尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

首相の「賃上げ」問題なしーポピュリズム的発想を排す

2023年11月25日 22時17分12秒 | 政治
 書こうかどうか迷ったけれど、自分の発想を示す意味でも書いておこうかと思う。首相を初めとする「特別職公務員」の「賃上げ」の問題である。このご時世で、首相や大臣が自分の給料を上げるとはけしからんと一部野党(立憲民主党、日本維新の会、日本共産党など)は反対した。しかし、首相らは増額分は国庫に返納するとして、国会では与党(自由民主党、公明党)に国民民主党なども賛成して可決された。返納するぐらいなら、最初から上げなければいいじゃないかと思う人も多いだろう。だが、この問題に関しては僕は与党の原案どおりで良いと思っていた。その理由を以下で説明しておきたい。

 僕は政府、あるいは自民党に反対するような記事を書くことが多い。だが、別にどこかの政党や団体に所属しているわけではなく、誰かに指示されているわけでもない。自分の頭で考えて、その結果政府・与党が進める政策に問題があると思ったら書くわけである。小さなブログといえども、世に警鐘を鳴らすことに多少の意義はあるだろう。今回は自分なりに考えて政府案で良いと思ったが、どうせ与党が多数なんだから書くまでもない。そして実際に政府案通りに決定したわけである。それでも今になって書くのは、問題を考える発想を書きたいからだ。 

 僕が思うに、世の中のものごとは「事務的に処理するべきこと」と「政治的に処理するべきこと」に分かれている。ここで言う「政治的」というのは、国会とか政府ばかりでなくもっと広く使っている。「利害調整のため配慮が必要な領域」ということだ。だから職場にも家庭にも当てはまる。実際我々は人間関係調整のため様々な「政治的配慮」を日常的に行っているはずである。しかし、日々のすべてを「配慮」で暮らすわけにもいかず、生活の大半は「事務的に処理する」日々を送っていると思う。

 さて、「公務員の給与」は、僕は「事務的に処理する領域」に属していると考えている。民間の給与は労使の交渉で決まるわけだから「政治的な領域」に属する。一方、公務員の給与は、大体の人は知っていると思うが、「人事院勧告」によって是正される。公務員は憲法で労働者に認められた「争議権」をはく奪されているので、その代わりの措置として「人事院」が民間の給与水準を調査し、毎年給与の改定を勧告している。上がるばかりではなく、かつて深刻なデフレで民間給与が冷え込んだときには、引き下げの勧告が出たこともある。人事院勧告は制度上、勧告どおりに事務的に処理するべき問題だろう。

 ところで、今回は一般職公務員ではなく、特別職公務員の話である。今書いた人事院勧告は一般職公務員の話で、特別職公務員には関わらないという。だが、これまでは特別職も一般職に準拠して同じように改定するのが慣習化してきたという。一般職公務員とは、国家公務員も地方公務員も普通に考える「お役所で働いている人」である。あるいは教育、警察、消防などの公務員も、特別職じゃないから一般職。大きな意味で、内閣総理大臣や都道府県知事などの指揮下にある。

 一方、公務員採用試験を経ずに、特別に政治的に任命された大臣や副大臣は特別職。公設秘書も特別職。それだけでなく、三権分立の仕組み上、首相の命令下にあるわけじゃやない国会や裁判所の職員も特別職である。そして、特別職の大半を占めるのが、防衛省職員である。つまり自衛隊員で、内閣総理大臣の指揮下にあるとはいえ通常の公務員とは違う特別な服務規律が求められるのだろう。特別職公務員(約30万)のうち、9割が防衛省職員で、1割ほどが裁判所職員だという。

 防衛省職員(自衛隊員)の給与はまた別の法律があるらしいが、要するにすべて人事院勧告に連動しているだろう。もちろん給与の改定というのは、単にお手盛りで増やしたり減らしたりするものじゃない。今じゃ地方公務員の給与などは公開されていることが多いが、基本給に関しては「給料表」に決められている。まず職務の内容に応じて「等級」があり、給与額は「号俸」で決まる。○等級○号俸を支給するという辞令をもらうはずだ。そのような精緻に構成された給料表を前提にすると、政治的配慮でさじ加減を加えると訳が判らなくなり、人事院勧告に沿って一律に増減すべきものだと判るだろう。

 今回は民間給与が物価高に伴い増えているだろうから、それに伴い一般職や特別職の公務員の給料も増やさないといけない。物価高の影響などは全職種に共通だから、どこを上げないなどという判断はおかしい。仮に首相の給与を据え置くとすると、「三権の長」は同額にする必要があるから、最高裁判所長官や国会議長の給与も据え置きにせざるを得ない。そうなると、国会や裁判所の職員だけを上げるというのも難しくなる。要するに、社会には上下の役職があり、上の給与が上がらない限り下の給与も上がらない。革命を起こしてすべてをひっくり返すというなら別だが、世の仕組みというのは上下が連動するものだろう。

 ところで、では財政難の中、政治家の給料を上げるというのはどうなのか。そう思う人は多いだろうが、それに対応するのは「政治的な配慮」の問題だ。だから、給料表改訂は事務的に進めて、その後に政治的に返納すると決めるという順序で問題ない。返納するぐらいなら最初から上げなければいいじゃないか論は、一般の耳に入りやすいけれど行政の常識に反していると思う。これはポピュリズム大衆迎合主義)的な発想で、僕はそれには反対なのである。

 なお、一応書いておくと、時々公務員の給料は恵まれているなどとデマを飛ばす人がいる。しかし、人事院の仕組み上、公務員給与は民間を上回ることが出来ない。特にバブル期を経験した自分たちの世代だと、民間との給与の余りにも大きな違いに絶句した時代がある。しかし、教師になったのはお金で得られないものがあるからだ。だから、給与額はやむを得ないと思って勤務していたが、その後どんどん公務員であることの意義を失わせるような政策が続いた。それでは教員も国家公務員もなり手が不足してきたのは当然だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柿沢未途という人ー「みんなの党」余聞②

2023年11月21日 22時02分53秒 | 政治
 『「みんなの党」余聞』と名付けて、創設者渡辺喜美氏の叙勲問題を書いた翌日に入院してしまった。じゃあ、2回目は何だろうというと、勘のいい人は気付いていたかもしれないが、柿沢未途衆議院議員について書きたかったのである。時機を逸したかと思ったら、むしろ今こそ旬の時事問題になった感がある。2023年春の江東区長選をめぐって、柿沢議員が区議会議員を買収した疑惑が持たれている。法務副大臣を辞任したが、それに止まらない疑獄事件に発展する可能性が報道されている。

 「みんなの党」は2009年の衆議院選挙前に5人の国会議員で結成された。自民党所属の渡辺喜美山内康一広津素子、無所属の江田憲司の4人の衆議院議員、そして、民主党所属の浅尾慶一郎参議院議員である。浅尾も参院議員を辞職して衆議院選挙に立候補したが、2009年衆院選は民主党の「政権交代」熱気に圧倒され、5人の当選に止まった。広津議員は落選し、新人として唯一当選したのが柿沢未途(1971~)だったのである。この人は柿澤弘治元外相の子どもだが、2001年の都議会議員選挙で江東区から無所属で出馬して当選した。当選後に民主党に入党し、2005年の都議選でも再選されていた。

 ところが、柿沢未途は2008年2月に都議会議員を辞職するに至った。2008年2月9日に首都高で自損事故を起こしたが、その時酒気帯び運転だったのである。僕は詳しいことを覚えていなかったが、Wikipediaを見ると「知人と焼肉店で飲食後、首都高速道路で酒気帯び運転による自損事故を起こした。このとき飲酒の発覚を免れるために雪を食べたとされる」と出ている。こうして7年務めた都議会議員を辞めることになったが、自損事故とはいえ今どき議員が「酒気帯び」って許されないだろう。だから辞職したわけである。なお、この都議会議員時代に、練馬選出の都議だった野上雪絵と結婚している。
(夫婦で撮ったポスター)
 それから1年半後、「みんなの党」は柿沢未途を東京都第15区の衆議院議員候補として公認した。選挙に出るのは国民の権利だから自由である。しかし、酒気帯び運転で都議を辞職した人を公認するってどうなんだろうと思った。地元の人は1年前のことをまだ覚えていただろう。それも影響したのか、この時は東祥三(民主=約10万5千票)、木村勉(自民=約8万票)に遠く及ばぬ38,808票に終わった。しかし、重複立候補していた比例区で当選したのである。(2位の木村勉は比例でも当選出来なかった。)

 こうして柿沢未途は国会議員になった。なんだか酒気帯び自損事故でかえって得した感じである。都議をしていたら、民主党には東祥三がいる以上公認を得られない。無所属だったら比例で復活できない。そして2012年衆院選では、トップ当選したのである。民主党が分裂し、東氏が「日本未来の党」から出たことも大きかった。自民党の木村氏も高齢で引退し、新人候補の秋元司に代わっていた。だが、それだけではなく、この東京15区では「柿沢ブランド」が生きていたということだろう。

