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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

災害・病気・戦争ー「細雪」を読む③

2022年03月17日 23時03分42秒 | 本 (日本文学)

 「細雪」は華やかな物語と思われているのではないか。没落する美しき姉妹の夢のような日々…。そういう印象を強めたのは、3回目の映画化である1983年の市川崑監督作品の影響も大きいと思う。そこでは姉妹が着飾って花見をするシーンが描かれる。また舞台化された「細雪」も毎年のように上演されて、美人女優が共演してきた。原作にも間違いなく華やかなシーンがある。冒頭近くの花見シーンは有名だ。何故かこの一家は吉野山は無視して、花は京都と決めている。芦屋にいた幸子雪子妙子に、幸子の娘悦子と夫の貞之助が加わって春の京都に出掛けるのが恒例になっている。幸子が松子夫人だから、貞之助は谷崎自身である。カメラを持って美人姉妹を撮りまくる。周囲の人々も思わず見とれて写真を撮る。おのろけシーンである。
(市川崑監督「細雪」)
 また中巻の「蛍狩り」も素晴らしい。雪子の見合いを兼ねて、義兄の実家の親戚筋の岐阜県大垣市近くの農村を訪れる。見合いはともかく、一度蛍を見にと言われて本家の立場も立てるために行くことになる。そこでまさに夢幻能の如き圧倒的な蛍の乱舞を見ることになる。実際に谷崎の体験あってのことだというが、僕はこの場面のことは知らなかった。映画には出て来ないからである。宮本輝原作「螢川」を須川栄三監督が映画化していて、素晴らしい蛍の乱舞が見られるが、あれは実際の蛍ではなかった。電気を使った特撮なのである。暗い夜でこその蛍を映画で撮影するのは無理だろう。エピソード的にも省略可能だし。

 また食べ物の描写も多い。鮨あり、洋食あり、谷崎自身の好みが出ている。この小説は日中戦争前夜に始まり、直接は出て来ないけれどほとんどは「事変下」の非常時に進行する。政府は「国民精神総動員運動」を推し進め、その時の有名なスローガンが「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめましょう」だった時代である。しかし、谷崎は悠然として「ぜいたくは素敵だ」の世界を書き続けた。幸子姉妹もパーマをかけ続け、そのことが雪子の縁談につながる。これが谷崎潤一郎なりの「戦時下抵抗」だった。

 ところで実際に読んでみると、「細雪」に華やかさはあまりないのである。小説内では災害病気が満ちている。またあまり描写されないが背景に戦争もある。その上、「本家」や周囲の人々、子どもや女中たちなどあれこれの気苦労が毎日ある。それが日常生活というものだろう。中でも中巻における1938年の「阪神大水害」は迫真の描写力もあって、一度読めば忘れがたい。谷崎はエロスや伝奇的イメージが強いが、リアリズム作家としての確かな力量を思い知らされる。この大水害では「こいさん」(妙子)が死にかけて、それを写真師板倉が生命の危険を顧みずに助けて、小説世界を書き換えてしまう。
(1938年の阪神大水害のようす)
 板倉とは奥畑家で丁稚をしていたが、渡米して写真技術を身に付け写真館を開いている人物である。妙子と奥畑啓三郎(啓ぼん)は、駆け落ちがマスコミで報道されて、堅く交際を禁止された。しかし、妙子が人形作りに精を出して認められ展覧会を開くと、それを聞きつけた奥畑が現れ焼け木杭に火がついた。「こいさん」と「啓ぼん」は、そこだけ取り出して描くなら、織田作之助「夫婦善哉」や林芙美子「浮雲」に匹敵する「腐れ縁小説」になったはずである。ところが妙子にしてみれば、啓ぼんが甲斐性なしであるだけでなく、他にも女がいてダンサーに子を生ませたなど聞き及び、いい加減飽き飽きしてきていた。

 人形の写真を撮るため啓ぼんから聞いて板倉に頼むようになり、板倉は蒔岡家と親しくなる。そして命がけの救助活動。その日啓ぼんも幸子の家に現れたが、パナマ帽を被ったオシャレ姿が汚れないよう気をつけていた。それを後で聞いて、いい加減啓ぼんに愛想を尽かし、妙子の気持ちは急速に板倉に傾く。啓ぼんは甲斐性なしだが同じ階級である。板倉は結婚相手には不可と幸子も雪子も大反対だが、妙子は気持ちを変えない。ところが板倉を悲劇が襲う。まあ映画などで知っている人も多いと思うので書いてしまうが、東京に来たときに突然板倉危篤の電報が来て、急いで帰ると板倉は中耳炎から脱疽を起こして急死してしまう。

 妙子はその後啓ぼんとズルズルよりを戻したら、啓ぼんと鮨を食べに行ってサバに当たって赤痢になり、またも死にかける。つくづく不運な娘で、谷崎もその後も随分いじめている。一方、災害としては幸子が娘悦子を東大病院の医者に見せるため東京にいたとき、すさまじい風台風に襲われる場面が印象的だ。しかし、地震は出て来ない。関東大震災(1923年)や北丹後地震(1927年)の後、しばらく関西では大きな地震がない時期が続いていた。
(「細雪」を書き始めた住居「倚松庵」)
 病気としては、姉妹の母が結核で亡くなっている他、赤痢黄疸など今はあまり聞かない病気が多いのが特徴だ。特に脚気(かっけ)には驚いた。冬になると一家で脚気気味になって、自分たちでビタミンBを注射している。それを自分たちでは「B足らん」と呼んで、家で注射してるのにビックリ。脚気はビタミンB1の不足で起こると判っているのだから、注射ではなく食生活を改善しようという発想がない。恐らく「白米」中心の食事で、野菜が切れる冬に栄養不良になるのだろう。ビタミンB1は豚肉や緑黄色野菜、豆類などに多いというが、上流階級ほど足りなくなる。(今はあまり脚気を聞かないが、インスタントラーメンなどにはビタミンB1が添加されているという話。)

 こうして書いていくと終わらないが、娘の悦子はなんと「神経衰弱」になるし、幸子は流産もする。映画には出て来ない病気話がいっぱいで驚いた。家族ではなく見合い相手だが、母が精神病(詳しくは不明)ということで縁談を断るのもビックリした。ずっと家に籠もっているというが、統合失調症などではなく認知症の可能性もあると思った。最後、結婚式に向かう雪子が「下痢」が治らないという唖然とする終わり方をすることもあって、「細雪」は「病気小説」の印象が強い。

 「戦争」に関しては戦時下に書くことは不可能だが、外国人は議論しているが日本人はあまり意見を言わない。「南京陥落」「漢口陥落」などの提灯行列も出てこなくて、戦争をあおる場面がないから、うっかりすると戦時下ということを忘れそうである。実際、日米戦争が末期になるまで、中国と戦争をしている段階では(政府が「事変」などと言っていたこともあり)、国民も危機感に乏しかった。貞之助など軍需産業の仕事が増えて(会計士である)、収入が増えている。そのため夫婦で「旧婚旅行」としゃれ込み、富士五湖に出掛けているぐらい。(富士屋ホテルが作った富士ビューホテルに泊まっている。)やはり階級が違う感じだが、男の兄弟がいないことも大きい。しかし、彼らは大空襲を生き延びられたのか。戦後の混乱期をどう生きたのか。気になるけれど、日米戦争勃発前で小説は終わってしまうのである。

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関西と東京ー「細雪」を読む②

2022年03月16日 22時58分36秒 | 本 (日本文学)
 「細雪」は基本的に大阪神戸が中心になる物語だが、他にも東京他いろんな場所が出て来る。三女雪子は作中で何度も見合いをするが、小説内で最初の見合いは神戸のオリエンタルホテルで行われた。明治初期に出来た神戸最古のホテルだが何度も移転していて、その時は3代目のホテル。神戸大空襲で半壊して取り壊され、移転して再建されたが、今度は95年の阪神淡路大震災で破損して廃業した。(その後、名前を継いだORIENTAL HOTEL KOBEが2010年に開業した。)次女幸子一家は神戸で映画を見たり、「ユーハイム」でお茶を飲んだり、「南京町」(中華街)にも食事に行っている。神戸界隈のモダンライフを満喫している。
(神戸オリエンタルホテル)
 そこには幾分か理解出来ない部分がある。当時は法律的に「家制度」が厳然と存在していた。家長は長女鶴子の夫、蒔岡辰雄であり、未婚の義妹雪子妙子は本家に住んで家長の監督を受けるべき立場である。しかし、二人は義兄との折り合いが悪い。妙子の「駆け落ち事件」の時の対応に不満があったし、そもそも本家の家業を継がずに銀行員を続けていることに納得していない。辰雄はいかにも銀行員的な堅物で、父譲りで芸事や芝居見物が大好きな華やか好きの姉妹とは合わないのである。そこで二人はよく芦屋の次女幸子のところへ行ってしまう。幸子が嫁に行っていれば、他家だから行きにくいだろうが、幸子も婿を取って分家しているから行きやすい。そこで阪神間モダニズムを存分に味わうことが出来るのである。

 そもそも蒔岡家は大阪・船場(せんば)に店を構える大商店だったが、父の代に贅沢をして家業が傾いた。父の法事に芸人が来たり、父に連れられ学校をズル休みして歌舞伎見物に行ったなどの興味深いエピソードが出て来る。4人姉妹だったら、長女の婿に優秀な番頭などをめあわせ家業を継がせるのが商家の常道だろう。しかし、何故か長女の夫、辰雄は銀行員として生きていく道を選んだ。蒔岡家はちょっと離れた上本町に職住分離して、家業の商権は譲ってしまった。辰雄は会社員だから転勤もあるわけだが、旧家の婿という立場を理由に一度福岡への転勤は断った。しかし、36年秋に丸の内支店長の内示を受けたときは応じることになった。

 「本家の東京移転」という(幸子らにとっては)驚天動地の出来事が上巻のメインになる。辰雄からすると、ここで応じないと後輩に出世が抜かれて面白くない。それに子どもが6人もいて、蒔岡の財産も減ってきていたのである。周りからすれば、「天子様のお膝元」を預かるわけで栄転になる。悲しんでいるのは四人姉妹だけで、喜ぶ人が多い。東京を代表する丸ビル(丸の内ビルヂング)に支店があるというんだから、そこの支店長を務める辰雄は有能な銀行マンなのである。「細雪」は基本的に「女縁」で進行するシスターフッド小説なので、辰雄は悪役扱いされているが、男の目で見た経済小説なら話は変わってくるはずだ。
(当時の丸ビル)
 長女鶴子は嘆き悲しみながら、夫に付いていくしかないが、問題は雪子、妙子である。妙子は「人形作り」で弟子も取っているのですぐには行けないと自己主張を貫くが、雪子は結局一緒に東京に行かざるを得ない。そして、鶴子が育児に時間を取られて手紙も来ないうちに、雪子は東京生活がいかにつらいかを綿々と書き綴ってくる。そもそも大森に住むはずが手違いでダメになり、結局は「場末」の新開地・渋谷道玄坂に借家を借りることになった。いやはや、道玄坂が場末だったのか。そう言えば「ハチ公物語」の渋谷は確かに新開地っぽかった。そして何よりも寒いという。「名物の空っ風」なのだそうだ。

 現在の平均気温を調べると、真冬でも芦屋よりも東京の方が高いようだ。上州(群馬県)は確かに「かかあ天下と空っ風」が名物だと言うけれど、東京が空っ風とは今はあまり言わない。多磨地区では「秩父下ろし」というが、23区ではビルが建ち並んで風の影響も変わってくる。それに地下鉄が発達して移動は地下だから地上の天気は関係ない。しかし、雪子の思いは単なる気候問題ではないだろう。原武史が言うところの「民都大阪」対「帝都東京」という問題である。宮城(皇居)があり、国会議事堂や首相官邸を有する「帝国の首都」だから、軍事色強まる武張った東京が嫌いなんだと思う。雪子というより谷崎潤一郎の思いだろう。

