる。夏休みには生活が崩れやすいし、高校生だと初めてのアルバイトや交際を経験したりする。勉強内容も導入段階が終わり本格的に難しくなってくる。そこに行事が多くて、授業をつぶして準備をしたりするので学校にすきができやすい。運動会の練習に現れないで体育館裏で喫煙してる、くらいは想定内。文化祭をめぐってさぼる生徒がいてクラスが割れてしまい頑張ってた文化祭委員が不登校になるとか、運動会準備中にクラスの生徒の財布がなくなるとか、毎日夕方に「コンビニ前で喫煙してる」とか「スーパーで万引き捕まえた」とか電話があり教師が全然帰れないとか。そんなことがいっぱい起きる。たまたま落ち着いた学校に勤務して授業と部活だけしていられる教師は幸せである。そんな事件は決まって秋に起こる。教師に心に余裕がない状態で事件が起きると、生徒や保護者と必ずトラぶることになる。夏に休めてないと、そういうことになりやすい。「免許更新講習」なんて、ほんとどうでもいいよ。少し休んでおかないと、秋の陣に出陣できないですよ。

 反貧困運動家の湯浅誠さんが「日本社会はタメがなくなった」という言い方をよくするが、教師と言う仕事も十分な「タメ」が必要だと思う。教師が頑張っても生徒が付いて行かなければ逆効果である。かえって、頑張った先生が「逆ギレ」したり、生徒を「切り捨て」たりすることも結構多い。教師に「心の余裕」がないと、失敗する生徒を受け入れられず、追いつめてしまうのだ。「タメ」というか、「あそび」と言った方がいいかもしれない。自動車教習でよく言われる、ハンドルやブレーキにある「あそび」のことである。教師はリーダーで運転手に例えられるから、ハンドルさばきや適切なブレーキングが求められるが、その時にはある程度の「あそび」が大切なのではないかと思う。

 昔、土曜出勤があった時は、夏に休暇のまとめ取りができ、それに夏休みと年休を加えて、いろいろと旅行できた。僕はよく山へ行っていて、大雪からトムラウシ、北岳から塩見などの縦走も夏休み。利尻や日高山脈の幌尻、鳥海や出羽三山、穂高、妙高・火打、四国の石鎚山・剣山、霧島・阿蘇など夏の思い出が鮮明によみがえる。ところで、東北や北海道には修学旅行で行くことになり、「添乗員より詳しい」教師として修学旅行の企画運営をしたから、僕の夏休み体験は生徒に完全に還元された。それが夏休みの使い方だと思っているのである。
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「真の目的」を「邪推」する-教員免許更新制再考⑨

2011年11月18日 20時54分34秒 |  〃 (教員免許更新制)
 これから書くことは実証できないことである。「陰謀史観」みたいなのは嫌いだけど、ある程度「大きな絵の構図」も必要だから、こんなことを考えてみたという話。

 日本の高度成長を支え、今や高齢化社会を迎えた「ぶ厚い中間層」。自分の家しか資産がなくて中産階級というのは本来はおかしいが、日本ではそれでもほとんどの階層が「中流意識」を持ったのである。日本では「高級紙」という新聞形態がなく、読売や朝日が1千万部くらい読まれてきた。識字率はほぼ100%。選挙では「自書」(候補者の名前を有権者が自分で書く)式が当たり前。大企業だけでなく、中小企業や自営が元気で、「職人」が大切にされる。

 しかし、このような社会は、もはや行き詰まった。グローバリズムの中で生き残るには、高い人件費、皆が持ち家を望むから高い地代、高学歴でも英語も使えない人材。これらを抱えていては日本は生き残れない。もう「中間層」はいらない。一部のエリートと、使われて働く「派遣の非正規社員」がいればいい。だから、「エリート教育」を進めると同時に、あとはそんなに頑張らず「言われて働く」下層労働者だけを育てることが今後の日本の教育目標となる。

 ここまでは、実際にそう考えている人がいる。大阪府の教育基本条例に関して、「格差を広げなくてはいけない」と堂々と公言している。東京でも、進学指導を進める高校と、そうではない高校をはっきり分けて予算配分も差別化する政策が進められてきた。教育格差を広げると言うと、そんなことに賛成する人がいるのかと思うかもしれないが、「受験の自由度を高めて、保護者の選択の自由を拡大する」「結果として格差は広がるかもしれない」と言う。昔は居住する学区以外の普通科高校は受けられなかったが、今はどこでも受けられるようになったところが多い。自分の子供が頑張って学力が上がれば、隣の学区の有名校に行けるかもしれない。だから、格差拡大政策と言っても、自分の子供には有利に働く(と信じたい)ので、保護者は支持してしまう。

 ところで、このような教育の能力主義的再編に反対してきたのが教員組合だった。教員組合を「左翼」であり「革命教育」を進めてきたというような誇大妄想的な右翼反対派もいるが、教員組合のスローガンは民衆レベルの平和主義に適合的なものである。戦前の国家主義的教育への復古をたくらむ勢力が一定の力を持っていたので、「自由」「平等」「平和」と言った「民主主義的教育」のスローガンが一般市民の支持も受けやすかったのである。それに対し、文部省(当時)は組合とイデオロギー的に対決しながら、「教育の質の向上」においては共通の土俵も形成されていたとも言える。しかし、そのような「教育の55年体制」はもはやずいぶん昔の話である。

 新自由主義的な教育を進めようとするときに、一番反対すべき教員組合はもうほとんど力を持っていない。地方では一部にはかなり大きな力が残るところもあるが、日教組(連合加盟)と全教(全労連加盟)を合わせても組織率は3分の1程度。右派の全日教連なども合わせて4割をようやく超える。(文科省調査)従って、非組合員が多数派なので、もう当局側の思うような教育政策がどんどん進められるはずである。そして実際、成績率の導入、組織のピラミッド化など東京を先頭にしてどんどん実現していった。だから教育の外堀は埋めたのであるが、それでも教育の中身そのものがなかなか変わらない。当たり前である。初中等教育段階でやるべきこと、育てるべき学力や社会性が急に変わるわけがない。それでいいのである。だが、「彼ら」(誰だか知らないが)はここで気づいた。組合を弾圧するだけでは足りなかったのである。非組合員教師こそ「平等教育」の担い手だったのだ。

 考えてみれば当然である。少数派になっても組合に加盟する教師の方が、むしろ変化を求める教師である。非組合員の教師は、イデオロギー的には組合に賛同しないかもしれないが、教育実践においては、組合員以上に「集団主義的」であり「平等主義的」だったのだ。組合に加盟して権利要求をしないからといって、能力主義に賛成なのではない。むしろ組合に入るような目立つことを避けるくらいだから、生徒にも「みんなで頑張る」「一人で目立たない」指導をするのである。

 だから組合に踏絵を踏ませるような、国旗国歌の強制などだけでは教育を変えることができない。どうしても全教員の身分を揺さぶる政策が必要とされる理由がここにある。非組合員の教師は、国歌斉唱時にもともと起立しているわけだから、いくらその点のペナルティを厳しくしても影響がない。しかし、免許更新制は、放っておくと失職だからどんな教員にも皆「踏絵」となるのである。その意味では、更新制導入をもくろんだ人々は、初めは大学での講習ではなく、教育委員会による強制的な研修を考えていたと思う。実際の法律制定時に、最後の最後で大学での講習になったけれど、それは教育委員会だけでは大量の対象者を扱えないということがはっきりしたからだろう。実際各大学で行われている講習の数を考えると、他の研修を夏にたくさん行っている教育委員会では無理だった。その結果、大学では、ある程度自由な講習を受けることができて、当初の目論見からすれば予想外なのではないか。

 それでも「合格」して「自分で更新手続きする」ことは残されている。これなどは簡便化が可能なはずなのに、自分で更新に行かなくてはいけない。何故だろうか。それはこの時に、「自分の免許は後10年」「生活のためにまた更新しなくてはならない」と確認させるためだと思う。せっかく自費で講習を受け更新した免許である。生活のためにやむを得ず受けたわけである。管理職になっていれば免除されたのである。後は、管理職になって行政の言うとおりの教育政策を進めるか、生活のために行政に従うか、の二者択一になってしまうのではないか。これこそが、組合の活動を制限することでは得られなかった、教育現場を変えて行くための前提条件なのだ、と自分では考えてみたのだけれど。
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