 柿沢未途の父親、柿澤弘治(1933~2009)の名前はもう若い人には忘れられていると思う。大蔵官僚から1977年に参院選東京選挙区に立候補して当選した。その時は「新自由クラブ」の公認だった。1976年に河野洋平らが結成した党だが、詳しい説明は省略する。その後、1980年には参院議員を辞職して衆院選(当時の東京6区=定数4人)に立候補して当選。83、86、90年、93年と当選した。この間、新自由クラブは自民党に復帰したので、83年以後は自民党である。(最後の3回はトップ当選。)そして、1994年には自民党を離党して「自由党」を結党して羽田内閣に加わり、党首の柿澤が外務大臣となった。
(柿沢弘治)
 まあ、羽田内閣は2ヶ月で崩壊したので、柿澤外相も2ヶ月だったけど。(ちなみに、今では忘れられた「自由党」には高市早苗が参加していた。)その後は新進党に参加せず自民党に戻り、1996年の第1回小選挙区選挙に東京15区から立候補して当選した。それなのに1999年の都知事選に出馬して再び離党した。石原慎太郎が当選した知事選だが、保守系が乱立し6位で落選した。2000年には無所属のまま、再び衆院選に当選。選挙に強いのである。「下町のケネディ」というキャッチコピーで知られていた。本来自由党結成も渡辺美智雄を首相に担ぐ試みの一環だったらしい。渡辺家と柿沢家の関係も父子二代のものなのである。
(「維新の党」時代のポスター)
 柿沢未途は、「みんなの党」で当選以後、「結いの党」「維新の党」「民進党」「希望の党」と移り歩くが細かな事情はもういいだろう。「維新の党」では当選したが、2017年の「希望の党」の時は小選挙区は秋元司が当選し、柿沢は比例当選だった。しかし、希望の党が民進党と合同して「国民民主党」になったときには、参加しなかった。そして、2019年12月に自民党の秋元司がIR汚職で逮捕、起訴されると、空いた自民党の椅子を狙い始めたわけである。

 このように親子ともども政界漂流の激しい政治人生を歩んできた。自民党に近いが、自民党とちょっと違うイメージが売りである。だからこそ、自民党内の本流からは警戒される。非自民系に身を寄せたこともあるが、結局自民党に所属するところなど親子共通だ。だからこそ、自民党区議に足場が少なく、買収と疑われかねないカネを渡して歩いた。河井元法相事件の後でそんなことをする人がいるとは驚きだ。だが、それだからこそ刑事事件として立件出来るかは微妙かもしれない。何にしても今回の出来事を柿沢未途が生き延びられるかは(政界ウォッチャー的には)非常に注目だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「渡辺喜美」に叙勲ってあり?ー「みんなの党」余聞①

2023年11月10日 22時22分28秒 | 政治
 2回ほど「みんなの党」関連の記事を書きたい。そんな大した話じゃないと思うけど、他の人が触れてないようなので。まず、11月3日の新聞を見て目を疑った。この日(文化の日)は秋の叙勲が発表される日である。人間に等級を付ける勲章制度には反対だが、そのことを書きたいわけじゃじゃない。どうせくれるわけじゃないし、反対運動をするなら他に優先的に無くすべきものはいろいろとある。だが日本国が授ける以上、説明責任というか、この人ならまあいいか的な納得感はいるんだろうと思う。

 受章者に特に関心はないが、今の新聞は活字が大きいから名前が飛び込んで来る。一番最初にあるのが「旭日大綬章」(きょくじつ・だいじゅしょう)で、14人が受章。その次は「瑞宝大綬章」(2人)、その次が「旭日重光章」である。どうやら政治家が貰うのは「旭日」というものらしい。そして「大綬章」を受ける政治家は皆大臣経験者である。一方、「重光章」を見ると、経歴が「副大臣」止まりである。大臣になったら、勲章のレベルが一段上がる。これが大臣になりたい理由なのか。

 さて、「旭日大綬章」受賞者を見てみる。経済界の人は知らないけど政治家には知ってる人もいる。片山虎之助鉢呂吉雄などである。片山氏は落選後に「日本維新の会」に移って、参院に復活した。病気だったはずだが、まだ存命である。鉢呂氏は民主党政権で経産相になったのに、失言のため数日で棒に振ってしまった。元文科相で「立ちあがれ日本」に移った右派の中山成彬氏も受賞者である。だから離党しようが、民主党政権だろうが、ちょっとでも大臣をやってれば旭日大綬章をくれるのである。

 だが、その中に西川公也渡辺喜美も含まれていて、大いに疑問を覚えたのである。西川公也元農水相はWikipediaを見るとずいぶん不祥事が多い人だ。栃木県職員だった若き日には、汚職の容疑で逮捕されたこともあった。その時は金額が少額で起訴猶予だったという。最近では吉川貴盛農水相がアキタフーズから賄賂を受けた「鶏卵汚職事件」で西川氏も名前が出た。落選して内閣参与だったときに、接待を受けてリゾートホテルに宿泊したという。現金も受け取っていて、2020年までの総額は1500万円を超えるとアキタフーズ元会長が供述しているという。しかし、立件されなければ勲章を貰えるのである。
(渡辺喜美氏に勲章)
 さて、前置きが長くなりすぎたが、今回渡辺喜美氏も旭日大綬章を受けた。ということは完全に政界引退である。渡辺美智雄元外相の長男で、第一次安倍内閣(改造)、福田康夫内閣で、行政改革担当相を務めた。西川氏が栃木2区で、渡辺氏は隣の栃木3区だった。しかし、2009年1月に自民党を離党し、8月に「みんなの党」を結成して衆院選に臨んだ。2009年衆院選は民主党に押されて当選5人だったが、翌2010年参院選では比例区で公明党を上回る得票を得て、7議席を獲得。選挙区の3議席と合わせて、一挙に10議席を得た。ここらが短い絶頂期で、その後内紛とスキャンダルに揺れ、2014年に解党することになった。
(みんなの党ポスター)
 解党に至るきっかけは、渡辺喜美氏にまつわる金銭スキャンダルだった。化粧品会社DHCの吉田嘉明会長から、2010年参院選、12年衆院選前に計8億円を借りたというのである。そのうち5億円が返金されていないという吉田手記が、「週刊新潮」に掲載された。国会議員は資産を報告する義務があるが、そこでは借入金は2億5千万となっていて違いがある。それ以上に問題なのは、これは選挙用の政治資金だったのではないかということだ。吉田会長もそう認識していて、選挙前に「あと5億円必要です」とメールしていたと明かしている。渡辺氏は借り入れは認めたうえで、「個人的な借り入れ」だとしている。
 
 だが政治家が選挙直前に「個人的に借金する」こと自体あり得ないだろう。だから政治資金規正法違反で告発されたのも当然だが、東京地検は嫌疑不十分で不起訴となった。検察審査会で審査され「不起訴不当」を議決したものの、再度不起訴となった。僕の見るところ、法的に立証出来なかっただけで限りなく疑わしいと思う。だが要するに立件されなければ、いずれ勲章が貰えるのである。そりゃまあ、起訴もされていない以上、それは「無実」と扱うべきだろう。だけど、何も勲章を贈らなくても良いし、本人だって辞退するべきものじゃないか。僕はそう思うけれど。
(旭日大綬章)
 ところで、DHCの吉田嘉明会長という人物は、様々な差別発言でよく知られた人物である。在日韓国・朝鮮人に対する粗雑な差別的発言はたびたび問題になってきた。そういう人から多額の借り入れを行うに至った事情はどんなものか。そして、それを週刊誌に暴露されたんだから、関係が悪化したんだろうけれど、それはどんな理由からだろうか。この問題は「一件落着」で、勲章貰って良かったねで済まない問題が残っているように思う。それにしても失言してもスキャンダルがあっても受勲出来るんだから、やがて麻生太郎や甘利明といった人物もきっとスゴい勲章を貰うんだろうな。そういう国なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

実態遊離、子ども無視の根底にあるものー埼玉自民党「留守番禁止」条例問題

2023年10月19日 22時36分41秒 | 政治
 先に書いた埼玉県の「虐待禁止条例改正案」問題の続報。世の中ではすっかり「留守番禁止条例」などと言われるようになった。10月の「スポーツの日」を含む3連休に大問題になってしまい、あっという間に取り下げになった。まあ、多分僕もそうなるだろうと思っていた。誰か党の上の方から指図されたのかもしれない。しかし、取り下げの会見で自民党の田村琢実県議団長は「瑕疵(かし)はなかった」「説明が不十分だった」などと言っている。この会見がよろしくなく、「自民党に子ども政策を任せられない」と思った人も多いのではないか。
(取り下げ記者会見)
 ところで、埼玉県では議会による条例制定が非常に多いのだという。それは本来なら地方議員の仕事をしっかり果たしているということだ。普通は知事提案の議案を審議するだけで精一杯だろう。そうなんだけど、埼玉県議会では自民党が過半数を占めているから、自民党県議団が決めてしまえば、自分たちだけで突っ走ってしまうことが起こる。有名な「エスカレーター歩行禁止条例」というのもある。僕は埼玉県に詳しくないが、ちょっと見た感じでは変化ないと思う。僕は東武線沿線しか知らないので、県庁所在地では違うかもしれない。まあ、少しは減ったという話もある。でも大変化とは言えないようだ。
 
 今年、自転車乗車時のヘルメットが「努力義務」とされたが、町をゆく自転車はほぼノーヘル状態。それを思えば、埼玉だけで「子どもだけの留守番は虐待」「子どもだけの外遊びは虐待」などと言われても、誰も守らないだろう。そんな「廊下を走ってはいけない」レベルの校則みたいな決まりを作っても、順守されるはずがない。ただ遵法意識が薄れるだけだろう。それにしても、何で実態無視のこの条例改正案が出て来たのだろうか。ひとつは「女性議員が少ない」ことで、58名の自民党議員団の中に3人しかいない。(写真が県議会のホームページに載っていて、明らかに男性名の議員は調べてないが3人女性がいることは確認した。)

 「働く女性の実態を知らない」という批判ももっともだろう。しかし、「女性は家で育児を担当するべきだ」という考えだけでは、この改正案は出て来ない。子どもだけの登校は不可と言われても、子ども一人だけなら母親が付き添うという考えが成り立つが、子どもが複数の場合(子どもが複数でなければ少子化は止まらない)、どうすれば良いのか。今、全国で「熊被害」が相次いでいて、富山県では小学校に熊が現れたとかで、親が車で送り迎えをすることになったという。

 だから、そういうことが出来る地域もあるのである。埼玉には山の方もあり、ほぼ各家庭に自家用車がある地域もあると思う。だけど、東京に近い地域は全然違う。小さい家やアパートが立ち並び、自動車などない家も多いはず。そこでは熊は出ないだろうが、同時に家庭で送り迎えしろと言われても無理だ。父親が行けば良いというかもしれないが、埼玉県は東京への通勤圏として発展してきた。東京へ長い時間をかけて通勤しているのに、父も(母も)子どものために帰れるはずがない。

 それで良いか悪いかの問題以前に、とにかく無理に決まってる。住民の生活実態から遊離した発想が何故出て来るのか。日本では子どもだけで登下校させて構わないのである。(もちろん、災害や今回の熊問題など緊急の例外ケースはある。)子どもだけで留守番させておくと、家にある拳銃の暴発事故が心配なんてアメリカみたいな国とは違う。日本でも子どもをねらう犯罪はあるが、重大犯罪の発生率は極めて低い。だから放置して良いとは言わないが、子どもたちは大体友だち同士で登下校していて、特に問題は起こらない。(時々起こると全国的大ニュースになるが、それは稀少だからだ。)
(条例反対運動)
 「働く女性」という問題意識は多くの議論がされているが、僕はもう一つ「子どもの側の権利」を問うべきだと思っている。子どもと言っても、今は18歳で選挙権がある。選挙権がある成人なのに、高校生の子どもがいても小学生の留守番はダメみたいな解釈があった。子どもの声を聞く努力はしたのだろうか。もちろん、してないだろう。自分たちだけで遊んでいたら虐待だなんて、そんな決まりをどう考えるか。学校で子どもたちにこの問題を考えさせてはどうだろう。多分「バカにしてる」と怒り出すんじゃないだろうか。子どもだけで外遊びするのを虐待視するなど、論外というしかない。

 「子どもの権利」「子どもの主体性」という発想が全くないんだと思う。子どもと言えど、もう何年かすれば選挙に行くのである。子どもの意見を正式に聞くシステムが是非欲しい。これじゃ逆に虐待が増える案である。親子だけでいれば虐待じゃないというのは全く逆。濃密な親子関係は、子どもに対する圧力を大きくする。具体的な暴力ではないかもしれないが、「勉強しなさい」的な圧力の増大で、子どもが壊れてしまう。子どもだけで遊べる場所の確保こそ、政治がやるべきことではないか。

 このような改正案が何故自民党から出て来たのか。じっくり自省して欲しい。それは僕が何度も書いている「マイナ保険証」問題にも言える。福祉施設、病院、あるいは高齢者、障害者の声に向き合っていれば、紙の保険証廃止は無理だと判るはずだ。野党に転落後、選挙に強い世襲議員が生き残り、その後安倍政権下で「風」で当選した議員が多数に上る。国民の声をきちんと聞ける体質が今まで以上に失われているのではないか。自分たちだけで決められるという驕りが表れていないか。国政でも「常識」という感覚が働いていない政策があるように思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トンデモ埼玉」?、驚愕の虐待防止条例「改正」案

2023年10月08日 22時17分03秒 | 政治
 『翔んで埼玉』という映画が数年前にヒットして、今続編が作られているという。だが、その前に「トンデモ埼玉」とでも言える驚きの事態が埼玉県で起こっている。「県虐待防止条例の改正案」が議会に提出されて、自民党、公明党の賛成ですでに委員会を通過した。13日の県議会で採択される予定だという。その内容が凄すぎて、とても本当とは思えないレベルなのである。僕はテレビのニュース番組で知ったが、関東地方でもまだあまり報道されていないから、全国では知らない人も多いと思う。

 「改正案」というから調べてみると、もともと埼玉県には「虐待防止条例」があった。それは児童に限定するものではなく、高齢者や障害者も含めて「虐待」を防止しようという条例である。特に問題はない感じだが、今回は自民党から「改正案」が出された。この夏も猛暑の中、車に幼児を置き去りにして熱中症で亡くなるというような出来事があった。そういうこと(児童放置)をなくさなくてはということらしいのだが、そのためには「放置」を定義しなければならない。

 4日の本会議の質疑で提案者の自民党議員から説明があって、そこで上記画像にもある驚くべき「定義」が明らかになった。それによれば、「小学3年以下の子どもを自宅などに残して外出することを保護者などに禁じる」という。そして「子どもたちだけで公園で遊ばせたり、学校の登下校をさせたり、高校生のきょうだいに預けて出かけたりすること」が違反となると説明したという。小学4年から6年に関しては「努力義務」として、県民には放置されている子どもの通報義務を課すとした。(10.7東京新聞)

 「子どもを自宅に残して外出すること」は諸外国では虐待とされ、法律で禁止している国も多いと思う。映画や小説では夫婦で外出するときに、ベビーシッターを頼んでいる。僕も自宅放置は良くないと思うけど、シングルマザーの厳しい状況ではなかなか難しい問題がある。夜間中学や夜間高校はあるけど、夜間小学校はない。だから、(この条例が通れば)小学生段階の子どもがいる親は、昼の仕事しかできなくなる。だが夜に仕事する人も必要である。何も飲み屋とか「風俗業」ではない。昼に仕事する人のために夜働く(販売、飲食、交通など)人がいなければ社会は回らない。そしてスーパーなど夜のシフトの方が時給が高いことが多いだろう。性別を問わず、単親家庭への厚い支援なくして不可能な条例だ。

 もう一つの方、子どもだけで外で遊んだり登下校するのが「虐待」だというのは、全く理解出来ない。これでは日本人は全員虐待されて育ってきたことになる。自民党議員だって、子どもだけで登下校していたのではないか。これでは「外遊び禁止条例」である。もちろん幼児の場合は、親が見守るべきだろう。だが小学生にでもなれば、友だち同士で登校してきたと思う。途中に危険な交差点などがあれば、そこに大人がいれば良い。昔は「緑のおばさん」という人がいたものだが。外遊びも、大人がいくら禁止しても自分たちだけで出掛けてしまうだろう。またそういう子どもでなければ困る。

 「通報義務」に至っては、自民党はどうなってしまったのかと思う。子どもだけで遊んでるのを見た大人は、警察に通報しないといけないのか。なんという恐るべき「警察国家」だろう。これを自民党は「社会全体で子どもを育てる」などと言ってるらしい。何を今さら、そんなことを言うのか。民主党政権がそんなことを言えば、「共産主義」「ポル・ポト派」などと悪罵を投げつけてきたのは自民党の方だ。今さら財源の保証もせずに、社会全体も何もないだろう。

 さすがに「さいたま市PTA協議会」が署名運動を始めるとか、反対運動も急速に盛り上がっている。何で自民党がこんな改正案を出してきたのか。余計なおせっかいするなと「個人責任」にするのが、自民党なのでは? だが「児童虐待」を防ぐという大義名分のもと、自縄自縛に陥っているのではないか。最近は「原理主義的思考」が世にはびこっている。「放置」は「虐待」だとして、では「放置」とは何かと考えて行くとき、あれもこれもと決めつけてしまう。その時に「常識」という歯止めが掛からない。ネット上では、「埼玉では子育てが出来なくなる」とか「『はじめてのおつかい』は埼玉では放送禁止」とか言われている。

 仮に条例が可決されたとき、知事には公布せず議会に再議に付し、3分の2以上で再可決しないと廃案になるという権限がある。ただ埼玉県議会の会派構成を調べてみると、定数93人のうち、自民党が58人、公明党が9人と自民単独では3分の2に届かないが、自公でまとまれば再可決が可能である。従って、反対の声を大きくして、こんなバカバカしい「改正案」を引っ込めさせるしかない。
*連休中に大問題となり、連休明けの10日に自民党県議団は条例改正案を取り下げることを決定した。このままでは国政にも影響を与えかねない状況になってしまったので。それにしても委員会を通過した事実は残る。自身がある政策なら、こんな簡単に引っ込めないはずだ。県民にしても、一党にこれほど多くの議席を与えていることを考えて欲しい。(10.10記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麻生副総裁「公明党ががん」発言、病気を「悪いたとえ」に使ってはならない

2023年09月29日 22時25分20秒 | 政治
 もう麻生太郎氏や森喜朗氏などの「失言」にいちいち反論するのも止めたいんだけど、これは問題の質が重大だから書いておきたい。毎日違ったことを一生懸命調べるのも大変なので、今回は簡単に書きたい。

 自民党の麻生太郎副総裁が「公明党(幹部)ががんだった」と発言したという。
「自民党の麻生太郎副総裁が福岡市内での講演で、岸田政権が昨年末に閣議決定した反撃能力(敵基地攻撃能力)保有を含む安全保障関連3文書への対応を巡り、公明党の山口那津男代表ら幹部を名指しで批判したことが25日、分かった。(中略)講演は24日。麻生氏は「北朝鮮からどんどんミサイルが飛んでくる。だが公明党は専守防衛に反するという理由で反対。現実をよく見てみろ」と指摘。山口氏、石井啓一幹事長、北側一雄副代表や創価学会が「がんだった」とした上で「今は時代が違う。ウクライナみたいに日本が戦場になると言い続け、納得するという形になった」と語った。」(東京新聞)

 これに対し、公明党の山口代表は「評価は控えたい」、北側副代表は「ちょっと事実の誤認がおありなのかな」と述べているが、本格的な反論はしていない。この発言は「政局含み」という見方もある。「解散」の可能性を見据えて、公明党を批判するのは本来避けたい時期のはずだが、国民民主党を取り込めば良いという考えである。自民党内には「公明党が国土交通大臣をずっと務めていること」への不満が強く、秋の改造で自民が取り戻すという観測もあった。強大な権限を持つ国土交通省は魅力なのである。結局公明党の斉藤鉄夫氏が留任したが、自民党内には不満も溜まっているらしい。
(山口代表)(北側副代表)
 そういう政局論も面白いけど、僕が書きたいのはそういうことではない。また内容も全然粗い議論で、いかにも「麻生節」であるが、今は内容の批判も省略する。今日の時点で、中央紙で社説に取り上げたところはないようだ。地方紙は調べてないが、中央紙というより関東の地方紙である「東京新聞」が29日付の社説で「公明党は「がん」 憲法蔑ろにする暴言だ」と論じている。その中でも触れられているが、「「がん」の比喩はがん患者への配慮も欠くもので、到底看過できない。」というのが、僕の書いておきたい点なのである。今どきこういう表現をする人がいるんだと唖然とするが、この人は以前「ナチスの手口に学べ」とも発言した。

 「○○が組織のガンだ」などという表現は昔は良く見られたものだ。「ガンは不治」で恐怖の対象だった時代のことである。黒澤明監督『生きる』(1952年)を見れば、いかに人々がガンを恐れていたか判るだろう。今も「悪性新生物」(がん)は死因の第1位である。だが、それは高齢化の賜物というべきで、今は早期に発見出来れば完治することも多い。ガンといえども、むやみに恐れる時代ではない。それなのに「ガン」を困ったもののたとえとして使うとはどういうことか。「手術で取り除け」というのか。それとも「いずれは死に至る」と言いたいのか。

 自身もガンで闘病したアメリカの批評家スーザン・ソンタグ(1933~2004)は『隠喩としての病』を書いて、単なるレトリックの問題ではないことを示した。麻生氏は「公明党が頑として反対だったのは間違いない。『がん』という言い方が不適切なら、名前を挙げた3人と(公明の支持母体の)創価学会が反対し、問題だったという意図だ」と釈明したが、「失言」の本質を理解せず謝罪していない。与党のナンバー2の発言である。自民党はガン患者に謝罪しなければならないと思うが、違うだろうか?

 「病気を比喩に使う」というのは、他にも多い。昔はハンセン病を「癩病」(らいびょう)と呼び、恐怖の対象のように思われた時代が存在した。昔の小説を読むと、思わぬ作家が比喩として使っていて驚くことがある。また今は少なくなってきたが、「同性愛」を一種の病気ととらえ「伝染」するかように恐怖の対象として使うことがあった。今も比較的残っているのが「ガン」と「精神疾患」だろう。「精神分裂病」(今は「統合失調症」だが)や「うつ病」を悪い意味で、批判相手に使う人は今もいるかと思う。

 こういう表現は、ほんのちょっとした想像力があれば、誰かを傷つけると判るだろう。家族に同じ病気の人がいれば、絶対に使わないと思う。「ジェンダー」「病気」「ナチス」には気を付けなければいけないというのは、世界の常識だ。こういう人が今も重要な役職についているということが、日本の「人権状況」を示している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民民主党代表選、自民党支持へ向かう労働組合

2023年09月11日 22時27分40秒 | 政治
 9月2日に国民民主党の代表選挙が行われ、玉木雄一郎代表が再選された。国民民主党に関心はあまりないが、この代表選の背景にある事情は重大だと思う。当初から玉木氏優勢と報道されていたが、玉木氏が80ポイントを獲得したのに対し、対立候補の前原誠司代表代行は31ポイントと2倍以上の差が付いた。玉木氏の圧勝とみて良いだろう。

 玉木代表は「対決より解決」をスローガンにして、「政策本位」の名の下に野党連携ではなく与党との協議を優先させてきた。特に2022年度の当初予算に賛成したのは、野党の対応として極めて異例のことだった。ガソリン税の「トリガー条項」問題の取引を狙ったのかと思うが、結果として全く成果を得られなかった。2023年度予算には反対したものの、前年度の印象は強く残っている。今回対立候補として立候補した前原氏は「強烈な違和感を持った」と言っていた。

 今回は国会議員(42)と国政選挙公認予定者(13)が1人1ポイントで、合計55ポイント。地方議員(270人)が28ポイント、党員・サポーター(36682人)が28ポイントの合計56ポイント。これらはそれぞれ両候補の得票割合でポイントを割り振る。総計111ポイントとなる。詳しく得票を見てみると、国会議員は玉木(28)、前原(14)と2対1。公認予定者は玉木(6)、前原(7)で前原優勢。ところが、地方議員が玉木23、前原5、党員・サポーターも同様に、玉木23,前原5と玉木圧勝の原動力となった。国会議員だけならある程度勝負になったが、党員は圧倒的に玉木路線を支持していたのである。

 では国民民主党の「党員・サポーター」とは誰だろうか。それはいろんな人がいるんだろうけど、やはり圧倒的に多いのは「支援する労働組合員」なんだと思う。国会議員でも労組出身議員は皆玉木支持である。川合孝典(UAゼンセン)、磯崎哲史(自動車総連)、浜野喜史(電力総連)と、連合傘下の労組が擁立した参議院議員は玉木陣営の推薦人になっている。当然組合員のサポーターは圧倒的に玉木氏に投票しただろう。それが代表選の結果を決定づけたのである。

 ここで判ることは、国民民主党支持の労働組合は、かつての「民主党政権」のような「野党連合による政権交代」を求めていないということだ。立憲民主党と一緒に政権構想をまとめるとなると、当然政策的な歩み寄りが必要になる。だが、電力総連や自動車総連などの大労組にとって、立憲民主党よりも自民党政権の方が近いのである。まだ完全に「自民党支持」は打ち出せない。立憲民主党支持の労組も抱える「連合」も、自民党との連立は認めない。しかし、ホンネではずっと自民党の方が近いんだろう。

 代表選直後には、自民党筋からだと思うが、国民民主党の連立入り検討という報道も流れた。これは現実にはなかなか難しく、13日に予定されている内閣改造には間に合わない。与党同士が小選挙区選挙で争ったらおかしいが、すでに各党の候補が固まりつつある中で自民候補を下ろすのは不可能に近い。小選挙区で当選した国民民主党の衆院議員にも、同じ選挙区に比例当選した自民議員がいるケースが多い。ここで「連立」報道があったのは、公明党への牽制が大きいと思う。その後、すきま風が吹いていた東京の自公関係も修復の動きが見えてきた。

 代表選後には玉木氏も「ノーサイド」と言って、前原氏は代表代行に留任した。しかし、今回の代表選は全く方向性が違う路線争いだった。すぐに修復できるというものじゃないだろう。労組からすれば、民主党政権よりも安倍政権の「官製春闘」の方が得るものが多かったんだろう。労働組合が自らの力量を高めるのではなく、強大な与党に頼って賃上げを求める。それで良いのかと言っても、とにかくそういう方向に向かっていて、事実上の政権支持勢力になりつつある。つまり、政権交代は当面は起こらないという冷厳な現実がある。そこから出発するしかないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どものカードは要らないー「マイナンバーカード」考②

2023年07月20日 22時34分28秒 | 政治
 7月7日に『顔写真は要らない』を書いたが、それが1回目。今回「マイナンバーカード考②」として、「子どものカードは要らない」ということを書きたい。これも皆がおかしいと思っているはずだが、もっと大きな声で言わないといけない。ゼロ歳児でもカードが作れてポイントが貰えるという話。だから赤ちゃんのカードもあるけど、何のために作るんだか意味不明である。

 「子どものマイナンバーカードに親の口座をひも付ける」間違いが多発している。当然だろう。赤ちゃんが銀行口座を持ってる方がおかしい。当然親が全部やるしかないから、自分の口座を登録する。何の問題もないだろう。それに対して河野デジタル相は「イレギュラーの操作をすると、子どものマイナポータルから親の口座に紐づけができてしまう」「(本人の)認識がなく、そうはならない。かなり意図的なものだ。本人名義の口座を紐づけるようにというプロセスの中で出るのだが、子どもの分は親の私が管理しようとか、子どもにまだ口座がないから私の口座にしようということで、たぶん、そうした人がいるのだと思う」と述べた。

 子どものカードを親が管理するのは当然だし、ゼロ歳児が銀行口座を持ってる方がおかしいだろう。マイナンバーカードの名義人が赤ちゃんである場合、赤ちゃんが自分で口座を登録出来るわけがない。スマホもパソコンも操作できないんだから、親(または親に代わる人)がやるしかないじゃないか。そもそも一体何で生まれたばかりの赤ちゃんにマイナンバーカードが必要なんだろうか。ひとりでどこかに行くわけじゃないし、全く必要がない。

 上記画像のように、政府は赤ちゃんでもカードが作れますと宣伝している。大人のカードは10年有効だそうだが、未成年の場合5年だという。それにしても、この画像のモデルの赤ちゃんが5歳になった時、写真で本人確認出来るのか。当然出来ないだろう。まあ多少面影はあるかもしれないけど。赤ちゃんは自分で遠出するわけじゃないが、大人が連れてった先でで迷子になるかもしれない。そのために首から下げて持たせるのだろうか。名前と住所だけの情報しかなかったら、そういう使い道があるかもしれない。

 これは「マイナンバーカードは何に使うのか」を政府自体がよく理解していないことを示すと思う。だから「生まれたら全国民にナンバーを付ける」、だから「ナンバーがある人は全員マイナンバーカードを持てる」といった「マイナンバーカード原理主義」で政策が遂行されてしまうんだろう。今の日本政府には「原理主義者」が多い。原理主義とはもともとキリスト教から始まった概念(「聖書に戻れ」的は発想)だが、そこから派生して「ひとつの原則に凝り固まった考えの持ち主」という感じで使う。日本の行政では、途中で立ち止まれずに自ら泥沼にはまり込むケースが多く見られる。

 「マイナンバー」は、本来納税や年金などの情報を統一し、あるいは補助金給付などを迅速に進めるのが目的だろう。その先には、ネットだけで行政手続きが完結する「電子政府」にしていくという最終目標がある。そうなると、独立した経済活動の主体ではない未成年には、マイナンバーカードなど不要なのである。もちろん未成年だって、お店で食事したり買い物をすれば消費税は負担する。だけど、大人だってコンビニやスーパーで現金で買い物をするときに、本人確認など求められない。

 税金も負担しないし、年金にも入ってない。政府からお金は出ている(児童手当など)けれど、それは子ども自身が申請することは不可能だ。子どもにも必要な行政情報(ワクチン接種など)は山ほどあるが、それは親に知らせるしかない。そんな未成年にはマイナンバーカードを持つ必要などない。もちろんそれは原則であって、幼い時期から子役として活躍しているような子どももいる。そういう場合は「特例発行」出来るようにしておく必要があるだろう。だけど、普通一般の子どもには不要だ。

 それより、マイナンバーカードはネット環境がなければ使いようがない。だけど、スマホもそうだし、パソコンなどの費用は高いのである。低所得者、高齢者には厳しい。スマホは小さくて高齢者には使いにくいし、パソコンの場合は「カードリーダー」がないと読み込めないという。子どもでもカードを作れると言って、莫大なポイントを付けたけれど、本当はその税金を使って低所得者向けにネット環境整備補助事業を作って欲しかった。カードリーダーを無料配布するぐらいはすぐ出来たと思うけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顔写真は要らないーそもそもアナログな「マイナカード」

2023年07月07日 22時23分50秒 | 政治
 訃報特集も終わったので、「マイナンバーカード」についてちょっと考えてみたい。今まで何度か「マイナ保険証」を批判してきたが、「マイナンバーカード」そのものについてはあまり書いてないと思う。自分に必要ないと思って、持とうと思わなかったから、考える必要も感じなかった。(紙保険証の来秋廃止法が成立した)今になって、マスコミも高齢者や障害者を無視しているなどと批判している。また様々なミスが報告されて、政府も「総点検」を実施すると言っている。何を今さら…と思うけど、こうなると判っていても一度決めたことは止められない「日本政治の病弊」がまた現れたということか。

 そこで「マイナンバーカード」について考えてみたんだけど、まずこのカードは取得するまでがやたら面倒くさい。高齢者施設などで代理申請しようと思っても、非常に大変だという。顔写真も病室で寝ているところを撮影しても、背景がどうのこうのなどと言われるとか。受け取りもまた面倒で、日時を指定して役所に取りに行く必要があるらしい。任意だというのに、何でそんなに頭が高いのか。身分証明書にもなるものすごく大事なカードなんだという話で、ふーん、そうなんだと思った人が多いと思う。

 僕もそれはそうだろうな程度しか思わなかった。政府は「デジタル社会へのパスポート」なんて言ってて、大事なカードだから写真付きなんだろうという思い込みである。現実のパスポートは、国境を越えて他国の主権下に移動するために使う。本人であることの確認を相手先の国家が要求するのも当然だろう。でも「デジタル社会」って何だろう。「電子政府」という言葉もある。直接役所まで出向かなくても、自宅のパソコンやスマホから様々な行政手続が可能になるということだろう。

 じゃあ、顔写真は不要なんじゃないか。顔写真を載せても、カードを使うときに顔認証するわけじゃない。たかが行政手続をするだけのために、写真は不要なのである。それはクレジットカードでネットショッピング出来ることでも明らかだ。クレジットカードは「ツケ」でモノが買えるし、時にはお金を借りることまで可能である。そんな機能を持つクレジットカードに顔写真なんかない。他人のなりすましが心配とか、情報の流出が心配とか言い出せば、クレジットカードも持てなくなる。

 民間企業としてクレジットカードが成り立つんだから、顔写真なんか不要なのである。その代わりに信用力を確保するために、年会費が必要だったり、本人確認に二段階認証が必要だったりする。マイナンバーカードがあっても、政府がお金を貸してくれるわけじゃない。行政手続を行うためだけなら、それほど厳しい仕組みはいらないはずだ。それを言えば、名前だって不要だと思う。名前ではなく、個人識別番号で、行政機関が国民を認識するというのが、マイナンバー制度のはずである。
 
 「コンビニで住民票が取れます」と言うけど、別人の住民票が出て来たという「事故」が起きている。それは前に発行した住民票が出て来たことが多いようだから、かなり単純なミスなのではないかと思う。それより、保険証でもなんでも、「同姓同名」の人が紐付けられていたという話を結構聞く。それはどういうことなんだろうか。そもそも同姓同名でも、「マイナンバー」は別である。個人番号で識別しているのではなく、個人名を認識して住民票を出して来ているのではないのか。

 そもそも「コンビニで住民票が取れる」が本当はおかしい。「マイナンバーカードで手続すれば、住民票は不要になります」というのでなければおかしい。いちいち住民票を提出するのが面倒なのである。よほど小さなお店で働いているのなら別だが、大企業や役所に勤務している場合なら、勤務先に個人番号を届ければ済む。いちいち通勤費請求のために住民票を取る必要がない。そういうのが「個人番号」の長所のはずだ。それなのに諸手続に住民票提出が必要で、そのため「コンビニで簡単に取れます」と言われると便利なような気がしてしまう。

 現在の政府が進めている「マイナンバーカード」は、本当はアナログ行政を温存する仕組みなのかもしれない。僕はどうもそんな気がしてならない。マイナンバーカードに関して考えたことはこの後、断続的に時々書いていきたいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「LGBT法案」の作られ方ー空洞化する国会審議

2023年06月11日 22時44分31秒 | 政治
 いわゆる「LGBT法案」に関して、自公案が維新・国民の修正案と一本化され、6月9日に衆院内閣委員会で可決された。この法案そのものと同時に、裏で進められた修正協議で決まってしまう国会審議に疑問を感じる。前に書いたように、今国会は「問題法案」(原発60年延長、保険証廃止、入管難民法…)が自公+維新・国民が加わって続々と成立してしまった。しかし、この「LGBT法案」に関しては成立が難しいのではないかと思われていた。「議員立法」は超党派で出されたもの以外は審議しない「慣習」があるからだ。それもどうかと思うが、結果的に三案に分かれたため会期末が近づき今国会成立は難しいと思われていた。

 何で成立に向かって急転直下動き出したかと言えば、岸田首相の強い意向があるらしい。もともと「広島サミットまでに」成立を目指しながら、自民党内の調整が進まなかった。「超党派案」がすでにあったのに、それを自民、公明で修正してしまったのである。その超党派案というのは、2021年に作られたもので、こっちは「東京五輪までに」ということで作られたものだった。要するに「先進国として何もないのは恥ずかしい(けれど同性婚までは踏み込まない)」ということである。今でも日本政治は、五輪、サミットなど「黒船」が来ないと変わっていかないのである。。
(先進国の状況)
 結果的に3案となったこの法律の正式な名前はなんと言うのだろうか。「性的指向及び性自認の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」と言うのが、もともとの超党派案、そして立憲民主党・共産党提出案である。それを自公案では「性的指向及び性同一性の多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」とし、維新・国民案では「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律案」となった。国民民主党は1月には立憲民主党とともに超党派案を提出していたのに、今度は維新に乗り換えたのである。しかし、一番の問題はこの呼び方の問題ではない。

 後で見るように、内容に大きな変更がある。そして、とにかく3つの案があるのである。どのように審議すれば良いのだろうか。それは「当事者」や「学識経験者」を参考人として呼んで意見を聞くことである。国会でやってる参考人招致も、大体はアリバイ作りというか、やってるだけみたいなときが多い。それでも政党間で裏で折衝したものは記録が残らないが、参考人の発言は議事録に残って後世の検証が可能になる。もう会期末が近いが、それは会期を延長すれば済むことだ。このような「言論の府」としておかしなやり方をしていては信用を失うばかりである。
(各案の相違点)
 今回は自公が「維新・国民案」をまるごと受け入れて、4党案となって可決された。「差別は許されない」を「不当な差別はあってはならない」に変更したのは、自公案、維国案ともに同じである。「不当」を加えたことも問題だが、「許されない」と「あってはならない」も微妙にニュアンスが違う。「許されない」は非難する言葉だが、「あってはならない」ものは「本来あってはならないけど、あるんだから仕方ない」的なニュアンスが出て来て、啓発のための理念法にふさわしくない。

 さらに、「維国案」から①「学校設置者に、家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ、相談機会の確保など努力義務」と真ん中にある部分を付け加え、②「全ての国民が安心して生活できるように留意する」という「留意」条項を取り入れた。前者は学校に「保守系団体」が抗議できる根拠だし、後者は「全ての国民」という言葉の裏に、「(同性愛を嫌悪する国民も)安心できるように」の含意がある。つまり、「維国案」は「自公案」と「超党派案」(立、共提出案)の真ん中だろうと思うと大間違い。「維国案」は一番保守系に配慮した右寄り案なのである。
 
