金子文子(1903~1926)の獄中手記「何が私をこうさせたか」が2017年12月に岩波文庫に収録された。学生時代に読んでるけど、これは文庫で再読したいと思った。以前に読んだ本はアナーキズム系の黒色戦線社から出たものだから、一般には読んでない人が多いだろう。これは近代日本に書かれたもっとも過酷な人生を記録した書で、ぜひ多くの人に読んで欲しい本。

金子文子は、夫の朴烈とともに「大逆事件」で裁かれ、1926年に死刑判決を受けた。直後に「天皇の御仁慈」によって無期懲役に「恩赦」されたが、文子は1926年7月23日に宇都宮刑務所栃木支所で自殺した。23歳だった。この事件は「朴烈事件」と呼ばれているが、刑事事件としては明らかにでっち上げである。しかし、金子文子自身は紛れもなく、日本帝国主義と天皇制の激烈な反対者だった。「何が彼女をそうさせたか?」
近代日本に書かれた自叙伝は多いけど、男のものはともすれば「自分はいかにして偉くなったか」になりやすい。一方、女は「良妻賢母」で終わるのが理想とされた時代だから、何かの道で有名になって自伝を書くということは、つまり「私はいかにして男社会の反逆者になったか」を書くことになる。だから女性の自伝の方が圧倒的に面白いことが多い。それにしても獄中で死刑判決を予想しながら書いた「何が私をこうさせたか」ほど凄まじい本は他に思いつかない。そのぐらい内容的に重いけど、これほど面白い本もまたないだろう。波乱万丈すぎる人生。
(金子文子と朴烈)
金子文子の父、佐伯文一は山師的人物で、山梨県でタングステン探しをしていた時に地元の金子きくのと結ばれた。そんなことなら世の中にいっぱいあるが、文子が佐伯姓を名乗ったことはない。父は母と結婚しなかっただけでなく、出生届を出すこともしなかった。金子文子は「無籍者」だった。だから学校へも行けなかった。お情けで行かせてもらえた時も、正式な証明書は出してもらえなかった。「佐伯氏」は藤原氏につながる家系らしく、父は家系図を家族に拝ませていた。文子も父と同居していた時は強制されたが、そもそも自分は佐伯じゃないと疑問を持つ。
父は母のもとを去り、母は男に依存せざるを得ず多くの男がやってくる。働かない男ばかりで、貧困の淵に追いやられる。なんとか母の田舎である山梨県に帰り、山で暮らしたわずかな間が文子には憩いだった。そんな文子は1912年10月、9歳の時に朝鮮に移住した。父の妹が併合直後の朝鮮に住み、子どもがいなかったので引き取ったのである。この岩下家時代は、地獄の日々だった。山梨に文子を連れに来た祖母は、女学校にも行かせると約束して連れて行ったが、実際は虐待に次ぐ虐待の日々だったのである。一時は自殺さえ考えるほど追い詰められた。
この岩下家は忠清北道の芙江(ㇷ゚ガン)に住んでいたが、一番高い「山の手」に住んでいた。この朝鮮時代の記述はすべての日本人必読だと思う。主に金貸しをやっていたらしいが、植民地の朝鮮にはこのようなロクデナシの日本人が住んでいたのかとよく判る。こんな日本人と接していれば、誰だって「反日」になる。文子が「反日」になるのも全く当然のことだ。朝鮮人を見下すのはもちろん、日本人どうしでも家柄がどうのと差別しあう。痛憤の思いなしに読めない。
心優しき反逆者だった文子は、岩下家の跡取りを失格になったようで、1919年4月に日本に帰された。この日付を見ると、16歳の文子は「三一独立運動」を目撃したはずだが、記述はない。恐らくは獄中で切り取られた箇所がたくさんあるというから、その中にあったんだろう。文子の朝鮮体験が虐げられた朝鮮への連帯感を生み、朝鮮人運動家の朴烈との愛情につながったのは間違いない。日本に帰っての家族との日々、家を飛び出てからの東京での「苦学」時代。ともにすさまじい体験が続くのだが、長くなるから詳細はぜひ本書で。
日本の「家制度」は多くの人々、特に女性を抑圧していたが、金子文子のケースほどすごいのも珍しい。母はまあ弱い人物という程度かと思うが、父や父方の祖母の下らなさはもう笑っちゃうしかないレベル。それによく耐えて、「自己」を作り上げた。被支配者である朝鮮人と恋愛し(獄中で正式結婚したが、それは多分死後に備えてのことだったと思われる)、天皇家や大臣たちを否定した。社会主義者にも偽りを感じ、無政府主義、さらには虚無主義(ニヒリズム)に近い。「日本が彼女をそうさせた」ということだ。
事件のことは手記には書けないので、文庫の解説者でもある山田昭次氏の「金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人」(影書房、1996)も再読した。今も影書房から入手できるが、3800円。図書館で見つけてでもぜひ読んで欲しい本だ。事件そのものは、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件を軽く見せたい日本政府によって、「大逆」(天皇家に対する殺人未遂)がでっち上げられていった。他の同志を守るため、また日ごろの思想性から、死刑しかない「大逆」意図の調書が作られてしまった。しかし、爆弾入手の可能性がない段階で、犯罪が成立するはずがない。
僕は直接山田昭次先生に教えを受けたが、この本のあとがきを読んで衝撃を受けた。学界に向けて書いた本ではないと言い切っている。金子文子に「未来に向けての日本人の可能性」を見ている。差別され虐待されたからこそ、金子文子には日本の支配構造を超えることができた。「自己を貫くこと」の大切さ。たった23歳で死んだ女性が獄中で書いたこの本は、今もなお若い日本人に読まれるべきものだろう。このぐらい面白い本もめったにない。