 しかし、戦前においては大阪の方が経済首都だったのは間違いない。北京対上海、デリー対ムンバイ(ボンベイ)のような関係である。大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれた工業都市だった。その頃阪神工業地帯は京浜工業地帯より生産額が大きかったのである。7代市長の関一(せき・はじめ)による都市再開発が進み、御堂筋の拡幅、地下鉄御堂筋線開通、大阪城天守再建などがなされた。一方の東京は1923年の関東大震災で大打撃を受け、東京の下町(日本橋人形町)生まれの谷崎は生まれた地を失ったと感じたぐらい東京は変貌する。谷崎初め多くの人が関西へ移住したのも震災のためだった。
(「細雪」中巻)
 細かく見れば関西にも階層がある。妙子の踊りの師匠が亡くなり、幸子と妙子が弔問に行くシーンがある。南海沿線の天下茶屋で、そっちはごみごみしていると感想を述べる。阪神間でも海沿いの阪神沿線よりも、六甲山に近い山側の阪急沿線の方が上になる。ちなみにその中間に省線電車(今のJR)がある。また全然知らなかったが、省線と阪神の間に阪神国道電軌鉄道という別の電車が走っていた。一家は阪急に乗って大阪へ出掛け、北浜にある三越百貨店に買い物に行く。都市上層ブルジョワジーの女性たちの世界である。東京でさえ文化果つるところなんだから、他の地方都市は住むところではない。義兄から来た豊橋(愛知県)の金持ちという雪子の見合い相手など、住む場所だけで問題外である。

 そのような都市意識は当時の経済条件という問題もあるが、同時にその頃は文化格差が大きかったことも大きい。テレビがない時代で、ようやくラジオが登場して妙子がクラシックをお風呂に入りながら聞く場面があるが、あまり蒔岡家では聞いていない感じだ。テレビによって、言葉だけでなく大衆文化の共通性が進んで行った。そして高度成長、バブル経済があって、大都市と地方の文化の差は小さくなっている。ただし、大学や大会社が地方には少ないので、若い層が大都市に集中することになる。関西の文化も今の東京に随分浸透しているが、それは蒔岡一家が好むようなものではないだろう。蒔岡家が吉本新喜劇に行ったとは思えないし、たこ焼きを食べるとも思えない。幸子は花は桜、魚は鯛という好みで、それが昔ながらの関西文化の王道なのである。
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「細雪」を読む①ー「結婚」をめぐる「女縁」と「階級」

2022年03月15日 23時04分17秒 | 本 (日本文学)
 谷崎潤一郎細雪」を読んだ。今まで読んだことがなくて、長年の懸案になっていたのだが、ついに読み始めて堪能した。今読んだのは、神保町シアターという小さな映画館で、「「細雪」と映画の中の姉妹たち」という特集上映をやっているから。「細雪」は今までに3回映画化されている。全部見ているが、この際見直してみようと思った。もうそろそろ読みたかったので、機が熟したように思ったのである。読んだのは新潮文庫版全3巻。昔出た中公バックスの1巻本を持ってるけど、字が小さいからムリだと思って買い直した。字がとても大きくて注が詳細なので、若い人と年取った人には新潮文庫がオススメである。
(「細雪」上巻)
 「細雪」は「ささめゆき」と読むぐらいのことは、読んでない人も知ってるだろう。意味は「まばらに降る雪」だというが、小説内に雪のシーンはない。重要な登場人物の蒔岡雪子の名前から思いついたというが、作者の気持ちとしては「四季折々」「人生いろいろ」を象徴する言葉ぐらいに受け取っておくべきかと思う。「蒔岡」は「まきおか」で、英語題は「The Makioka Sisters」になっている。大阪・船場でその名を知られた蒔岡家の四姉妹、上から鶴子幸子(さちこ)、雪子妙子の人生行路をまさに絵巻物のように描き出した傑作大河小説である。
(谷崎潤一郎)
 1936年から1941年にかけて、芦屋(兵庫県)、大阪東京を中心に、物語開始時点で未婚の雪子と妙子の結婚に関するあれこれが語り尽くされる。谷崎潤一郎は1941年に「源氏物語」現代語訳を完成させ、1942年から「細雪」を書き始めた。1943年には「中央公論」に2回掲載されたが、戦時下にふさわしくないと軍部に掲載を止められた。上巻は私家版として知人に配布したが、それも軍部に止められ、結局戦争終了後の1946年に上巻、47年に中巻、48年に完成した下巻を刊行して完結した。

 主な舞台は当時谷崎が住んでいた芦屋周辺、大阪と神戸の間にあって当時高級住宅地として発展していた「阪神間」になるが、他にもいろいろな土地が出て来る。登場人物も多彩で、それぞれが見事に描き分けられ、「風俗小説」を読む楽しみを満喫できる。僕はこれが谷崎の最高傑作とは思わなかったが、紛れもない傑作を読んでいると感じた。(最高傑作は「春琴抄」だと思う。)それだけに書かれている情報も膨大で、戦前の銀座に横浜のホテル・ニューグランドの支店があって高級レストランとして有名だったなんて、東京人の誰も覚えてないことまで出て来る。(検索しても出て来ない。新潮文庫の注を読んで初めて判る。)
(戦後に出た「細雪」初版本)
 しかしながら、やはり物語の中心は「結婚」である。当時の「上流階級」の常識として、女は家庭に入らなければならない。3女の雪子は冒頭時点で30歳近くになっていて、これは当時としては婚期を逃しつつある。当然「見合い」で良縁を見つけるわけだから、次第に条件が悪くなってくる。これに対し、4女の妙子は時代に先駆けているというか、よく言えば「自立志向」、悪く言えば「はねっ返り」で、一家に一人はいる困り者とされる。そもそも20歳の頃に、船場の貴金属商の3男、奥畑啓三郎と恋愛関係になって「駆け落ち」した過去がある。しかも、それが雪子と間違って新聞に報じられた。

 この「事件」が間違いであるにも関わらず、雪子の縁談に何がしかの影響を与えたらしい。一方、妙子はもはや良家からの縁談を期待できず、もともと器用な才能を生かして人形作り、さらに洋裁に打ち込むことになる。そうなると「職業婦人」になってしまうので、これは良家の子女にはふさわしくないと忌避される。「女先生」や「看護婦」は今なら立派な職業と思われているが、当時は女性が働いているということだけで、お金持ちではないことを意味するから、下層階級的なふるまいになる。夫の方も妻を働かせていると周りから非難される時代だった。そのような「階級」という意識がこの小説の前提に存在している。

 妙子は小説内で「こいさん」と呼ばれる。「お嬢さん」が大阪弁で「いとはん」、末子なので「小」が付いて「こいさん」である。駆け落ち相手の奥畑啓三郎は「啓坊」(けいぼん)である。「こいさん」「けいぼん」という呼び方が映画の中で使われると、なんとも言えない穏やかで趣のある風情が出て来る。「細雪」という小説の魅力はそこにあるが、実は裏で確固たる階級意識が描かれて批評されている。この雪子と妙子のどちらが小説の中心なのかという議論があるが、実は作家の3度目の妻、松子の一族がモデルになっている。恐らく雪子が主役として書かれたと思うが、小説内では妙子の方が生き生きとして存在感がある。

 そもそもこの一族にはおかしなことがある。長女鶴子は銀行員辰雄を婿に取ったが、父の死後船場の商家を継がなかった。女ばかり4人続くのは珍しいが、ないわけではない。しかし、大阪でも知られた商売をしていた一家なのだから、家を継ぐために奉公人や同業者の次三男などを婿に取るのが一般だろう。しかも長女が婿を取ったのに、次女幸子も婿を取って「分家」を立てた。鶴子は「本家」と呼ばれる。しかも、幸子の夫も後を継がない。継いでしまって、業績が持ち直せば、企業小説にはなっても、作家の書きたかった「没落する四人姉妹」の物語にならない。だから、現実にはあり得ないような設定をしているのである。

 雪子は小説内で5回「お見合い」をする。映画ではすぐに見合いのシーンになるが、現実には仲人が紹介し、相手を調査し、会場を選ぶなど周到な手順がある。小説ではそれがくどいほど丁寧に叙述されていて、そこが風俗小説として貴重である。そのお見合いに一番熱心なのは、神戸で美容院を経営する井谷という女性である。この人は大した活躍ぶりなのだが、当時美容院で本格的にパーマを掛けるのは高額だったという。幸子も雪子も井谷美容院を利用していて、お得意という枠を越えて親しくしている。妙子の人形教室に通っていたカタリナという白系ロシア人一家とも家族ぐるみで交際する。芦屋の幸子を中心に「女縁」で小説が進行するのが「細雪」の特徴である。

 妙子の運命は別に書くとして、雪子はいったいどういう人物なのだろうか。僕にはよく理解出来ない。映画ではキャストによって、雪子と妙子の扱いが違ってくる。1回目の映画化は妙子が高峰秀子なので、自立を目指す女性像が印象に残る。2回目の映画化では雪子が山本富士子なので、当時大映の美人スターだっただけに雪子の印象が強い。だがこの時は時代が製作当時(1959年)に変えられていて、子どもたちがフラフープをしている場面から始まる。雪子はここでも縁遠いけれど、前にまとまりそうだった縁談の相手が交通事故で亡くなり、その面影が残っているとされている。戦後になると、いくら何でも家柄に拘るとか、あまりに縁談を断る合理的な理由がなかったということだろう。

 幸子の娘悦子や妹妙子が大病をしたとき、一番熱心に寝ずの看病をしたのが雪子だった。献身的で立派な女性で、なぜこのような人が結婚相手に恵まれないのか。まあ一回で結ばれてしまうと大河小説にならないが、その事情はなんとも不可解。没落しても家柄意識が抜けないなどと従来は解釈されることが多かったが、今の目で見ると「こういう人いるな」と思う。通念に従って結婚する気はあるが、性的な欲望が薄いのである。お膳立てされれば結婚するのはやむを得ないけれど、本当は特に結婚したくもないのである。当時も「同性愛」はあって、谷崎も「卍」を書いているが、当時は「無性愛者」という概念はなかっただろう。今なら結婚せずに趣味を楽しみながら気楽に生きていったのではないだろうか。
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奥泉光「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」を読む

2021年12月13日 22時35分19秒 | 本 (日本文学)
 平野啓一郎決壊」を読んで、心が暗澹たる思いに囚われてしまった。「暗い」というよりも、「恐ろしい」という方が近い。それが現代であり、あるいは人間性の深淵であるとは言え、ここまで心の闇に踏み込んでこられると、どうしたらいいのだろうか。そこで11月新刊の文春文庫、奥泉光の「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」を読むことにした。このシリーズは、簡単に言えば「学園ユーモアミステリー」というジャンル小説だけど、そのおバカ度において現代最強(凶?狂?)レベルの域に達している。今まで書くまでもない感じで、一人で楽しんでいたけど、今回は是非紹介しておきたい。

 主人公の桑潟幸一、通称クワコーは、千葉県権田市にある「たらちね国際大学」情報総合学部日本文化学科の准教授である。最初に登場した「モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活」(2005)では東大阪にある敷島学園麗華女子短期大学(通称レータン)という短大に勤めていた。大阪で一番「低レベルの短大」であるゆえに、ほとんど研究意欲に欠けるクワコーでも勤めていられたが、折からの少子化進行に伴い短大経営は苦しくなるばかり。そこに同僚だった鯨谷教授から「たらちね」への転勤話が持ち込まれクワコーは飛びついた。鯨谷は元サラ金の取締役で、主著は「ヤクザに学ぶリアル経営術」である。

 たらちね国際大学は元短大が4年制大学に昇格したばかり。レータンに勝るとも劣らぬ底辺大学で、元短大だけにほぼ女子学生ばかり。男子学生は立った一人しかいない。なんかかんだで諸手当がどんどん引かれ、クワコーは准教授という名にふさわしからぬ低賃金にあえいでいる。便意は極力ガマンして、「大」は家ではしないようにして水道代を節約している。近年はますます研究意欲が蒸発して、ついに倹約のため学会は全部辞めてしまった。クーポンが時々手に入ると、近所のトンカツ屋でロースカツ定食を食べるぐらいが楽しみ。出来るだけ食費を浮かせようと、今年はついに昆虫食に挑んでセミを捕っている

 クワコーはなぜか「文芸部」の顧問を押しつけられ、研究室はほぼ部室と化している。文芸部といっても、内実はコミケに出すマンガを描いている「腐女子」集団である。木村部長はまだ「クワコー先生」と呼ぶが、いつも「クワコー」と呼び捨てにするのが「ホームレス女子大生ジンジン。理由も不明ながら、港区に実家があるはずが、なぜかキャンパスの裏でテント生活を送っていて、本名神野仁美から「Call me JINJIN」と言っている。他にも「ナース山本」「ギャル早田」「オッシー押川」「ドラゴン藤井」など、個性豊かすぎる面々が研究室を占領している。
(奥泉光)
 今までに「桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」(2011)、「黄色い水着の謎 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2」(2012)が書かれ、ちょっと間が開いて「ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3」(2019)が書かれた。クワコー周辺では、なぜか必ず「日常の謎」や「学園をめぐる陰謀」が発生し、クワコーがそれを解決できるはずもないわけで、ジンジンが快刀乱麻を断つごとく名推理を披露するというのがお約束の展開になる。「スタイリッシュ」というのは、普通は「オシャレスタイルで統一されている」ような場合に使われる用語だが、クワコーの場合「クワコー的低レベル生活様式に純化されている」という点で、ある種スタイリッシュではある。

 僕はミステリー的には「黄色い水着の謎」が面白かったと思っている。今回は「ゆるキャラの恐怖」「地下迷宮の幻影」の2短編が収められているが、現代日本のキャンパス事情を風刺する意味合いが強い。大学教員の3大業務は、「教育」「研究」「行政」だと書かれているが、クワコーの場合、教育1、行政9、営業90になっている。(ちなみに研究はゼロ。)営業というのは、高校に説明に行ったりだが、クワコーの場合鯨谷教授に命じられるまま、ティッシュ配りでも何でもやるハメになる。今回はたらちね国際大学がゆるキャラ「たらちね地蔵くん」を作ったので、その着ぐるみに入って地域のお祭りなどに行ってこいとの厳命である。

 そんなクワコーの苦難の夏を描いていくが、最後には大学対抗ゆるキャラコンテストまであって、出場せざるを得なくなる。そこで埼玉まで出掛けていくが、その当日になぜかクワコーのもとに脅迫状が…。そして「鹿のいるキャンパス」を舞台に、みうらじゅんが審査員を務めるコンテストで、準備中にはスズメバチが着ぐるみに仕込まれ(?)、本番ではクワコーを鹿が襲ってくる。これがどうも仕組まれた事件らしい。たらちね近くの「房総工業大学」通称ボーコー大は、底辺のたらちねからさえ下に見られる唯一の大学だが、ここもコンテストに出てるからどうも怪しい。そんなこんなの真相は如何に。

 今の大学、そこまでやるか的な「ゆるキャラの恐怖」に対し、「地下迷宮の幻影」はさらに風刺がヒートアップしている。鯨谷教授からは、文科省のお達しにより教授たるもの研究論文なしではダメだと言われる。が、しかし、それを何とかバイパス出来る方法はある。オープンキャンパスなどでいつもお世話になってる教育産業「ペネッセ」に頼むとか。さらに今追い上げを図っているJED(日本教育開発)に依頼すれば、論文を書いてくれるとか。それに加えて、鯨谷のライバル、国際コミュニケーション学科の馬沢教授からも呼ばれ、秘密裏のミッションを依頼される。

 来年からテレビでも知られる島木冬恒が来年から大学に来るらしいというのである。島木は教育勅語を教育に生かせという主張の持ち主で、総理とも親しいとか。ところでなぜか「ウスゲマン」薄井教授とも親しいらしく、島木が早くもキャンパスに出没しているらしい。島木の父は旧軍人で、たらちねキャンパスは戦前は陸軍の秘密研究所だったという。今もキャンパスの隣にある産廃会社の地下には、秘密の地下迷宮があって何か秘密のもの(麻薬とか?)が隠されているという噂も…。だから、クワコーにはウスゲマンを見張って、島木との交流の中身を探り出せと密命が下ったわけ。特別手当も出るが、出所は「ペネッセ」?

 そして何気なく見張っていると、本当にウスゲマンがキャンパスの隣に出没しているではないか。そして研究室には金庫があって、時々島木が訪問するのも間違いない。それは一体なぜ? クワコーも隣接土地に忍び込むと、謎の土地にはキノコがあるではないか。タダの食材には目がないクワコーは、それを取ってくるのだが、それは「メイテイダケ」らしい。(架空のキノコ。)そして、島木はたらちねに正式に来る前に、一度講演会を開きたいと言ってきた。教育勅語に関する講演である。学生との質疑も欲しいと言ってる。クワコーはその担当も命じられるが、もちろんキョーイクチョクゴなんて名前を聞いたことがあるぐらい。しかも、たらちね学生と質疑? それも男女一人ずつ希望というが、そもそも男子は一人しか居ないじゃないか。

 ということで、JED派遣の「家庭教師」(大学教員向けに論文を代筆してくれる有り難い存在、その若き女性の描写が絶品)とクワコーが組んで準備を進める。男子学生というのは、門司(もんじ)君といって文芸部員でもあるが、女子ばかりのたらちねより、最近はほとんどボーコー大とつるんでいる。そして、モンジ君とその彼女(!?)アンドレ森(プロレス部)が教育勅語をめぐる準備会に呼ばれてくるんだけど…。ここが爆笑、爆笑で、ここまで見事な右翼的風潮批判も珍しいほどの上出来になっている。ここだけでも読む価値あり。まあ、登場人物になじむためには、順番に読む方がいいけれど。

 奥泉光(1956~)は僕と同学年である。芥川賞の「石の来歴」とか、『「吾輩は猫である」殺人事件』『グランド・ミステリー』『シューマンの指』などは読んでいるが、なんせ作品が多いので近年の『東京自叙伝』『雪の階』など読んでない本が多い。いっぱい持ってるんで、これも来年の課題。それにしても、「決壊」の「悪魔」に対抗できるのは、やはり笑いだと思った次第。
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平野啓一郎「決壊」を読むー恐るべき先見性

2021年12月12日 21時00分24秒 | 本 (日本文学)
 この間、平野啓一郎ある男」を読んだので、続いて「決壊」(上下)を探し出してきた。「新潮」に2006年11月号から2008年4月号まで連載され、同年に2冊の上下巻ハードカバーで刊行された。(現在は新潮文庫に上下2巻で収録。)翌年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。よくオカミが賞をくれたなという小説だが、まあ大臣は読んでないんだろう。同年の「このミステリーがすごい!」13位に選出されたが、本質は「純文学」と考えるべき本である。
(上巻)
 これは凄まじい犯罪小説で、読み終わるには力が要る本だ。そもそも長いし、始まってから事件の本筋が見えてくるまでも長い。そして長く辛い読書の末に、ほのかな灯りが見えるかというと、いやいや全く暗いままで暗澹たる世界が広がっているだけ。無理に勧めるのもどうかと思う小説だが、これは10年以上前に書かれた本なのに、全く古びていない。というか、まさに「現在」が書かれていることに驚く。世界がどんどん悪くなっているという感慨を覚えててしまう本である。

 小説内の時点は2002年の夏から秋である。どんな時代か覚えているだろうか。2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが起こった。それから1年、アメリカはアフガニスタンに兵を送り、さらにイラクのフセイン政権打倒を掲げてイラク戦争を始めようとしていた。日本では小泉政権の時代で、9月17日に小泉首相が電撃的に北朝鮮を訪問して金正日総書記と会談した。会談では日本人拉致を認めて「5人生存、8人死亡」という情報を伝えた。それらは小説内で語られるが、もちろん今では「イラク戦争をどう防ぐべきか」などという論点は古くなってしまった。しかし、アメリカ、中東、東アジア情勢の重大性は変わっていない。

 この時期は、現役世代のほとんどに「インターネット」が普及した頃だった。パソコンが一般化して、家でネットを使う人が増えた。また、90年代半ば頃から携帯電話の普及が始まり、2002年段階では電子メールの利用も一般化していた。まだスマートフォンというものはなかったが、「IT社会」に近づいたのだった。自分自身では1996年に携帯電話、2000年にインターネット(ケーブルテレビ回線)の利用を始めている。デジタルネイティヴ世代が増えてきて、いつ頃からあったのか判らない人も増えていると思う。21世紀になったばかりの時代はそんな変化が起きた頃だった。
(下巻)
 2021年10月31日。その日は衆議院選挙が行われた日だが、関東地方では開票速報の合間合間に、20時頃に発生した「京王線刺傷事件」のニュースを大きく報道していた。その前に8月6日には「小田急線刺傷事件」が起き、京王線の犯人はそれに影響されたと供述している。思想や宗教に拠るものではない「無差別テロ事件」が日本社会で起きている。また11月24日には、愛知県で中学3年生の生徒が同級生に刺殺された事件が起きた。これらの事件の詳細は未だ判っていないことも多いが、「決壊」を読むとまさに「予見の小説」だったと思わざるを得ない。そういう犯罪小説なのである。

 「決壊」は夏休みの帰省を前にした、北九州市の沢野家で始まる。長く新日鐵で働いて定年になった父は最近元気がなく、母が次男一家(妻と3歳の長男)を車で迎えに来る。次男沢野良介は山口県宇部市で営業の仕事をしているが、必ずしも人生に満足していない。常に優秀な兄と比べられてきた人生だったのである。兄の沢野崇は東大を卒業して、国会図書館で調査員をしている。数年前には外務省に出向しフランスに滞在していた。結婚せずに多くの女性と性的な関係を含めた関わりを持っている。

 結局はこの沢野兄弟をめぐる物語なのだが、最初はこの家庭の話が長い。それはどこにでもあるような、一家の様々な事情が事細かに語られていく。達者なものである。それは面白いと思うが、この本は犯罪小説じゃなかったのかと疑問を抱くほど、何も起こらずに進行する。弟の良介は悩みを匿名の日記としてネット上に書き込んでいた。それを偶然知ってしまった妻は、そのことを夫に秘密にしたまま兄の崇に(メールで)相談する。日記サイトには妻が匿名でコメントしていたのだが、その頃から「666」というコメントも付くようになった。そのため、妻はそれが兄の書き込みなのではないかと思い込む。

 そこに鳥取市に住む中学生の話が絡んでくる。一体それは今までの話とどうつながるのだろうか。兄は別れを決めた女性と最後に京都旅行をしようと思い、そのついでに出張で大阪に来る弟と会うことにした。そして、そこである恐るべき犯罪が起きるのである。その話を書いてしまうと、一応形としてはミステリーなので約束違反になるだろう。それにしても恐るべき犯罪で、その全体像が明らかになるときには、心の中の暗黒面がさらけ出されてしまう。

 この設定からして、これはインターネットと携帯電話なくして起こりえなかった犯罪である。しかし、著者が過剰なほどに現代世界の分析を行うのは、単なる犯罪を描くのではなく「文明史的視点」で世界の変貌を考察したいのだと思う。人間性の中には「悪」がある訳だが、それに対する日本社会や日本警察は全く時代の変化に対応できていない。絶望的に遅れている。想像力の広がりに欠ける。この小説が書かれてから、すでに13年。日本がどんどん衰退しているのも当然か。とにかく読んでいて嫌になるぐらい、暗黒面を見せつけられるが、これは重要な小説だ。精神的にタフな人は是非チャレンジして欲しい。
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大傑作、平野啓一郎「ある男」を読む

2021年11月15日 22時09分19秒 | 本 (日本文学)
 平野啓一郎ある男」(2018)を読んだ。刊行当時に評判になって、読売文学賞を受賞した。前から読みたかったんだけど、9月に文春文庫に入ったので買うことにした。一読、心の奥深くに働きかけてくる傑作だった。話はミステリアスだが、エンターテインメントではない「純文学」の凄さを感じさせられる。多くの人にチャレンジして欲しい本だ。

 平野啓一郎(1975~)は京大在学中の1998年に書いた「日蝕」で1999年1月に芥川賞を受けた。「日蝕」は中世フランス、次の「一月物語」(いちげつものがたり)では明治日本の鏡花風幻想をそれぞれ擬古文で描いていた。そのスタイリッシュな世界が魅力的とは思ったが、正直勘弁してくれという気もして、以来「葬送」や「決壊」など評判の作品は持ってるんだけど読んでなかった。デビュー頃とは全然違っているという話は聞いてたが、確かに全く違う作風だった。

 ある女性(里枝)が事情あって離婚して子どもと故郷(宮崎県西都市)へ帰る。実家がやってた文房具店を手伝っているうちに、水彩画の道具を買いに来る男と親しくなる。再婚して子どもも出来るんだけど、男は林業現場で倒れた樹にあたって死んでしまう。不運な話だけど、実はここからが物語なのである。男は谷口大祐といい、伊香保温泉の旅館の次男だという。しかし、親兄弟とは良い思い出がなく、故郷を捨てて出て来た。だから結婚に当たっても何の連絡もしなかった。しかし、一周忌も終えて、このままではと思って伊香保の旅館に連絡を取る。早速兄がやって来るのだが、写真を見てこれは弟ではないと断言する。 

 えっ、どういう事なんだろう? そこでかつて離婚の時に世話になった弁護士城戸に相談する。その城戸弁護士がこの物語の語り手になる。城戸が調査を進める探偵役になるわけだが、本当に谷口大祐を知る人を探すと、確かに違うという。特に大祐と付き合っていたという「美涼」は印象的だ。一方、では谷口大祐を名乗っていた人物(仮に「X」と呼ぶ)は誰なのか。谷口本人とはどんな関係があるのか。本人の情報を聞いていたのは間違いなく、だから実際に伊香保の兄が訪ねてきたのである。
(平野啓一郎)
 人間が入れ替わるということがあるのか。そこには「犯罪」も関わっているのだろうか。城戸弁護士の調査はなかなか進まないが、その間に城戸や里枝の日々の思いが語られる。特に城戸は実は金沢で育った「在日」コリアン3世で、その後「帰化」していた。震災を機に関東大震災時の虐殺事件を思い出してしまい、日本がヘイトスピーチが横行する社会になったことに鬱屈した思いがある。幼い子がいるが、震災後の法律ボランティアに出掛けて、妻とギクシャクするようになってしまった。過労死裁判などを抱えながら、城戸は宮崎にも出掛けていく。夜、町に飲みに出ると、つい谷口と名乗ったりしてしまう。

 一体「自分」とは何なのかという深い問いを抱えながらも、まずは「X」の正体を明らかにしたい。そのヒントは幾つかあって、まずはたまたま横浜刑務所で服役していた詐欺師。その男は戸籍の売買も仲介していた。そして友人弁護士がやっている死刑廃止運動で、死刑囚の絵画展に出掛けたこと。日本のなかにある悲惨、欺瞞、難問にぶつかりながら、果たして「真相」にはたどり着くのだろうか。しかし、「真相」とは一体なんなのだろう? 自分の人生をも思い返し、深い感慨を覚えてしまう。

 「謎」をめぐる物語だから、先へ先へと読み進む。しかし、物語としては停滞する部分があって、それは弁護士はこの謎だけを追いかけていては生活できないから当然だ。そこがエンタメ小説なら、都合良くドラマティックな展開が相次ぐんだろうけど、「純文学」ではそうはいかない。その時に語られる城戸の思いなどが余計だと思う人は、この小説を味わえない。たくさんの登場人物が織りなすタペストリーのような小説だが、日本の非寛容な「世間」を思い知らされるところもあれば、励まされるような描写もある。いずれにせよ、とても考えさせられる小説だ。

 平野啓一郎は2016年に出た恋愛小説「マチネの終わりに」がベストセラーになり、映画化もされた。社会的な発言も多く、最近気になっていた作家だ。大江健三郎の後期小説を残っているんだけど、ちょっと平野啓一郎を読んでみようかなという気になった。
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「燃えあがる緑の木」三部作②ー大江健三郎を読む⑪

2021年09月13日 22時58分15秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎燃えあがる緑の木」の続き。第二部のラストで「ギー兄さん」が教会の展望を問われても答えられなかった。その場にいたピアニストの泉さんは、ギリシャのテオ・アンゲロプロス監督の映画「アレクサンダー大王」の話を皆にする。反政府ゲリラの首領だった通称「アレクサンダー大王」は時々「てんかん」を起こすが、その時仲間たちは背を向けて座り「見なかった」ことにすると。それにならって背を向けようという泉さんの提案を皆が受け入れる。ただしサッチャンだけはギー兄さんの姿に失望して教会を飛び出したのだった。

 サッチャンはそのまま教会を離れ、東京へ行く。一応K伯父さんの家に向かうと、しばらく伊豆の別荘を使うようにと提供された。その時に本を一冊借りたいと言うと、K伯父さんは矢内原忠雄アウグスティヌス『告白』講義」という本を選ぶ。サッチャンは「両性具有」者で、ある時期まで男として生きていた後、女として生き直す「転換」を体験した。第一部の終わりでギー兄さんが村人に糾弾された後で、ギー兄さんと性的に結ばれ自らの「転換」の意味が判ったと思う。そして二人で小さな教会から再出発しようと決意したのである。
(第三部 大いなる日に)
 サッチャンは伊豆の別荘で苦しみを通り抜け、別荘の隣人と知り合って「性的大冒険の日々」を送る。大江文学にはよくある設定で、「懐かしい年への手紙」にもそういう日々が出て来た。その日々を通して、「救い」を考えるが答えは見つからない。連絡の付かないサッチャンを訪ねてK伯父さんがやってきて、故郷の村でギー兄さんが襲撃され重傷を負ったと言う。ギー兄さんはサッチャンに戻って欲しいと言っていると伝える。3ヶ月ぶりにサッチャンは教会に戻った。

 ギー兄さんを襲撃したのは、かつて対立した新左翼党派だった。からくも生命だけは救われたものの歩くことは出来ず、内臓も損傷を受けた。そのため時々てんかんを起こすようになる。教会内部では、伊能三兄弟を中心に武闘訓練が行われ外部からの襲撃に備えている。一方で教会を外部に拡大することを目論み、「世界伝導の行進」を計画していた。谷間の村から原発阿川原発と書かれているが、「佐多岬半島の根方」とあるから明らかに伊方原発)まで行進し、そこで「集中」を行うというのである。

 「集中」とは教会で行われる「祈り」のことで、もちろん非暴力的なメディテーションである。原発当局にも事前に連絡してあったが、反原発活動家も加わり思いがけず大きな人数になった。そして「集中」の間に原発で軽微な事故が発生した。そのため「原発事故を待ち望む狂気の教団」と外部からの批判が大きくなる。伊能三兄弟は教会に近づけないように警戒を強め、教会に加わった子どもに会えないという親が「被害者の会」を結成する。一方で行進が終わっても村へ帰らず、全国を巡礼するグループが出て来る。教会では「武闘派」と「巡礼団」の対立が激しくなっていく。

 このようなラストに向けた緊迫感あるクライマックスは大江文学の特徴である。「万延元年のフットボール」や「洪水はわが魂に及び」ではラストが近づいた時の非常に緊迫した世界には一瞬も気を緩められない。「燃えあがる緑の木」で起きる教会内部の対立激化、ギー兄さんの決断も同じように緊迫した世界が展開されて、途中で止められない。サッチャンは「第一秘書」格でギー兄さんに付き添うが、対立には冷ややかな態度で冷静である。屋敷で事務を執りながら、教団の推移を見つめている。その視点が興味深い。
(Eテレ「100分de名著」で取り上げられた)
 ラストの展開と悲劇については触れないことにする。三部作を読むのは大変だと思うが、やはり現代日本文学の重要な達成であることは間違いない。ただし、僕にはいくつかの疑問もある。一つはギー兄さんを襲う集団が「新左翼党派」とされることである。「内ゲバ」は70年代後半から80年代にかけて、非常に重苦しい問題だった。しかし、90年代になるとほとんど起こっていないと思う。調べてみると革労協内部の暗闘が21世紀まで続いていたが、ここで暗示されるのは「中核対革マル」のどちらかだと思う。党派内で重要な人物ではなく、単に見張りをしていただけで今は離脱している人物を襲撃するのは現実感が薄い。

 その結果として、教会内部の問題ではなく全然無関係の「外部からの襲撃」によって、教会が大きく変えられることになる。そういうことは歴史上良くあるとも言えるけれど、本来は教会内部の矛盾と向き合うことによって、教会が発展もしくは崩壊していくというプロットの方が望ましいと思う。この小説だけで言えば、いろいろな可能性が「内ゲバ」によって潰えたという物語になってしまった。

 もう一つはあまりにも外国の思想、文学の引用が多いこと。今までも同じだけれど、今回はさらにイエーツダンテなどに止まらず、アウグスティヌスシモーヌ・ヴェイユなどに広がっている。大江健三郎はもともと学者的であり、知識人世界を描いてきた。とはいえ、ここまで外国の詩人や思想家が出て来るのはどうなんだろうか。もちろん学者世界を描く小説ならそれで良い。だがこの小説は「宗教」「救い」を扱っている。知識を積んでも救いは訪れないと作品内部で自ら語っているけれど、まさに「隔靴掻痒」という感じが最後まで付きまとう。

 最後に「救い主」や「教会」のイメージにどうもヨーロッパ的な感じが抜けないことである。四国の村の伝承がベースになっているのに、組織するとなると大学出ばかりで西欧的になってくる。伊能三兄弟は大学では「民族派」だったとされるが、教会内部では「救い主」を求める強硬派である。民族派ならば、むしろ「神ながらの道」のような方向を求めるのではないか。「絶対神」などなくても宗教が成立するのが、日本の神道ではないかと思う。日本の新宗教は西日本から発生したものが多い。四国の村にはそっちの方が相応しい気がする。

 大江健三郎は多くの小説で「コミューン的なつながり」を描いてきた。しかし、その時に「日本型」のコミューンではなく、日本の風土に基づきながらもベースにキリスト教的なムードが出て来る。「フランス文学」を学んできたからだろうか。ウィキペディアに、発表当時に読売新聞に掲載されたインタビューが紹介されている。「信仰対象となる人物のいない時代、そもそも既成宗教の基盤がない国で魂の問題を解決するには、自分たちで宗教のようなものをつくるしかない、と考える人たちの話です」というのだが、その結果日本では無理だ、あるいは少なくとも文学では描けないということになっている。

 日本で「救い」を深く考えようと思う時、仏教神道の検討は欠かせない。巡礼団の中心が曹洞宗の僧侶なので道元は出て来るが、日蓮親鸞は出て来ない。ここで扱われるテロも「政治党派」のものだった。だから「オウム真理教」やキリスト教、イスラム教の原理主義的なテロを考えるには、あまり役立たない。そういうような不満もあるのだが、これほどの力作には人生で一度は挑む価値がある。しかしまあ、他の傑作を順番に読んでいって、「燃えあがる緑の木」に至るというのが望ましいだろう。
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「燃えあがる緑の木」三部作①ー大江健三郎を読む⑩

2021年09月12日 22時36分03秒 | 本 (日本文学)
 新潮文庫から全3冊で出ている大江健三郎燃えあがる緑の木三部作を読み終わった。ちょうど「9・11」(アメリカ同時多発テロ)から20年ということで、関連のニュースが多い。僕もいろいろ感じることもあるが、宗教テロ、「救いはどこにあるか」などの問題はこの三部作で深く考察されているから、ここで考えたい。

 「燃えあがる緑の木」三部作は原稿用紙2千枚にもなるという大江作品で一番長い小説である。当初はこれを最後の小説にすると言っていた。内容的な疑問、完成度の問題はあると思うが、そのぐらい力が籠もっているのは間違いない。第一部は1993年11月、第二部は1994年8月、第三部は1995年3月に新潮社から刊行された。ちょうどノーベル文学賞受賞(1994年)を間にはさんだ時期で、刊行直後にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた。僕は単行本は買わなかったが、1998年に刊行された文庫本を持っていた。
(第一部 「救い主」が殴られるまで カバー装飾=司修)
 この小説は今までの大江作品に出て来る「四国の谷間の森」を舞台にしている。それどころか、直接に「懐かしい年への手紙」(1987)を受けている。時代的には明示されないが、1990年代初頭と思われる。瀬戸大橋がすでに完成していること(1988年)、第2部で大江自身の「治療塔」(1990)、「治療塔惑星」(1991)の続編を登場人物が構想する部分があること、その話の中でソ連崩壊(1991年12月)に触れられていることなどである。だから主筋は1992年頃から始まるはずだ。

 この三部作は谷間の森に生まれた小さな宗教的共同体が拡大していくとともに、内外に衝突が起こるようになり「分裂」してゆく様子を描いている。その「教会」の名前が「燃えあがる緑の木」教会というのである。そのイメージと言葉はアイルランドの詩人イエーツから引用されている。「」と「」という相克するものを抱え込んだイメージは鮮烈である。3作目のラストでは実際に池の島にそびえる大檜が炎上する。

 「懐かしい年への手紙」では語り手の作家「K」(大江自身)にとって、兄貴格だった村の青年「ギー兄さん」による二度にわたる共同体建設の挫折が描かれた。ギー兄さんの悲劇的な死から10有余年、村の伝承を先のギー兄さんに伝えてきた「屋敷」のオーバー(祖母)は、いよいよ死が近づいている。そして「ギー兄さんを呼んできてくれ」と言う。「先のギー兄さん」はすでに亡くなっている。しかし、この時作中人物の多くは誰のことを指しているのかすぐに判ったのである。それは村に住んでオーバーから伝承を受けていた「」という人物である。

 以後村人は隆を「ギー兄さん」と呼ぶ。彼はこの地域出身の外交官「総領事」の息子で、大学時代に友人との関係で新左翼党派の「内ゲバ」に関与した過去がある。父は息子を外国へ送ることも考えたが、彼は父の友人でもある作家の「K伯父さん」(大江自身)の紹介によって森の「屋敷」に籠もることにしたのである。それは彼が「」についてじっくり考えたかったからだ。と言っても、一体これは何なんだろうと思ってしまう。なんで屋号のように「二代目ギー兄さん」を「襲名」する必要があるのだろうか。

 ところで、この小説の語り手は「懐かしい年への手紙」と違って、作家自身ではなく「サッチャン」という人物になっている。サッチャンは村の生まれだが、孤児となって屋敷に引き取られオーバーの世話をしていた。東京の大学へ通った時には、K伯父さんの家に住んで障がい児の「ヒカリさん」の通学に付き添ったこともあった。その時は男性として生きていたが、実は両性具有者だった。村へ戻ってからは女性として生きることにして、なかなか理解されない中を生き抜いている。大江文学初期には同性愛者が多く出て来ることを⑨で指摘したが、ここでは両性の特性を持つ「インターセクシャル」(半陰陽)の人物が重要な役割で登場するのである。

 さすがに大江文学最大の巨編だから、なかなか内容に入らないまま長くなってきた。2回に分けて、僕の疑問に関しては次回に回したいと思う。第一部ではオーバーがついに亡くなり、その葬儀では「童子の蛍」と呼ばれる伝統行事が復活される。K伯父さんも参加して、日を持って山を登るイメージが鮮烈だが、実は行事の裏には隠された目論見があった。そして葬儀の日、立ち上る焼き場の煙を潜った鷹が大岩に登っていた「2代目ギー兄さん」にぶつかってくる。その姿を多くの村人が目撃する。

 オーバーの不思議な力がギー兄さんに受け継がれた「奇跡」だと村人は受け取る。心臓病の子どもにギー兄さんが触れると奇跡的に病状が軽快する。小児ガンの子どもも生きる力を取り戻し、ギー兄さんは「救い主」なのかと評判になるが、一方でそれを認めない村人との対立も深まっていく。ガンの子どもが死亡し、村人たちは集まってギー兄さんを糾弾する。そこまでが第一部『「救い主」が殴られるまで』になる。
(第二部 揺れ動く(ヴァシレーション)
 第二部はどうしても「間奏曲」的な感じがするが、第三部に向けて重要人物が登場し、また重要人物が退場する。「ギー兄さん」(2代目)の父である「総領事」は、かつてサンフランシスコ総領事を務めていたことがあって呼び名が定着した。しかし、その後も順調に出世しアルジェリアなどの大使を務めた後、EC(ヨーロッパ共同体、1992年11月からEUとなる)駐在大使となって、当時のN総理(中曽根?)の信認も厚かった。しかし、その後定年を残して退官し、息子の住む四国の村へ戻ってきたのである。それは死に至る病を自覚したからで、晩年を「教会」に拠って「魂」に専念したいと思ったのである。

 また先のギー兄さん以来細々ながら続いていた農場に、「伊能三兄弟」がやってきて大躍進が始まる。三兄弟というが、実は兄弟といとこである。彼らは遊びに行った道後温泉のディスコで三人娘と仲良くなって連れてくる。彼女たちは実は音楽を学んでいて、教会の合唱隊の中心になる。伊能三兄弟を中心に農場が整備され商品化が進むとともに、農場の若者たちを訓練して警備するようになる。またかつて糾弾の中心人物だった「亀井さん」は運命の転変で教会に集うようになり、私財を投げ出して大きな教会堂を建てることになる。

 他にもK伯父さんの友人の息子ザッカリー・K・高安、「総領事」の後妻(ギー兄さんの義母)「弓子さん」、国際的に活躍するピアニスト「泉さん」などが登場し、教会の外面的な整備とともに内面的な儀式なども整備されていく。最後にヨーロッパを再訪したい「総領事」はギー兄さんと訪欧の旅に出る。その一方で、怪しげな新興宗教だとするマスコミの追求も激しくなり、特に「暁新報」の花田記者が追求の最先端にいる。(これらの人物は明らかに実在人物をモデルにしている場合もあり、花田記者は本多勝一なのだろうと思う。)

 そういう中でK伯父さんと総領事らは、イエーツやダンテなどヨーロッパの作品を論じ合う。そして「総領事」と葬儀の中で、教会なりの儀式が作られていく。(それらはあくまでも「サッチャン」の視点で「教会の歴史のための文書」として語られていく。)そこで明らかになっていくのは、小さな森の教会が思わぬ大きさに発展していく中で、「本当に神はあるのか」という問題が焦点になっていく。伊能三兄弟は教会のために、ギー兄さんは救い主であると宣言して欲しいと詰め寄る。しかし、ギー兄さんはうずくまってしまい答えない。その様子を見たサッチャンは失望して教会を去る。そこまでが第二部『揺れ動く(ヴァシレーション)』。

 これだけ書いても第二部までしか終わらない。これでもずいぶん登場人物もエピソードも絞っているのだが。この小説は「懐かしい年への手紙」を先に読んでいないと、話が通じないところが多いと思う。それどころか大江自身の今までの作品が相当に引用されている。だが、それらは読んでなくても判ると思うが、「懐かしい年への手紙」とは直接のつながりが強い。主人公が同じく「ギー兄さん」と呼ばれることも共通である。それとともに、先代ギー兄さんの時には失敗した「コミューン」が、今回は曲がりなりにも大きく発展した一時期があった。そのことの問題をどう考えれば良いのか。それは次回に。
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「叫び声」、性と犯罪時代ー大江健三郎を読む⑨

2021年08月24日 22時22分04秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎叫び声」という小説がある。1962年の「群像」11月号に一挙掲載されて、1963年1月に講談社から刊行された。「遅れてきた青年」(1962)と「日常生活の冒険」(1964)の間に書かれた長編小説である。大江健三郎の長編は重厚長大なものが多いが、これは「芽むしり仔撃ち」ととともに、中編と呼んでもいい長さの小説である。全小説版では105ページになっている。この小説は昔講談社文庫版で読んでいて、「小松川事件」をモデルにした暗く孤独な犯罪小説という印象が残っていた。しかし再読してみたら、非常に興味深い傑作だった。
(講談社文芸文庫版)
 この小説は若者たちの「共同体」の崩壊を描いている。スラブ系アメリカ人のダリウス・セルベゾフと若い日本人3人はヨットでアフリカを目指すとことを夢見て共同生活をしていた。それは「僕」にとって「黄金の青春の時」だった。セルベゾフは朝鮮戦争に従軍中に癲癇の発作が再発し本国に帰されたが、父が死んで遺産を手にすると日本に戻って仲間を探し始めた。梅毒恐怖症の20歳の「」、黒人兵と日系アメリカ人の子である17歳の「」、日本を脱出しようと北海道からソ連へ向かって失敗した16歳の朝鮮人「呉鷹男」の3人である。

 セルベゾフは「悪い噂」(同性愛)もあるが、今は百科事典のセールスをして金を貯めて、ヨット「友人たち(レ・ザミ)号」を建造中である。愛車の「ジャガー」をヨーロッパ風に「ジャギュア」と呼んで、3人に使わせてくれる。彼らは皆何かしら性的な悩みや強迫観念を抱えているが、それでも前半では夢のような共同生活を送っている。後の「洪水はわが魂におよび」にも出帆することを夢見る「自由航海団」というグループが出て来た。石原慎太郎の小説では高校生でもヨットを乗り回し、作家自身もカリフォルニアからハワイへの航海レースに参加した。だが大江作品では航海は「夢想」の対象であり、そこには紛れもなく階級的格差がある。
(講談社文庫版)
 セルベゾフは仕事で神戸に行ったときに事件を起こす。3人は驚いて「ジャギュア」で一路神戸を目指した(まだ高速道路がない時代である)。着いてみたらもう釈放されていたが、それをきっかけに国外追放になって共同体は崩壊していく。スポンサーがいなくなって経済的に困窮し、「犯罪」に向かったのである。「僕」は結核を病んで闘病生活を送り、「虎」は痛ましい死を迎える。一人になった「呉鷹男」は「怪物」になることを求めて、夢遊状態のような中でかつて在学していた定時制高校の屋上で殺人事件を起こしてしまう。5年後、「僕」が呉鷹男に面会したときには、彼は死刑判決を目前に控えて犯罪を認めていた。

 呉鷹男は犯行を新聞社に電話して大反響を巻き起こしたことになっているが、これは実話に基づいている。それが1958年8月17日に起きた「小松川事件」で、その名前は都立小松川高校の屋上で起こったことによる。犯人の李珍宇(通名金子鎮宇)は18歳で同校定時制1年生だった。彼はまた4月に起きた殺人事件でも起訴され、2件の殺人で死刑となった。(この事件は「自白」以外に証拠がなく、冤罪説もある。)マスコミに知らせるという「劇場型犯罪」の第一号と言われている。李は獄中でカトリックの洗礼を受け、支援者の朴壽南に充てた膨大な書簡集が公刊されている。大島渚監督の映画「絞死刑」のモデルになったり、多くの作家、評論家に強い影響を与えた。
(逮捕を知らせる新聞報道)
 多くの人に衝撃を与えたのは、犯人が10代の朝鮮人だったことで、日本社会の責任という観点が浮上したことによる。(17歳だったら刑訴法上死刑判決は出せない。)またマスコミ(読売新聞)への連絡、獄中でドストエフスキーを読むなど「もう一人の永山則夫」と言いたいような存在だったこともある。粗暴犯というより「実存的犯罪者」の側面があって、そこに多くの作家、批評家が注目した。しかし、今になって読み返すと、「被害者の視点」が欠落しているのは紛れもない。被害者への想像力が及ばないところ、「生の躍動」(エラン・ヴィタール=ベルクソンの用語)の欠如にこそ特徴があった感じがする。

 初期の大江作品には、「怒れる若者たち」(アングリー・ヤング・メン)が多く登場する。「怒れる若者たち」とは、50年代後半に登場したイギリスの若い作家、劇作家たちを指す言葉である。大江健三郎の「われらの時代」には、登場人物が結成しているジャズバンドを「アンハッピー・ヤング・メン」(不幸な若者たち)と名付けていた。障がい児が生まれてから、作品的には「個人的な体験」以後の作品とそれ以前では多くの違いが見られる。特に長編では「犯罪」がテーマになることが多い。「叫び声」ではむしろ前半にこそ輝きがあり、後半の呉鷹男の犯罪の部分には判りにくさがあると思う。そこに小説の難しさがある。

 もう一つ、初期作品には「性」、特に「同性愛」が重大な意味を持つものが多い。長編の「われらの時代」「遅れてきた青年」「叫び声」の他に、中編「性的人間」も同じ。今回初めて単行本に収録された「ヴィリリテ」は「男娼」の世界だし、「善き人間」では妻のいる男が若い男性とも関係を持つ。その様子を夏のホテルでペットの世話をしている少年の目から描くという秀抜な作品で、何故今まで埋もれていたのか不思議。ただし、同性愛を「性的倒錯」と呼ぶなど今から見ると時代的制約もある。そうではあっても、「ホモフォビア」(同性愛嫌悪)のような描写は感じない場合が多いと思う。その事も含めて「初期大江作品で同性愛がどのように描かれているか」は重要な検討課題だと思うが、まだ誰も本格的に論じてはいないようだ。
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「セヴンティーン」2部作、テロリストの誕生ー大江健三郎を読む⑧

2021年08月23日 22時05分01秒 | 本 (日本文学)
 2018年7月に「大江健三郎全小説」の刊行が始まった時、第1回配本は3巻と7巻だった。7巻は「万延元年のフットボール」と「洪水はわが魂に及び」だから最初に出るのも理解出来る。一方、3巻は「セヴンティーン」第2部の「政治少年死す」が、1961年の雑誌発表以来初めて単行本に収録されたのである。その作品は1960年10月に起きた日本社会党の浅沼稲次郎委員長暗殺事件を起こした右翼少年、山口二矢(おとや)をモデルにしたとされ、右翼の非難を浴びた。掲載誌の「文學界」は次号に謝罪文を掲載し、作者も事実上作品を封印してきた。その作品が57年ぶりに日本で刊行された。是非読みたいと買って置いたので、今こそ読んでみよう。
(「大江健三郎全小説」第3巻)
 「セヴンティーン」は新潮文庫の「性的人間」に入っているから、僕はずいぶん若い頃(中学か高校)に読んだ。今回読み直したら、覚えている箇所が幾つもあった。そのぐらい鮮烈な印象を受けた作品だった。「政治少年死す」は誰かが勝手に印刷したものが一時期ウニタ書舗(左翼系書店)等に置いてあったけど、作家本人が認めてないんだから買う気にならなかった。当然ながら今回初めて読んだわけである。2段組の「全作品」で、「セヴンティーン」は35ページ、「政治少年死す」は48ページである。

 「政治少年死す」は、自身を思わせる若手作家が出て来たり、様々な文章がコラージュされたり、なかなか複雑な構成になっている。60年安保闘争で終わった「セヴンティーン」を受けて、小説は夏の広島から始まる。8月6日の広島で活動する「右翼」を描いたことで左翼からの批判もあったという。僕はこの小説を読んで、右翼少年をことさらに貶めるものとは感じなかった。なんで非難されたのかは、当時の特殊な状況があったと思う。その時「中央公論」の1960年12月号(発売は11月10日)に発表された深沢七郎の小説「風流夢譚」が問題化していた。夢の中で「左欲」が皇居に侵入する話だが、皇室に「不敬」な描写があると非難された。

 そして、1961年2月1日には、右翼の少年が中央公論社の嶋中社長宅を襲撃してお手伝いさんを殺害する事件を起こしたのである。その事件の少年は浅沼事件の犯人、山口二矢と同じく「大日本愛国党」に所属した経験があり、年齢も同じ17歳だった。ちょうどその小説が問題になっている最中の、1961年12月に「セヴンティーン」が発表され、1月に「政治少年死す」が発表された。そして、「文學界」3月号に会社による「謝罪文」が載ったわけである。この事件に関しては、「懐かしい年への手紙」で自身が触れている。また新興宗教の問題とされているが「スパルタ教育」(63年2月)に、電話に怯える若い夫婦が出て来る。大江は1960年2月に結婚したばかりで、年若い夫婦にはこの電話攻撃がこたえたと思われる。

 ところが今回解説を読んで驚いたのだが、山口二矢は「セヴンティーン」のモデルではなかったのである。どういう事かと言えば、浅沼稲次郎暗殺事件が起きたのは、1960年10月12日のことである。「セヴンティーン」の発表は1961年1月号だが、雑誌は前月上旬に発行されるのが通常である。「文學界」新年号の発売は12月上旬だったから、締め切りは11月半ば頃だったはずである。浅沼事件発生後に取材を開始して執筆に取り掛かったのでは間に合わないのである。「セヴンティーン」は非常に力のこもった作品で、その意味でも現実の事件に触発されたのではなく、それ以前から「孤独な少年が右翼になる」物語を構想していたのである。作家の想像力が現実に先んじて事件を予知してしまったのである。
(浅沼稲次郎暗殺の瞬間を写した写真)
 そのことは今回の解説で教えられたもう一つの注目すべき事実とも関連がある。それは三島由紀夫憂国」が発表されたのも、1961年1月の「小説中央公論」冬季号だったことである。「セヴンティーン」と「憂国」は同時期に発表されていたのである。「憂国」は二・二六事件に参加できなかった青年将校が妻とともに自決する話である。それは単なる政治的物語ではなく、むしろ「大義」への献身のエロティシズムとでも言うべきものだ。それは「セヴンティーン」の主人公「」が右翼結社「皇道派」(「政治少年死す」では何故か「皇道会」となっている)に参加して、「忠とは私心があってはならない」と目覚めてゆく時の興奮にも通じていると思う。

 「政治少年死す」は明らかに山口二矢が起こした現実の事件モデルになっているが、取材をしたノンフィクションではない。戦後最大の社会運動だった「60年安保」の半年後、「右翼」と「政治的テロ」は、気鋭の作家にとって魅惑的なテーマだったのだと思う。現実の山口二矢は1960年11月2日に(小説と同じく)東京少年鑑別所で自殺した。小説である「政治少年死す」もそれ以外の結末を作ることは出来ないだろう。山口に関しては、沢木耕太郎テロルの決算」(1979,大宅賞受賞作)があり、僕も当時読んだが細部は忘れた。ウィキペディアを見ると、山口は私立の玉川学園在学だが、「俺」は明らかに都立高校である。父親は私立高校の教頭とされているが、山口の父親は自衛官だった。(小説では姉が自衛隊の病院の看護婦になっている。)
(山口二矢)
 解説で知ったことだが、実は「政治少年死す」は日本に先駆けてドイツとフランスで翻訳が刊行されていた。ドイツでは「55年後の大発見」、「アンファン・テリブルからノーベル賞作家へ」と評価されたという。「アンファン・テリブル」はフランス語で「恐るべき子ども」のこと。大江作品の翻訳は「個人的な体験」以後が多かったが、それ以前の時期の重要性の発見ということだろう。特にヨーロッパで高く評価されたのは、2010年代にヨーロッパでイスラム系の無差別テロが横行したことがあるだろう。それらの事件の多くは、「それまで特に宗教的な関心を示さなかった」などと報道されることが多い。

 「セヴンティーン」の「」も進学校の中で孤立し、自意識と性欲にさいなまれている。特に政治的な関心もなく、むしろ当時の若者に多かったように「少し左翼的」である。自衛隊病院に勤める姉に「税金泥棒」と言って衝突するぐらいだ。家族の中で彼の17歳の誕生日を覚えていたのは姉だけだったというのに。学校では「新東宝」というあだ名のクラスメイトから右翼の演説会の「サクラ」に誘われる。「新東宝」という映画チェーンは、当時ほぼポルノ映画専門になっていた。それを場末まで追っかけているからあだ名が付いたのである。しかし、新東宝はそれだけでなく「明治天皇と日露大戦争」(1957)を大ヒットさせた会社でもある。

 この小説では「いけてない少年」が「いかにしてテロリストになったか」の内面的秘密が余すところなく描かれている。「天皇制」は日本独自のものだなどという思い込みで読んではいけないのだ。どの社会にもある、「伝統的価値」に寄り添うことで初めて「居場所」を見つけられ、「性的充足感」をも覚えるという心理的な秘密が恐るべき細密さで再現されている。アメリカのコロンバイン高校銃撃事件の少年(マイケル・ムーア監督「ボウリング・フォー・コロンバイン」)やノルウェイのウトヤ島テロ事件の犯人にも通じる部分がある。21世紀になって、1960年に起こった日本の右翼テロ事件が注目されるというのは悲劇だが、ともかく「セヴンティーン」2部作は今も生きているのである。
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宇能鴻一郎「姫君を喰う話」と映画「鯨神」

2021年08月15日 22時05分44秒 | 本 (日本文学)
 2021年7月の新潮文庫で宇能鴻一郎(うの・こういちろう、1934~)の「姫君を喰う話」という作品集が刊行されたのには驚いた。1962年1月に「鯨神」で芥川賞を得た作家だが、その時点では東大大学院在学中だった。その「鯨神」はすぐに大映で映画化され、巨大な鯨が特撮で再現されている。現在角川シネマ有楽町で上映されている「妖怪特撮映画祭」でもラインナップに入っているので見に行ってみた。

 宇能鴻一郎なんて言っても若い人は知らないだろう。70年代には「官能小説」の大家として有名で、週刊誌やスポーツ新聞などに「あたし〜なんです」という女子大生モノローグっぽい文体でポルノを量産していた。当然日活ロマンポルノの原作にピッタリで、題名に作家名の付いた映画だけでも「宇能鴻一郎の濡れて立つ」とか(以後作家名省略)「むちむちぷりん」「あげちゃいたいの」など21本も映画化されている。特に作品的に評価されたわけではなく、僕もちゃんと読んだことはないけど、そこらに置いてある週刊誌で流し読んだことはある。

 そんな宇能鴻一郎が芥川賞作家だと知って驚いたものだが、松本清張五味康祐など芥川賞作家がエンタメ作家になる例は珍しくはない。「鯨神」は江戸末期から明治にかけて、長崎県の平戸島和田浦(架空の地名)の鯨漁を生業とする隠れキリシタンの村を舞台にしている。ある年巨大な巨大な鯨が祖父と父の生命を奪い、数年後に兄もまた巨大鯨に挑んで死ぬ。そんな運命のもとで、残された弟シャキは「鯨神」と名付けられた巨大鯨に復讐することを目的に生きている。鯨名主は鯨神を倒したものには娘トヨと一家の財産すべてを渡すと誓いを立てる。紀州で人を殺して逃げてきたという「紀州」も野心を燃やしている。
(映画「鯨神」)
 映画は1962年大映作品で、新藤兼人が脚色し、「悪名」「眠狂四郎」シリーズなどで知られる娯楽映画の名手、田中徳三が監督している。シャキは本郷功次郞、紀州は勝新太郎、シャキの幼なじみエイに藤村志保、トヨに江波杏子、その父の鯨名主に志村喬といったキャストである。特撮についてはウィキペディアに詳しく出ている。鯨神に立ち向かっても死ぬとしか思えない宿命を生きるシャキ、彼をめぐる女性たちと「紀州」。メルヴィル「白鯨」を思わせるが、全体的に小説としても映画としても今ひとつ満足出来なかった。小説は文体的に大時代過ぎる感じで、映画は筋を追うのに精一杯。特撮も今の眼で見てしまうと苦しい。

 芥川賞受賞作の「鯨神」は60年代初期にしてはずいぶん古風な小説だ。石原慎太郎や大江健三郎以後とは思えない感じだが、直前の受賞者が三浦哲郎「忍ぶ川」なので少し反動があったのかもしれない。新潮文庫に収録されているのは、69年、70年頃の作品が多い。まだ官能小説で知られる直前の、「異色」と言うより「異常」、「猟奇的」を超える気持ち悪くなるような小説ばかりである。異常性愛ものが多いので、多くの人にお薦めしない。よほど物好きじゃない限り読まない方がいいと思う。僕も「メンタルヘルス」とか「ルッキズム」を問題にした後で、こういう小説集について書くべきかどうかと思わないでもない。

 しかし、「文学」は何を書いてもいいはずだとは思う。それでも「ズロース挽歌」なんてまずいでしょう。男だからといって、「ズロース」とか「ブルマー」に憧れるなんて心理は不可解である。それを別にしても、「姫君を喰う話」の超B級グルメ話から性欲へ、そして時代を飛び越えて「至上の愛」へと移っていくトンデモぶりにはたまげた。とっても読んでられないと思う人が多いと思うけど、これはこれで傑作だと思う。他では「西洋祈りの女」が敗戦直後の農村地帯(三重県南部)を舞台に、不思議な祈祷師(「和風」ではなく、英語などを交えて祈るから「西洋祈り」と呼ばれた)を描く。「花魁小桜の足」「リソペディオンの呪い」も収録。

 谷崎潤一郎の伝統があるからか、マゾヒズム系の小説が多いように思う。多少「大衆文学」に寄ってはいるが、「異常性愛純文学」とでもいう作品集。作者はもう故人かと思っていたら、存命だったのも驚いた。「横浜市金沢八景の敷地600坪の洋館で老秘書を従え、社交ダンスのパーティを開くなどの貴族的な暮らしぶりが伝えられる」という不思議な情報がウィキペディアに掲載されている。
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「遅れてきた青年」、悪漢小説の可能性ー大江健三郎を読む⑦

2021年07月29日 22時31分19秒 | 本 (日本文学)

 大江健三郎初期の長編小説「遅れてきた青年」(1962)は、1971年に出た新潮文庫本(第2刷、1970年刊行)を持っていた。つまりピッタリ半世紀読まずに持っていたことになるが、この機会に読んでみた。6月に「万延元年のフットボール」「洪水はわが魂に及び」という大長編を読んだので、今月はもう少し判りやすいものを読みたかった。「遅れてきた青年」は大江作品初の「大長編」というべき作品だが、判りにくい点は少ない。時間が経ってしまって、政治的、風俗的に理解しづらいところもあるけれど、内容的にはまあまあ読みやすかった。もっとも半世紀前の文庫本は字が小さくて目がショボショボするという難点はあったけれど。
(カバー=山下菊二)
 大江健三郎は東大在学中に芥川賞を受賞したから、学生からすぐに職業作家になったわけである。だから初期作品は東大(と思われる)の学生生活や、自分の出身地(四国の山奥の村)を舞台にした短編ばかりである。1958年の「芽むしり仔撃ち」も戦時中の故郷の村で起こった出来事である。それでは作品世界が狭まるから、現代の青春を三人称で描く「われらの時代」(1959)を書いた。これはアルジェリア独立運動家や天皇「暗殺」を目論む青年たちが出て来る興味深い小説だけど、小説としては成功作と言えない。

 次の長編「夜よゆるやかに歩め」(1959)は「婦人公論」に連載された作品だが、単行本が出た後は文庫化もされず、今まで何度か出た大江健三郎作品集に一回も掲載されていない。図書館にも余りないと思うが、古本では売っている。5千円から1万円はするから、本職の研究者しか読まないだろう。その次の「青年の汚名」(1960)はニシンの到来を待ち望む北海道(礼文島がモデルという)の青年を描いている。これは昔文春文庫に入っていて読んだことがある。この2作品は最近の「大江健三郎全小説」に収録されていない。若い時期の未熟な「失敗作」ということなんだろう。

 次の長編が「遅れてきた青年」(1962)で、それまでにない2部構成の大長編になっている。「われらの時代」と「遅れてきた青年」も、収録されなかった作品集があったという。しかし、これらの4長編は大江健三郎の「もう一つの可能性」を示していると思う。戦後の作家たちの多くは、「純文学」と「大衆文学」を書き分けていた。三島由紀夫遠藤周作などが代表だが、大江文学は「純文学」に特化して「難解」という評価が定着していく。しかし、それは大江光が生まれ「個人的な体験」を書いた後の話である。その後はほとんどの作品で「障がい児と生きる」というマジメなテーマが追求される。
(1960年の結婚式)
 しかし、もし最初の子どもが障がいを持って生まれなかったら、どうだっただろうか。「四国の森」を舞台にした神話的作品群は書かれただろうが、それとは別にもっと通俗的で判りやすく面白い、そして映画やテレビの原作に採用されるような作品も書いていたのかもしれない。そう思ったのは「遅れてきた青年」にピカレスク・ロマン(悪漢小説)としての面白さを感じたからだ。今までこの小説はそんなに読まれなかったし、読まれたときは「政治的」に解釈されることが多かったのではないか。

 題名の「遅れてきた青年」とはまず第一に「戦争に遅れてきた」こと、もっと言えば「天皇のために死ぬはずなのに遅れてしまった」ことを意味するだろう。子どもながら「わたし」という一人称である語り手は、教師たちとうまく行ってない。戦争に敗れ占領軍がやって来ると、中国戦線を経験した男たちが「女は強姦され子どもは虐殺される」と言って山に隠れさせる。村より奥にある「原四国人」の集落は村人たちによって破壊される。「わたし」はそんな大人たちに従うことなく、地域の中心都市に集まれという戦争継続の呼びかけに応えて、朝鮮人の友人「」とともに杉丘市へ向かう。この杉丘は「松山」ということだろう。

 そこまでが第一部で、結局大人たちに捕まって家からも見放されて教護院に送られた「わたし」は、その後受験勉強を始めて東大に合格した。久方ぶりに教護院を訪れた「わたし」は、書類の隠ぺいを求める。今は東京で有力保守政治家の娘の家庭教師をしている。東京に戻ると、その沢田育子が待っていて妊娠したという。父親は彼ではないが、中絶の金がない。親からせびり取って欲しいと言う。それに失敗して、仕方なくモグリの手術をしてくれる医者を学生運動をしている知人に紹介して貰う。その代わりにエジプトへ向かうという彼の代理で、左翼運動への参加を求められる。

 参加してみたら案外本気になっていくが、下宿に保守政治家からの大金が届いたことを知られ、スパイの疑惑を掛けられる。監禁され自白を求められるが、拒否すると拷問にあう。最後には「浮浪者」による「性的拷問」さえ行われる。逃れた後で復讐のため育子の父に従って国会で証言する。この後も波瀾万丈というべき「転落」を繰り返した挙げ句、「わたし」は神戸で康と再会する。朝鮮戦争で金日成将軍のために戦いたかった彼は、仕方なくアメリカ軍について韓国へ渡り戦争の実態を見ていた。

 保守政治家の走狗となっていく「わたし」と、育子、育子の子どもの父である「偽ジェリー・ルイス」と呼ばれる年下の少年。その新しい風俗とともに、左翼運動(これは安保闘争時の全学連主流派、つまり反日共系だと思われる)の暗部、朝鮮と日本、犯罪と性、問題となるようなテーマがごった煮のように投げ込まれている。確かに必ずしも上出来とは言えないが、学生運動やテレビなど当時の社会状況が興味深い。主人公の生き方に疑問が多いが、もちろん肯定的に描かれているわけではない。現代青年の「内面の空虚」を描くのが眼目だろう。でも「風俗小説」的な面白さがあって再評価されるべきだ。「朝鮮」「自殺」「同性愛」などが初期大江作品によく出てくる意味も考えるべきテーマだろう。

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「静かな生活」と「二百年の子供」ー大江健三郎を読む⑥

2021年07月28日 21時05分29秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎の小説は難しいと思っている人は、まず「静かな生活」(講談社文芸文庫)を読むべきだろう。これは1990年にいくつかの雑誌に連載された連作短編集で、1990年に講談社から出版された。1994年にノーベル文学賞を受賞した記念として、義兄の伊丹十三監督によって映画化されたことでも知られる。僕は当時は読まなかったので、こんな読みやすい小説があったのかと驚いた。でも小説の設定を実際の大江一家と混同してはいけない。これは純然たるフィクションなのだと思って読まないといけない。
(「静かな生活」)
 というのも語り手は「マーちゃん」と呼ばれる女子大学生。「イーヨー」と呼ばれる兄は障がい者で、地域の作業所に通っている。弟の「オーチャン」は浪人中の受験生である。父親は周りの人から「健ちゃん」と呼ばれる作家で、今カリフォルニアの大学に「居住作家」として招かれている。ところが父は精神的に「ピンチ」にあって、一人で行かせられないと考えた母も付いていく。そこで障がい児を抱えた一家が子どもたちだけで暮らしていくのである。一家の設定はほぼ大江一家と同じで、イーヨーが作曲を習っていたり、水泳に行くのも現実を反映している。(「新しい人よ眼ざめよ」の最後で「イーヨー」と呼ばないことになったが、その後また呼んでいる。)

 これじゃあ、まるで大江一家だと思って読んでもやむを得ない気がするが、そもそもの「父母がカリフォルニアに半年以上も行く」というのがフィクションらしい。しかも、その状況を娘の視点で描くのが不思議。小説ではピンチに立つ父親が遠慮なく語られるが、それは自分自身のことである。子どもが父を批判的に書く小説を当の父親が書くのである。こんな変な設定の家族小説は世界で初めてだろう。読みやすく出来てるけど、この小説の仕掛けはなかなか複雑なのである。

 単に家族の日常を描くだけでなく、「案内人(ストーカー)」という章ではタルコフスキー監督のロシア(ソ連)映画「ストーカー」(1979)をめぐって、登場人物が議論する。「ストーカー」という言葉はこの映画で初めて知ったわけで、この小説の中でもどういう意味か皆で議論している。チェルノブイリ原発事故直後で、ソ連崩壊直前の時期に書かれた小説である。ポーランドの大統領が来日して抗議活動をする話も出てきて、1990年という時代を表わしている。

 「妹の力」のように物語が進行し、最後になって「イーヨーが戦う」というのが、この小説の真髄である。だからずっと「マーちゃん」の語りで描かれることに意味がある。彼女は仏文科の学生でセリーヌを専攻している。そんな専門的な話が挟まりながら、水泳クラブでイーヨーに危機が訪れる。実はそれは父親の関係なのだが、とにかく留守を守るマーちゃんは一生懸命である。だが実はイーヨーは単に守られているだけの存在じゃなかった。それを妹の視点で物語る「ナラティブ」(語り方)がこの小説の読み所で、作家も一作書いて面白かったので連作になったという。
(映画「静かな生活」)
 映画はあまり評価されなかったが、僕は面白かった。伊丹十三監督は現実の社会問題をコミカルに描くことで人気を得ていた。基本的なマジメな大江文学は、伊丹作品のイメージに合わなかったのか、商業的にもヒットしなかった。父を山崎努、イーヨーを渡部篤郎、マーチャンを佐伯日菜子が演じていた。もう一回見直して見たい気がする。大江作品は60年代初期に何作か(「われらの時代」「飼育」「偽大学生」など)映画化されているが、だんだん難しくなって映画化が企画されても頓挫することが多くなった。ノーベル賞記念という名目で映画化出来たが、当時伊丹作品は全国一斉公開されていた。それには向かなかったということだろう。

 「二百年の子供」は「静かな生活」を越えて、間違いなく大江作品の中で一番読みやすい。2003年1月から10月に読売新聞に連載され、中央公論新社から刊行された。中公文庫にも入ったが現在は入手できないようなので、図書館で借りて読んだ。この本は「ヤング・アダルト」向けの「ファンタジー」として書かれたSFである。タイムマシンが四国の谷間の村にある大きなシイの木のうろだというのが発明である。そこで寝ると時間を越えるというか、それは夢を見るだけのような気もするけど、過去にも未来にも行けるという設定である。
(「二百年の子供」、舟越桂画)
 そんなバカなと言ったら話はおしまいで、ここに描かれる村の過去と未来の姿を考えるきっかけにすればいいんだろう。ここに登場するのは、「真木」「あかり」「」という三人組の子どもたちである。そして長男の真木には障がいがあるというから、つまりは大江一家と同じである。子どもたちをずいぶんフィクション化して作品に登場させてきた大江健三郎だが、これはそういう子どもたちへのプレゼントみたいな作品だろう。

 過去では村に起きた「逃散」(ちょうさん)の時期にタイムトラベルする。それって「万延元年のフットボール」などで描かれてきた時代じゃないか。その通りで、言ってみれば自分の子どもたちが自分の小説世界に入っていくという、ちょっと超絶的な発想である。そこではリーダーのメイスケさんが皆を連れて逃げるところだが、長老とは対立もある。子どもたちは傷ついていて、あかりは包帯を持って行って介抱する。

 それがタイムトラベル的に許されるのかなど議論しながらも、何とか可能になる。そしてメイスケには犬がいて、真木は「ベーコン」と名付ける。ベーコンを持って行くと大好物で食べるから。それから103年前のアメリカに行って、津田梅の留学の様子を垣間見る。今度は未来へ行こうとなって、2064年に行くことにする。なお、小説内の時間では現在が1984年になっている。それが「二百年の子供」という題名の理由。
 
 その未来はやはり「ディストピア」になっている。管理社会が完成している感じだが、一方ではそれに反抗する「根拠地」もあるらしい。そして、そもそも三人組が四国の森に来たのは、両親が外国へ行っているからだ。父親は精神的危機にあるらしく、果たして一家はちゃんと現実世界で再会できるんだろうか。そこでラストに弟があるものを見つけて解決する。ジュニア向け新聞小説だから、こんなに読みやすくていいのかと思いながら読むと、案外深い意味と小説的仕掛けがやはりあったのだった。
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「新しい人よ眼ざめよ」、障がい児と生きるー大江健三郎を読む⑤

2021年07月27日 22時12分52秒 | 本 (日本文学)
 先月に引き続き大江健三郎を読んでいる。書いてもほとんど読まれないんだけど、数ヶ月続けて読み切って自分の記録として書くつもり。新たに買ったり借りたりすることなく、溜まっているから読むと前に書いたけど、著作が多いので持ってない本も多かった。大江健三郎の中期作品はとても読みにくい本が多いが、その中で「障がい児と暮らす一家」、つまり大江健三郎一家がモデルかなと読者が思って読む作品群は比較的読みやすい。そういう作品を先に読もうかと思ったら、案外持ってなかったので買うことにした。
(「新しい人よ眼ざめよ」)
 1983年の「新しい人よ眼ざめよ」は講談社文庫と講談社文芸文庫の両方で入手可能。1982年から83年に掛けて書かれた7つの作品による連作短編集である。題名はイギリスの詩人・画家のウィリアム・ブレイク(1757~1827)の「預言詩」から取られている。だから英語表記では「Rouse up, O, Young men of the New Age !」になる。(ジョン・ネイスンによる訳がある。)中期の大江作品には外国作家の詩や小説が原語で引用され注釈がなされることが多い。ブレイクだけでなく、ダンテイェイツのときもある。

 ブレイクの引用が難解なんだけど、この作品はとても感動的な傑作だ。でも時々難しすぎると思う。そのブレイクをめぐる部分を抜いても作品は成立するだろう。そうすれば感動的な家族小説になると思うが、それでは浅い感じもする。ブレイクをめぐる部分があって、障がい児を抱える作家の生活が全体的に描かれるとも言える。ブレイクをめぐる話が必要なのは、この物語が「死と共生」をめぐる思索エッセイでもあるからだ。

 主人公「」には「イーヨー」という障がいを持つ長男がいる。これは間違いなく大江光(1963.6.13~)がモデルで、彼の下に長女、次男がいることも実際の一家と同様。また堀田善衛三島由紀夫武満徹山口昌男中村雄二郎などがイニシャルで出て来る。だから一読すると、家族エッセイみたいにも思えるけれど、実際には子どもの造形にはフィクション化がかなりなされているらしい。「イーヨー」(Eeyore)という名前は、特に70年代の作品によく使われたが、これはA・A・ミルンの「クマのプーさん」に出て来る「ペシミストのロバ」から。実際にそう呼ばれていたのではなく、小説だけの呼び方らしい。
(大江光)
 作家の「僕」はヨーロッパやアジアなど世界を旅することが多い。その中で考えたことと障がい児「イーヨー」が幼児から大きくなりつつある現状をどう考えるかがリンクする。イーヨーは「死」を理解するか、イーヨーは「夢」を見るか。イーヨーが性的衝動を抱えて暴発することはありうるか。イーヨーは昔から鳥の鳴き声を聞きわけるなど音に対して敏感だった(「洪水はわが魂に及び」)。やがてラジオで毎日クラシックを聴くようになり、作曲の勉強もするようになる。(その後広く知られたように、大江光はCDを出して高く評価された。)

 イーヨーの作曲の才能を見込んで、軽井沢の施設からクリスマス会用の音楽を頼まれたりもするが、父の通うプールで溺れかけたりもする。また台風が来るというのにイーヨーが伊豆の別荘に行くと言い張り、結局父が一緒に行って台風さなかの別荘で過ごす(「蚤の幽霊」)。父のところに来る若い政治運動家に「誘拐」されて東京駅に放置されたり(「鎖につながれたる魂をして」)、イーヨーの日々は危機とドラマに満ちていた。

 そんな中で養護学校の「寄宿舎」に入る時期がやってきた。これは必須の「行事」だということだが、次に帰宅した時に「イーヨー」と呼び掛けても答えない。次男がもうあだ名でなく本名で呼んで欲しいんじゃないかと「光」と呼ぶと答える。こうして寄宿舎生活を経て「自立」していくのだった。それがブレイクの詩と連動して深い感動を与えることになる。エッセイだか小説だか判らないように進展して、最後に見事に着地する感じだ。

 この小説はいかにも大江的な世界だと思う。学者のような論考の奥に、作家が抱える幼少期からの深い悩みが見え隠れする。その一方で障がい児を抱えて行きていることで、様々な悩みや鬱屈を抱える。イーヨーは理解可能なんだろうか。と同時に、彼がいることで家族がまとまり、障がい児が周りを明るくすることもある。そういう暮らしが、相当に知識人世界に偏っていはいるけれど重層的に語られる。イーヨーは「自閉症」と考えられるが、「癲癇」(と思われる)の発作も時々起こす。障がい児と生きることをこれほど深く伝えた小説は世界でそれまで書かれなかった。読んでない人は一度、読んでいる人も折に触れ読んでみていい本だ。大佛次郎賞受賞。
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「洪水はわが魂に及び」、終末論と自閉症の世界ー大江健三郎を読む④

2021年06月29日 23時45分42秒 | 本 (日本文学)
 大江健三郎シリーズは今回で一端中断。大長編は読むのに一週間近く掛かり、今月はほとんど大江作品を読んでいた。また作品が溜まったら書きたい。三作目は「洪水はわが魂に及び」で、1973年9月に上下2巻の新潮社「純文学書下ろし特別作品」として刊行された。これは僕が初めて同時代に読んだ(つまり単行本で読んだ)作品で、非常に大きな感銘を受けた記憶がある。その年の野間文芸賞受賞。もっとも僕が持ってる本は、上巻は初版だが下巻は1974年4月30日付の第7版である。半年で非常に売れている。上巻は820円、下巻は930円で、これはこの間の「狂乱物価」を反映していると思う。刊行当時は高校3年生で、お金のためか受験のためか、上巻しか買わなかったらしい。74年は浪人中だが、下巻を買ってるんだからその年に読んだのだろう。
(単行本上巻)
 東京の外れに核兵器のシェルターを改造したトーチカのような建物があり、そこに自閉症の子どもと閉じ籠もって暮らす男がいる。かつて保守党有力者の秘書をしていて、その娘(直日)と結婚した。障がい児が生まれたことから結婚生活が破綻し、男は名前も「大木勇魚」(おおき・いさな)と変えて「樹木の魂」「鯨の魂」の代理人を称している。樹木や鯨の魂と交信し、息子「ジン」ともテレパシーで通じている。ジンは鳥の鳴き声を集めたテープを聞いて聞き分けることが出来る。テープから音が出ると「アカショウビンですよ」「センダイムシクイですよ」などと答える。これは大江光をモデルしているということだが、読んだときに非常に強い印象を受けた。僕はそのジンの声が今もずっと耳奥に残り続けている。

 その近くにつぶれた映画撮影所があり、一角に少年らのグループが住み着いている。勇魚はそのグループが建物に現れたことから関係を持つようになる。当初は敵対的なムードだったが、やがて「言葉の専門家」として遇される。彼らは「自由航海団」と名乗り、首都圏大地震などで近く終末を迎えるだろう世界から船で逃げだそうとしている。若い「ボオイ」は男に敵対心を持つが、女性メンバーの伊奈子はジンと心を通わせる。リーダーの喬木(たかき)は冷静だが、武器に堪能な多麻吉は攻撃的である。カメラマンだった「縮む男」は、不思議なことにどんどん体が小さくなっているという。勇魚は彼らとともに世界について議論し、英語を教えるようになる。そして武器訓練キャンプ地を探していた彼らに、妻を通じて南伊豆の別荘予定地を紹介する。
(単行本下巻)
 そこでは伊奈子がオルグした自衛隊員が武器の訓練を行う。勇魚とジンも同行するが、ジンが水痘にかかって伊奈子は看病に付き添う。その間に「縮む男」が秘かに訓練の写真を撮って週刊誌に売り込んだことが発覚した。メンバーは「縮む男」の裁判を行い、有罪を認める「縮む男」に暴行を加えて殺害する。自衛隊員はそれを受けて逃亡し、伊東付近の漁港で自殺する。警察が動き出し、撮影所跡に残った「ボオイ」はブルドーザーで抗戦するが死ぬ。残りのメンバーは勇魚の家に籠城する。ジンの病気が治って勇魚と伊奈子が東京に戻った時には、もはや機動隊との衝突が避けられなくなっている。ジンを避難させるために伊奈子や喬木は投降するが、銃の得意な多麻吉と勇魚は残る。そこに機動隊は大きなクレーン車で大玉をぶつけて家を破壊し始める。

 これは誰が見ても、1972年2月に起きた「あさま山荘事件」と山岳ベースで起こった「リンチ殺人事件」を思い出させる。しかし、「大江健三郎全小説」第7巻の尾崎真理子解説によると、1971年に発表された創作ノートにすでに同様の構想が書かれていたという。作家の想像力が現実を予見してしまったのである。現実に同じような事件が起こったため、作者はグループから政治性を抜き去ったという。その結果、この「自由航海団」というアナキスト的な一団が当時としては理解が難しくなったと思う。機動隊員が一時「捕虜」になるシーンでは、「こんなことで革命が出来るか」と詰め寄る機動隊員に、彼らは「だから革命はしないんだよ」と何度も答える。マイノリティである彼らは、カタストロフィが訪れたときには自分たちが迫害されると信じている。だから自分たちも武装して自衛する必要がある。これは20年後のオウム真理教事件を先取りしていた。
(司修による単行本表紙)
 この小説には全体に「終末論的世界観」が満ちている。そもそも題名の「洪水はわが魂に及び」とは文語訳旧約聖書から取られていて、要するにノアの方舟の大洪水が自分の胸元まで及んできたということだ。その意味では東日本大震災の大津波が福島第一原発に及んだことも想起させる。大江健三郎が原発反対運動に参加しているのも当然だろう。この小説が刊行された直後の、1973年10月に第四次中東戦争が起こり、アラブ産油国が「石油戦略」を発動し世界中で「石油危機」(オイル・ショック)が起こった。日本で続いていた高度経済成長は終わりを告げ、1974年の経済成長率は戦後初めてマイナス成長となった。1973年3月に発売された小松左京日本沈没」がベストセラーになり、1973年6月には筑摩書房から「終末から」が創刊され(1974年廃刊)、野坂昭如は「マリリン・モンロー・ノー・リターン」で「この世はもうすぐおしまいだ」と歌っていた。

 まさにそのような時代相が小説に反映されている。しかし「再生可能エネルギー」「持続可能な開発目標」(SDGs=「Sustainable Development Goals」)などと言われる現在から見ると、安易に「世界が滅びる」といっていた時代がロマン主義に思える。世界は大きく変わったが、「終末」は迎えず、石油は枯渇せず、鯨は滅びなかった。当然だろうと今は思える。鯨ではなく本当に滅亡したのはニホンカワウソだった。1979年が最後の目撃例だと言うから、大木勇魚には鯨よりニホンカワウソの魂と交信して欲しかった。あるいは日本のトキは滅亡し、中国から借りたトキを繁殖させている。それは戦後の偽善を象徴すると考えて、佐渡のトキ保護センターを襲撃した少年を描く阿部和重ニッポニア・ニッポン」という小説もある。襲撃後に少年がクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」を聞くシーンが忘れられない。つまり「終末論」的な世界観と機動隊との衝突という小説の基本構造はちょっと古くなっているかなと思った。
(文庫版「洪水はわが魂に及び」)
 他の大長編がかなり入り組んだ難解な構造を持っているのに対し、この小説はかなり判りやすい。時間は一方向に流れるし、勇魚とジン、自由航海団それぞれを描きわけ、やがてそれが合体し、ラストのカタストロフィに至るという構成である。その分、時代的な制約を受けやすいとも言える。やはり「左翼過激派」時代に生まれた小説という感じもする。だがこの小説の真の主人公はジンだという読み方も可能だろう。ジンの世界から見れば、また読みが変わってくる。映画「レインマン」の前に、自閉症の世界の豊かさを世界に示したのは大江健三郎と大江光だ。そのことは特筆大書すべきだし、この本を読んだ人なら鳥の鳴き声を当てられるジンを永遠に思い出すだろう。(もっとも伊奈子のセリフとして「ジンはいい白痴だねえ」とあるように、時代の制約は大きいが。)

 ところで、この小説を読み直して一番驚いたのは、小説の舞台が世田谷区だったことだ。そんな核シェルターが都内にあって、機動隊と大衝突事件が起きたとは。まあ半世紀前には東京の周辺区にはまだまだ農地が多かった。童謡「春の小川」は渋谷区だったという時代ほどではないけれど、50年経つとずいぶん変わる。映画の撮影所跡地というのは、日露戦争で当てたとあるから倒産した新東宝かと思う。大江が住む世田谷区成城に近い砧(きぬた)には東宝のスタジオがあり、新東宝の撮影所も近くにあった。また国分寺崖線と呼ばれる崖と湧水が続く地帯がある。世田谷区西部にはそういう地帯が続いていて、そこが舞台となったのである。東京でない感じがしてしまうが、まさに70年代東京の外れの方を描いているのである。(なお、保守政治家とつながる妻、縮む男、スパゲッティをゆでる主人公など、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』との関わりが強いと感じた。)
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