尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

柿沢未途という人ー「みんなの党」余聞②

2023年11月21日 22時02分53秒 | 政治
 『「みんなの党」余聞』と名付けて、創設者渡辺喜美氏の叙勲問題を書いた翌日に入院してしまった。じゃあ、2回目は何だろうというと、勘のいい人は気付いていたかもしれないが、柿沢未途衆議院議員について書きたかったのである。時機を逸したかと思ったら、むしろ今こそ旬の時事問題になった感がある。2023年春の江東区長選をめぐって、柿沢議員が区議会議員を買収した疑惑が持たれている。法務副大臣を辞任したが、それに止まらない疑獄事件に発展する可能性が報道されている。

 「みんなの党」は2009年の衆議院選挙前に5人の国会議員で結成された。自民党所属の渡辺喜美山内康一広津素子、無所属の江田憲司の4人の衆議院議員、そして、民主党所属の浅尾慶一郎参議院議員である。浅尾も参院議員を辞職して衆議院選挙に立候補したが、2009年衆院選は民主党の「政権交代」熱気に圧倒され、5人の当選に止まった。広津議員は落選し、新人として唯一当選したのが柿沢未途(1971~)だったのである。この人は柿澤弘治元外相の子どもだが、2001年の都議会議員選挙で江東区から無所属で出馬して当選した。当選後に民主党に入党し、2005年の都議選でも再選されていた。

 ところが、柿沢未途は2008年2月に都議会議員を辞職するに至った。2008年2月9日に首都高で自損事故を起こしたが、その時酒気帯び運転だったのである。僕は詳しいことを覚えていなかったが、Wikipediaを見ると「知人と焼肉店で飲食後、首都高速道路で酒気帯び運転による自損事故を起こした。このとき飲酒の発覚を免れるために雪を食べたとされる」と出ている。こうして7年務めた都議会議員を辞めることになったが、自損事故とはいえ今どき議員が「酒気帯び」って許されないだろう。だから辞職したわけである。なお、この都議会議員時代に、練馬選出の都議だった野上雪絵と結婚している。
(夫婦で撮ったポスター)
 それから1年半後、「みんなの党」は柿沢未途を東京都第15区の衆議院議員候補として公認した。選挙に出るのは国民の権利だから自由である。しかし、酒気帯び運転で都議を辞職した人を公認するってどうなんだろうと思った。地元の人は1年前のことをまだ覚えていただろう。それも影響したのか、この時は東祥三(民主=約10万5千票)、木村勉(自民=約8万票)に遠く及ばぬ38,808票に終わった。しかし、重複立候補していた比例区で当選したのである。(2位の木村勉は比例でも当選出来なかった。)

 こうして柿沢未途は国会議員になった。なんだか酒気帯び自損事故でかえって得した感じである。都議をしていたら、民主党には東祥三がいる以上公認を得られない。無所属だったら比例で復活できない。そして2012年衆院選では、トップ当選したのである。民主党が分裂し、東氏が「日本未来の党」から出たことも大きかった。自民党の木村氏も高齢で引退し、新人候補の秋元司に代わっていた。だが、それだけではなく、この東京15区では「柿沢ブランド」が生きていたということだろう。

 柿沢未途の父親、柿澤弘治(1933~2009)の名前はもう若い人には忘れられていると思う。大蔵官僚から1977年に参院選東京選挙区に立候補して当選した。その時は「新自由クラブ」の公認だった。1976年に河野洋平らが結成した党だが、詳しい説明は省略する。その後、1980年には参院議員を辞職して衆院選(当時の東京6区=定数4人)に立候補して当選。83、86、90年、93年と当選した。この間、新自由クラブは自民党に復帰したので、83年以後は自民党である。(最後の3回はトップ当選。)そして、1994年には自民党を離党して「自由党」を結党して羽田内閣に加わり、党首の柿澤が外務大臣となった。
(柿沢弘治)
 まあ、羽田内閣は2ヶ月で崩壊したので、柿澤外相も2ヶ月だったけど。(ちなみに、今では忘れられた「自由党」には高市早苗が参加していた。)その後は新進党に参加せず自民党に戻り、1996年の第1回小選挙区選挙に東京15区から立候補して当選した。それなのに1999年の都知事選に出馬して再び離党した。石原慎太郎が当選した知事選だが、保守系が乱立し6位で落選した。2000年には無所属のまま、再び衆院選に当選。選挙に強いのである。「下町のケネディ」というキャッチコピーで知られていた。本来自由党結成も渡辺美智雄を首相に担ぐ試みの一環だったらしい。渡辺家と柿沢家の関係も父子二代のものなのである。
(「維新の党」時代のポスター)
 柿沢未途は、「みんなの党」で当選以後、「結いの党」「維新の党」「民進党」「希望の党」と移り歩くが細かな事情はもういいだろう。「維新の党」では当選したが、2017年の「希望の党」の時は小選挙区は秋元司が当選し、柿沢は比例当選だった。しかし、希望の党が民進党と合同して「国民民主党」になったときには、参加しなかった。そして、2019年12月に自民党の秋元司がIR汚職で逮捕、起訴されると、空いた自民党の椅子を狙い始めたわけである。

 このように親子ともども政界漂流の激しい政治人生を歩んできた。自民党に近いが、自民党とちょっと違うイメージが売りである。だからこそ、自民党内の本流からは警戒される。非自民系に身を寄せたこともあるが、結局自民党に所属するところなど親子共通だ。だからこそ、自民党区議に足場が少なく、買収と疑われかねないカネを渡して歩いた。河井元法相事件の後でそんなことをする人がいるとは驚きだ。だが、それだからこそ刑事事件として立件出来るかは微妙かもしれない。何にしても今回の出来事を柿沢未途が生き延びられるかは(政界ウォッチャー的には)非常に注目だ。

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