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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『金子光晴詩集』と『風流尸解記』他ー金子光晴を読む④

2023年10月03日 20時51分50秒 | 本 (日本文学)
 夏に読んでいた詩人金子光晴の本がまだ残っていた。もう飽きてきていたが、今読まないと読まずに終わると思って頑張って読み切った。僕はこの詩人にずっと関心があり、全集を探して読むことまではする気がないが、文庫に入るたびに買い求めてきた。主に中公文庫だが、結構出ているのである。そして今回持ってる本に関しては全部読んだことになる。

 最近ここで書いた「金子光晴を読む」シリーズは、「『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』」「『マレー蘭印紀行』」「『詩人/人間の悲劇』」の3回である。それらは自伝紀行で、非常に面白いのである。しかし、やはり本職は詩人である。岩波文庫にある清岡卓行編『金子光晴詩集』(1991、品切れ)は、2012年の第7刷版を持っていたが、470ページを越える分量でなかなか読む気にならなかった。だが、収録された詩は紛れもなく傑作であり、日本人の精神史に忘れられない足跡を残す。

 フランス象徴派から出発し、やがて戦時下に独自の抵抗詩を書き続ける。一部は当時刊行されたが、さすがに戦況悪化とともに山中湖に疎開し、発表できない詩を書いていた。それらが戦後に公開されて大評判となったが、金子光晴は何かのイデオロギーによって戦争に反対したわけではない。だから、戦後を迎えても「民主主義」を謳歌する文学者にはならなかった。一貫して独自の「自分」を貫き通したところがすごいのである。ところが晩年になって孫(若葉)が誕生すると、メロメロになっちゃって『若葉のうた』なんていう、象徴も抵抗もない判りやすい詩を書くようになるのも面白い。

 僕が一番すごいと思うのは、やはり1937年に刊行された詩集『』だと思う。日中戦争開始の年で、すでに軍部主導政権だったけれど、まだこのような詩集が刊行出来たのである。もっとも軍や戦争批判というよりも、安易に時流に流されていく日本人への自虐的批判が多く、その中には自分も含まれている。ここまで「難解」かつ「韜晦」(とうかい=自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと)だと、検閲の目を通り過ぎるかもしれない。冒頭の「おっとせい」は、「その息の臭せえこと。/口からむんと蒸れる」と始まり、延々と続いて「おいら。/おっとせいのきらひなおっとせい。/だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで/たゞ/「むこうむきになってる/おっとせい。」」は、群れることの嫌いな「自分」を貫いた詩人の絶唱だ。
(金子光晴と森三千代)
 詩や紀行や評論がほとんどの金子光晴の中で、貴重な小説集が1971年の『風流尸解記』(ふうりゅうしかいき)という本で、賞に縁のなかった金子光晴には珍しく、1972年に芸術選奨文部大臣賞を受賞した。まあ、この本に文部大臣が賞を与えていいのかなという内容だけど。「尸解」(しかい)は解説によると、「道家の方術の一つ。肉体を残して霊魂だけが抜けさる術」だという。「尸」は「しかばね」のことで、「抱いた少女の裸身の背後に、尸の幻影を見る中年の男」と案内にある。戦争直後の荒れ果てた東京で、死を幻視する詩人の業。だけど、ちょっとやり過ぎ的な叙述が多いかも。52歳の金子は、1948年に25歳の大川内令子と知り合う。森三千代とは離婚していて、その後令子と結婚し、また離婚し、三千代と再婚したと出ている。そこらの現実もモデルとして利用されているらしい。講談社文芸文庫から1990年に出たが、一応今もカタログにはあるようだ。

 他にもいっぱいあるのだが、珍しく妻の森三千代の作品も入っているのが『相棒』という本である。森三千代は小説家としてかなりの本を出していて、戦時中の1944年には『小説 和泉式部』で新潮社文芸賞を受けている。戦後は闘病生活が続き、作品的には日本の古典やシェークスピアなどの再話がほとんどだった。まあ、金子光晴ほどの才能はなかったが、それでも妻の立場から見た金子光晴像などは興味深い。他にも『じぶんというもの』『自由について』『世界見世物づくし』などのエッセイ集が文庫になっている。題名だけ見ると面白そうな気がするんだけど、これが案外退屈。詩や紀行だと面白いのに、論を立てると冴えなくなる。
 
 それより多くの人が金子光晴を論じた文章を集めた『金子光晴を旅する』(2021、中公文庫)が面白かった。細かくは書かないが、そこに収録されている人を少し挙げると、茨木のり子、開高健、草野心平、沢木耕太郎、寺山修司、山崎ナオコーラ、吉本隆明等々(アイウエオ順)といった多彩な顔ぶれである。多くの人に注目された人だったのである。

 講談社文芸文庫の解説に、金子光晴が1975年に亡くなった時に追悼特集を出した雑誌が載っている。「文芸」「面白半分」「いんなあとりっぷ」「海」「新潮」「四次元」「諸子百家」「現代詩手帖」「うむまあ」「いささか」「あいなめ」「時間」「ユリイカ」だという。今はなくなっている雑誌も多いし、そもそも知らない雑誌がかなりある。それでも、これだけ多くの追悼特集が組まれるほど人気、知名度があった人だったのである。
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『詩人/人間の悲劇』ー金子光晴を読む③

2023年08月28日 22時22分32秒 | 本 (日本文学)
 夏に読んだミステリー、『卒業生には向かない真実』『リボルバー・リリー』が長すぎて、なかなか他の本が読めない。前に2回書いた金子光晴はまだ断続的に読んでいて、僕の持ってる未読の文庫本は後2冊なので頑張って読み切りたいと思っている。と思ってたら、8月のちくま文庫新刊で『詩人/人間の悲劇』(1200円+税)が出た。400ページもあって、エンタメ本じゃないからなかなか進まない。『詩人』は前に「ちくま日本文学」版で部分的に読んだことがあって、ものすごく面白かった。成り行きで読んだが、特に後半の長編詩集『人間の悲劇』は全然判らない。でも、まあ凄いということは伝わってくる。

 金子光晴をずっと読んでみると、「自伝」「回想」は素晴らしく面白いのに、評論的な文章は実につまらないのが特徴だと思う。幼年時代に養子に出され、性への早熟な関心が芽生える。放蕩から文学への開眼、養父が死んで遺産で第1回訪欧。戻ると関東大震災、森三千代と交際、結婚。その後、最初に書いた『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』のアジア、ヨーロッパ大放浪が始まる。この破格の人生行路をあけすけに語って読む者を魅了する。

 この間、1923年に詩集『こがね蟲』を発表し、フランス象徴派の影響を日本の詩として結実させた若手詩人として認知された。しかし、刊行直後に関東大震災が起きたのは不運だった。その後一時関西へ行き、さらに世界大放浪をして詩壇から忘れられたとこの本には出ている。いっぱい詩人の名前が出て来るが、出て来る詩人にはよく知らない人が多い。ネットで調べながら読むが、若くして死んだ人が多い時代だった。金子光晴も幼い頃は病弱だったというが、その後貧困を生き抜いて戦争を迎えた。

 この本で一番凄いのは、やはり戦時中の記録だろう。一切戦争に協力せず、独自の反戦詩を書いていた。象徴性が高くて、当時の検閲官の目を逃れて戦時中に発表できたものもあった。そのことも凄いのだが、それとともに息子の乾をいかにして戦場に送らずに済ませるかの記述が驚き。あからさまな「徴兵忌避」なんだけど、子どもも病弱のため一度軍に連れて行かれたら戻って来れないと信じていた。もちろん日本の戦争は不義であると認識していたこともある。こういう人がいたんだと知ることは大事だ。
(『ちくま日本文学』)
 じゃあ、その金子光晴はどんな詩を書いていたのか。岩波文庫に『金子光晴詩集』があるが、現在品切れ中。「ちくま日本文学」の金子光晴の巻に代表作が入っているので、まずはそれを読んでみるべきだろう。はっきり言って僕にはよく判らない。でも『人間の悲劇』という10の長編詩が集まった詩集を読むと、やっぱり凄いなあと思った。
答辞に代へて奴隷根性の唄
 奴隷といふものには、/ちょいと気のしれない心理がある。
 じぶんはたえず空腹でいて/主人の豪華な献立のじまんをする。

 と始まる長い詩などは、実に鋭くテーマが伝わってくる。読むのが大変で内容も呑み込みにくいものが多いが、一度読んでおくべきかと思う。こういう表現があったのかと目を開かせられる。「時代の批判者として生きる」スタイルにもいろんなやり方がある。
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『マレー蘭印紀行』ー金子光晴を読む②

2023年07月27日 23時08分47秒 | 本 (日本文学)
 金子光晴を読む2回目は『マレー蘭印紀行』(中公文庫)。1回目で書いたように、金子光晴は1928年から32年に掛けて、上海からシンガポール、パリ、ブリュッセルに至る5年に及ぶ大旅行を行った。そのことは前回書いた自伝的旅行記三部作で広く知られるようになった。つまり、同時代的にはほとんど知られなかったのである。その中で『マレー蘭印紀行』だけが1940年に出版されている。戦前に公刊されたために「時局」に配慮した表現も見られるが、素晴らしい文章で綴られた忘れがたい紀行だ。

 最初に題名について解説しておきたい。「マレー」はもちろんマレー半島のことだが、当時はイギリス領マラヤだった。1957年に独立し、1963年にイギリス領のボルネオ島北部などと連合してマレーシアとなった。「蘭印」は「和蘭陀(オランダ)領東印度」の略で、現在のインドネシアである。金子光晴はマレー半島南部のジョホール州、首都のクアラルンプール(文中ではコーランプルと表記)などを訪れた。その後、「蘭印」に渡って、ジャワ島やスマトラ島も訪れたが、この本ではマレーが中心になっている。「蘭印」に関しては、別にまた本を書きたいと書いているが、結局書かれずに終わった。

 もともとは上海からパリへ渡る途中下船である。お金がないから最終目的地まで買えない。金子はあちこちの日本人を訪ねて、絵を描いて買って貰おうと考えた。しかし、帰途にもまたマレーを訪れているから、熱帯の風土が気に入ったのである。お金もないから、貧困の現地人の中に混じって交流した。そこで「植民地」の実態をつぶさに見た。また、当時はマレーに日本人も多くいたのである。ひとつは当時マレー半島に進出してた日本企業(ゴム農園や鉱山)関係者であり、もう一つは海外に渡った「からゆきさん」、つまり高齢になった元日本人娼婦である。

 「からゆきさん」については、70年代に山崎朋子サンダカン八番娼館』や森崎和江からゆきさん』が出て、大きな注目を集めた。しかし、戦前に書かれた書物の中で触れられているのは珍しいのではないか。また、帰途は1932年になって、1931年9月に起こった「満州事変」の後だった。パリもそうだったが、マレー半島でも各地の華僑に対してシンガポールから「抗日運動」が広がっている様が報告されている。これも貴重な歴史的文献だと思う。