金子文子は、夫の朴烈とともに「大逆事件」で裁かれ、1926年に死刑判決を受けた。直後に「天皇の御仁慈」によって無期懲役に「恩赦」されたが、文子は1926年7月23日に宇都宮刑務所栃木支所で自殺した。23歳だった。この事件は「朴烈事件」と呼ばれているが、刑事事件としては明らかにでっち上げである。しかし、金子文子自身は紛れもなく、日本帝国主義と天皇制の激烈な反対者だった。「何が彼女をそうさせたか?」
近代日本に書かれた自叙伝は多いけど、男のものはともすれば「自分はいかにして偉くなったか」になりやすい。一方、女は「良妻賢母」で終わるのが理想とされた時代だから、何かの道で有名になって自伝を書くということは、つまり「私はいかにして男社会の反逆者になったか」を書くことになる。だから女性の自伝の方が圧倒的に面白いことが多い。それにしても獄中で死刑判決を予想しながら書いた「何が私をこうさせたか」ほど凄まじい本は他に思いつかない。そのぐらい内容的に重いけど、これほど面白い本もまたないだろう。波乱万丈すぎる人生。

金子文子の父、佐伯文一は山師的人物で、山梨県でタングステン探しをしていた時に地元の金子きくのと結ばれた。そんなことなら世の中にいっぱいあるが、文子が佐伯姓を名乗ったことはない。父は母と結婚しなかっただけでなく、出生届を出すこともしなかった。金子文子は「無籍者」だった。だから学校へも行けなかった。お情けで行かせてもらえた時も、正式な証明書は出してもらえなかった。「佐伯氏」は藤原氏につながる家系らしく、父は家系図を家族に拝ませていた。文子も父と同居していた時は強制されたが、そもそも自分は佐伯じゃないと疑問を持つ。
父は母のもとを去り、母は男に依存せざるを得ず多くの男がやってくる。働かない男ばかりで、貧困の淵に追いやられる。なんとか母の田舎である山梨県に帰り、山で暮らしたわずかな間が文子には憩いだった。そんな文子は1912年10月、9歳の時に朝鮮に移住した。父の妹が併合直後の朝鮮に住み、子どもがいなかったので引き取ったのである。この岩下家時代は、地獄の日々だった。山梨に文子を連れに来た祖母は、女学校にも行かせると約束して連れて行ったが、実際は虐待に次ぐ虐待の日々だったのである。一時は自殺さえ考えるほど追い詰められた。
この岩下家は忠清北道の芙江(ㇷ゚ガン)に住んでいたが、一番高い「山の手」に住んでいた。この朝鮮時代の記述はすべての日本人必読だと思う。主に金貸しをやっていたらしいが、植民地の朝鮮にはこのようなロクデナシの日本人が住んでいたのかとよく判る。こんな日本人と接していれば、誰だって「反日」になる。文子が「反日」になるのも全く当然のことだ。朝鮮人を見下すのはもちろん、日本人どうしでも家柄がどうのと差別しあう。痛憤の思いなしに読めない。
心優しき反逆者だった文子は、岩下家の跡取りを失格になったようで、1919年4月に日本に帰された。この日付を見ると、16歳の文子は「三一独立運動」を目撃したはずだが、記述はない。恐らくは獄中で切り取られた箇所がたくさんあるというから、その中にあったんだろう。文子の朝鮮体験が虐げられた朝鮮への連帯感を生み、朝鮮人運動家の朴烈との愛情につながったのは間違いない。日本に帰っての家族との日々、家を飛び出てからの東京での「苦学」時代。ともにすさまじい体験が続くのだが、長くなるから詳細はぜひ本書で。
日本の「家制度」は多くの人々、特に女性を抑圧していたが、金子文子のケースほどすごいのも珍しい。母はまあ弱い人物という程度かと思うが、父や父方の祖母の下らなさはもう笑っちゃうしかないレベル。それによく耐えて、「自己」を作り上げた。被支配者である朝鮮人と恋愛し(獄中で正式結婚したが、それは多分死後に備えてのことだったと思われる)、天皇家や大臣たちを否定した。社会主義者にも偽りを感じ、無政府主義、さらには虚無主義(ニヒリズム)に近い。「日本が彼女をそうさせた」ということだ。
事件のことは手記には書けないので、文庫の解説者でもある山田昭次氏の「金子文子 自己・天皇制国家・朝鮮人」(影書房、1996)も再読した。今も影書房から入手できるが、3800円。図書館で見つけてでもぜひ読んで欲しい本だ。事件そのものは、関東大震災時の朝鮮人虐殺事件を軽く見せたい日本政府によって、「大逆」(天皇家に対する殺人未遂)がでっち上げられていった。他の同志を守るため、また日ごろの思想性から、死刑しかない「大逆」意図の調書が作られてしまった。しかし、爆弾入手の可能性がない段階で、犯罪が成立するはずがない。

僕は直接山田昭次先生に教えを受けたが、この本のあとがきを読んで衝撃を受けた。学界に向けて書いた本ではないと言い切っている。金子文子に「未来に向けての日本人の可能性」を見ている。差別され虐待されたからこそ、金子文子には日本の支配構造を超えることができた。「自己を貫くこと」の大切さ。たった23歳で死んだ女性が獄中で書いたこの本は、今もなお若い日本人に読まれるべきものだろう。このぐらい面白い本もめったにない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます