尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

首相の「賃上げ」問題なしーポピュリズム的発想を排す

2023年11月25日 22時17分12秒 | 政治
 書こうかどうか迷ったけれど、自分の発想を示す意味でも書いておこうかと思う。首相を初めとする「特別職公務員」の「賃上げ」の問題である。このご時世で、首相や大臣が自分の給料を上げるとはけしからんと一部野党(立憲民主党、日本維新の会、日本共産党など)は反対した。しかし、首相らは増額分は国庫に返納するとして、国会では与党(自由民主党、公明党)に国民民主党なども賛成して可決された。返納するぐらいなら、最初から上げなければいいじゃないかと思う人も多いだろう。だが、この問題に関しては僕は与党の原案どおりで良いと思っていた。その理由を以下で説明しておきたい。

 僕は政府、あるいは自民党に反対するような記事を書くことが多い。だが、別にどこかの政党や団体に所属しているわけではなく、誰かに指示されているわけでもない。自分の頭で考えて、その結果政府・与党が進める政策に問題があると思ったら書くわけである。小さなブログといえども、世に警鐘を鳴らすことに多少の意義はあるだろう。今回は自分なりに考えて政府案で良いと思ったが、どうせ与党が多数なんだから書くまでもない。そして実際に政府案通りに決定したわけである。それでも今になって書くのは、問題を考える発想を書きたいからだ。 

 僕が思うに、世の中のものごとは「事務的に処理するべきこと」と「政治的に処理するべきこと」に分かれている。ここで言う「政治的」というのは、国会とか政府ばかりでなくもっと広く使っている。「利害調整のため配慮が必要な領域」ということだ。だから職場にも家庭にも当てはまる。実際我々は人間関係調整のため様々な「政治的配慮」を日常的に行っているはずである。しかし、日々のすべてを「配慮」で暮らすわけにもいかず、生活の大半は「事務的に処理する」日々を送っていると思う。

 さて、「公務員の給与」は、僕は「事務的に処理する領域」に属していると考えている。民間の給与は労使の交渉で決まるわけだから「政治的な領域」に属する。一方、公務員の給与は、大体の人は知っていると思うが、「人事院勧告」によって是正される。公務員は憲法で労働者に認められた「争議権」をはく奪されているので、その代わりの措置として「人事院」が民間の給与水準を調査し、毎年給与の改定を勧告している。上がるばかりではなく、かつて深刻なデフレで民間給与が冷え込んだときには、引き下げの勧告が出たこともある。人事院勧告は制度上、勧告どおりに事務的に処理するべき問題だろう。

 ところで、今回は一般職公務員ではなく、特別職公務員の話である。今書いた人事院勧告は一般職公務員の話で、特別職公務員には関わらないという。だが、これまでは特別職も一般職に準拠して同じように改定するのが慣習化してきたという。一般職公務員とは、国家公務員も地方公務員も普通に考える「お役所で働いている人」である。あるいは教育、警察、消防などの公務員も、特別職じゃないから一般職。大きな意味で、内閣総理大臣や都道府県知事などの指揮下にある。

 一方、公務員採用試験を経ずに、特別に政治的に任命された大臣や副大臣は特別職。公設秘書も特別職。それだけでなく、三権分立の仕組み上、首相の命令下にあるわけじゃやない国会や裁判所の職員も特別職である。そして、特別職の大半を占めるのが、防衛省職員である。つまり自衛隊員で、内閣総理大臣の指揮下にあるとはいえ通常の公務員とは違う特別な服務規律が求められるのだろう。特別職公務員(約30万)のうち、9割が防衛省職員で、1割ほどが裁判所職員だという。

 防衛省職員(自衛隊員)の給与はまた別の法律があるらしいが、要するにすべて人事院勧告に連動しているだろう。もちろん給与の改定というのは、単にお手盛りで増やしたり減らしたりするものじゃない。今じゃ地方公務員の給与などは公開されていることが多いが、基本給に関しては「給料表」に決められている。まず職務の内容に応じて「等級」があり、給与額は「号俸」で決まる。○等級○号俸を支給するという辞令をもらうはずだ。そのような精緻に構成された給料表を前提にすると、政治的配慮でさじ加減を加えると訳が判らなくなり、人事院勧告に沿って一律に増減すべきものだと判るだろう。

 今回は民間給与が物価高に伴い増えているだろうから、それに伴い一般職や特別職の公務員の給料も増やさないといけない。物価高の影響などは全職種に共通だから、どこを上げないなどという判断はおかしい。仮に首相の給与を据え置くとすると、「三権の長」は同額にする必要があるから、最高裁判所長官や国会議長の給与も据え置きにせざるを得ない。そうなると、国会や裁判所の職員だけを上げるというのも難しくなる。要するに、社会には上下の役職があり、上の給与が上がらない限り下の給与も上がらない。革命を起こしてすべてをひっくり返すというなら別だが、世の仕組みというのは上下が連動するものだろう。

 ところで、では財政難の中、政治家の給料を上げるというのはどうなのか。そう思う人は多いだろうが、それに対応するのは「政治的な配慮」の問題だ。だから、給料表改訂は事務的に進めて、その後に政治的に返納すると決めるという順序で問題ない。返納するぐらいなら最初から上げなければいいじゃないか論は、一般の耳に入りやすいけれど行政の常識に反していると思う。これはポピュリズム大衆迎合主義)的な発想で、僕はそれには反対なのである。

 なお、一応書いておくと、時々公務員の給料は恵まれているなどとデマを飛ばす人がいる。しかし、人事院の仕組み上、公務員給与は民間を上回ることが出来ない。特にバブル期を経験した自分たちの世代だと、民間との給与の余りにも大きな違いに絶句した時代がある。しかし、教師になったのはお金で得られないものがあるからだ。だから、給与額はやむを得ないと思って勤務していたが、その後どんどん公務員であることの意義を失わせるような政策が続いた。それでは教員も国家公務員もなり手が不足してきたのは当然だろう。
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