 そして、裏で与党と維新が取引して(国民民主党は呼ばれてない)、「維国案」丸呑みが決められた。これで野党も賛成という流れとなったが、「維新」という党の立ち位置がよく判る行動である。こういう法律でも「ないよりはいい」のか、僕には判断出来ない。それでもこの案にも猛反対している人たちが自民にはいるし、参政党はどうやら党を挙げて反対している。こうなれば、自民内の極端な右派にこそ期待すべきなのかもしれない。「党議拘束を外せ」と言ってるようにすれば、各議員の立ち位置がはっきり明示されるわけである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新人に不利な選挙制度ー世襲政治家問題②

2023年06月08日 22時38分42秒 | 政治
 政治家の「世襲」には問題が多いと言うと、でも選挙で有権者が選んでいるという反論が出る。その通りだけど、ではその選挙はフェアなものだろうか。もちろん、一人一票、秘密投票などの点で、表面的な平等性は確保されている。しかし、実際には何代も政治家をしている一族だと、少なくとも名字は選挙に行く全員に浸透してる。投票所に候補者名が貼ってあるから、何となく知ってる名前に入れやすい。そこに新人がチャレンジするのは、最初からハードルが高い。

 だから有力者に対抗する人は初めからいない。神奈川11区(小泉進次郎)、鳥取1区(石破茂)の選挙区など、対立候補は共産党だけだった。従来の得票状況を見る限り、共産党には当選可能性がない選挙区だ。実質的な信任投票であり、共産党の立候補は無投票当選を防いだ意義がある。次回は「維新」が全国に立てるとか言ってるが、果たしてこういう選挙区でも立てられるのだろうか。与党有力者の選挙区にも候補がいなければ、政権交代など夢のまた夢だろう。

 先日、山口2区で岸信夫議員の辞職に伴う補欠選挙が行われ、長男の岸信千代氏が当選した。前回(2021年)、岸信夫氏は11万票近くを獲得したが、今回岸信千代氏は6万1千票ほどに止まり、対立候補の平岡秀夫氏が5万5千票近くを獲得した。これは「世襲批判」もあったかと思うけど、平岡氏は民主党政権で法務大臣を務めた有力者である。山口2区では平岡氏が当選4回、岸信夫氏が当選3回とむしろ平岡氏の方が多い。もともと知名度が高かったわけである。前回岸信夫氏は現職防衛相として選挙に臨み、対立候補は共産党だけだった。今回は突然の病気辞職で、信千代氏の浸透が十分じゃなかったのである。
(岸信千代氏)
 政治家の世襲は怪しからん、では自分が立候補しようと思っても、なかなかそういうわけにもいかない。最近「解散風」が吹いていると言われるが、ホントに衆院選があるかどうかは判らない。任期満了は2年先だから、今何か仕事をしている人なら、早めに会社を退職しちゃうと生活が出来ない。無所属でも出られるが、政見放送がないなど圧倒的に不利。供託金も必要で、衆院選の場合は300万円も必要だから、それなりの金持ちじゃないと無理。もちろんどこか政党に所属していれば党が出してくれるだろう。自分の信条に合う政党があるなら、そこから出られれば良いのだが、今度は「党の事情」も出てくる。突然他党との「選挙協力」で、別の選挙区に回ってくれなどとなるかもしれない。

 そういう条件をすべてクリアー出来ても、選挙運動期間は衆院選の場合、たった12日間しかない。2週間もないのである。先頃行われた市区町村長選、議員選は、わずか7日間である。小さな村ならそれでいいかもしれないが、東京には人口で政令指定都市になれるぐらい大きな区もある。人口数十万の都会で、たった一週間ではまったく知名度を上げられない。ビラを作って配るのも違法文書と言われてしまう。どうでも良い「選挙ハガキ」というのもあるが、衆院選で3万5千枚しかない。(なお、選挙ハガキが何で来たのか判らないという人もいるだろうが、候補者は有権者名簿を見られるのである。)
(岸信千代氏の系図)
 こうなると、有力者一族か、それともタレント、スポーツ選手など、もともと知名度が高い人が有利になる仕組みになっているとしか思えない。じゃあ、選挙運動を長くすれば良いのか。今は「公営選挙」の割合が高く、税負担が増えることになる。また「選挙カーがうるさい」など苦情が殺到する。タテマエでは選挙は大切といいながら、いまや選挙は迷惑だというのが現代人のホンネだろう。「政治家は恵まれている」などと言いながら、じゃあ政治家になろうという人が少ない、特に地方議会ではなり手がいないというのが日本社会である。果たしてそれを変えられるか。

 供託金の引き下げビラ配布の自由化(今では誰でも自宅のプリンターですぐに作れる)、戸別訪問の解禁(戸別訪問は禁止されているが、選挙期間に支持者の訪問はけっこう多いだろう。昔は買収の温床になるなどと言われたが、今は誰かが秘かに録音してネット上に上げる可能性があるから、公然たる買収は考えにくいと思う)などがあれば、全く無名の人でもかなり知名度を上げられるだろう。そして何より「選挙期間の延長」が必要だ。3週間ぐらいないと、大都市部では候補者を見ないままになる。

 しかし、それより「ネット選挙」を完全自由化するべきではないか。つまり、事前運動という概念をネット上ではなしにする。「今度の衆院選に出ます。入れて下さい。」「一緒に公約を作りましょう」「供託金を集めるためのクラウドファンディングを始めます」など、あっておかしくないと思う。見たくない人は見ないだけのことで、誰の迷惑にもならない。若い人ならば、国政選挙は無理かもしれないが、地方議会の選挙に必要な知名度を獲得出来るかもしれない。「現職有利」の選挙制度が世襲をはびこらせている元凶だろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「政治家世襲」は現代の「蔭位制」ー世襲政治家問題①

2023年06月07日 22時35分40秒 | 政治
 自民党の有力政治家が「世襲」ばかりになってしまったとよく問題視される。確かに小選挙区である一族がずっと当選している場合など、まるで領地のように見えてしまう。群馬4区の福田家、群馬5区の小渕家、茨城4区の梶山家、神奈川11区の小泉家など、案外関東地方に多い。西日本の有力議員、麻生太郎石破茂、そして岸田文雄現首相などは、96年の第1回小選挙区制からずっと本人が当選していて、未だ「世襲」以前である。

 日本全体では、2009年だけは民主党(当時)が当選したところが多い。それに「世襲」じゃなければ良いという問題でもないだろう。菅義偉萩生田光一下村博文稲田朋美高市早苗など、自民党内の非世襲政治家が世襲政治家に比べて特に優れているようには思えない。まあ、それらはともかくとして、岸田首相の長男、岸田翔太郎氏をめぐって問題視されている「政治家の世襲」問題をここで考えてみたい。
(岸田翔太郎氏)
 この問題の本質は、「岸田翔太郎氏が公設秘書として失格だった」ということではない。岸田翔太郎秘書が有能高潔な人物だったら、もっと大問題である。税金を使って子どもの選挙運動をしているようなものだからだ。ある意味、岸田翔太郎氏の「正体」が暴露されたことで、秘書に登用した意味が(国民的には)あったと言えるだろう。問題は「岸田翔太郎」氏が有能だろうと無能だろうと、家族を首相公設秘書にするという露骨な「縁故主義」の方である。首相が専権的に決めて良いポストだろうが、基本的には家族は避けるべきだと思う。

 問題点をクリアーにしておくと、「世襲」そのものは良いとも悪いとも言えないということである。時々自民党に対する怒りからか、「世襲を禁止せよ」などという「護憲派」がいる。しかし、現行憲法上、立候補の自由は基本的人権であり、誰にも奪えない。日本の国籍を有していれば、全国どこの選挙区からでも立候補可能である。「国民の代表」を選ぶ国政選挙では、当然「居住要件」もない。(居住を言い出せば、岸田首相は広島に居住実態はない。東京に常駐するべき役職なんだから当然である。)
 
 だけど、政治家が引退した後で、家族が立候補して、高い知名度を生かして悠々と当選するという事態に、多くの人は釈然としないだろう。立候補して当選したんだから、有権者の判断だと当の本人は言うだろう。しかし、横須賀市の有権者は「小泉進次郎」という青年がどういう人か、よく理解して投票したんだろうか。自民党が公認して、自民党のただ一人の候補者だから、保守系有権者は入れるしかないだろう。いわば「党の公認」に全権を委ねていることになる。
(昨年末の「忘年会」後の写真)
 これでは現代の「蔭位(おんい)制」だと思う。「蔭位」というのは、日本の律令政治で有力政治家の子弟を優遇する制度である。中国でも古代にあったというが、宋代以降は有力者一族でも科挙に合格するのを誇るようになっていったという。日本では大宝律令に正式に決めてあり、よく「藤原氏が政治を独占した」などというが、別に横車を押したというより正規の決まりがあったのである。いろいろ決まっているが、例えば親が「正一位」なら、嫡子は21歳になったときに「従五位下」に叙位されるのである。

 親の御蔭で叙位されるから、「蔭位」の制という。現代日本ではこのような正式制度は存在しない。しかし、事実上、巨大与党の公認が約束されているから、有力者の子どもは有利なスタートを切れる。小泉進次郎氏が環境相に起用されたり、福田達夫氏が党総務会長に起用されたりしたのは、他の同期当選議員では考えられない。これじゃ、不公平である。そう思う方が自然であり、何とかしないとマズいだろう。では、どんな方法が考えられるだろうか。