 しかし、この本はそういう社会的関心で書かれた本ではない。熱帯の持つ魅力を独自の詩的な文体で描写した「散文詩」的な構成にある。だから、少し読みにくくもあるが、例えば冒頭近くのこんな文章。(「センブロン河」)
 「そして、川は放縦な森のまんなかを貫いて緩慢に流れている。水は、まだ原始の奥からこぼれ出しているのである。それは、濁っている。しかし、それは機械油でもない。ベンジンでもない。洗料でもない。鑛毒でもない。
  それは森の尿(いばり)である。
  水は、欺いてもいない。挽歌を唄ってもいない。それは、ふかい森のおごそかなゆるぎなき秩序でながれうごいているのだ。」
 
 どこを引用しても同じなんだけど、詩的といっても美文の連なりではなく、上記のような独特の比喩で描かれた熱帯地方の自然と生活である。金子光晴は特に南部ジョホール州のバトパハに長くいた。同地には石原産業系のゴム農園があって、日本人会館もあったからである。そこでは無料で寝られるベッドがあったらしい。この日本人会館は最近でも残っていて、金子光晴を追って訪ねた記録がネット上で複数存在する。以下のように特徴的な建物だが、全部じゃなくて3階の1室だったという。
(バトパハの旧日本人会館)
 合成ゴムがない時代で、戦略物資の天然ゴムは重要性が高かった。イギリス植民地当局は日本の資本進出を容認し、各地に日本人経営のゴム園があった。当初は信用がなく、中国人労働者は日払いでないと働かなかったという。そこで毎日シンガポールから現金を運んできたという。そのうち信用されるようになり、月払いになったと出ている。だが世界大恐慌で不況のなか、植民地当局の対応も厳しくなりつつあった。日本資本はやがて敗戦で壊滅してしまい、こうした(当時の言葉で言えば)「南洋進出」の歴史も忘れられてしまった。貴重な本だと思う。

 本にならなかった初期紀行文を集めた『マレーの感傷』(中公文庫)も出ている。これは題名に反して、ヨーロッパに関する紀行が大部分を占めている。この本を読むと、戦前に書かれた文章と戦後に書かれた文章の大きな落差が判る。本当は日本政府のあり方を批判的に見ていた金子だが、さすがに戦前には押えた表現にするしかなかった。金子が書いた絵もたくさん収録されている。下手を自称しているが、どうして味のある面白い絵が多い。また、ジャワに関して「珊瑚島」という夢幻のように美しい島を夫婦で訪れた文があり、皆一度読んだら忘れられなくなると思う。本当にあるのか、フィクションじゃないのかと思うぐらいだが、松本亮氏は訪ねたことがあると書いていた。
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『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』ー金子光晴を読む①

2023年07月10日 22時39分53秒 | 本 (日本文学)
 最近金子光晴(1895~1975)をずっと読んでいる。有名な詩人で、昔から関心があって本をずっと買っていた。中公文庫にいろいろ入ってるのである。特に70年代に発表された自伝的放浪紀行三部作『どくろ杯』『ねむれ巴里』『西ひがし』は、当時からものすごく面白いと大評判だった。『どくろ杯』は1976年に中公文庫に入った時に買ったんだけど、実は今まで読んでなかった。案外字が詰まっていて面倒そうだなあと思って、そのままになってしまった。今回読み始めたら、もう字が小さくて読みにくいったらない。2004年に大きな字に改版されているので、思わず買い直してしまった。
『どくろ杯』
 金子光晴は亡くなる直前の70年代には、ある種「怪老人」といった感じの人気者だった。同じ詩人、小説家の森三千代という妻がいながら、若い「愛人」とも長く続いていた。本になって、東陽一監督『ラブレター』(1981)という映画にもなったぐらいである。(日活ロマンポルノの一本だが、ポルノ色を薄めてヒットした。)もうすぐ2025年には没後50年、生誕130年という記念の年が来るが、僕は金子光晴が再び脚光を浴びるのではないかと思っている。ここまで本格的に「自由人」あるいは「変人」、さらに言えば「非国民」だった人は珍しい。戦時中に反戦詩を書いていた「不逞」な精神は今こそ必要じゃないか。
(金子光晴)
 『どくろ杯』(1971)、『ねむれ巴里』(1973)、『西ひがし』(1974)は、金子光晴、森三千代の二人が1928年から1932年に掛けて、中国、マレー、蘭印(現在のインドネシア)、フランス、ベルギー等を放浪した旅の追憶を書いたものである。40年以上経っているから、記憶違い、自己正当化(というより逆の自己卑小化というべきか)もありそうだが、むしろフィクション化もされているらしい。それにしても長大で、どうも少し飽きてしまうぐらい。紀行には一種スピード感も必要と思うが、この4年近い旅は途中で停滞するところが多い。そこが魅力だという人しか読めないが、この流されるままという感覚が大好きというファンも多い。
(『金子光晴を旅する』所載の旅行地図』)
 旅までの事情を簡単に書くと、金子光晴は養父の遺産で1919年に洋行し、帰国後に詩集『こがね蟲』(1923)を発表して評判を得た。1924年に東京女子高等師範在学中の森三千代(1901~1977)と知り合い、すぐに妊娠して森は退学して結婚した。息子乾が生まれたが、病気になって森の実家長崎に子どもを預けることになり、その間に夫婦で一ヶ月上海を訪問した。1927年にも子どもを預けて、今度は金子一人で三ヶ月上海に出掛けてしまう。当初からお互いに束縛しない約束だったようだが、その間に三千代には若い恋人が出来た。それが後の美術史家で神奈川県立近代美術館館長を務めた土方定一なんだという。

 金子も帰国して悩んだらしいが、一緒にパリに出掛けようと三千代に提案した。小さな子どももいるのに、これに三千代も乗ったのである。飛行機でちょっと一飛びという時代じゃない。船で何ヶ月も掛けて行くのである。「洋行」は一生に一度出来るかどうかの大事業で、やはり文学を志す三千代に取っても、すでに洋行を体験していた金子が誘うのは魅惑だったのである。ところが、実は金子光晴は詩が書けなくなっていて、雑文を書き散らしていたけれど、貧乏の極致なのである。ヨーロッパまで行ける金もないのに、とにかく出掛けてしまった。取りあえずは旧知の上海まで行く。それが『どくろ杯』である。
『ねむれ巴里』
 何とかシンガポールまで行くが、やはり金がない。上海ではエロ小説を書いたりしたが、シンガポールではマレー半島、ジャワ島などを訪ね回って絵を売ったりしていた。詩を書く前に日本画を勉強していたのである。下手を自称しているが、残された絵を見ると結構良い。「無名詩人」だから価値がないと思われたが、後の大詩人の絵という目で見れば貴重。その他、あらゆる金策をして、まず三千代夫人だけをパリに送った。その後、果たして後を追えるのかと心配になるが、何とか追いかけた。インド洋の航海中も奇妙な話が多いが、何とかフランスに着いてパリで奇跡の再会。

 中国では文人との付き合いもあったが、マレーでは植民地下層の人々と日本の植民者を見た。フランスでは日本人の画家たちが多いが、皆成功を夢みながら苦労している。金子にとっては、どこへ行っても人種や民族にこだわらず、人間の実相をつかむ。それは貧困のため、様々の仕事をしたからでもあるだろう。悪評が付きまとって、夫婦でいると森三千代まで就職出来なくなるので、パリで合意の上協議離婚したぐらいである。日本からは三千代の実家から一人で帰ってこいと金を送ってきたが、金子が一人で使ってしまう。もうメチャクチャで、破滅的なのである。
『西ひがし』
 そして、仕事がベルギーで見つかった三千代を置き、金子光晴だけ先にシンガポールまで戻ることになった。そして、またマレーで停滞するのだが、要するに東南アジアの風物に魅せられたのだろう。キレイじゃないとダメ、文明国が良いなどという金子光晴ではない。どんな貧苦にも耐えながらも、自然と人間を見つめるのである。単純なヒューマニズムを越えて、人間性の限界まで見た感じ。どうもやり過ぎのように僕は思い、そこまで行くと僕は楽しく読めないという箇所も結構あった。だが、世界と時代を見る目は確か。「満州事変」が起き、日本が世界から孤立していく様子を実感しているが、周囲の日本人はまだほとんど危機感を持っていない。「日本人」のニセモノ性を鋭く見つめた旅でもあった。
『金子光晴を旅する』
 今になると,時代も経ってしまい、大評判だったこの三部作も少し読みにくいかもしれない。地図も出てないし。そこで2021年に中公文庫から出た文庫独自編集の『金子光晴を旅する』が非常に役だった。金子光晴は開高健寺山修司との対談が載っていて、この二人を煙に巻く怪人ぶりに舌を巻く。一方、森三千代夫人の100頁を越えるインタビューが載っていて、背景事情が良く判る。聞き手は松本亮で、インドネシアの影絵芝居ワヤンの研究で知られた人である。またこの本には、実に様々な人(吉本隆明、茨木のり子、沢木耕太郎、角田光代等々)の金子光晴論が入っている。

 三部作には面白すぎるエピソードがいっぱいで、ここでは特に紹介しなかった。一つ挙げれば、やはり第一部の題名にもなった「どくろ杯」ということになるか。またフランスへ向かう船中で、中国人留学生の泊まっている部屋に入り込んでしまうところも面白い。中国も東南アジアもパリでさえ、安宿は悲惨。虫がいっぱいだったりするのが読むのも嫌という人は読めないかもしれない。けれど、そういう潔癖性こそおかしいという著者のスタンスがあふれ出る大著で、一度は読んでおきたい紀行だと思う。
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大傑作、永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』

2023年07月02日 20時59分16秒 | 本 (日本文学)
 永井紗耶子木挽町のあだ討ち』(2023.1、新潮社)は、読んでいるときに「ああ、いま名作を読んでいるなあ」としみじみ実感しながら読んだ小説だった。大傑作である。すでに山本周五郎賞を受賞しているが、さらに169回直木三十五賞候補作になっていて、受賞が期待されている。大衆小説に与えられる新人賞は、作家に与えられる性格が強く、同一作品の両賞同時受賞は、今までに2回しかない。(熊谷達也『邂逅の森』と佐藤究『テスカポトリカ』。)果たして3回目はなるか。

 江戸時代後期、19世紀初頭と思われる頃(1783年の浅間山大噴火より、およそ30年後ぐらい)、江戸では「化政文化」が栄え、歌舞伎が庶民の人気を得ていた。その芝居小屋がある木挽町(こびきちょう)で、ある年の睦月(1月)晦日(みそか)夕べ、とある若武者が大柄な博徒に対して「父の仇」と名乗りを上げ、斬りかかった。道行く人々が見守る中、真剣勝負が行われ、ついに若武者菊之助が一太刀浴びせて、仇・作兵衛の首級(しるし)を上げたのである。この一件は巷間で「木挽町の仇討」と呼ばれた。(昔の町名は今の東京人でも忘れている人が多いが、木挽町はまさに今の歌舞伎座がある辺りである。)

 江戸でも評判になった、この仇討より2年。若武者菊之助は国元に帰り、そのゆかりのものと称する若者が芝居小屋を訪ねて、仇討の思い出を訪ね回る。その時に、語り手の今までの来し方も聞いてゆく。その聞き語りがこの小説なのだが、帯には「このあだ討ちの『真実』を、見破れますか?」とあるから、何か仕掛けがあるらしいのである。しかし、語り手それぞれの人生行路がすさまじいために、ひたすら物語の流れに身を委ねることになる。芝居を裏方で支える人々の声を聞いていくうちに、身分制度の下で呻吟する人々の真実を見る。しかし、4人目あたりから、この仇討ちには何か特別な事情があるらしいと気付いてくる。

 訪ね歩いたのは、小屋の前で芝居を宣伝する「木戸芸者」、役者に剣術を指南する立師、衣装の縫い物をしながら舞台にも端役で出ている女形、ひどく無口な小道具作りと逆に話し好きの妻…などなどである。彼らは蔑まれるような生まれ育ちだったり、武士に生まれながらも故あって「身分」を捨てて生きてきた人々だった。今は芝居小屋で仕事をしているが、皆の人気を集める主演の役者ではない。だが、彼らがいなくては人気芝居も成り立たない。例えば、あっという間に舞台が変わる「回り舞台」は客の目を引くが、それは実は小屋の一番下(奈落)で人力で舞台を回しているのである。

 この芝居小屋の「からくり」は、もちろん世の中そのものの「からくり」を示すものでもあるが、この小説においては実は「ある壮大なからくり」に結びついていた。終わり近くになって、そのことに気付くのである。ただ驚きながら読んでいた彼らの人生そのものが、実はこの「あだ討ち」の伏線だったのである。なんという上手な「からくり」だろう。それもただの「トリックのためのトリック」ではなく、この世の「からくり」を暴き、「義」のある世を目指して生きることに真っ直ぐ結びついている。「主題」と「方法」と「世界観」が、これ以上ないほど見事に結び合った小説ではないか。
(永井紗耶子)
 驚きと感動で読み終わったが、テーマが空回りせず、手法もなるほどと納得する。これほど上手い小説に巡り会うことはそんなにないと思う。最後の方になって、この聞いて回っていた人物が判明するとき、僕はこの小説の「からくり」に驚嘆してしまった。ラスト近くで主人公が「一人で江戸に出て分かったことの一つは、時には誰かを信じて頼るという勇気も要るということだ。何もかも背負う覚悟は勇ましいが、それでは何一つ為せないのだと気付かされた。」と語る。「自己責任」の風潮の中で、信じ合って義を求めた勇気の書である。「真の仇討ち」とは何か、深く考えさせられた。

 著者の永井紗耶子氏(1977~)は、2010年に『絡繰り心中』で小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。2020年の『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』が新田次郎賞などを受賞、2022年の『女人入眼』が直木賞候補になるなど、ここ数年でグッと知名度を高めてきた作家である。僕は初めて読んだので、他の作品や作風はよく知らない。時代小説を中心に書いているようだが、横浜育ちで三渓園で知られる原三渓を描いた『横濱王』という作品もある。

 当然著作権の「二次利用」が強く期待される。ネット上には著者と神田伯山の対談も載っていて、講談にするのも良いと思うが、やはり舞台化、映像化が望まれる。本格的にやるには大きなセットがいるので、それこそ松竹映画がやるべきだろう。昔のままの芝居小屋が日本各地にいくつか残っているので、是非ロケで。また歌舞伎でも見てみたいものだ。登場人物をやるのは誰それで、などとつい思いながら読んでしまった。

 ところで、歌舞伎や仇討ちなどと言われると、何か古い義理人情ものに思われてしまうかもしれない。その結果、若い読者を逃すとすると、非常にもったいない。この小説は基本的には若者の成長小説なのである。是非とも若い読者に勧めたい名作である。
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山本文緒『自転しながら公転する』を読む

2023年03月22日 23時09分10秒 | 本 (日本文学)
 山本文緒自転しながら公転する』(新潮文庫)を読んだのは、『彼女はマリウポリからやってきた』より前だった。少し時間が経ってしまったけど、やはり書いておきたいと思う。2021年10月に58歳で亡くなった作家の、(多分)最後から二つ目の小説である。2020年9月に刊行され、島清恋愛文学賞中央公論文芸賞を受けている。2022年11月に文庫化されたが、650ページを越えるから長くてなかなか読み進まない。山本文緒は2000年に『プラナリア』で直木賞を受けた作家だから、文章自体は読みやすい。でも登場人物の境遇や心理をじっくり描いて、「身につまされ度」が高くいろいろ考えちゃう。

 人間の一生には大きなことが幾つかある。人それぞれ少し違うだろうが、特に恵まれた生まれの少数の人以外は「仕事」をしなければ生きていけない。そして誰かを好きになって「結婚」をする。しなくてもいいし、したくても無理な条件があるときもある。同性を好きになることもあるが、異性を好きになって家庭を作ることが多い。そして「」の問題がある。子のない人はいても、親がない人はいない。そして親が先に老いてゆくから、親の介護などの問題が付いて回る。

 なんて当たり前のことを書いてしまったが、この小説の主人公、30代初めの与野都という女性は、この3つすべて問題を抱えている。高卒で好きなアパレル・ブランドでアルバイトを始め、正社員に昇格して東京で店長にもなった。しかし、仕事も恋愛もいろいろあって(何があったのかはなかなか出て来ないけど)、さらに母親が体調不良で病院通いになってしまう。父親は家のローンが残っていて、仕事を辞めるわけにはいかない。だから一人娘の都に戻ってくれないかという話になる。母が死んだりしたらずっと悔いが残ると思って、そこは一応納得して都は故郷に戻ってきたのである。

 その故郷というのが茨城県南部の牛久あたりなのである。都は牛久大仏が望めるアウトレットのアパレルショップで契約社員として働きながら、仕事のない日は母に付き添って病院に通っている。結婚したいけど、今は特に付き合っている男性はいない。小説の中では書かれていないが、働いているのは牛久市の隣の阿見町にある「あみプレミアム・アウトレット」だろう。また「牛久シャトー」を思わせるレストランで母親と友人が食事をする場面もある。東京タワーが象徴的に出て来る物語はあるけど、牛久大仏に見守られている小説もあるのか。このような「東京からちょっと離れた」地域感が印象的だ。
(牛久大仏)
 山本文緒は1999年の『恋愛中毒』が凄いと思った。でも、こういう小説を書いちゃう人はどうなんだろうと思わないでもなかった。その後直木賞を取って人気作家になるも、2003年にうつ病になって闘病を余儀なくされた。その後エッセイで復帰するも、長編小説は少ない。この小説は2013年以来7年目の新作小説だった。どんな小説でも共感できる要素があるわけだが、この小説の主人公はどう生きれば良いのか。僕にはアイディアが浮かばない。アパレルショップの事情は判らないし、ましてや誰と結婚するべきかなど僕があれこれ言う問題じゃない。

 都は偶然ある男と知り合う。アウトレットにある回転寿司の第一印象最悪の店員である。だけど何となく悪くない感じもする。名前は寿司職人の父が名付けた貫一。だから彼は都を「おみや」と読んで面白がる。「貫一お宮」の『金色夜叉』である。何、それと本を読まない都には全然通じない。この二人は境遇も生き方も全然違っていることが段々判ってくる。それでも全然違うからこそ引かれ合う部分もある。で、どうするんだよと突っ込みたくなる展開が続いて、あまりにも痛い言葉が行き交う。
(山本文緒)
 ある仕掛けがあって、結局そうなったのかと思うラストまで一気呵成に読んでしまった。ラスト近く、都が広島にボランティアに行く場面など、あまりにいたたまれなくて読む方も沈んでしまう。高校時代(卓球部)のメンバーと時々会って、鋭い指摘を聞かされる場面。職場のセクハラ、パワハラなどの事情。それと冒頭に出て来るベトナムでの結婚式。どう着地するのか、なかなか見えてこないけど、人の一生は計りがたいことの連続だ。ちょっと可愛くて、仕事はきちんと出来るのに、なかなか幸せになれない。そんな主人公を生き生きとと描き出し、自分のことを書かれたのかと思う人も多いだろう。

 ところで題名はどういう意味だろう。小説内で貫一がよく言ってるけど具体的にはよく判らない。僕らは全員「自転しながら公転」しているけど、それを自覚はしない。あれこれ、グルグル思考が空回りすることの比喩にも思うけど、自分の回転は自分で認識出来ないということかもしれない。皆が皆、地球と共に自転しながら公転しているわけだけど。
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石原慎太郎『わが人生の時の時』ーホモソーシャルな世界

2023年01月11日 22時39分57秒 | 本 (日本文学)
 石原慎太郎わが人生の時の時』(新潮文庫)を読んでみた。最近はいつ中断しても大丈夫なように、新書や短編集を読んでいる。この本は40編の短編というか、むしろ掌編というべき文章を集めている。1990年に刊行され、その後文庫版が品切れになっていたが、2022年7月に「追悼新装版」として復刊された。題名は普通には意味不明だが、まあ「わが人生の決定的瞬間」とでもいう意味だろうと思って読むと、なるほど確かに決定的な時の中でも特に重大な瞬間を切り取った文章が集められている。

 成り立ちが面白い。80年代半ばにヨーロッパで反核運動が盛り上がった時時に、日本から取材で西ベルリンに派遣された。そこで同様に反核運動を取材に来ていた旧知の大江健三郎に出会った。かつて50年代には同志だった関係も、その時は核問題には正反対のスタンスである。しかし、「スクーバダイビング」の話になって、オキノエラブウナギという猛毒の海蛇のことを話したら、大江氏が面白がって暇な折に書き残して「新潮」の坂本編集長のような親しい編集者にあずけておいたらと言ったという。それが作中の「まだらの紐」に描かれていていて、確かにシャーロック・ホームズシリーズの「まだらの紐」を思わせる姿だ。
(エラブウナギ)
 この本はかつて福田和也(文芸評論家)が『作家の値うち』で最高点の96点を付けたという。また豊崎由美、栗原裕一郎『石原慎太郎を読んでみた』(中公文庫)の中で、小川榮太郎(安倍晋三本で論壇デビューした文芸評論家)が絶賛していると書かれている。このような保守論客に絶賛される作品とはどのようなものなのか。確かにこの中の半分ぐらいの作品はなかなか良いと思う。特に「落雷」の中で海上に雷が落ちる様子はすさまじい迫力。半分ほどの作品はヨットダイビングの世界で、そこには「大自然の神秘」や「生命の危機」があって粛然として読むことになる。

 特に小笠原諸島南島がいかに素晴らしいかは印象的。自分で調べてみたが、ここは個人では行けない。父島から出発する団体ツァーに参加するしかない。だけど、その気になれば行けるところである。そのように自然、特に海の神秘については、なかなか読ませる。文章もキビキビしているのだが、しかし、やがてどことない違和感も感じてしまった。「ヨット」というスポーツは誰でもやったことがあるというものではない。そこでヨットのレースに参加して、こんな凄い体験をしたんだという「俺様」意識が何となく匂って来るのである。それは「石原慎太郎」という名前に先入観があるためだろうか。
(南島)
 そして気付くんだけど、ここには「ヨットでともに苦労する男たち」しか出て来ない。まあ多少は他の人も出て来るし、弟や子どもも出て来る。しかし、本質的な意味で重要な意味を持って出て来る女性は一人もいない。ここで出て来るのは「女のいない男たち」ではない。石原慎太郎は『太陽の季節』で芥川賞を受賞する直前に結婚している。だけど妻子を置いて、ヨットレースに出掛けているわけである。そして男だけの「ホモソーシャル」(「男の絆」の同質的世界)に生きている。そこで凄い体験をするわけだが、どうしてもそれを語る時の「ナラティブ」(語り)には「俺様」感がにじみ出てくるのである。

 そう思って読み進めていくと、やっぱりなと思う文が出て来る。「人生の時を味わいすぎた男」という作品で、何しろ「私はホモといわれる男たちにはアレルギー的反応を示すたち」と始まるのだから凄い。「興味がないだけでなく、どうにも好きになれない」んだそうだ。江戸川乱歩にゲイバーに連れて行かれて往生した話が延々と続く。どこかで聞きかじった「同性愛が2割、完全な異性愛が2割」などという説を信じて、自分はその完全な2割だというのである。残りの6割がバイセクシャルということになり、ゲイバーなどに出入りしていると「ホモ」に近づくとでも思っているのか。同性愛でも異性愛でもいいけど、「アレルギー的反応」を起こすのは差別意識があるからだと今なら誰でも思うだろう。

 その直前にある「骨折」も凄い。ヨットで骨折した話が主眼なのだが、その前に高校時代の思い出を語る。あるとき、「気の合った仲間で作っていたサッカーチーム」で試合をやった。その後に「私がいい出して」、ラグビーボールも持ってきていたので「いい加減なルールでラグビーの試合をやった」。寒い日で、いくら走っても体が暖まらない。「いい出しべえの癖に私はひそかに自戒して」、「スクラムとかモールとか、何かと危険な仕組みの多いラグビーはこの際ほどほどにやっておくことにした。」しかし、ちゃんとやってた友人が骨折してしまい、完治するまで3年もかかり、一生走れなくなってしまったというのである。

 嫌な話だなと思ったし、読んでいて石原慎太郎も嫌なヤツだなと思った。自分で言い出して始めた遊びのラグビーで、自分は手を抜いて他の友人が大けがをする。そういう話があったら、テーマは「罪悪感」になるはずだと思うが、それが全く描かれない。「そういうこともあるさ」的な感慨で終わって、すぐに自分の骨折話に移るのである。これがどうやらこの人なんだと思う。怪談的な話も多く、そういう超自然的なことを信じているのかも。それは作品的には面白いのだが、どう考えるべきか判らない。そもそもフィクションなのかもしれないが、一応「私」の語りは「自分の体験」をもとにして書かれている体裁になっている。
(石原裕次郎と北原三枝の結婚式)
 特に不思議なのが「ライター」。弟の結婚の直前に裕次郎と北原三枝を中心に水ノ江滝子の家でパーティをしたそうだ。その時に「海に落としたライター」を謎の女性が届けに来る。当時スチル・カメラマンだった斉藤耕一(後に映画監督になって「約束」「旅の重さ」などを作った)も出て来て、確かにあれは海に沈んだと証言する。何だかよく判らないけど、当時の映画界の証言にもなっていて興味深い。一番最後の「」は長いけれど、弟の死期を見つめた作品でさすがに重いものがある。面白いのも、そうじゃないのも混じっているが、まあ取りあえず石原慎太郎の「時の時」を理解するためには役に立つ。
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『風媒花』、占領期の混沌と風俗ー武田泰淳を読む③

2022年11月25日 23時28分53秒 | 本 (日本文学)
 武田泰淳を読む3回目は『風媒花』。1952年に出た長編小説で、今は講談社文芸文庫に入っている。この前、安水稔和の本を図書館に返却に行ったら、この本があったので借りてきた。僕は昔新潮文庫で読んでいて、その時の記憶ではとても面白かった。奥付を見ると、1976年6月に25刷の本である。当然ながらそれ以後に読んだわけだから、大学時代のことになる。

 近年武田泰淳の本を一番出しているのは中公文庫である。それも純文学以外の『十三妹』(シーサンメイ)とか短編集『淫女と豪傑』とか中国を舞台にしたエンタメ系の作品を出している。中国の古代史、中世史を舞台にしたチャイナ・ファンタジーというべき小説やマンガ、映画などは日本でもずいぶん多い。日本ではほとんど紹介されてこなかった「武侠小説」の日本版として、武田泰淳も発掘されたらしい。そういう視点もあるかと思うけど、武田泰淳と中国との関わりはもっと宿命的なものである。

 そもそも出生名「大島覚」だったものが、父の師である武田芳淳の養子になって武田泰淳となった。お寺の子である。「仏教」を教え込まれながら、悩みが多く左傾した。東京帝大支那文学科に入学するも、逮捕されて退学した。しかし、大学のつながりは残り、1934年に竹内好らとともに「中国文学研究会」に参加した。竹内は魯迅研究者として知られ、戦後を代表する評論家になった。晩年まで友人として深く関わった。東大が「支那文学」と呼んでいるときに、日本で初めて「中国文学」を研究するんだと旗を揚げた。この思いは同時代の中国文学者に伝わった。
(竹内好)
 ところが1937年に召集され輜重補充兵として華中に派遣されたのである。愛好する中国の地をあろうことか侵略軍の一員として踏むという屈辱。翌38年に除隊し、評論『司馬遷』を構想し始めた。よく知られているように『司馬遷』の冒頭は「司馬遷は生き恥さらした男である」と始まっている。これは司馬遷が武帝から「宮刑」(性器を切り取られる刑)に処せられたことを指すが、武田泰淳本人の意識でもあっただろう。1943年に『司馬遷』刊行、同じ年に「中国文学」が終刊になった。翌年上海の「中日文化協会」に勤務して、そこで日本の敗戦を見た。解説の山城むつみは「小説家、武田泰淳誕生の秘密は上海にある。『司馬遷』の著者が小説家になったのは、上海で日本帝国の滅亡を経験したからだ」と書いている。

 さて前置きで長くなったが、『風媒花』は1952年の1月から11月まで「群像」に連載された長編小説である。ちょうど1952年4月の講和条約発効を間にはさみ、朝鮮戦争のさなかになる。著者の私生活では前年に鈴木百合子と結婚し、長女武田花が生まれていた。主人公は「エロ作家」の峯三郎。峯が狂言回しとなって、当時の左翼、右翼の有象無象が混沌と乱れ合っている様を描き出している。冒頭は「中国文化研究会」の会合で、これは戦時中に解散した中国文学研究会のメンバーである。学生時代にはよく判らなかったけど、リーダーの「軍地」は明らかに竹内好がモデルになっている。
(武田泰淳と百合子夫妻)
 僕が若い頃に読んだとき、この小説を気に入ったのは観念的な思想小説でありながら、戦後風俗をたっぷりと描いている面白さだったのではないかと思う。今読むと、その辺は古くて現代ではよく判らない部分が多い。まさに「朝鮮戦争下小説」なのである。峯には同棲相手の蜜枝がいて、これは明らかに武田百合子がモデル。その弟と付き合っている左翼の細谷桃代という女性は、同時に峯にも惹かれている。桃代は「PD工場」に勤めていて、峯を工場見学に誘う。そこでは青酸カリによる殺人事件が起きる。この「PD工場」が判らなかったが、検索すると「米軍の調達工場」と出ていた。銃や青酸カリが当然のように登場し、登場人物は「革命」を信じている。隔世の感がある。

 そんな登場人物を結びつけているのは「中国」である。左翼は大陸で成立したばかりの共産党政権を支持している。一方、右翼は台湾に移った蒋介石を支援するために武器を送ろうとしている。前に読んだ新潮文庫の解説は三島由紀夫が書いているが、三島は「『風媒花』の女主人公(ヒロイン)は中国なのであり、この女主人公だけが憧憬と渇望と怨嗟と征服とあらゆる夢想の対象であり、つまり恋愛の対象なのである」と喝破している。この三島の解説は講談社文芸文庫でも収録して欲しかった。

 蜜枝が峯三郎に「毛沢東と私とどっちを愛しているの」と聞く印象的なシーンがあるが、まさにそういう言葉が成り立ちうる時代だったのである。この小説では朝鮮戦争に中国が「人民義勇軍」を送り、事実上の米中戦争になった時代相を背景にしている。「男の世界」では再び中国人民の敵となって、米軍の補給基地となった日本で生きる精神的、物質的苦しさが封じ込められている。それは今から見ればリアリティが欠けている。一番生きているのは蜜枝と桃代の二人の女性である。ただし、この二人の行動も今となれば全く理解出来ないことが多い。

 以前は60年代反乱の余韻の中で読んだから、あまり違和感がなかったんだと思う。時代が全く違ってしまい、今では恐ろしく読みにくい小説になった。でもこの小説を無視して「戦後精神史」は理解出来ない。中国革命に理想を見出した時代があったことも、今では理解出来ないだろう。この小説の「新中国」はやはり理想化された部分がある。この時代はまだ、凄絶な権力抗争は起きていなかった。しかし、それはもうすぐ始まったのである。(東北地方の責任者であり、中央政府の副主席だった高崗が失脚したのは1954年2月だった。前年にはソ連のスターリンが死去していた。)
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『秋風秋雨人を愁殺す』、革命家秋瑾の人生ー武田泰淳を読む②

2022年11月24日 23時06分07秒 | 本 (日本文学)
 武田泰淳の本は何冊も持っているから、この際読んでしまおうと思って、次に「ちくま日本文学全集」の武田泰淳の巻を読んだ。これは全集と言っても文庫版なので読みやすい。全50巻で出て、その後全40巻になって今も出ている。もっとも、残念ながら武田泰淳は残っていない。僕が持っている本は1992年10月に刊行されて、ちょうど30年前の本なのかと驚いた。
(ちくま文学全集「武田泰淳」)
 「全集」だから幾つか入っている。中国史に材を取った『女賊の哲学』や戦後の青春を描く『もの喰う女』、間違いなく最高傑作の『ひかりごけ』などが入っている。1954年に発表された『ひかりごけ』は、戦時中の北海道で起こった船の遭難、そして「人肉食」を扱っている。非常に重いテーマだけに書き方が難しく、途中から戯曲形式になる。それが非常に効果を上げている。熊井啓監督によって映画化(1992年)されたが、映画は成功していたとは言えない。今も新潮文庫に残っているので必読。

 他に評論の『司馬遷伝』『滅亡について』もあるが、大部分(450頁中270頁ぐらい)を占めるのは、1967年に発表された『秋風秋雨人を愁殺す』である。1968年に刊行されて、1969年に芸術選奨文部大臣賞に選ばれたが固辞した。武田泰淳はその戦争体験もあって、国家からの賞は受けなかった。この作品は筑摩書房から出ていた雑誌「展望」に連載されたこともあるんだろうけど、他の文庫に入っていなかったのでありがたかった。その後、2014年にちくま学芸文庫に入ったが今は品切れのようだ。
(ちくま学芸文庫版)
 この本は辛亥革命に向かう時期の女性革命家、秋瑾(しゅう・きん、1875~1907)の評伝である。清朝を倒した辛亥革命、その指導者孫文は、公式的にはもちろん中華人民共和国でも高く評価されている。でも、それ以前に刑死した秋瑾のことは、本国でもちょっと忘れられていたらしい。武田泰淳は1967年に文化大革命さなかの中国を訪問して、その時に紹興(浙江省)を訪れた。「紹興酒」で名高いが、それとともに魯迅の生地として知られている。また秋瑾の故地でもあり、死刑が執行された町である。しかし、その当時はあまり秋瑾の記念物などはなかったらしい。
(秋瑾)
 その後2回も映画化されていて、現在は違うかもしれない。発表当時は文化大革命の真っ只中で、政治的に微妙な問題が多かった。作家などの評価もあっという間に転落したりした。この本でも微妙な書き方になっているところがあると思う。秋瑾という人は、僕は名前は知っていたが詳しくは知らなかった。ずいぶん「過激」で、死ななくても良い結果を自ら招いた気もした。だけど「死刑にされた女性革命家」だから、今も名を残している。そういう人がいて歴史は進むとも思う。

 秋瑾は名家に生まれ、子どもの時は纏足(てんそく)をさせられていた。纏足とは、女性の足を細くするために子どもの足に布を巻いて大きくならないようにすることである。小さい足を美しいとする当時の風習で、革命思想に目覚めると纏足を恥じるようになった。代わりに武芸に励み、刀剣(特に日本刀)を愛好したという。親の決めた結婚をして子どもも出来るが、酒浸りの夫に愛想を尽かし、やがて日本留学を志す。1904年に来日し嘉納治五郎が設立した弘文学院に入った。(その後実践女学院に通う。)そして来日していた多くの学生たちと会合を持ち、同郷あるいは女性だけなど多くの革命結社に加入した。
(映画『秋瑾~競雄女侠』)
 孫文も日本に来たわけだが、まさにその様子を見ると日本が中国革命の根拠地となっていた。清国も困って日本政府に取り締りを要請し、日本は1905年に留学生取締規定を設けた。これに反発した留学生たちは授業のボイコット運動を起こす。秋瑾は一斉帰国を主張するが、日本留学中の魯迅は批判的に見ていた。この人は熱く燃えあがると、もはや後戻りできないのである。そして帰国して「学校」(という名の反政府組織)を結成し、一斉蜂起へひた走る。そして早すぎた決起は失敗し囚われる。そこまでの様子をこの本は丁寧に追っていく。こういう人だったんだという感じ。

 僕がこの本を読んで感じたのは、辛亥革命前後の日本留学の重要性である。知ってはいたが、改めて重大な出来事だったと思う。今ではほとんど忘れられているだろう。知ってる人でも孫文や魯迅、あるいは共産党幹部の周恩来などが多いと思う。「日中連帯の歴史」を記憶しておくのは大切なことだ。ところで題名の「秋風秋雨人を愁殺す」だが、これは秋瑾が最後に残した言葉として伝わった。すごく心に残る言葉だと思ってきたが、実は違うという話がこの本に出ている。そもそも死刑執行は7月15日で秋ではなかった。まあ伝説として残して置いてもいい言葉かもしれない。
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『貴族の階段』、原作と映画ー武田泰淳を読む①

2022年11月23日 21時45分34秒 | 本 (日本文学)

 最近、武田泰淳(たけだ・たいじゅん、1912~1976)をずっと読んでいる。誰だと言われるかもしれない。「戦後派」の代表的な作家の一人である。昔いろいろと読んで好きな作家だった。でも読み残しが結構ある。もう半世紀近く前に亡くなっていて、今年は生誕110年になる。今どき武田泰淳を読んでいる人がいるのかと思ったりするが、最近中公文庫で『司馬遷』『貴族の階段』が続けて刊行された。だから多分武田泰淳を読もうという人は今もいるんだろう。まず『貴族の階段』から。

 『貴族の階段』は1959年に「中央公論」に連載され、同年に刊行された。同じ年に大映(吉村公三郎監督)で映画化されている。新潮文庫、岩波現代文庫に入っていたが、読んでなかった。中公文庫では奥泉光が解説を書いている。それは奥泉光『雪の階』(ゆきのきざはし)が『貴族の階段』にインスパイアされて書かれた続編的な作品だからである。僕はその『雪の階』も持っているけど、先に『貴族の階段』を読んでおきたいと思って、まだ手を付けていない。

 物語は西の丸公爵家の階段から始まる。西の丸家は「天皇に最も近い」という家柄で、西の丸秀彦森雅之)は貴族院議長を務めている。そこには政界お歴々が日々訪れて密談を行う。今日も陸軍大臣の猛田大将滝沢修)が来ていたが、帰りがけに西の丸家の急な階段から転げ落ちる。この密談は娘の西の丸氷見子金田一敦子)が裏で秘かに聞き取って書き残している。小説はこの氷見子の一人語りで描かれている。カッコ内で示したのは映画のキャスト。名優森雅之は高貴な家柄にして「色悪」な役に相応しい。金田一敦子は金田一家(岩手の財閥、言語学者金田一京助の親戚)の出で、当時若手女優として期待されたが早く引退した。田中絹代監督『流転の王妃』で「満州国」皇帝溥儀の皇后婉容を演じている。
(映画『貴族の階段』)
 時代は陸軍青年将校のクーデタ直前。つまり「二・二六事件」だから1935~36年。西の丸家では老公爵志村喬)は沼津の別荘に籠もっているが、折に触れ天皇の相談役となり首相を推薦している。昔から「リベラリスト」と言われ、軍の増長を嫌っている。一方、息子の秀彦は軍に近いような遠いような位置にいて、次期首相の有力候補と言われている。しかし、秀彦の長男義人本郷功次郞)は軍人を目指し、反乱軍勢力に同調している。このような「政治」を巡る男たちの世界とは別に、氷見子は女たちのネットワーク世界も書き留めていく。面白いのはそっちの方である。

 氷見子ら女子修学院に通う上流階級の女子たちは「さくら会」という集まりを持っている。風雅な趣味の会ながら、様々な裏話も飛び交う。政治の行く末は将来の婿候補たちの浮沈に関わるのである。猛田大将の娘節子叶順子)も同級で、美女の節子は氷見子を姉のように慕っている。ある日、女子修学院では近衛師団の見学会があり、銃弾発射訓練も行われる。それを前にして節子は失神してしまう。実は兄の義人は節子を愛して、求愛の手紙を送ったのだが、節子はなかなか返事も寄こさない。実は彼女には秘密があったのである。一方、父の密談筆記で反乱が近いことを知った氷見子は、兄も参加するのではないかと心配している。
(映画『貴族の階段』)
 そして、ついに「その日」がやって来て、西の丸家も攻撃を受ける。そして「大人」は生き延びるが、若者たちは大きな悲劇に見舞われる。昭和裏面史をテーマにした小説は山のようにあるが、『貴族の階段』のように上層華族を主人公にした小説は珍しい。映画を前に見ていて、筋は大体覚えていた。原作を読んでみると、ほぼ原作通りだった。そんなに複雑な筋ではないけれど、流れるように進行するストーリーは良くまとまっている。脚本は当然新藤兼人でさすがだなと思う。間野重雄の美術が素晴らしい。大映で『白い巨塔』『盲獣』などを担当し、その後増村保造『大地の子守歌』『曽根崎心中』などもやっている。キネマ旬報ベストテン19位。まあ、そんなに凄い映画でもないけれど、当時の映画の実力が判る出来映えだ。
(武田泰淳)
 『貴族の階段』は昭和政治史的な観点から言えば、ちょっと無理な筋立てである。西の丸秀彦はどう見ても近衛文麿で、老公は明らかに西園寺公望。二人が家族なら、父は我が子を「大命降下」(天皇から首相候補として指名されること)に推薦することになる。また公爵家の長男(跡継ぎ)が陸軍反乱に加わるというのも想定出来ないと思う。しかし、全てを一家に集約したことで男たちのドラマが完結し、その裏にあった「女たちのドラマ」を際だてることになる。この頃武田泰淳は『政治家の文章』(岩波新書)を書いている。「政治」と真っ正面から取り組もうとしていたのだろう。

 氷見子が通う学校はもちろん「女子学習院」になる。ウィキペディアを見ると、1889年には平民の女子も入学を許されたと出ている。だから猛田節子が通っていてもおかしくはない。猛田大将は若手に近く、反乱後の首相とも言われる。教育にも口を出しているという設定は、荒木貞夫を思わせる。荒木は1935年に男爵になっているから、「二・二六」当時は華族だった。「女子のつながり」というテーマは非常に面白い。まあどの程度現実を反映しているかは、僕にはよく判らないけど。「代表作」とか「第一級の悲劇」とまでは思わなかったが、まずは面白く読めた。(作者の武田泰淳については次回以後に。)

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『キャプテンサンダーボルト』(阿部和重・伊坂幸太郎)が面白すぎる

2022年10月17日 20時55分09秒 | 本 (日本文学)
 阿部和重伊坂幸太郎が共作した『キャプテンサンダーボルト』(新潮文庫)がムチャクチャ面白かった。阿部和重は芥川賞作家だが、長いこと読んでなかった。2020年秋に連続読書したけど、この本を読む前に疲れてしまった。伊坂幸太郎はずっと読んでいたんだけど、『ゴールデンスランバー』(2007)を堪能したところで飽きてしまった。だから10年以上読んでなかったんだけど、最近『マリアビートル』を久しぶりに読んだのは、ハリウッドで映画化というビックリニュースがあったから。そしてまさに手元に『キャプテンサンダーボルト』があったので、この機会に読もうと思ったのである。

 正直共作なんて信用してなかった。面白くないに決まってると思い込んでいた。対談が最後に付いてるけど、それを読むとホントの共作である。一章ごとに書き分けたとか、役割分担したとかではなく、お互いに全編を書き直し合って書かれたらしいのである。企画はもっと前からあったらしいが、文藝春秋から書下ろしで2014年11月に出版され、2017年に文春文庫に入った。それが2020年に新潮文庫NEXとして再刊され、ボーナストラック、特別対談に加えて、さらに書下ろし短編もある、686頁もある大長編。
(阿部和重)
 阿部和重は山形県東根市、伊坂幸太郎は宮城県仙台市の出身で、多くの作品の舞台にもなっているのは、読者なら周知のことである。(だから映画『ブレット・トレイン』も、東北新幹線のままだったら良かったのに。)ということで、東日本大震災の後に書かれた本がパンデミックさなかに再刊され、ウクライナ戦争中に読むことになった。それがことさら意味あることに感じられたが、内容的にはひたすら読み進んでしまうジェットコースター本で、しかも相当揺れるしトンデモ展開の連続である。でも間違いなく面白い。こんな面白い本がそんなに知られてないのは残念。
(伊坂幸太郎)
 ミステリーだと最初に登場人物一覧がある。でも、この本は登場人物紹介がイラスト付き。さらにまず「井ノ原悠」「相葉時之」っていう名前である。それに桃沢瞳なる謎の美女が出て来て、「村上病」を調べている。この冗談みたいな命名はさらに続き、相葉が連れている犬が「ポンセ」って言うのである。井ノ原、相葉は説明不要だと思うけど、ポンセは元横浜大洋ホエールズ所属の外野手である。阪神のバースと同時代で賞に恵まれなかったが、それでもホームラン、打点でリーグ1位になった年がある。(当然ながら2022年にノーヒットノーランを達成した日本ハムの投手ポンセではない。)

 「村上病」は明らかに村上春樹である。対談で阿部和重は「村上春樹は僕らの世代の作家にとって、上空を遮っているUFOのような存在」と述べているぐらい。特に『1Q84』(2009、2010)の直後の作品だけに、「村上春樹に立ち向かう」意識が強い。ちなみに「村上病」というのは、致死率70%の恐怖の細菌感染症で、第二次大戦後の日本で発生した。その後、ワクチンが開発され、ほぼ全国民が接種して現在は収まっているものの、謎の奇病として恐れられている。その病原菌は「蔵王山のお釜」(火口湖)にのみ存在し、お釜周辺は厳重な立ち入り禁止区域になって数十年。
(蔵王の「お釜」)
 井ノ原、相葉は子ども時代に山形県で少年野球チームに入っていた。しかし、それから20年近く、マジメな井ノ原も、いい加減な相葉も、ともに借金数千万円を抱える身。ひょんなことから、謎のテロリストと対決することになるのも、要するにお金が欲しかったからである。この小説では野球が大きな役割を果たしている。時期的に東北人には忘れられないだろう、東北楽天ゴールデンイーグルス田中将大投手が快進撃を続け、ついに24勝0敗の勝率10割で優勝、日本シリーズも制した、あの2013年が舞台になっている。作中にもこの話題はいっぱい出て来る。

 もう一つ、二人には共通点があった。昔テレビでやってた「鳴神(めいじん)戦隊サンダーボルト」の大ファンだったのである。このヒーローものは、かつて映画化されたものの、突然公開中止になってしまった過去がある。蔵王でロケされたということで、地元の二人は大いに期待してたのに…。何でも主演俳優のスキャンダルというんだけど。仙台の映画館主に大ファンがいて、何故かお蔵入り映画のビデオを持ってて…。一方で桃沢瞳は東京大空襲の日に蔵王で墜落したB29がいるという秘話を突き止める。

 「村上病」を調べる彼女の真意はどこに? 謎が謎を呼び、恐るべき銀髪外国人が追ってくる一方、突然相葉が拘束され「村上病患者発生」と報道される。基本、ミステリー的な冒険小説だから、ネタバレ的なことはこれ以上書けない。パンデミックを経て、病原菌やワクチンに詳しくなった我々には、このような「謎の病気」を恐れる社会が判る。「テロ」や「怪しげな組織」も、この小説以後ずっと詳しくなった。全く先見の明的な小説なのである。そして、すべての謎は蔵王のお釜にあった!
(オーストラリアの義賊キャプテンサンダーボルト)
 壮大なエンタメ小説だが、小説内の様々なアイディアが今になって妙にリアルな感じがする。第二次大戦中の秘話が今の世界に続くというのも、大江健三郎、村上春樹の小説世界を受け継ぐ構造である。阿部和重も伊坂幸太郎も、いささかやり過ぎ的な部分が多い作家で、読んでて疲れるときがある。しかし、この共作ではお互いに打ち消し合って、ジョークも効いてて面白い。ちなみに、「サンダーボルト」にはいろいろあるみたいだが、作中にはマイケル・チミノ監督、クリント・イーストウッド主演の『サンダーボルト』(1974)が出て来る。また19世紀オーストラリアの義賊にキャプテン・サーダーボルトと名乗った人物がいるという。検索したらホントにいた人で、上記のような写真が出て来た。とにかく圧倒的に面白かった。
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『宝島』と『熱源』、日本列島の南と北を描く直木賞受賞作

2022年08月14日 20時49分25秒 | 本 (日本文学)
 近年の芥川賞、直木賞受賞作を文庫になったら読もうと買ってあって、大分溜まったのでまとめ読みした。芥川賞作品では上田岳弘ニムロッド』(講談社文庫)、町屋良平1R1分34秒』(新潮文庫)、今村夏子むらさきのスカートの女』(朝日文庫)の3作。どれも面白かった。今村夏子はやはりこれが一番の傑作だと思う。町屋作品のRは「ラウンド」で、ボクシングの話。上田作品の「ニムロッド」も不思議な題だが、荷室という登場人物に由来する。IT会社で働く「ニシモト・サトシ」という、よりによってビットコインの仕組みを考えた「サトシ・ナカモト」と同名人物の物語だけど、とても面白かった。

 直木賞では門井慶喜銀河鉄道の父』(講談社文庫)、真藤順丈宝島』(講談社文庫)、川越宗一熱源』(文春文庫)。どれも長いので文庫化を待っていたが、文庫でも分厚い。この間、島本理生ファースト・ラブ』、馳星周少年と犬』、佐藤究テスカトリポカ』、米澤穂信黒牢城』はハードカバーで買って読んでいる。『銀河鉄道の父』は宮沢賢治の父親の話で、読みやすくて面白かった。しかし、ここでは『宝島』と『熱源』に絞って書いておきたい。

 真藤順丈(しんどう・じゅんじょう、1977~)の『宝島』は2018年に刊行されて、2019年1月に第160回直木賞を受けた。刊行当時から破格のスケールの面白さと評判になったのは知っているが、何しろ「破格」の長大さなので敬遠していた。文庫本では上巻が448頁、下巻が256頁もある。上巻と下巻でずいぶん厚さが違うが、これは全3部構成のうち上巻に1部、2部を収録しているためである。普通なら2部の真ん中で分けるもんだけど、何故か文庫化にあたって上下巻の厚さの違いを気にしなかった。
(『宝島』上巻)
 内容的には1945年から1972年の沖縄、つまり沖縄戦から米軍占領、本土返還までのいわゆる「アメリカ世の沖縄」が舞台になっている。この前書いた「「〈アメリカ世〉の沖縄」を読むー「復帰50年」の前にあったこと」で取り上げた岩波新書を「正史」とするならば、こちらは壮大でファンタジックな冒険に満ちた「稗史」(はいし=公認されない歴史。民間の歴史書。転じて、作り物語)というべきだろう。米軍統治初期の沖縄は困窮を極めていたため、米軍基地から物資を盗み出す「戦果アギヤー」(戦果をあげるもの)と呼ばれた窃盗団が横行したという。この小説はその史実に想を得た壮大な戦後沖縄民衆史である。

 中でも「オンちゃん」は住民のために薬を配布し、学校建設用の物資を提供するなどして、英雄と言われていた。親友のグスク、弟のレイ、恋人ヤマコと孤児4人組で活動していたが、今まで襲撃対象にしなかった嘉手納基地を他のグループと共同で襲った夜にオンちゃんは消息を絶った。基地を脱出できたのか、それとも米軍に撃たれて死んだのか。死んだら死んだで死体があるはずだが、全く情報がつかめない。その夜オンちゃんに何があったのか。この長大な小説を最後まで読むと謎は解明されるが、そのためには読む者も沖縄の苦難の歴史を追体験しなければならない。
(真藤順丈)
 オンちゃんがいなくなっても、人は生きていかなくてはならない。そしてオンちゃんを探すために、グスクは警官となりレイはヤクザとなった。そのことで戦後沖縄史の語られざる秘史を両方の側から読むことになる。一方ヤマコは小学校の教師となり、宮森小の米軍機墜落事故を体験する。そこからヤマコは教職員会の活動に参加し復帰運動の闘士となっていく。そんな中で強硬派として知られるキャラウェイが高等弁務官として赴任し、3人の運命は翻弄されていく。オンちゃんがいない中、グスクとレイはヤマコに恋い焦がれる。その恋の行方とともに、ウタと呼ばれる孤児の哀切な運命はどうなるのか。弾圧された瀬長亀次郎はもちろん、ヤクザ世界に生きる「那覇派」の又吉世喜も実在人物。長いけれど『宝島』は非常に面白かった。

 川越宗一(かわごえ・そういち、1978~)の『熱源』は2019年に刊行され、2020年1月に第162回直木賞を受賞した。沖縄を描いた『宝島』に対し、『熱源』は樺太北海道を舞台にしている。また戦後史を描く『宝島』に対し、『熱源』は明治初期から第二次大戦でソ連軍が南樺太に侵攻するまでを描く。地理的にも時代的にも好対照だが、「日本」を南北から相対化する視点が共通している。冒頭は北海道の対雁(ついしかり、現在の江別市)に始まる。アイヌ民族のヤヨマネクフシシラトカ、和人の父とアイヌの母の間に生まれた千徳太郎治の3人が登場して始まる。彼らは樺太生まれなのだが、1875年の樺太千島交換条約後に北海道に移住してきたのである。読後に調べて驚いたのだが、この3人は実在人物である。
(『熱源』』
 一方、次の章ではロシアの革命運動の話になって、ポーランド人の学生プロニスワフ・ピウスツキが国事犯としてサハリンに流刑される。厳しい生活を生き抜いて、ピウスツキはサハリンの原住民であるニヴフ(ギリヤーク)やアイヌと交流するようになり、民族学者として知られるようになっていく。そしてアイヌ女性と結ばれて子どもも生まれるが、今度は日露戦争と南樺太の日本譲渡で運命が変転する。ピウスツキの弟ユゼフ・ピウスツキもポーランド独立運動家になり、第一次大戦後にポーランドが独立したときに初代大統領となった。この二人はある程度知られた史実なので、僕も知っていた。しかし、流刑や樺太アイヌの生活の具体的な様子はよく知らなかったから、興味深かった。
(川越宗一)
 ヤヨマネクフとシシラトカの二人は、その後山辺安之介、花守信吉という日本名を名乗って、樺太犬の世話係として白瀬矗(のぶ)の南極探検隊(1911年)に参加した。その事は知らなかったので、調べたら二人が実在人物だったのを知って驚いたのである。その事業を大隈重信元首相が後援したが、日本に支援を求めてやってきたユゼフ・ピウスツキも大隈に会っている。このように不思議な縁で結ばれた人々を描くのだが、基本的には史実に忠実に書かれている。最後に出てくる日本軍特務の源田は、シベリア抑留を経て北海道にウィルタ(オロッコ)民族の資料館(ジャッカ・ドフニ)を築いたゲンダーヌである。

 なお、プロニスワフ・ピウスツキの死因だが、1918年にパリのセーヌ川で投身自殺したとウィキペディアに出ている。彼が残した樺太アイヌの言語、音楽などの蝋管録音は非常に貴重なもので、今も研究が続けられている。『熱源』は北海道や樺太から南極まで出て来て読むと猛暑の夏に涼しくなれるかも。一方、かえって暑いときは暑いところを読みたいという人は、沖縄だからというだけでなく、人々の熱気がたぎっている『宝島』が良い。ほぼ同年代の作家の超大作、なかなか映像化も難しいだろう。どっちも長いけれど、直木賞作品なんだから面白いことは請け合い。
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滝口悠生『高架線』、語り口絶妙の「西武線小説」

2022年08月12日 22時47分45秒 | 本 (日本文学)
 滝口悠生高架線』(講談社文庫)が素晴らしく面白かった。2017年に刊行された長編小説だが、非常に不思議な設定と語り口が一読忘れられない。滝口悠生(たきぐち・ゆうしょう、1982~)は2016年に『死んでいない者』で芥川賞を受賞した若手作家である。その受賞作が非常に面白かったので、他の作品も読んで「滝口悠生の小説を読む」(2019.11.9)を以前書いたことがある。他の作品とはその当時文庫化されていた『ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』と『愛と人生』である。後者の作品はなんと「男はつらいよ」の純文学という実に不思議な本だった。

 今度読んだ『高架線』は、帯の言葉を引用すると「西武池袋線東長崎から徒歩五分」「風呂トイレつき、家賃三万円」「部屋を出るときは、次の入居者を探すのがルールの古アパート」である『「かたばみ荘」二号室の十人をめぐる一六年の物語』である。東長崎はもちろん実在する駅で、西武池袋線で池袋から椎名町に続く2駅目。ここまでが豊島区で、次の江古田から練馬区になる。東長崎があるなら西もあるかというと、それは長崎県の長崎である。混同しないように駅名に東を付けた。多磨地区にある東久留米と同じである。もともとこの地域を長崎と言うが、鎌倉時代に長崎氏の領地だったからだという。
(東長崎駅南口)
 この小説は2001年から始まっている。21世紀の話だ。ボロとはいえ、23区内、それも繁華街の池袋に近いアパートが3万円とは異常に安い。しかも、不動産屋を通すことなく、住人が次の住人を探す方式で入居者が決まる。だから敷金礼金もなし。いくら何でもおかしくないか。このボロアパートの2号室の住人ばかりを描く小説である。この「部屋小説」という意味では長嶋有三の隣は五号室』を思い出した。しかし、『高架線』はその題名で判るように、西武池袋線沿線をめぐる物語という言い方も出来る。

 昨日朝倉摂展を見に練馬区立美術館に行ったが、最寄り駅の中村橋は高架になっている。桜台から石神井公園までが高架になっているという。江古田までは地上を走っていて、だから東長崎は高架じゃない。だけど、語り手の一人が所沢出身なのである。西武鉄道新宿線池袋線があるが(他にもあるけど、東京中心部に向かう主要線はこの2つ)、池袋線はその先に所沢(西武球場がある)、さらに飯能があり、秩父まで通じている。滝口悠生は埼玉県入間市で育ち、所沢高校を卒業しているから、西武線に乗って高架線から東京の風景を見る描写は自分の経験でもあるだろう。
(滝口悠生)
 冒頭が「新井田千一です」と始まる。名前の読みは「あらいだ・せんいち」。普通はこんな始まりはしないだろう。「新井田千一は…」と始まったり、一人称で「私(僕、俺など)は…」と語ることはある。この本の始まり方は読者に直接語っているドキュメンタリー映画みたいだ。実はこの語り方が最後まで続くのである。語り手は変わる。七見歩、七見奈緒子、峠茶太郎、木下目見(まみ)、日暮純一、日暮皆美と都合7人が語っている。その語りが非常に面白くて、ついこっちも引きずられて読んでしまうけど、ここには重大な問題が潜んでいる。新井田に次ぐ21世紀2番目の住人「片川三郎」が抜けているのである。

 「片川三郎です」がないだけじゃなく、何と彼は失踪してしまうのである。住人が所在不明になれば大家が困る。普通と違ってかたばみ荘では住人どうしで居住者を決めるならわしである。黙って消えれば、後が見つからないのである。そこで大家が新井田に連絡する。その片川の幼なじみが七見歩である。奈緒子はパートナー。その後の「峠茶太郎」というのはふざけた名前だが、もちろん本名ではない。芸名なんかでもなく、理由あって仮名にしている。その理由が興味深く、つい引き込まれてしまう。で、結局片川三郎は見つかるのか。そのミステリーという一面もある。そこで日本の現実とぶつかることになる。

 一方峠茶太郎の人生はまさに「昭和シネマ」。『愛と人生』は「男はつらいよ」だったが、『高架線』は「蒲田行進曲」である。つかこうへい原作、深作欣二監督の傑作だが、これが出てくるのは、西武池袋沿線に大泉学園駅があるからかもしれない。東映東京撮影所がある町である。まあ「蒲田行進曲」は松竹・角川の映画だが、内容は東映京都撮影所の話である。京都と東京では違うけど、池袋線沿線小説には東映映画の話が似合っている。とにかく登場人物の語り口に乗せられながら、ラスト近くになると、小説の仕掛けも全部判って、東長崎界隈が懐かしく思えるようになってくる。

 何で東長崎なんだろうか。僕が想像するには「トキワ荘」があるからかもしれない。まあ作者個人の思い出があるのかもしれないが、長崎近辺で一番知られた文化施設は再建された「トキワ荘」である。また小説中に東日本大震災が出て来る。時代的に21世紀の東京を編年的に語るなら、出てくるのは当然だけど。それが人々の人生を微妙に変えていくのである。いろんな要素が詰まって不思議な感じの小説だけど、面白くて読みやすい。東京小説の中でも余り出てこない地域を絶妙に語っている。
(カタバミの花)
 なお「かたばみ荘」のかたばみっていうのは植物の名前。ウィキペディアを見たら、世界中にあって、日本でも長宗我部氏や酒井氏の家紋に使われているという。田中角栄の家紋も「剣方喰」(けんかたばみ)なんだという。クローバーに葉が似ていて間違う人が多いとも出ている。「ももいろクローバーZ」のロゴも間違ってカタバミになっていると書いてあった。
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中野慶『岩波書店取材日記』を読むー「戦後の理想」はどう移り変わったか

2022年06月12日 22時31分49秒 | 本 (日本文学)
 中野慶岩波書店取材日記』(かもがわ出版)という本の紹介。東京新聞(2月26日)に紹介されていたが、知らない人が多いだろう。実はその前に著者本人から贈って頂いていたのだが、読むのが遅れてしまった。5月末に読んだが、なかなか感想が書きにくい本だ。「リアルすぎるユーモア小説です」と帯にある。しかし、そのユーモアに付いて行くにも、ある程度の知的素養が要りそうだ。何しろ「岩波書店」と明記して、その内部の様々な出来事を書いている本なのである。著者は中野慶名義だけど、以前書いた「大塚茂樹「原爆にも部落差別にも負けなかった人びと」を読む」と同じ人である。
(『岩波書店訪問日記』)
 題名に反して、なかなか岩波書店を訪れない。プロローグが38頁もあるのである。そこでは大学を卒業して、「中小企業家をサポートする」コンサルタント会社「GKⅢ」に勤めることになった芳岡美春という女性の事情が語られる。この芳岡という若い女性は鳥取出身で、歴史好きの父親が突然事故で亡くなる。その後、父からかつて教えられた川崎市高津区にある円筒分水を訪れる。それは何だろう? 実は聞いたこともなかったのだが、国の登録文化財になっている。調べてみると日本各地にあって、サイフォンの原理を利用して農業用水を必要な村に分配する仕組みだった。これが本書のテーマと絡んでいると後で思い当たった。
(川崎の円筒分水)
 岩波書店は1913年に岩波茂雄が開いた古書店に始まり、1914年に夏目漱石こゝろ』を刊行して出版業に進出した。その後、1927年に岩波文庫、1938年に岩波新書の刊行が始まり、日本の知的世界の牽引者となった。この年数はウィキペディアで見たが、そこには従業員数も出ていて、200名とある。他の会社を見てみたら、講談社は920名、小学館は692名、集英社は760名とあった。新潮社や文藝春秋は300人台で、岩波はずいぶん少ないんだなと思った。

 一番知られた国語辞書の『広辞苑』や児童書(リンドグレーンの本やエンデの『モモ』など)もあるから、何か岩波の本を持ってる人は多いだろう。でも、日々減り続ける町の本屋では、岩波新書や岩波文庫をあまり見ない。岩波書店の本は「買い取り制」だからである。多くの出版社の本は取次会社を通した「委託・返品」で、基本的には本屋は展示場と同じである。町の小書店では売れない場合に返品できない岩波の本を扱わない(扱えない)ところが多い。僕は時々大型書店に寄って、各文庫、新書をチェックしているが、そうでもしないと岩波新書新刊を見ないで終わってしまう。(実際に手に取らずにネットで買うことは原則としてしない。)
(岩波書店)
 さて、先の芳岡美春という女性は、何故かその後岩波書店に何回か通って「研修」することになる。なんだかこの辺の成り行きが今ひとつ判らなかったのだが、最後になってやはり事情があったと判明する。その「研修」には上司の国友、先輩である直島尚美(「皇室ファン」を自認し、折々暴走するこの人物が絶品で爆笑)が同行するときもある。岩波書店では専務や「卓越編集者」、「組合のエース」らと会ってゆくのだが、そこで見たのはイマドキ珍しい労使関係だった。毎月「経営協議会」が開かれ、経営方針や人事を組合側に報告して同意を得るのである。

 再び帯を引用すると「吉野源三郎の志を受け継ぎ、理想職場をめざした人々の葛藤と」である。「平等」をめざし、学歴などにとらわれない賃金体系を取ることで、労働時間や各職場の特性を考慮しない弊害も生む。良書を作ろうと深夜まで働いても残業代が出なかった。しかし、それをきちんとするために労働時間の縛りがきつくなることを嫌がって改革が遅れたという。これは学校の働き方の弊害の議論と共通性がある。出版不況の中で、90年代には年間700点も刊行されたため、労働時間の超過が激しくなった。今は残業代も支払われるようになったが、反面で勤務時間の管理も厳しくなったという。

 学校でももともと「教員の人材確保法」だったはずの「給特法」が、「定額働かせ放題」と言われるようになった。昔は行事や生徒指導で遅くまで残ったとしても、その代わり勤務時間の縛りも緩かった。部活動は大変には違いないが、若い教員が毎年のように新規採用されていたので、何とか回っていたのである。教員労働のあり方が変えられてしまうと同時に、新採教員が少なくなり現場の負担が増大してしまう。岩波の話なんだけど、結局自分は学校の問題としてしか語れないなあと思った。
(中野慶氏)
 「理想の職場」の戦後史とともに、登場人物のあれこれがユーモラスに語られる。国友の自宅を訪れて魚料理をする場面など実に美味そう。そこをもっと大きく取り上げた本も期待したいところ。この本でも女性二人の造形が見事で、面白く読むことが出来る。しかし、ベースは岩波書店を通した「戦後の理想の変遷(崩壊?)過程の考察」だろう。実に多くの人名が登場し、若い人には何の感慨も生まない名前もあるだろう。(戸村一作はその一例。)その知の饗宴のごとき人名の中に、自分のこだわりと関わる人が出て来るかで、この本の印象も変わると思う。僕は128頁で斎藤茂男氏に触れられ、次の頁に本田路津子一人の手」が出て来たところで、いろいろと思い出してしまった。

 最近本田路津子(読み方が判らない人がいると思うけど、「るつこ」である)の「秋でもないのに」を急に口ずさんでいた。連休後に暑くなったり寒くなったり…。秋でもないのに寂しいのは今頃かとハタと気付いたのである。斎藤茂男さんは共同通信の記者として50年代の冤罪「菅生事件」の真犯人(共産党員が起こしたとされた爆弾事件の犯人は実は警察官だった!)を見つけた人だが、後に多くの労働現場のルポを書いた。他にも様々な分野に関心を持っていた人なので、1997年に「らい予防法廃止一周年記念集会」というのを開いた時に、僕が連絡してシンポジウムのメンバーとして出て貰った。

 そういうことを熟々(つらつら)思い出して読んだのだが、前に書いたことがあるが僕の高校時代の卒業記念品は「岩波新書の一冊」だった。担任団の教員が一冊ずつ選び、生徒会が早乙女勝元東京第空襲」を加えて、9冊の中から一つ選ぶ。岩波新書が「知の標準」としてまだ生きていたのである。その後、70年代後半には「韓国からの通信」を読むために岩波の雑誌「世界」を毎号買っていた時代がある。見田宗介さんの本もずいぶん岩波で読んだ(『宮沢賢治』『時間の比較社会学』などの他、著作集が岩波)。

 「岩波教養主義」と批判的に呼ばれたものを語りたい気もあるが、今はいいだろう。僕は岩波書店の本をずいぶん読んできたが、その会社の内実など何も知らないし、気にしたこともなかった。「ユーモア小説」と言うんだから、気楽に読めばいいとも思うけど、そう気楽にもなれないのがやはり「岩波」という感じがする。そう思う人には面白いと思うから一読をお勧め。なお、著者は岩波書店に1987年から2014年まで勤務した。自分の会社を書けるのはいろんな意味で凄いというか素晴らしい。僕は学校を舞台に小説は書けない。面白いエピソードは山のようにあるけど、墓の中まで持っていく「守秘義務」になるだろうな。
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川本三郎「『細雪』とその時代」を読む

2022年03月18日 23時08分25秒 | 本 (日本文学)
 谷崎潤一郎細雪」について3回書いたので、一応重要なところは終わったけれど、何しろ大河小説だから面白いところは他にもいっぱいある。それらを川本三郎『細雪』とその時代」(中央公論社、2020)をもとにして触れておきたいと思う。僕は川本さんの本は幾つも読んでいるが、この本のことは知らなかった。出たときに見たかもしれないが、本体価格2400円もするから「細雪」を読んでない段階では買うわけがない。しかし、「細雪」を読んだ人は是非ともこの本を読むべきだ。

 とても面白い本だが、何よりも地図が載っているのが嬉しい。「細雪」を読んで何が判らないといって、大阪や神戸の土地勘がないので困る。この本には芦屋とその周辺大阪市街船場神戸市街東京・渋谷と5つの地図が付いていて、芦屋の蒔岡家の場所や妙子が水害に遭う洋裁学院などが図示されている。僕も大まかなこと(大阪から西へ、尼崎、西宮、芦屋、神戸だという程度)は知っていても、夙川(しゅくがわ)とか岡本香櫨園(こうろえん)などとあっても細かい地理が判らない。大阪でも船場上本町道修町(どしょうまち)などの位置関係が頭の中にない。(実は東京だって、23区の西の方になると、位置関係がよく判ってない。)地図があることだけで、「細雪」を読んだ人ならこの本を読みたくなるはずだ。

 昔、高校生の時に谷崎訳「源氏物語」を読んでみた。ものすごく面白かったが、実は受験対策という発想である。古文で源氏がよく出るから、現代語訳であらすじをつかんでおきたかった。でも最初はよく理解できなかったのである。その時に読んで非常に役だったのが、岩波新書にあった秋山虔(けん)「源氏物語」という本だった。やはり源氏のような大河小説になると、ただ読んでいても理解が難しく、「補助線」のようなものがいるなあと痛感した。「細雪」は近代小説だから読めば判るけれど、戦前の関西の話をより深く味わうためにはやはり「補助線」が欲しい。それに最適なのが川本氏の本なのである。
(川本三郎氏)
 大阪や神戸に関して多くの証言、例えば神戸生まれの映画評論家、淀川長治の残した話を紹介する。谷崎周辺の話も興味深い。つい「細雪」のモデルは松子夫人だという思い込みから、松子夫人は船場生まれだと思い込みやすい。しかし、実は船場生まれなのは松子の前夫、根津清太郎という人物の方で、松子は大阪湾岸にあった造船所の令嬢だった。この根津は奥畑啓三郎、つまり「こいさん」(妙子)と恋仲になる「啓坊」(読み方は「けーぼん」)のモデルだという。川本氏は啓ぼんを登場人物の中で唯一共感出来ないと書いている。確かに店の貴金属を持ち出して妙子に貢ぎ、母の死後に兄から勘当される啓ぼんは甲斐性なしに違いない。でもつかず離れず付き合って、巻き上げるものはきっちり巻き上げている「こいさん」はどうなのよと僕は思う。

 妙子が啓ぼんから乗り換えた板倉は「芸術写真」を志した。また縁談に奔走する井谷は繁盛する美容師だった。そこで川本氏は当時の写真や美容師の実情を調べてみる。そこで見えてくる近代日本が興味深いのである。また阪神大水害のネタ探し。谷崎自身はその日は家にいて無事。小説では悦子が小学校に行き、貞之助が救助に行く。現実の谷崎は大雨を心配して義理の娘には学校を休ませたという。妙子の水害はだから全くのフィクションなのである。それを書けたのは、当時の小学校や高校のまとめた記録だという。そこから迫真の水害描写を作り出したのは、やはり谷崎の作家としての力というしかない。

 また外国人との交流も忘れがたい。隣家のドイツ人とは子どもたちがすぐに仲良くなる。事変下に事業が立ち行かなくなり帰国することになるが、横浜まで見送りに行くぐらい親しくした。また妙子の人形を習いに来たカタリナを通して、白系ロシア人一家とも親しくする。実際に谷崎家の隣に外国人が住んでいたというが、これら脇役が見事に造形されていて忘れがたい。「盟邦」ドイツ人や革命を逃れて日本に来たロシア人、と書いても問題ない人々になっているけど、戦時下に外国人との交友をこれほど暖かく書き込んだ谷崎の開かれた精神に驚嘆する。

 また幸子一家の女中「お春」の重要性も川本さんは忘れていない。当時は電化製品がない時代だから、ちょっと余裕のある家庭には「女中」がいた。農村から来たかと思うと、お春は尼崎の出身。勉強が嫌いで高等女学校には行かず、女学校を出て女中奉公を志願した。女学校までは行ってるんだから、極貧ではないのである。むしろ礼儀見習いの意味で、良い家庭の女中に行ってから見合いするというコースもあった。お春は15で勤めに来て、今は「上女中」である。これは炊事洗濯などの家事を担当する「下女中」と違って、主人の身の回りの世話をする女中のこと。下女中は呼び捨てだが、上女中は「どん」が付いて「お春どん」と呼ばれた。知らないことは多い。「どん」なんて女中一般を軽く呼ぶ時の言葉と思っていた。
  
 「お春どん」は社交性があって外面が良く、出入りの店員などに受けがいい。でも実はだらしがないんだと幸子はこぼしているが、東京へ悦子を連れて行くときにも付いて行っている。台風に襲われ隣家に避難するときは、交渉一切をお春が仕切って、本家の子どもたちを助けた。本家の鶴子にも大変有り難がられる。本家の女中と一緒に、功をねぎらうために日帰りだけど日光見物をプレゼントされて大喜び。地下鉄で浅草へ出て、東武線で日光へ行けば、東照宮だけでなく華厳の滝まで見て日帰り出来るのである。やはり関西人でも富士山と日光は特別な観光地だったと判る。

 川本さんの本では今までに、「川本三郎「荷風と東京」を読む」(2014.7.23)、「川本三郎「小説を、映画を、鉄道が走る」」(2014.12.22)、「川本三郎「『男はつらいよ』を旅する」を読む」(2017.6.27)を3回書いていた。今度の本は2006年から2007年に掛けて「中央公論」に連載されたものが、2020年に単行本になった。間が空いているが、土地勘がないから難しいものがあったのだと思う。「細雪」の面白さを倍増させてくれる本だった。
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