 例えば、小選挙区当選者は次回選挙に同じ小選挙区から連続して立候補することを禁止する。つまり、時々「コスタリカ方式」と呼ばれる方法である。自民党内に有力候補が多く、交代で出るようなことがかつてあった。もちろん、家族以外でも同じで、今の野党当選者にも適用される。政治家は次は比例区に回るか、別の小選挙区を探さなければいけない。だが、これは選挙違反などの場合を除けば、立候補の自由を奪う憲法違反の恐れが否定出来ないと思う。

 では、何も出来ないのだろうか。僕は「家族を公設秘書にすることを禁止する」のは可能だと思う。「家族が助け合うの自然」などと自民党は言うかもしれない。もちろん、私費で雇われた私設秘書までは職業の自由の観点から禁止できない。しかし、税金で雇われる「公設秘書」は、別だと思う。家族がやっていれば、どうしてもなれ合い的になり、古くからの支持者とのつながり、後ろ暗い資金管理などを切れなくなってしまう。世襲した後も昔からの関係を引きずることになる。

 家族をどうしても後継にしたいと思うなら、「かわいい子には旅をさせよ」だろう。同僚議員のもとで秘書をさせるのである。そこまでは禁止するのは難しい。自分も他議員の子どもを預かることもあるだろう。今まで有力政治家のほとんどは、自分の家族を秘書にしてきた歴史がある。やはり家族以外には出来ない、政治の機微にふれる話があるからじゃないか。少なくとも、4親等以内の家族、親族は秘書には出来ないという法律を作る必要があると思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マイナ保険証」、廃止までの10年の闘いへ

2023年06月02日 22時47分19秒 | 政治
 ついに「保険証廃止」、「マイナ保険証に統一」という「マイナンバー法改正」が成立してしまった。最近になって、「マイナ保険証」の不具合、あるいは「マイナカード」の不備がいくつも報じられた。テレビニュースで中央省庁に問い合わせすると、関係部署をたらい回しされていた。黒澤明監督の映画『生きる』が最近イギリスでリメイクされたが、やはり今でも意味のあるテーマだったとよく判った。それでも政府、与党は全く立ち止まって再考しなかったのである。

 この問題は今までも何回も書いてきて、同じような論点になるが改めて書いておかなければと思う。頭の中を整理して論じたいのだが、「マイナンバー」「マイナンバーカード」「マイナ保険証」は皆別のものである。時々「外国で働いたことがあるので、マイナンバーカードに違和感は持たない」などと言う人がいる。自分で調べて欲しいが、世界のどれだけの国にマイナンバーカードがあるのか。「マイナンバー」というか、「個人識別番号」はもちろん外国にある。日本にだって昔から存在した。学校では学籍番号、自動車免許を取れば免許証番号、その他資格を取ればそれぞれ独自の番号がある。

 税金や年金、健康保険など公的な制度では、今までは別個のシステムでやってたから、別々の番号が付いていた。それを統一しようというのは、別に反対していない。というか昔から賛成である。「国民総背番号制」という人もあるが、公的制度との関わりは秘密にする性格のものじゃない。地元図書館の貸し出しカードとかTOHOシネマズの会員カードなんかまで統一するわけじゃない。もしそうなったら、どんな本を読んでるか、どんな映画を見てるかが政府に把握出来てしまうので、あってはならない。

 「マイナンバー」はあってもいいが(というか、政府がもうずいぶん前に付けてしまったわけだが)、では「マイナンバーカード」を全国民に持たせるという意味が僕には判らない。しかし、それはまあ、今は良しとする。しかし、「マイナンバーカード」と「マイナ保険証」は別のものである。従来の保険証を廃止して「マイナ保険証」にするということは良くない、あってはならないと思っているのである。何故なら、「国民皆保険制度」の大幅な改悪だからである。「マイナンバーカード」は自ら申請するものである。マイナカードがない人には「資格確認書」を発行するというが、それも申請が必要だという。
(保険証からマイナ保険証へ)
 日本では今まで、一部の人しか関わらないもの、例えば児童手当とか生活保護などは「申請主義」だったけれど、全員に関係するものは行政から通知するやり方だった。例えば、選挙に行きたいときに「入場整理券を送って下さい」なんて申請しない。子どもを学校に行かせるときも、「学校に通わせたい」という申請なんかしない。(住民票があることが前提だが。)同じく、健康保険証も保険料を納付している人には全員、保険組合から自動的に送ってきたわけである。

 それを「申請主義」に変えてしまえば、必ず漏れが出て来る。実際マイナカードを申請し、役所に取りに行くというのは、かなりのエネルギーを要する。資格確認書を申請するというのも、ちゃんと内容を理解し、近くの郵便ポストまで行ける知力体力が必要である。(まあ郵送だと思う。)それぐらい簡単だろうという人がこういう仕組みを考えたのだろう。マイナ保険証もスマホやパソコンがないとダメである。(役所や福祉施設で使えるようにして貰うためには、パスワードなどを教えないといけない。)スマホもパソコンもない役所から来た郵便の内容が把握できないポストまで行く体力もないという人はどうすればいいのか。

 僕はこの問題はもっと大問題になり、統一地方選の大争点になると思っていた。しかし、それほどの盛り上がりを見せなかった。多分、政治家や官僚、マスコミ関係者だけでなく、ネットユーザー、市民運動家なんかも、大体は「元気」なのである。高齢者、障害者、要介護の人、重い病気がある人などが身近にいれば、これは大変だと思うはずだ。さらに「家族がいる人」は何とかなるかもしれないけど、一人ぐらしの高齢者は大変だ。新聞は取らず、テレビも(電気代高騰で)ほとんど見ない、もちろんパソコンもスマホもないという人はたくさんいるだろう。そういう人は「保険証廃止」というニュースさえ知らないだろう。

 やってみれば、カードを無くす人がたくさん出てくる。病院でも読み取れない不具合が多発する。使いこなせない高齢の医者も出て来る。薬をたくさん飲んでいる人は、「お薬手帳」を持参するより簡単だと評価する人もいる。しかし、薬をたくさん服用している人ほど、カードを申請に行くのが難しい。メリットもあると言ってる人は、実はほとんど病院に行かない元気な人だろう。僕もマイナ保険証にメリットが全くないとは言わない。しかし、それは医療情報がICで集積されるからであり、運転免許証がそうなったように保険証もICチップを入れたカード形式にすれば良いだけである。

 だけど、実際にはそれは無理だ。運転免許証はその性格上、自ら更新に行く必要があり、その時に手数料が掛かる。保険証の発行は数千円も掛かっては困る。そうなると、混乱が続き、いずれは自民党の支持組織である医師会からも反発が強まり、「紙の保険証」の方が楽だったとなるのには、10年間の闘いが必要だろう。教員免許更新制という愚策をなくすのに、約10年掛かった。現実に教員不足というマイナスが大きくなって、初めて廃止された。同じことが起きると僕は予測している。

 それまで混乱を最小限にするためには、「資格確認書」をマイナンバーカードを持ってる人も含めて、保険制度の全加盟者に(申請なしに)送付するということが必要だと思う。マイナ保険証を使いたい人は使えばよく、一方マイナ保険証を持ってるけど(少し医療費が高くなっても)資格確認書を使った方が安心だという人はそれでも良いとする。マイナカードを持ってない人は、申請をしなくても資格確認書を送ってくるから、それを使えば良い。マイナ保険証との医療費の差という問題が残るが、取りあえずそういう対応を強く求めて行く必要がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21世紀の「左翼」とは「多様性」であるーわが左翼論⑧

2023年05月22日 22時36分18秒 | 政治
 「左翼論」の最後に「21世紀における左翼とは何だろうか」を考えてみたいと思う。「左翼」概念は時代によって移り変わってきた。「左翼」という政治用語はマルクス以前からあるのだから、左翼=マルクス主義じゃないことは自明である。もともとフランス革命の時に、国民議会で王政批判派が(議長席から向かって)左に、王政擁護派が右に座ったということから、政治における「左右」概念が生まれたわけである。そこでは「アンシャン・レジーム」(旧体制)を変革しようという側が左翼、旧体制を維持しようという側が右翼という区分けである。この区分けが基本的にはその後も共通していると考えられる。

 19世紀前半から20世紀初頭まで、基本的には「絶対主義的王政」を打倒することが「左翼」だった。しかし、第一次世界大戦を機に、ロシア、ドイツ、オーストリアなどの大帝国が崩壊し、ヨーロッパの国はほぼ議会制民主主義的な政治体制に移行した。そのため、王政をどうするかは「左右」を分ける指標にはならなくなったわけである。(王政を維持している国では、王政を廃止して共和政に移行するべきだという考えが「左翼」の中に存在している。しかし、それは少数派に止まることが多い。)

 その後19世紀半ばに「マルクス主義」が登場した。マルクス主義の考えでは、政治体制は上部構造であり、下部構造である経済体制(生産様式)こそ変革しなくてはならない。その考えに基づいて、社会主義な経済体制を樹立すべく革命を目指す党が建設された。それが「共産党」で、この勢力がある程度の大きさになってからは(国によって時差があるが、おおよそ20世紀の大部分)、共産党からの距離が左右を図る基準となった。この場合も「旧体制」である資本主義経済を維持する側が右、変革して社会主義経済を目指す側が左ということになる。

 ところが「社会主義の祖国」であったはずのソ連が崩壊し、同じ頃に中国も「社会主義市場経済」に移行した。中国は今も「共産党一党独裁」であり、社会主義的な経済体制を取っていることになっている。しかし、国内には株式市場が常設され、一般国民も株を売買出来るのだから、これは定義からして資本主義経済と呼ぶしかない。一方の資本主義国であっても、すべてを「神の見えざる手」に委ねるなどという国はない。いずれも中央政府(中央銀行)が金利や国債引き受けなどを通して、経済をコントロールしようとしている。各国の経済体制は似たようなものになっていて、もはや経済政策で左右を決めることは難しい。

 ということで、ソ連崩壊後(冷戦終結後)にはもはや従来のイデオロギー対立の時代ではないという声が高くなった。それは一定の正しさを持っていたと思うが、それでも各国で「左右対立」は残り続けた。それは何故だろうか。それぞれの国で、それぞれ別個の「アンシャン・レジーム」があり、それぞれの国で「わが国の伝統を守れ」という主張と「新しい政策に移行するべきだ」という主張が対立したのである。その場合、先の基準に従って、アメリカでは「銃規制賛成派」が左に、「銃規制反対派」が右になる。
 (ヨーロッパの「極右」勢力と主張)
 ヨーロッパ政治の概念として「極右勢力」がある。ヨーロッパでは、ナチスへの反省から「極右」勢力は基本的に連立の対象にしないことになっている。(イタリアで2022年に「極右」とされる「イタリアの同胞」党首メローニが選挙で第一党になり首相に選出されたが。)それらの政党の主張を見てみれば、現代ヨーロッパ政治における「右翼」の概念が判るだろう。フランスの「国民連合」の政策を見ると、「反移民」的な主張、「自国第一主義」の色彩が強い。

 国民連合のマリーヌ・ルペンは2回に渡って大統領選挙の決選投票に残った。その時に左派票が反ルペンとして、マクロンに投票されたため当選出来なかった。イタリアは議院内閣制なので、極右政党が第一党になることが可能だった。大統領直選制の場合はフランスと同様に権力を握るのは難しかっただろう。しかし、メローニは首相に選出されたら、それまでの反EU、親ロシア的な主張をセーブしているようだ。マリーヌ・ルペンは父親ジャンマリー・ルペンが創設した「国民戦線」を2011年に受け継ぎ、2015年には反ユダヤ的言動をする父親を除名した。政策の穏健化を進めて、2018年には「国民連合」と改称した。

 このように「極右勢力」も権力に近づくにつれ「穏健化」していくのだが、今はヨーロッパ政治の問題ではない。「現代の右翼思想とは何か」を問題にしているので、むしろ「国民戦線」時代の政策こそ関心の的になる。それをWikipediaで見てみると、「移民の制限」「(一部の犯罪に対し)死刑復活」「犯罪者・移民へのトレランス・ゼロ政策」「道徳復権」「公務員削減」「(同性愛カップルを認める)民事連帯契約法廃止」「減税」「国籍の血統主義」などが挙げられている。

 これらを見ると、外国人や犯罪への厳しい対応を主張し、公務員を敵視し、減税を主張する。これは日本の右派勢力との共通性を認めることが出来る。そして道徳を重視して、伝統的な生活習慣を重視する。これを見る限り、死刑制度を維持し、難民は認めず、そもそも国籍は血統主義である日本は、極右政治を実行していると言うべきだろう。そのような傾向から、性的マイノリティの権利は極力認めないようにする。これはアメリカのトランプ政権でも見られたことだった。
(性的指向に関する世界地図)
 これをまとめると、「移民」や「性的マイノリティ」を認めないという方向が見えて来る。「伝統」の名の下に、社会の中で「多様性」を認めることを拒否する。これが21世紀の右翼の特徴と言っても良い。ヨーロッパ、アメリカ、日本などの政治動向からすると、そういう結論が見えてくる。そこで思うのだが、昔は革命で成立した「中華人民共和国」が左で、内戦に敗れて台湾に逃亡した蒋介石の「中華民国」が右だったのである。ところが21世紀基準で考えると、同性婚を法制化した台湾が左になって、違法ではないものの同性愛に関する表現が事実上認められない(性的マイノリティを描く外国映画は上映不可になる)中国の方が右になる。

 この基準は一見不思議とも言えるけれど、従来の見方を捨てて虚心坦懐に世界を見れば、「伝統」の名の下に同性愛者を弾圧するイスラム諸国やロシアなどが右翼になるのは納得感がある。中国も同様で、事実上右派が権力を握っていると考えた方が良い。「左翼」というのは従来の伝統(アンシャン・レジーム)を変えようという方だから、現代の「左翼」は同性婚を容認し、移民受け入れに積極的な立場だと言えるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自公」+「維国」で、問題法案がどんどん通るー入管法、原発、マイナ保険証

2023年04月28日 21時47分17秒 | 政治
 過去を振り返っている間に、現状がどんどん悪くなっている。4月は全国で「統一地方選挙」が行われたが、ここでは何も書かなかった。自分の居住地が(東北三県=岩手、宮城、福島や沖縄県を除き)何の選挙もないところなので、選挙気分が出ないのである。そして5月になると、区長選、区議選があるので、あちこちでビラまきをする人が増えてきた。

 統一地方選では、全国的に「維新」が増加したことが目に付いた。(そのためかどうか「参政党」は予想ほどは議席を獲得できなかった。)では「維新」が増えたことで、日本が変わるのだろうか。いま国会では内閣提出法案に与党(自民党公明党)だけでなく、そこに日本維新の会、さらに国民民主党が加わって、問題法案がどんどん可決されている。

 もともと、この両党は「準与党」あるいは「与党願望が強い党」であることは承知している。現在、与党の中でも自民党は一党だけで衆参両党の過半数を持っている。それに公明党が加わるわけだから、本来政府提出法案は成立してするはずである。そこにあえて「維新」「国民」が加わる意味は何だろうか。「与党だけでごり押ししたわけではない」というポーズに協力しているのだろう。

 かくして4月28日に「入管法改正案」(出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案)が大きな反対を押し切って、衆院法務委員会で可決された。維新と立憲民主党は、自民、公明とともに修正協議を続けていた。立民は難民認定のための第三者機関の設置を求め、与党は「付則」に検討を盛り込むことにした。しかし、付則が実現したためしはないとして立民は反対に回った。
 
 この対応は完全に正しい。「付則が実現したことはない」という認識は全くその通りだ。維新が賛成に回った修正とは、「難民認定担当職員への研修規定創設」とか「申請者の本国情勢に関する情勢調査」「難民の専門知識を持つ職員の育成」とか、それ今さら書き加えて何か効果あるんですかと思うようなものだ。もちろん、その修正は「ないよりマシ」かもしれないけど、今までだってタテマエとしては行われていただろう。今後も「研修」「調査」「育成」が本当に人権重視のものになると保証できるのだろうか。

 続いて「原発を60年超運転することを可能にする」法案。これは幾つもの法案をまとめた、いわゆる「束ね法案」として提出された。だから法案の名前だけ見ていると、中身が全然判らない。問題ある「原子炉等規制法改正案」なのに、全体として「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法案」になっている。「脱炭素法」とか言われたら、それは良いとうっかり賛成しかねない。しかし、福島第一原発事故後の「原発は40年まで」としたものを完全に転換したのである。
 
 この法案は27日に衆議院を通過して、参議院に送られた。なんで「60年に延ばすのが問題なのか」はここでは書かない。常識的な感性があれば心配になるはずである。もちろん何年経ったから事故がすぐ起きるというものではない。だが、時間が経つほどに経年劣化が進むのは間違いない。「何か起こったら」の結果があまりにも大問題なのだから、「念には念を入れる」というのが事故後の多くの国民の考え方だったはずだ。ドイツでは脱原発に踏み切ったではないか。この法案も自公+維新、国民で成立した。

 続いて「マイナ保険証」法案。本当は「保険証廃止法案」と呼ぶべきだろう。これも「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律等の一部を改正する法律案」という。これじゃ判らない。マイナ保険証問題は今まで何度も書いてきた。この法案も衆議院で自民、公明、維新、国民等の賛成多数で4月27日に衆議院で可決され、参議院に送られた。
 
 これは「保険証」の大転換である。マイナカードがどうのという問題ではない。今までマイナカードは任意と言ってきたし、情報流出の危険性を否定出来ない。そういう問題ももちろんあるけれど、マイナカードを申請しただけでは保険証が付いてくるわけではない。マイナカードそのものも「申請」が必要だが、その後自分で保険証を設定しないといけない。マイナカードがない場合は「資格確認書」を申し込まないと行けない。何にしても、「送られてきた保険証」から、「自分で申請する保険証」への歴史的大転換である。議員たちはパソコンもスマホもない人がたくさんいるということを知らないのだろうか。

 日本学術会議の会員選出をめぐる改悪案は直前に撤回された。しかし、今の3法案だけでも、国民生活に大きな変化をもたらす重大な「悪法」だ。3法案すべて、自民、公明、維新、国民民主の賛成多数である。反対したのは「立憲民主党・無所属; 日本共産党; れいわ新選組」だけだ。僕はこの3党に言いたいこと、疑問に思っていることがいっぱいあるけれど、少なくともこれらの悪法に加担していないことは正しいと評価出来る。でも、何でもっと統一地方選でこの悪法阻止を訴えて闘わなかったのか。

 しかし、まだ参議院がある。昔の冤罪映画のように「まだ最高裁がある」と言える時代じゃない。だけど、インターネットという現代の新しい武器もある。大型連休中に世論が大きく盛り上がることを祈って、緊急に書いておく必要を感じた次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする