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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

離島の子が利用できない東京都の「島留学」

2017年07月12日 22時57分20秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 都議選の話と直接は関係ないんだけど、その頃の報道で知ったことを書いておきたい。今回の都議選は「都民ファースト」が席巻したわけだが、唯一「都民ファースト」の公認候補が落選したのが「島部」だった。伊豆諸島と小笠原諸島で一人選出だけど、自民現職が8804票、「都民」新人が4100票、共産党候補が1225票と、現職都議がダブルスコアで圧勝した。

 その最大の理由は、その後新聞に出ている「党派別・選挙区別得票数」を見れば一目瞭然である。現職は伊豆大島の出身であるのに対し、「都民」新人は八丈島出身だった。だから、八丈島では2127対1637と「都民」新人が勝っている。でも、大島では3458対605、新島では1126対316 と追いつけないほどの大差で現職が圧勝しているのだ。つまり、出身島による地縁意識が、有権者の投票先決定の一番の理由だったことが想像できる。

 もちろん、それだけでない様々な理由もあるだろうが、とにかく「ただ一人の落選」ということで結構ニュースに取り上げられていた。それを見ていたら、最後に小池知事の直接応援を受けるはずが、なんと八丈島行きの飛行機が濃霧のためフライトが欠航になってしまったのだそうだ。そのため候補者本人が投票日に自分の地盤に帰れなくなったという。本人は知事の応援があったら、もっと八丈で差を付けられたと思いたいんだろう。都知事の応援があったら、確かにもう少し得票していたかもしれないが、まあ当選圏には届かないだろう。だが、この話に「離島の厳しさ」が示されてもいる。

 朝日新聞都内版6月26日付の「2017 都議選 東京の足元」というシリーズ記事に「悩み多い島の声 あまり届かず」「五輪は蚊帳の外 物価高く進学も負担に」という記事があった。そこには交通不便輸送コスト高の事情がくわしく出ている。野菜も肉も高いし、ガソリンも高い。通院も進学も大変だというのである。最後に資料として全部載せておくが、伊豆・小笠原諸島には、有人島は11あり、自治体は2町7村が置かれている。その中で、高校があるのは6つ(大島、新島、神津島、三宅島、八丈島、小笠原父島)だから、他の5島の中学生は、高校進学段階で他へ出ないといけない

 ところで、離島は人口も少なく、さらに少子化で学校の生徒は少ない。先に見た自民の現職都議のホームページを見ると、出身校は九段高校とあるから高校段階で都心に出たのである。そして同志社大学卒とあるから、大学進学を考えるとそういう選択をする生徒も多いんだろう。ということで、都教委発表の各高校の入選倍率を見れば判るけど、島しょ部の各高校は倍率が1倍を大きく下回っている状態である。じゃあ、その余裕ある教室をどうすればいいのか。

 そこで各地を見てみると、「離島留学」とか「山村留学」といった工夫をしているところもある。都会では不登校になったりする生徒もいる。競争も激しく、それが重荷になることもある。自然に恵まれた環境の中で、伸び伸びと高校生活を送りたいという希望者もいるだろう。そういう生徒を受け入れようというわけである。たまたま7月7日付東京新聞に、「離島の高校 進学は正解」という高校生の投書が載っていた。広島県の大崎上島というところだという。同じ日の佐藤優氏のコラムにも、沖縄にある久米島高校の留学案内が紹介されている。(この時期に毎年書いている。)

 さて、実は東京の島の高校も、昨年から「島留学」を始めている神津高校で1名と八丈高校で2名の受け入れである。島でホームステイ先を募って、そこから通う。昔は東京の普通科高校は、決められた学区内の高校以外を受験することはできなかった。ある時期から、「学区撤廃」と言って、どこの高校も受けられることになった。石原時代の「競争的教育政策」ということだろう。だけど、島の高校だけは別で、区部・多磨地区に住む高校生が島の高校を受けることだけはできなかったのである。(親と一緒に転居する予定がある場合は別。)

 ところで、この「島留学」に高校のない島の中学生が応募できないというのである。先の朝日新聞記事によれば、「『高校を選べる都心の子にチャンスがあって、高校がない島の子はだめなんて』と青ヶ島村の片岡俊彦教育長らは都教委に見直しを求めている。」と出ている。これは全くその通りだろう。高校のない島の中学生こそ、定員を割っている近くの島の高校で優先的に受け入れるべきもんなのではないだろうか。それは「島留学」という趣旨とは違うのかもしれないけど。

 僕は東京都の中学、高校で何十年も働いてきたけど、正直言ってこういう問題は全く知らなかった。教員採用に際して、あるいは折々の異動の時期に、「島への異動」を促される。(あるいは高校の場合、定時制高校への。)そういう時も、大島や八丈島などは行ったこともあってイメージできるんだけど、それ以外の島はよく知らないというのが実際のところである。「青ヶ島の子どもたち」は東京の教員が必ず意識していないといけないことなんじゃないだろうかと、辞めてから書くのもなんだけど、改めて思った次第。多分知らない人が多いと思うから、書き残しておきたい。 

 東京都の「島嶼部」(とうしょぶ)は、伊豆諸島小笠原諸島がある。伊豆諸島というぐらいだから、元は伊豆の国で、明治以後は一時静岡県だったときもあるが、1878年に東京府に移管された。小笠原諸島は1880年に東京府の所属となったが、戦争でアメリカ領とされ、1868年の返還後に東京都の所属になった。
 自治体と有人島、及び学校の事情は以下のとおり。
大島支庁
大島町 伊豆大島 小学校3、中学校3、高校2
利島村 利島(としま) 小学校、中学校
新島村 新島 小学校、中学校、高校
      式根島 小学校、中学校
神津島村 神津島(こうづしま) 小学校、中学校、高校
三宅支庁
三宅村 三宅島 小学校、中学校、高校
御蔵島村 御蔵島(みくらじま) 小学校、中学校
八丈支庁
八丈町 八丈島 小学校3、中学校3、高校
青ヶ島村 青ヶ島 小学校、中学校
小笠原支庁
小笠原村 父島 小学校、中学校、高校
        母島 小学校、中学校

 他にも硫黄島南鳥島などには自衛隊や気象庁なんかの人はいるけど、民間人は住んでないから学校はない。住民が住んでいる島では、義務教育である小学校、中学校は置かれている。東京都の学校調査を見ると、2018年5月1日時点で、青ヶ島小学校は全校5人、中学では利島、御蔵島、青ヶ島、母島では全校で一けたの数字の生徒数である。
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「東京の副校長」問題、ふたたび

2016年08月21日 23時08分11秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 だいぶ前だけど、「東京の『副校長』にはなりたくない」という記事を書いたことがある。(2011.10.25)いまだに時々読まれているみたいなんだけど、特に最近多くなっている。それは最近ニュースで、東京の副校長のなり手がない、大変だという話が出たからだと思う。

 もう一カ月以上前だと思うけど、NHKの夕方のニュースを偶然見ていたら、東京では来年度の中学副校長が120人足りないと言っていた。どこかの学校の副校長の仕事ぶりが映像で出てきて、激務ぶりが強調されていた。また、8月22日号の雑誌「AERA」でも、「先生が忙しすぎる」という「大特集」が組まれている。その中では、東京都の副校長試験は「倍率1倍」と書いてある。

 このような教員多忙問題は、ここでも何回も書いてきたけど、最近は行政もかなり危機感を持っているようだ。その背景には何があるのかということも、いずれ書いておきたい。とりあえず、最近の「副校長」問題の記事では、学校現場が忙しく、特に副校長に「今の学校をめぐる問題」が凝縮して表れているといった方向でまとめるのが通常のことになっている。

 そのことに異論はないけれど、副校長のなり手が少ないのは「多忙」だけが原因ではない。また、僕が前回書いたように「東京の権力的教育行政」も継続されているが、それへの反発や抵抗が広がっているということでもない。そういうことではなくて、教員の人生設計の上で「副校長を目指す年齢」の教員が少ないという「教員構成のアンバランス」の問題が一番だと思う。

 90年代の東京都の学校現場では、「少子化」に伴う生徒減、学級減が激しくなり、新規採用教員もほとんど見ないような時期が続いた。教員の年齢構成のバランスが崩れて、いずれリーダー層がいなくなってしまうのでは心配されていた。だけど、バブル崩壊後の税収減の時期にあたり、将来を見越して採用を増やすということもできなかった。その時期の「つけ」をこれから払わされるわけである。

 東京の教員の年齢構成は調査結果が公表されている。(「統計調査」の中の「公立学校統計調査報告書【学校調査編】」の一番下の方。)2015年5月1日付の各年齢別教員数が判る。中学教員の数をいま手作業で集計して見たら、以下のようになった。
 50代=5342人、40代=2660人、30代=3059人、20代=2784人
 50代の教員がいかに多いか。それに比べて40代が半数以下になるというアンバランスぶりである。20代は20歳で採用されるわけではないことを考えると、相当多い数字である。最近の採用が増えているということが理解できる。

 東京の学校数は非常に多い。中学校は621校ある。(なお、小学校が1296校、高校が189校、中等教育学校(中高一貫校)が6校、特別支援学校が62校である。)学校数も以前に比べれば統廃合で減っているけど、それでも急にはそんなには減らせない。この学校ごとに副校長がいる。高校では全定併置校や大規模校では、副校長が二人置かれることもある。

 別に副校長になりたい人がいるわけじゃないだろう。(まあ、稀にはいるかもしれないが。)それより「教員人生を校長で終わりたい」と思う人がいるということである。校長になるためには、事前に数年間の修業期間として「副校長」をやらないといけない。校長としても、一校だけで終わらず、何校か経験して地域の校長会の有力者になりたい。そう思うと、逆算してみれば、40代前半には副校長を目指し始める方がいい。もちろん、誰でも受けられるわけではなく、経験年数が必要だから20代では受けられない。早い人は30代後半で受ける人もいるけれど、それは多くはない。50代で受ける人もいるが、それでは校長に必ず昇進できるとは見越せない。だから、40代の教員が受ける場合が多いだろう。

 先に見たように、40代の教員は50代に比べて非常に少ない。逆に言えば、「団塊の世代」から引き続き、昭和30年代生まれ頃までの教員が非常に多い。東京では高度成長期に人口が増加し、第2次ベビーブームの子どもたちが学校に行く時代、70年代から80年代に大量の教員を採用したわけである。その人々が定年を迎える時代になってきた。だから、近年は採用が増えているわけである。

 副校長は確かに「激務」だろう。その問題も大事だけど、それは本質ではない。「校長になる意味」を奪うような教育行政をすれば、副校長になりたい人も減る。(大阪のような極端に多い民間人校長採用など。)小学校はともかく、中高ではやはり男性の管理職が多い。時間拘束がきつすぎて、今のままでは家庭を持つ女性には難しいのが現実だろう。そうすると、能力とやる気が普通程度なら男性教師には「管理職試験受験圧力」がかかってくる。あるいは「いい人」過ぎて拒否できない人などが受けたりする。どうにも向いてないような管理職を見聞きすれば(おそらく東京のほとんどすべての教員は「不適任管理職」を見ていると思うが)、では自分がやる方が学校のためかと思うわけである。

 テレビニュースでは、副校長には「指導・助言」という任務も加わり、ますます大変だと言っていた。「加わり」というのは「教頭」に比べてである。そこで実際に助言を求めて相談する教員が映っていたが、ホントに相談するシーンを撮れないだろうから、それは「やらせ」みたいなもんだと思う。だけど、今は副校長にクラス経営や生徒の進路を相談する学級担任がいるのだろうか。いないだろ、普通。と思うけど、僕にはもうわからない。そこまで学校が壊れているとは思えないが。「壊れる」というのは、学年や分掌があるんだから、そこで解決されるだろうに、よほど信頼されているのか、クラスの進路指導を副校長に相談していたからである。副校長もまともに対応せずに、学年主任に相談してと返すべきだろう。だけど、何か問題があれば副校長に報告しないといけない。(校長の前に、教員は副校長に報告する。)防衛的に何でも相談を求める人もいるのかもしれない。

 ところで、これは前にも書いたけど、東京の学校は「主幹」を置いたことで、組織上の様々な問題は解決されると大宣伝していた。その後、「主任教諭」制度も作った。学校の職階ピラミッド構造を作り上げた。それで何が解決したのだろうか。そのことを今回の「副校長をめぐる報道」が表しているのではないかと思う。
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都教委、4校の夜間定時制廃止を決定

2016年02月17日 20時42分41秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 2月12日の東京都教育委員会の定例会で、夜間定時制4校(小山台、雪谷、江北、立川)の募集停止が決定された。正式に言えば、「都立高校改革推進計画・新実施計画」が決定されたということになる。(都教委HPにある「都立高校改革推進計画・新実施計画」の策定についてを参照。)

 この問題に関しては、昨年に計画が発表された時に、「都立高「改革」・全定併置は「解消」するべきなのか」という記事を書いた。(2016.11.29)東京の新聞には、今回の決定が掲載されているが、その他の地域ではあまり出てないかと思うので、前に書いた記事の事後報告。

 この問題に関しては、その後、短期間ではあるが反対運動が起こり、反対の署名約12,000人分が提出されたり、有識者80人ほどによる反対声明が出された。その中には、山田洋次氏や大村智氏が含まれている。また、東京弁護士会の反対声明も出た。検索すれば、さまざまな記事が見つかるが、一応、東京新聞の2月13日の記事を紹介しておきたい。

 都教委に対する意見募集の結果と都教委のコメントも発表されている。だけど、言ってしまえば、同じことの繰り返し。都立中学の育鵬社教科書採択など他の問題とすべて共通で、初めから対話する意思はないと思わざるを得ない。(だから、ここにリンクは貼らない。)都教委が決めた計画は、手続き上「都民の意見を聞く」というプロセスを経るが、変えることは想定されていないだろう。反対運動が起きる、では、呼んで意見を聞き、一緒に考えてみよう…などという、他の組織では存在する仕組みが全くない。国会では参考人を呼んだり、公聴会を開く。それに意味があるかと言えば、まあ「タテマエ」でやっているというのに近いが、それでもそういう仕組みはあるわけだ。

 今年の定時制高校一次試験の倍率も発表されている。当該校を調べてみると、小山台は60人中、16人(0.27倍)、雪谷は30人中1人(0.03倍)、江北は60人中、16人(0.27倍)、立川は90人中49人(0.54倍)となっている。立川は1倍を超える年もあるが、今年は半分ぐらい。雪谷に至っては1人しか出願していないから、閉課程もやむを得ないようにも見えるが、この地域には比較的近くに他校があるから、もうすぐなくなる、後輩も入って来ないという学校だから敬遠されているのか、それは判らない。例年、一次試験で1倍を超えるのは、工芸高校定時制のグラフィック・アーツ科で、30人中35人と今年も1倍を超えている。また、葛飾区にある農産高校定時制も近年希望が多く、30人中33人と1倍を超えている。

 このような結果を見て、だから「夜間定時制は希望が少ない」と決めつけるのは早計である。例年、ずっとこのような倍率傾向が続いている。だから、一次試験では募集人員が埋まらず、かならず大量の二次募集がある。それなら、1回目は他の全日制高校や三部制高校を受けてみようか、受けさせてみたいとなるのは当然である。もしかしたら受かるかもしれない。落ちたら、その後で定時制の二次募集を受ければいいわけである。しかし、今のような戦略が成功するには、ある程度の学力が必要である。「障害」があったり、外国出身で日本語が不自由な生徒は、二次募集では落ちてしまうかもしれない。それを逆に言えば、必ず定員割れする一次募集においては、「日本語による高校教育」が難しいような生徒であっても、学力検査を受ける程度の学力、体力があれば、合格できる可能性が高い。

 都教委は、夜間定時制を減らしても、チャレンジスクールを増設したり、募集増を行うからいいのだと言っている。しかし、今年のチャレンジスクール(三部制総合学科の定時制高校)の倍率は、合計で1.57倍となっている。学力検査を行わず作文で選考するチャレンジスクールでは、作文能力が低い「障害」「外国」生徒の合格は極めて難しい。(似たような性格の三部制高校もいくつもあるが、皆1倍を超えているので、やはり学力検査で落ちるだろう。)そんなことを都教委の担当者が知らないわけはないから、要するに「障害生徒」は高校ではなく特別支援学校の高等部に行けばよく、外国出身生徒は(成績が高い生徒は国際高校などで対応するが)基本的には対応しないというのが、この方針の本質だと思う。人数で言えば非常に少数ではあるが、「誰を排除するのか」という問題設定で見えてくるものがある。
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都立高「改革」・全定併置は「解消」するべきなのか

2015年11月29日 23時44分30秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京都教育委員会は、11月26日に「都立高校改革推進計画・新実施計画(案)」を発表した。骨子が都教委ホームページに掲載されていて、12月25日まで意見募集を行っている。(上記ウェブサイトに提出先メールアドレスが載っている。)

 ここしばらく教育に関してほとんど書いていない。安倍内閣が約3年間も続き、下村博文、馳浩が文科相。都教委や大阪府教委も相変わらずだから、書こうと思えば書くネタはあるわけだけど、呆れるような状況が続き過ぎた。もはや何を言ってもダメなんじゃないかと正直思ってしまうので、書く意欲が湧かないのである。今回も同じではあるが、どうしても触れておきたいので簡単に。

 都教委はここ数年は、教育の中身に関する「改革」が中心で、それも「どうなんだか」のオンパレードなんだけど、まあ書くまでもないと思った。今回は久方ぶりの学校の「新配置計画」である。つまり、学校の課程の変更や新設、統廃合である。マスコミでは「小中高一貫校」ばかりが注目されている。現在の「立川国際中等教育学校」(元北多摩高校)に付属小学校を併設するという。これも異動要綱の特例措置でも講じない限り、ほとんど意味がないものになると思う。本来、シュタイナー学校のような教育を行う場合のみ、「12年間同一メンバー」の教育が意味を持つはず。教師が自由な教育を展開できず、しかもどんどん異動するような環境で「小中高一貫」にして意味があるんだろうか。

 他に、赤羽商業高校を「家庭・福祉」高校に改編し、また新国際高校(場所は未定)を設置する。荒川商業高校をチャレンジスクール(不登校生徒対象の定時制総合学科高校)に改編し、また立川地区にチャレンジスクールを新設する。定時制課程4校を閉課程とし、代わりに既存のチャレンジスクール、昼夜間定時制高校の夜間の定員の増数するという。その他もあるが、省略。

 チャレンジスクールや昼夜間定時制高校などと都教委が呼んでいる「三部制高校」は、自分も勤務したから、不登校生徒のための一定の意義を認める。しかし、あまりにも勤務形態が大変で、異動も激しく、このまま拡大するのがいいのか、じっくり考える必要があると思う。特に「夜間の規模を拡大」と簡単に言うが、給食の関係で規模拡大が難しいという学校実態が多いのではないか。夜間高校においては、「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」で「夜間課程を置く高等学校の設置者は、当該高等学校において夜間学校給食が実施されるように努めなければならない」とされている。現に給食を出しているわけだが、夜間部の生徒を全員収容できる食堂スペースが取れないと規模の拡大はできない。どうするんだろ?と思うが、どうせ登校しないだろうと踏んでいるのか。

 それ以上に僕が問題だと思うのが、「夜間定時制課程の閉課程により併置を解消」とある点である。「解消」というのは、「よくないからなくす」というニュアンスがある。辞書をみると、不満を解消する、ストレスを解消する、派閥を解消するなどといった例示が出ている。これみな、良くないからなくすという意味である。となれば、都教委は「全日制、定時制の併置」そのものが悪いととらえているのだろうか。そうとしか思えないのだが。現実に、多くの都立高校で併置が「解消」されてきた。今や、山手線の内側にある高校で、全定併置校は一つもない。(三部制の単位制高校が、新宿山吹高校と六本木高校の二つあるだけ。)23区の周縁部と多摩地区にのみ、併置校があるというのは、東京都内の「格差」が背景にあるということだろう。

 今回、「併置を解消」とされるのは、小山台(品川区)、雪谷(大田区)、江北(足立区)、立川(立川市)の4校である。進学指導の重点指導校などに指定されている高校が多い。今は夜間定時制高校の希望者が少なくなり、働きながら学ぶ生徒も少ない。不登校や外国人生徒、障害を持つ生徒などが多くなっているのは確かである。だから、僕も「単学級」(学年一クラスの学校)に関しては、ある程度わかる部分がある。だけど、今回の学校で来年度の募集が一クラス(30人)であるのは、雪谷高校だけ。小山台、江北は60人、立川に至っては90人の募集定員である。「地域のニーズ」がある夜間定時制をつぶしてしまうとしか思えないが。

 全日制から見れば、部活動や生徒会活動、補習や学校行事などで、定時制課程がない方がいいと思う教員や生徒がいるのも確かだろう。定時制課程は大体5時過ぎに生徒が登校するので、その頃には全日制の生徒は帰ららないといけない。今は授業確保がうるさいから、行事の準備や部活動の時間がかなり短くなる場合がある。だけど、都立高校で野球部が甲子園に出場したところはどこだろうか。国立高校、雪谷高校、小山台高校の3校ではないか。国立は定時制がないが、他の2校は今回の対象校である。定時制が併置されていても部活動で活躍できるということが判る。

 教員の勤務時間を考えても、長時間の部活や補習があることの方がおかしい。それに多くの学校では、本当に大変な時期(行事や部活の大会、検定等が近付いた時)は、特例で全日制の生徒の活動を伸ばすことが認められているのではないかと思う。もちろん定時制の教育活動に支障が出ないようにではあるが、定時制側も了承して昼の生徒が活動時間を伸ばしていると思う。それはともかく、併置を「解消」するなどという言葉そのものが、定時制課程の生徒を下に見ているように感じてしまうのである。
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都立高入選ミス問題、その後-続報集②

2014年10月10日 23時16分00秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 2014年2月実施の都立高の入選で多くのミスがあったという問題が発覚、都教委が点検して改めて合格者が出るなど大問題となった。このブログでは、6月に8回にわたって東京都の高校入試に潜む問題を書いた。「都立高入選ミス問題①」以下、順番に見てもらえば僕の考えは判ると思う。(ちょっと長くなってしまったけれど。)「カテゴリー」の「東京の教育」をクリックして見てもらえば、投稿の新しい記事から見ることができる。その問題のその後の展開を報告。

 夏休みが終わるころまでには最終点検を終えると言っていたが、その結果は9月11日に発表されている。都教委のサイトにある「都立高等学校入学者選抜学力検査の採点の誤りに係る答案の点検結果について」がそれである。今さら細かいことをいろいろ書いても面倒なので、一番重要な追加合格者だけ書いておく。今年が13校16人、昨年分が6校6人、計18校22人となっている。

 一方、改善策については、都立高校入試の採点誤りに関する再発防止・改善策についてという文書が同じ9月11日付で発表されている。まあ、都教委のことだから対して期待できないのは判り切っているが、案の定これを見ると「犯罪的な欺瞞」がある。「採点・点検に専念できる十分な時間と環境を確保する」などと言って、「学力検査翌日から合格発表日の前日までの日数を現行の3日間から4日間とする」などと恩着せがましく言っているのである。「現行の3日間」などというものが虚構の産物である。2014年だけが「3日間」であり、それ以前はどのようなものだったかは「昔はもっと余裕があった」で書いている。例えば2013年は、2月23日(土)実施、28日(木)発表、確かに日曜を除けば「3日間」ではある。2012年も同じだが、2011年以前は「4日間」の年の方が多い。その間の「法則性」の如きものは前記の記事に書いている。

 本来、都教委は2005年度から入選の日程を2月23日に固定していた。土日に当たろうがやるんだと言い、現に土曜実施が2回ある。だから、本来は2014年は2月23日(日)にするのが本当である。それを24日(月)にした。日曜ではおかしいというなら、初めからそう言えばいいし、その場合は発表を延ばせばいい。当然のそういう配慮をすることなく、押し切ったのである。その経過の理由の究明こそ最も大切な問題であった。東京マラソンと重なるため、(五輪招致に躍起になっていた)東京都はマラソンの方を優先したという話だけど。もちろんその経緯は全くはっきりしていないし、責任追及もなされていない。

 そのほか、検査後2日間は生徒を登校させず採点、点検に専念するという。これは一見合理的だけど、学校ごとに事情が違い機械的に運用してはならないだろう。また、マークシート方式を一部で導入し試行してみるということで、試行校20校が決定している。それはそれでいいとも言えるけど、高いカネに見合うのかどうか。それなら各校にマークシート・リーダーを買うのではなく、どこかに集約することもできるのではないか。また、マークシート方式が不利な生徒(身体的、精神的な障がいを持っている生徒)への対応をどうするのかという問題がある。

 ところで、この問題に関して「処分」が発令されている。「都立高等学校入学者選抜学力検査における採点の誤りに係る学校職員及び事務局職員の処分等について」である。追加合格者があった学校の(当時の)校長は戒告、副校長は文書訓告、ミスがあった学校の校長は文書訓告、副校長は口頭注意。「採点を担当した教員(165校、3,170名)については、校長から指導を行う」とのことである。まあ、行政機関として「行政責任」を問うのは致し方ないのかもしれない。しかし、これが僕の言う「外形的事実」だけで「処分」していくという「小権力者」特有の世界になっていることは明らかだと思う。具体的にどうすれば良かったのか。ただ偶然にミスをして、たまたまボーダーライン上の生徒にそのミスが起こった場合だけ、重い処分となる。それは本質からすればおかしい。行政には結果責任があると言えばそうかもしれないが。

 そのあたりはもう書かないが、「何でこのように間違いが多いのか」という感想が結構聞かれるので、ちょっと考えておきたい。まず第一に「ミスがあってはならない」のではなく、「採点ミスは誰がやっても必ず起こる」ということである。当然、もっと日程が詰まっている私立学校などはもっと多いだろう。疑う人は「数百人の答案をコピーして採点してみる」という実験をしてみれば判る。だから、点検に手間を掛けるしかないが、その手間を掛ける日程が確保されていなかった原因こそが大事ということである。もう一つは「入力ミス」は点検しているのだろうかということである。当然しているだろう。しかし、その報告がない以上、「入力ミスによる合格決定ミスはなかった」のだろうと判断できる。これはすごいことではないだろうか。マニュアルの細かく規定されていた入力ミスの点検はうまく行ったということではないか。

 ところで、「都教委の点検」それ自体に問題はないのだろうか。それは点検しないので誰にもわからない。後から「ミスを見つけるぞ」意識で見れば、間違いに見えてくるということはないだろうか。僕の経験では、「アイウエから選べ」などという問題で、受検生の書く文字は非常にわかりづらい。特に「ア」と「イ」は判別が難しい場合がある。最初に見た人が「そのように見えた」のなら、それを「採点ミス」と言えるのだろうか。僕はこの点検そのものを点検してみたい気もする。
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権力的教育行政の転換を-都立高入選ミス問題⑧

2014年06月13日 22時34分33秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 長く書いてきたので、最後に総論的なことを書いて終りにしたい。とは言うものの、また細かい議論から入ることにする。都教委は来年の一次試験を2月24日(火)としたが、発表日はまだ決定していない。この記事の中で、僕は「22~25で、水から金までに学力検査を行い、翌週の6日目に発表する」のがいいのではと書いた。だから、24(火)というのは支持しないのだが、それはともかく、もし火曜日に検査を行うのだったら、その場合だけは発表は次週の火曜日でなければならないと思うのである。3月2日(月)の発表だったら、実質的に今年と同じで、ミス防止対策にならない。

 どういうことか判るだろうか。もし月曜の発表だったら、どんなに遅くても金曜日の夕方には判定会議を開かないといけない。(土曜日の授業がない学校の場合だが。)それでは、水木金の3日間で、採点と入力のチェックを完全に終わらせないといけない。今年と同じである。合格者に渡す事務的な書類の作成に入るためには、学校の正式機関である合否判定会議を開かないといけない。判定会議を経たのちに、「入学予定者の決定について」という文書を起案し、校長が決済する必要がある。本来は金曜夕方の判定会議でも、教務や事務職員は残業か休日出勤を強いられるだろう。だから合格者決定はもっと早いことが望ましいのだが、日程的に無理だろう。だから、休日にも入選業務を行わざるを得ないので、管理職の何人かも出勤することになるだろう。そうすると、今年の事例を思い出し、自分で再度点検したい校長も出てくるに決まっている。万が一、そこで合否が覆るミスを発見してしまったら、どうするか。校長が経営企画室長や教務主任と協議し、判定会議の結論を変えることにならざるを得ないだろう。月曜発表だと、そのような望ましくないプロセスがあり得る。(実質的な事務態勢は、もう少し融通をきかせているかもしれないが、タテマエ上は以上のように進行する。)

 さて、以上のようなことは「現場の事情」が判っているなら、誰でも知ってることである。しかし、この間都教委は「現場の意向を聞かない」ことをモットーにしてきた(としか思えない政策を進めてきた。)だから、学校現場では「もはや現場の意向は取り入れられることはない」と思い込んでいるのではないか。採点ミス自体は、教員なら(教員でなくても)誰にでもある問題である。教師の「指導力」などとは直接の関係はない。(関係があるとすれば、通勤時間とか当日の体調の方だろう。2月末だから、風邪気味の人がいるのは避けられない。)それでも、学校現場に「自由闊達な気風」が形成されていれば、ミスは点検で発見されやすいのではないだろうか

 東京に限らないと思うが、また教育現場にも限らないと思うが、「現場」における「自由闊達な気風」というのは、日本ウナギ並みの「絶滅危惧種」ではないか。特に、東京は全国のトップを切って、教育の成果主義、新自由主義的な「改革」が進められてきた。今回のミス多発は、僕にはそのような都教委のすすめてきた「教育風土」が背景にあるのではないかと思う。しかし、都教委はそれを絶対に認めないだろう。「採点態勢の不備」とか「教員の資質の低下」などを原因に挙げ、「教員に対する研修の強化」などを「対策」に打ち出すのではないか。その結果、学校現場の疲弊はますます進むことになる。そうしてはならない。今回の問題をきっかけとして、ここで「東京の教育行政の全面的な転換」に踏み出さないといけない

 今回ミスがなかった学校が何校かある。それらの学校の教員は評価が高くなるかというと、そういうことはない。なぜなら、勤務評定は「同じ学校内の教員間で相対評価する」からである。全員でしっかり仕事して、ミスがなかったりすれば、差が付かないではないか。自分の評価が高くなり給料も上がるためには、同じ学校に成績評価が低くなる教員がいた方がいいことになる。全員で協力し合わなければならない学校という場所で、こんな「成果主義」を導入して何の意味があるのだろうか。こういう誤った「成果主義」こそが、学校を毒して協力態勢を壊すのである。

 都教委が採点期間を短くしてきたのは、何故だろうか。僕が思うに、「都教委はこの日数で出来ると本気で考えていた」という可能性が高い。「現場の声が聞こえない」「現場も声を挙げない」ということもあるが、この間に完成されてしまった「ピラミッド型勤務体制」、つまり「校長-副校長-主幹教諭-主任教諭-教諭」という「構造」を、「主幹、主任を中心にした機動的な学校経営」を実現したと評価し、その「生産性向上効果」をもってすれば、入選業務もスピード化されるはずだと考えていたのではないか。しかし、現実には同じ教科内で「主幹、主任、教諭」などと分かれていて採点して、果たしてうまく行くのだろうか。若手教師からすれば、職階も違う主幹教諭の採点にミスがあるとは思わないし、見つけても指摘しにくいということはないだろうか。年齢、経験差があるのは仕方ないが、職階としては「同じ教諭」という立場で採点したほうが、「自由闊達」にお互いのミスを指摘し合えるのではないだろうか

 都教委の政策は10数年かけて成立してきたので、すぐには変更が難しい部分もあるだろう。しかし、僕は「異動要項の改定」と「主任教諭制度の廃止」、「職員会議での挙手禁止通達の撤回」あたりから、今までの政策を変えてはどうかと思う。主任教諭は導入からまだ数年しか経っていないので、教諭と主任教諭の給料表一本化もまだ可能なのではないか。都の異動要項も明らかにおかしいので、そろそろ変えるべきだ。どうしても個人的事情で異動する教師もいるわけだが、同じ学校に10年程度いられるという異動制度だったら、自分が担任、または授業や部活で接する可能性が非常に高い受検生の答案を採点するわけで、ミス防止効果があるのではないか。来年度は異動だからといって、わざわざミスをするわけではないが、それでも心理的には人間にはそういう部分もあるように思うのである。また三つ目の「挙手禁止」は、ここ10年以上続いた「おバカ教育行政」の象徴である。もういいでしょ。

 このように都教委のあり方を見てくると、やはり「10・23通達」は大きかったと思う。入選ミスの問題はイデオロギーの問題ではないと言われるかもしれない。その通りだけど、学校現場から「イデオロギー的反対派の存在余地をなくす」という政策が進行した結果、イデオロギーとは関係のない問題でも、校長なども委縮して現場の声が反映できない風土が生まれてきたのではないかと思う。ナチスの時代に言う、最初は共産主義者が排除され、次に社会主義者、自由主義者、最後には穏健なクリスチャンも政府に反対することが出来なくなった、ということと同じである。要するに「茶色の朝」。「毛が茶色以外の犬猫を飼ってはならないという法律」が作られた社会では、人は知らず知らずに「従順」にさせられていく。

 「学力検査日を2月23日に固定する」というやり方が決定された時期は、国旗国歌に関して職務命令を校長に義務付けた「10・23通達」、中高一貫校の都立中学等への扶桑社の教科書採択、性教育に関する弾圧である「七生養護学校事件」などが起きた時期と重なっている。つまり、イデオロギー的に偏向した都教委がどんどん「極右的政策」を進めた時期である。そういう問題が積み重なった結果、「自由闊達な気風」というかつての都立高に広く見られた気風が消えていったのである。そうして職階が多層化され、競争が強化され、職場の分断が進んだ。もう一回繰り返しておくが、採点ミスそのものは誰でも起こす可能性のあるミスで、それ自体は問題ではない。問題なのは、それを点検する態勢の方で、職場の自由がないと「ミスが防げなくなる可能性が高くなる」。そして、事前に容易に推測できた「採点期間の短縮の問題性」を事前に把握できないという事態となる。それこそが問題で、今考えないといけないのである。都教委に限らず、また学校に限らず、どこでも起こる問題ではないかと思う。
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チェック体制をどうするか-都立高入選ミス問題⑦

2014年06月12日 22時40分22秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 今回の入選ミスは「単純ミスが多い」などと新聞に書いてあるが、当たり前である。「採点は一日で行い、点検は形骸化していた」などという報道も見たけど、日程上一日しかかけられないのは当然で、それはすでに書いてきた。「単純ミス」の反対語が何か、僕には判らない。ペーパーテストを全都で一斉に行い、全然知らない人間の答案(受検番号しか書いてない)を迅速に採点する。ミスはどうやっても起こるし、普通の定期テストより起きやすい。(定期テストは自分で問題を作って自分で採点するし、この生徒は100点を取るかも、この生徒は10点ぐらいかもと判って採点しているので、採点ミスがより起きにくいと考えられる。)

 問題はどのように点検するかだが、それには二つの考え方がありうる。一つは「同じ教科の教員で一回点検をしたら、その点数を早く入力して、ボーダーライン上の生徒を徹底的に点検する」。もう一つは「違う人間で点検を徹底し、確実な点数を入力できるようにする」。どっちがいいのかはよく判らないので、今後様々に議論して欲しいと思う。点検そのものは事務的作業で、何度もやれば「思い込み」が生じてくるのはやむを得ない。2回見て発見できなかったミスを、同じチーム内で見直してもなかなか見つからない可能性が高い。そこで違う人で点検チームを組織して、あらためて違う目で点検した方がずっといい。今回の都教委点検もそれである。その方が点検的にはいいけれども、それまで全然その問題を見ていない人、特に他教科の教員などが急に点検に入っても、当初はスピードがかなり落ちるだろう。その分、採点終了までの時間が相当にかかってしまうことになる。

 一方、「採点」と「一次点検」でまず終りにして、どんどん入力を開始する。何が問題かと言って、合格、不合格に影響することである。100点の生徒が実は一問ケアレスミスをしてたとしても、合格は合格で間違いない。まあ成績トップの新入生に、入学式の「誓いの言葉」かなんかを頼むことが多いと思うので、影響はあるかもしれないが。だから、早めに合否のボーダーラインを仮に設定し、仮合格者の成績下位1割と仮不合格者の成績上位1割を選びだし、その生徒を中心に徹底点検を行う。(どのくらいがいいかは判らないので、今の数字は仮のものだが。)残りの受検生は、入力チェック、合否判定、合格通知書作成などと並行して「二次点検」「三次点検」を行う。そういうやり方もあるのではないかと思うのである。

 もっとも東京の入選方法が複雑なのはすでに書いたけれども、「特別選考」という面倒なものがある。合格者の8割を通常の方法で決定し、残りの2割は特別の(例えば、調査書の割合を下げるとか、一部の教科の得点を重視するとか)選考方法を取るというのである。だから、今「ボーダーラインを徹底点検」と書いたけれども、ボーダーラインが「合格、不合格」だけでなく、「一般選考」と「特別選考」と二つ生じる学校があるのである。そうなると、下位の生徒は全員対象というような高校も多くなるだろう。大体、中学生を対象にして、そんな複雑な選考を公立校が行う必要があるのだろうか。「特別選考」は廃止したほうがいい

 さて今「二つある」と書いたばかりだけど、実はもう一つのやり方もある。今回も都教委は例によって、自分たちではなく現場の問題があると言った言い方をしている。でも、都教委は「学校経営支援センター」なる組織を作り、学校事務職員を減員してしまった。そのため入選の願書受付等の本来は事務職員の仕事に関しても教員が以前以上に参加せざるを得なくなっているのではないかと思われる。一体、今回のようなほとんどの高校で採点ミスがあったなどという時に、自分たちには「学校経営」を「支援」するという組織があるのに、果たして機能していたのだろうかと反省することはあるのだろうか。本当だったら、この「支援センター」なるものが、採点を担当すればいいのではないか。教員は授業等に専念する。採点と入力は「経営支援センター」から派遣された職員が担当する。これなら、確かに「学校経営」の「支援」である。(もっと言えば、学校経営支援センターを解体し、学校の事務職員を増員すべきだけど、まあ今はその議論はしない。)

 前回の記事で、「発表は翌週の6日目」と書いた。月曜検査、金曜発表は「4日目」だが、僕が書いたように「水曜検査、次週の火曜発表」にしても、「土日を抜いたら4日目」である。それでも「余裕がある」と感じるのは、「土日に勤務し、点検する」を前提にしている。土曜授業の学校も多いし、この日程なら土日の業務を避けられない。そうだけど、土日があると思えば、気持ち的に楽になるということである。本来は一週間後がいいと思う。しかし、本当に3学期のこの時期は立てこんでいて、本意ではないけど、(土曜休業の高校でも)土曜に出てくることはやむを得ないのではないかということである。(春休みに振り替え休業日を指定する。)入選業務は本来の「校長が超過勤務を命令できる業務」に入っていない。だから拒否できる。だけど、教員も事務職員も入選結果を発表するまで、間違いがないように努力するはずだと思う。そういう学校現場を東京全体でどのように支えていくのか。五輪をやろうとか、尖閣を買おうとか言いだした都政のもとで、教育だけでなく現場が追いつめられてきたということを考えて欲しいのである。
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日程をどうするか-都立高入選ミス問題⑥

2014年06月11日 23時57分44秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 さて東京の入選ミス問題。入選の複雑な問題点などは書いてきたので、その改善に関してどうするべきか、少し書いておきたい。現時点では、第一次募集の学力検査が、2月24日(火)と発表されているが、発表日は未定とされている。

 さて、自分の考えを先に書いておくと、「学力検査は22~25日の、水、木、金曜日のいずれかに行う」というのが一番いいのではないかと思う。発表日は、本来は一週間後が一番いいが、以後の日程が厳しくなるし、私立の二次募集などに影響するので、「学力検査の翌週の6日目」が良いのではないかと思う。

 ということで、来年の東京の学力検査日である24日は本当は変えた方がいい。理由は二つあり、一つは高校、中学の月曜日の授業確保である。もっとも中学の場合、この時点では私立高の入試や発表で、事実上中学3年の授業は平常には出来ない。高校でも、学年制の場合は、卒業を控えた3年(定時制では4年)の授業は終わり、卒業判定も終わっているはずである。だから、「高校1、2年生の授業確保」が一番の眼目となる。

 「学力低下論議」というのも「つくられた世論」ではないかと思うが、この10数年、授業確保の名目で生徒も教師も振り回されてきた。だけど、ただ授業時間だけ増やされても迷惑千万、「ハッピーマンデー」とやらの「学力低下政策」をそのままにしておいて、いたずらに他の曜日の授業をしてもムダ。学校行事などにも影響されるが、まあほとんどの学校では月曜日のクラスだけ極端に授業数が少ないのである。中高は教科担任制で、同学年の授業は一人の教師が全部担当している場合が多い。月曜日の授業が増えないと、学習内容が確保できない。だから、定期テストの試験範囲は「一番授業進度が遅いクラス」に合わせて決められる。できるだけ月曜日に行事等は入れない。そういう配慮をすべきなのである。

 入選前日は半日程度の授業をつぶして準備を行うことになる。だから「火曜日の学力検査」も望ましくはない。それに、カーペンターズじゃなくても「雨の日と月曜日は」気分が冴えないはずである。(今年は月曜から採点を開始したことがミス多発の一因かもしれない。)中学生の気分が一番冴えるのも、水曜、木曜あたりではないだろうか。受検する生徒のことを考えても、週の半ば頃に学力検査をもってきたいところである。(土曜日にやった年があるわけだが、生徒も教員も疲れているところに学力検査日を設けるべきではない。)ということで、都教委が「日で固定する」といった時に僕が質問したように、「曜日で固定する」という方が明らかに望ましいのではないか。

 日本の各地方では様々な高校入試のやり方があり、卒業式を先に行い、3月に新入生の選抜を行うところもある。だけど、東京では私立高校や私立中学が多く、近県私立高の入試、都内私立高の入試、都立高の学力検査と順番が決まっている。その間をぬって、都立の推薦、私立中の入試、都立中高一貫校の選抜などが組み込まれ、都立一次が終われば、私立の二次募集、都立の分割後期募集ともはや順番が変更できないほど、立て込んだ日程が組まれている。毎年、公私で生徒受入数の調整も行われ、私立も都立発表まで入学金納入を猶予するなど、様々な事情が入り組んでいる。だから、2月下旬に都立高校の一次募集を行うという大枠は変更が難しい

 ここで考えておくべき問題が幾つかある。一つは「推薦選抜のあり方」である。「都立高改革」により「学校の個性化」が進んだとして、推薦選抜制度が拡充されてきた。でも、学校によっては、推薦、分割前期、分割後期と3学期は入選漬けである。その度に準備がある。本番がある。採点があり、入力チェックがある。都教委は採点ミスの一因に「慣れ」とか「高校入試は受検生にとって1回しかない機会であるにもかかわらず、教員が、自分自身が行う採点業務が受検生の人生に影響するとの認識が希薄である」などと教員側に問題があるかに言っている。これがウソなのは明白である。「高校入試は受検生にとって3回もある」という仕組みを作っておいて、そういうことを言わないでほしい。

 現在の仕組みが現場にとってあまりにも負担が多いのは明白だろう。「推薦+一次募集」または「分割前期+分割後期」の2種類に統一すべきではないか。つまり、分割募集を行う高校は推薦選抜を行わなくていいのではないか。特に「普通科高校は推薦選抜はいらない」と思う。当初は商業科を除く職業科で実施され、やがて商業科に、そして普通科にも推薦選抜が広がって行った。しかし、コース制高校など特別な例外を除き、普通科はそれこそ一般的な教科を学習し、進路希望も大学進学が多いという学校である。「推薦」の意味はどこにある?入試を突破すればいいのではないか。例えば、都立高で最難関とされる日比谷でも、2割の生徒(63名)を推薦で合格させている。もし推薦制度がなかったら、難関私立を受験して、受かればそっちに行ってしまう生徒も多いだろう。早めに「日比谷高校に行きたい」という生徒を囲い込んでい置く必要も判らないではない。でも、本来は学力検査一本でもいいのではないだろうか。(ところで、スポーツ推薦などの面倒くさいシステムも、もう止めるほうがいいだろう。)

 もう一つ、今回の端緒を作った荻窪高校は「三部制定時制単位制高校」だった。学年制高校なら、進学校でなくても3学年の授業は2月上旬には終わり、一部の追加指導対象生徒は除いて、2月下旬には卒業判定も終わっているはずである。だから、卒業学年の授業を主に担当していた教員は、クラス担任などの仕事はあるとしても授業がない時期になる。(もっとも3年だけしか授業をしていない教員はほとんどいないと思うが。でも授業のほとんどが終わっている教員もかなりいるはずだ。)採点はそれらの教員が中心となり実施している学校が多いはずだ。ところで、単位制三部制の学校は、卒業学年だけの授業がほとんどない(と思う)。だから、採点担当者も授業を行わないといけない。それなら、三部制の単位制高校は、学力検査は行わないか、または3教科で行う。さらに言えば、「マークシート方式を試行する」といった対応を検討すべきではないだろうか。日程のことだけで長くなってしまったので、今回はこれで終わり、次回は「チェック体制」の問題を。ちょっと細かい話になり、多くの人には関心がない話になったかもしれない。
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何が問題なのか-都立高入選ミス問題⑤

2014年06月09日 23時08分12秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 東京の入学者選抜制度が、昔はもっと日程で余裕があったわけだが、次第に制度そのものが異様に複雑なものになったのに、かえって日程は縮められていったということを今までに説明した。そこで今回は、端的に言って「何が問題なのか」を書いておきたい。

 東京には188校の都立高校があるが、今回はほとんどすべての高校で採点ミスが起こった。2014年実施の試験では、175校中126校に、2013年実施の試験では、127校中107校にミスが発見されたと都教委は発表している。(学力検査を行わないエンカレッジスクールやチャレンジスクール、中高一貫化され高校入試を行わないが以前からの生徒が残っている高校など、初めから点検の対象にならない高校もある。)2年間をダブルチェックしてみると、(昨年分はすでに廃棄したため点検できない高校を除き)、2年間にわたりミスがなかったことが確認できる全日制高校は、以下のわずか11校に過ぎない。(両国、光丘、片倉、墨田川、大泉桜、農産、芝商、大島、新島、神津、三宅)。しかも、最後の4校は島しょ部の高校だから、受検人数が少ない。定時制課程では両年ともミスがない高校は15校になるが、これも受検人数が少ない。

 このように「多くの学校で採点ミスが起こった」ということは、「構造的な理由」があるということである。教育庁幹部は当初「なぜミスが起こったか判らない」などと言っていたが、判らないはずがない。「今までの東京の教育政策の行きついた末」なのだから。教員なら誰しも経験があることだが、「採点ミス」そのものは根絶はできない。経験を重ねると次第に問題を工夫したり、習熟度があがってミスの数が少なくなるが、それでも自分は絶対ミスがないと断言できる人はいないだろう。要するに「弘法も筆の誤り」「イチローでもエラー」である。(イチローのメジャーでの守備率は9割9分以上という驚くべき高率だから、イチローもエラーがないわけではないけど、まさに弘法大師級である。)

 そこで採点ミスをなくそうと思うならば、採点ミスはあることを前提に、チェック体制を整備して入念に点検するということにつきる。そのための時間的、人員的な態勢を整えるのが、都教委・管理職の務めということになる。ところが2012年は発表まで6日あったのに、昨年は5日、今年は4日とどんどん縮められた。「ミスを増やす政策」を行ったのである。これを工場にたとえて言えば、本社の指示で製造から出荷までの工程が突然2割もアップされたのである。その結果、検品に掛けられる時間が少なくなり不良品を大量に出荷してしまった。ほとんどすべての工場で不良品が発生したのだから、これは工場サイドの問題、工場長の管理能力の不足や工場労働者の資質の低下などではない。「現場を知らない、本社の無茶な指示」にこそ問題があり、そういう指示を出した「無能な本社役員」が責任を負うべきものなのである。

 では、現場の長である校長には責任はないのだろうか。僕はこの校長の責任というのは、事前にこの日程ではきついと上(指導部など)に意見を伝えたかどうかだと思う。そのような校長はいたのだろうか。多分いなかったのではないか。この間、校長・副校長の仕事は、上からの無理な要求を何とかこなしていくことになってしまった。いまさら入選日程が一日二日縮められたからと言って、文句を言うなどという発想はもうわかなかっただろうと思う。それに現場の声で日程が変わるということは全く考えられない以上、直言して目をつけられることの方が怖い。都教委に直言した結果、嘱託員として採用されなかった三鷹高校の土肥元校長のような例を間近に見てきているわけだから、都教委の方針に異議を唱えるなどという校長はいないのではないか

 都教委の高圧的体質はすでに15年以上も続いているのだから、現在の管理職の大部分は都教委のイデオロギーや体質を熟知し、受け入れていると考えなくてはならない。一部には、昔のような人格者や直言タイプがいないわけではないだろうが、都教委サイドは「校長は言うことを聞いて働く存在」としか思っていないだろう。そのような体質の中で異議を唱えても、それは「校長自身の考え」とは受け取られない。校長は自分の考えを唱える存在ではないのに異議を発している、それは「言わされているに違いない」と思われるだけだろう。つまり、現場の状況を心配して直言したとしても、「組合に言わされている」という風に都教委に見られるだろうということである。都教委が一度発表した以上、絶対に変らない日程(都教委とはそういうところである)に異議を唱えて、「組合シンパ」とイデオロギー攻撃されでもしたら、立つ瀬がない。そう思うと、誰も声を挙げなかっただろうと僕はそう思うのである。

 そのような意味で、今回の事態は「上意下達体質の東京の教育」の完成型であり、「これこそが都教委の目指してきたもの」なのである。東京の教育現場が「ブラック企業化」しているということは、今さら目新しい指摘ではなく、ほとんど常識というべきものだろう。今回の事例を見ても、やはり「思うがまま」の政策運営を行ってきた都教委が、まさにその完成によって、誰も声を挙げないようになってしまい、大きな問題を引き起こしたというということである。普通なら、こんなに短くしたらミスが起こるかも知れないと恐れを感じるものだし、「現場の不満」が大きくなり、現場の長である校長が大変困った状況になるだろうと心配するはずである。しかし、「現場の不満」は抑えつければいいんだという強圧的対応を続けてきたうちに、「現場を恐れる」という「上に立つもの」の一番大切な感覚を失ってしまったのである。他県なら、教育委員会幹部は最後は校長として終わると思っているだろうから、いずれ自分が困ることはしないだろう。

 僕が「構造的理由」と呼ぶのは、以上のような東京の教育政策の問題点が今回の事態を起こしたのが本質だからである。はっきり言ってしまえば、いずれ大きな問題が起こると思っていたという人がいっぱいいるだろう。僕もこれほどとは思わなかったけど、大きな驚きはそれほどない。やっぱり授業しながら一日で採点するなんて無理だろうなあと思う。1月に入ってすぐに推薦の準備が始まり、異常に複雑化した推薦選抜がある。終われば、一次試験だけど、これも複雑なうえ、中には分割後期というのもある。この間、3年生の授業を終わらせ卒業判定を行う。大学の一般入試もあれば、まだ就職が決まってない生徒もいる。入選が終われば、最後の定期テストで、進級判定が待っている。何でこんなに忙しいのか。卒業式・入学式の「国旗・国歌問題」に取り組めないように、わざと入選方法を忙しくしているのかも…。担任教員からすれば、時には卒業判定や進級判定がもめることもあるので、まだ入ってもいない新入生よりも、自分のクラスの生徒のことだけで頭がいっぱいの時期である。

 それにしても「現場の教員」にも責任が全くないというわけではないだろう。しかし、それは「採点ミスした責任」ではない。やはり「職場の労働環境」が問われているのは間違いない。かつての戦争において、最高責任は戦争の最高指導者にあるだろうが、民衆にも民衆なりの「民衆の戦争責任」があるというのと同じである。一つ一つのミスについては、何で起こったかは誰にも追求できない。誰にもわからない。しかし、これほど多くの職場で起こったということは、職場の環境に多くの問題があるということで、それは「現場から改革」して行ける部分を見つける必要がある。今後、あと数回で「ではどうすればいいのか」「改善策はあるのか」と、とりあえず変えること、中長期的に検討していくべきことなどをまとめて書いて行きたい。
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複雑すぎる東京の入選-都立高入選ミス問題④

2014年06月08日 00時40分08秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 4回目は東京都の入学者選抜の方法を簡単に紹介しておきたい。要するに、「テストと内申書(調査書)」でしょと言えば、東京だって基本はその通りなんだけど、推薦入試を含めて、あまりにも複雑な制度になっていて、建て増しを重ねた温泉旅館で風呂に行ったら部屋に帰りつけないような状態になってしまった。これは僕だけがそう思うのではなく、都教委自身が「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会」というものを立ち上げ、まさに今改善を図ろうとしている。その「報告書」にも、「各校の特色に応じた入学者選抜を実現することができたが、一方では、制度が複雑化し、受検者、保護者、中学校にとって分かりにくいとの指摘を受けることとなった」と明確に認識されているのである。

 東京都は人口が多く様々な地区を抱えているので、もともと多様な家庭が存在する。私立高校(高校以前に、私立幼稚園、小学校から「囲い込み」もある)が多く、難関大学合格やスポーツでの活躍などは私立高校が中心となっている。そのような中で都立高校の「改革」が進められ、多様な高校が誕生したことは、一定の評価もできるとは思うが、「個性化・特色化」をスローガンにした「新自由主義的改革」の下で、アメリカの教育社会学で言われる「ショッピングモール・ハイスクール」に近い感じになってしまった。(この言葉は、「いろいろと買いたい商品を並べたような授業を多くした高校で、生徒は「お客」として素通りして「居場所」がなくなったようなアメリカの高校を批判的する言葉である。)

 様々な多様な生徒に対応するとして、入選システムも多様化し過ぎて、「千手観音」みたいになってしまったのが、東京の入選ではないか。中学の教員も生徒に聞かれた時に細かいことはすぐに判らない。日比谷高校を受けるという生徒はともかく、商業や工業を希望する生徒から、志望校に面接や実技検査があるかどうか聞かれても即答できる中学教員はいないだろう。「チャレンジスクール」と「エンカレッジスクール」は何が違うのか。三部制の昼夜間定時制高校もあるし、従来からの夜間定時制もある。通信制もあるわけで、自分のクラスに不登校気味の生徒がいたとして、どの高校を勧めていいのか。私立高校の推薦を希望する生徒も多いわけで、あまりに多様化した都立高校は、中学担任が把握できるキャパシティを超えてしまっていると思う。

 東京の入選は3段階に分かれる。1月末に行われる「推薦に基づく選抜」、2月23日に行われていた「学力に基づく選抜」(分割前期)、3月上旬に行われる「分割後期」と二次募集である。その後、夜間定時制課程の二次募集が3月末に行われ、4月に入ってから通信制の募集がある。しかし、そこまで考えず、多くの全日制高校に関係する入選は以上の3つ。「分割後期」というのは、あらかじめ募集人数の中から一定割合を「後期」に回して行う選抜で、一次募集で人数が定数に達しなかった時に臨時に行う「二次募集」とは違う。全日制24校と定時制5校で「分割後期募集」が行われている。(「エンカレッジスクール」や「昼夜間定時制高校」はすべて実施。)推薦である程度募集してしまい、本番も前期後期に分けてしまうのだから、当然一次募集時の定員は少なくなる。一般入試で都立、私立を目指す生徒は全員受けるわけだから、当然「分割入試」をしなかったときに比べて、倍率が上昇する。この間、毎年のように、「都立人気の復活」と都教委の宣伝を真に受けたマスコミが報道したものだが、要するに募集人員の方を絞っただけのことが多い。

 まず「推薦」がすごい。調査書点は「観点別評価」で換算する。その具体的なやり方は、「都立高等学校の入試の仕組み」という生徒向け資料の下の方に説明がある。(もっと細かい説明を見ても判りにくい。)推薦そのものは、面接と小論文・作文・実技検査などで行い、普通科は20%、専門学科は30%、総合学科は30%の合格を上限としている。それより、「文化・スポーツ等特別推薦」という私立みたいなのがあり、「全日制87校 延べ296種目」で実施している。細かく知りたい人は、「文化・スポーツ等特別推薦実施校の選抜方法等一覧」を参照。最近の入試を知らない人は、都立でこんなことをしているのにビックリするだろう。ボート、ヨット、なぎなた、相撲、弓道、馬術、フェンシング、チアリーディング、和太鼓などという募集もあるので驚く。一体誰が指導するんだろう。その担当教師は異動の特例にでもなるのか。そんな話は聞いてないが。でも野球、サッカー、バレーボールなどと違い、誰か指導できるだろう教師がいる競技ではないだろう。

 さて、いよいよ「学力による選抜」である。細かい事実を知りたい人は、「平成26年度東京都立高等学校入学者選抜実施要綱・同細目について」の中をさらにクリックして行けば各校のやり方が判る。大まかなことを言えば、まず先に見たように「定員を前後期に分割できる」。問題文は5教科分作られるが、国数英のみ実施して午後は面接や実技検査にも代えられる。3教科の問題は、特別に作成する学校もある。以前は完全に自校作成だったが、苦労が多すぎたからだろうが、グループ作成になり、3グループある。「進学指導重点校」が7校、「進学重視型単位制高校」が3校、「併設型高校(中高一貫)」が5校、それぞれグループでもっと難しい問題を作るわけである。(中高一貫10校のうち、残りの5校は中学段階ですべての生徒を取るが、残りの5校は高校段階で2クラス分の生徒を募集する。)また、国際高校は英語の問題だけ自校で作成する。

 それから「特別選考」というのがあって、全日制20校では、8割か9割は「総合成績」で取るが、残りの生徒はあらかじめ決めた特別の方法で決める。総合成績とは「学力+調査書点」のことだが、要するにボーダーの生徒は学力優先で決めるという学校が多い。日比谷高校は1割の生徒を「国語、数学、英語、社会、理科の5教科のうち、国語、数学、英語の得点を2倍したときの5教科の合計点」で決めるという。ところが日比谷と並ぶ東大合格者数を誇る西高では、単なる5教科の総得点で1割を取るという。戸山や両国では、国数英を1・5倍するという。かと思うと足立新田高校は、2割の生徒を「A…9教科の調査書点、B…国語、数学、英語の3教科の合計点、C…面接の結果」としたときの「A:B:C=3:3:4」で決めると言うから、もうよく理解できない。まあ、そういうプログラムを作っておいて点数を入力してソートするだけだが、一体どういう理由があるのか、僕にはよく判らない。こういうのが20校。

 そのうえ、「男女別定員制の緩和」という制度まであり、男女別に総合成績で取ったあとで、「募集人員の1割に相当する人員を、男女合同の総合成績の順により合格候補者として決定する」。中学段階では発達段階的に女子の成績が良い場合が多いので、男女別に定数まで取ると、女子の不合格者が男子合格者の下の方を大きく上回ることが多いからである。全日制36校で実施されている。

 もうだんだんどうでもよくなってきたかと思うが、さらに「調査書点」をどう扱うか、3科目でテストをして社理の代わりに面接等を実施するかなどを各校で選択できた。2013年の入選においては、
 「5教科」のテスト実施校では、学力検査:調査書点の比率をもとにして、
   「7:3でテストのみ」が77校
   「6:4でテストのみ」が48校
   「6:4で、個人面接もあり」が2校
   「5:5でテストのみ」が18校
   「5:5で、集団面接もあり」が5校
 「3教科」のテスト実施校では
   「7:3で、個人面接」が1校
   「7:3で、集団面接」が1校
   「7:3で、小論文」が1校
   「7:3で、実技検査」が1校
   「6:4で、手段面接」が8校
   「6:4で、実技検査」が2校
   「6:4で、個人面接と実技検査」が2校
   「6:4で、集団面接、実技検査」が1校
   「6:4で、作文」が1校
   「5:5で、集団面接」が14校
   「5:5で、個人面接」が3校

 という感じになる。もっと言えば、普通は調査書点では試験をしない実技教科(体育、音楽、美術、技術家庭)は1・3倍するのだが、これを1.2倍にする高校もある。コース別高校では、例えば深川高校外国語コースでは、調査書の英語を2倍し、当日のテストの得点も英語を2倍する。そう言うコース制が6校。実技検査の中身も各校で違うし、面接のやり方も違う。「小論文」と「作文」も実は違うわけだが、どう違うのか。といった問題はもう見ないことにする。それに加えて、当日に学力検査をしない「エンカレッジスクール」というのが数校あり、学力検査がないだけでなく、調査書の提出もいらない「チャレンジスクール」というのもある。何が違うかを知りたい人はもう自分で調べて下さいと言う感じで、ここまで読んだ人なら大体知っているのかもしれない。エンカレッジとチャレンジの意味が分かる中学生なら、学力検査をしてもいい気がするが。夜間定時制の入選でも様々な違いがあり、多分全部わかっている人は都教委の担当者でも少ないのではないだろうか。もちろん、高校の教員も自分の学校は知ってるかもしれないが、関係ない学校のやり方は判らない。場合によっては自分の学校でさえ判ってないかもしれない。

 このように、単に5教科のテストをして採点して結果をパソコンに入れればいいというものではないのである。多くの学校では、面接、作文、実技検査などがあり、それらの採点、入力のミスがないかの点検も当然複数回行う。ある科目だけ2倍したり、1割の生徒だけ違うやり方で決めたりするので、ボーダーの生徒に採点ミスがあると大きく変わる可能性がある。さすがに学力検査と調査書は「(第一次募集・分割前期募集)7:3  (分割後期募集・第二次募集)6:4」に固定されるらしい。教科数も1次は5教科、2字は3教科と決めるという。そこまで決めるとすると、では今までの「自由化政策」は何だったのかと思う。でもそれは再来年からの話で、当面来年の入選は、この複雑怪奇な昔の九龍城みたいなものを理解しないといけないのである。
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昔はもっと余裕があった-都立高入選ミス問題③

2014年06月07日 00時00分41秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 3回目は、以前の入選日程を振り返るとともに、入選業務とはどういうものかを解説しておきたい。さて、一回目の記事で、ここしばらく学力検査日は23日に固定されていたと書いた。実は、2005年に2月23日(水)に学力検査を行って以来、2005年から2013年までずっと9年間連続で23日に行われていたのである。その最初の年である2005年に、今後23日に固定すると決定された。(どのレベルで決定されたのかは知らないが。)

 その間の実施曜日を見ておくと、順番に、水、木、金、土、月、火、水、木、土、となる。1年は365日だから、毎年ひとつずつ曜日がずれていくが、うるう年が2008年と2012年にあったから、二つ曜日が飛ぶ年が2回あったのである。この間、土曜日が2回あったが、日曜はない。でも、それは日曜はやらないという方針ではなく、単にうるう年の関係で今まで23日が日曜に当たらなかっただけのことである。土曜にやっているわけだから、本来は学校の休業日、本庁の閉庁日に当たってもやるのである。だから、この方針を順守するなら、今年は23日(日)となるはずなのである。

 ところで、検査日が23日だった2005年は、発表日はいつだったのだろうか。それは、3月1日(火)だった(6日後)のである。その後の発表日の推移は以下の通りである。1(水)、1(水)、28(木)、27(金)、1(月)、1(火)、29(水)、28(木)、28(金)、となる。この発表日には、法則性はあるだろうか。それは、発表日の方は土日が一度もないということである。つまり、都教委の方針は、検査は23日に固定する(そのため土曜が2回あった)が、発表日は固定しないというものだったのである。「入選業務には何日が必要か」という観点で考えるならば、本来なら検査日を固定するなら発表日も固定しないとおかしい

 発表日の場合、土日を避けるという方針そのものは正しい。なぜなら、検査の実施だけなら、高校教員と中学生が来れるなら何曜日でもいい。しかし、発表日は業者にも来てもらう必要がある。(合格者は入学確約書を提出後、制服や体操着の注文や採寸という作業がある。)また、不合格者は直ちに中学担任と相談し、都立の二次募集(分割後期)や私立の二次募集への対応を決めないといけない。そういう事情を考えると、発表は土日を避けるというのは当然ではないかと思う。しかし、そのためにあまりにも発表までの日数が短くなってしまったら、本末転倒である。

 今年は「検査から4日目に発表」だったわけだが、今回のミスを受けてNHKが調査したところ、これは全国で3番目に短いという話である。(いつか忘れたが、夕方の首都圏ニュース。)さらに、東京より短い大分県などは、その間に授業は行っていないという話だった。つまり「東京が全国で一番厳しい採点環境にある」という指摘をしていた。他府県の日数までは知らなかったので、やはりそうなんだという感じで受け取ったけど、この「厳しい学校事情」は過去を振り返ることにより、歴史的に形成されたものだということが判ってくる。

 先に見たように、「23日に固定」方針でも、当初は検査日から6日目の発表だった。(2005年から2007年まで。)ところが突然、2008年になって、5日目の木曜となる。2009年に至っては、月に実施で、4日目の金に発表である。(今年と同じ。)これは、「検査は23日で、発表は土日を避ける」のが都教委の方針と考えるならば了解できる日程である。(前年の2008年に何故短くなったのかは、よく判らない。2008年はうるう年で1日多いんだし、翌29日の金曜にすべきだったのではないか。)その後、再び2010年から2012年まで、6日目の発表となる。やはり2008、2009は短すぎたと思ったのかもしれない。その後、2013年に再び5日後となり、今年は4日である。「過去に実施した前例がある」と都教委は考えたのだろう。だけど、今から検証することはできないのだが、2008年や2009年にも採点ミスが多発していた可能性は高いのではないだろうか

 さらにさかのぼり、「23日固定」以前は一体何日に学力検査を実施していたのだろうか。2004年は24日(火)で、発表は3月1日(月)。2003年は、20日(木)で、発表は26日(水)。いずれも6日目発表である。以下、過去30年間を調べてみれば、検査日は20日から25日の間に実施されていることが判る。発表日は25日から3月3日となっている。この間、入試制度が変わり、94年から総ての高校で自校単独選抜になった。それ以前はグループ選抜(全日制普通科の場合)だったので、より面倒な作業があったと思うが、日程には大きな関係は感じられない。1998年だけ、何故か20日(金)実施で25日(水)発表だったが、それ以外は大体6日目の発表が多い。

 その間の実施日の法則性を見てみると、土日だけでなく月曜日の学力検査もなかったということである。1984年から2004年までの21年間で、火曜=6回、水曜=5回、木曜=6回、金曜=4回である。この期間の最初の頃は隔週土曜日が授業だった時代だが、月曜実施だと土か金に準備をしなければならない。間が空くこともあるし、月曜が一番授業日数が少ないことへの配慮もあったのかもしれない。そして、その21年間の14回は、6日目の発表である。つまり、火曜実施なら翌週月曜、水曜実施なら翌週火曜という具合である。さらに、残り7回のうち5回は、翌週の同じ曜日に発表があった。(ただし、それはいずれもグループ選抜時代。)2回だけ発表が早い年もあったが、大きな方向性としては、「火曜から金曜に学力検査を実施し、翌週の6日目の日に発表する」というのが多くの年の日程だったと言っていい。昔はもっと余裕があったのである!

 そのことを確認しておいて、入選業務の説明を簡単にしておきたい。各校では校長を長とする「入選委員会」が組織され、組織的に事前準備、当日の試験監督、面接や実技検査(実施する学校のみ)、採点、素点の入力と進められていく。問題は最後の「素点の入力」である。「素点」(そてん)は学校用語だと思うが、生徒などの答案を採点した時の「ただの点数」のことである。それも意味はあるのだが(生徒からすれば、試験で100点を取ることが当面の目標だろう)、教師に取ってみれば素点は「成績評価」の一つの材料である。入選で言えば、学力検査だけで合否判断するわけではない。調査書点などと合計して、初めて合否判断の順番が決定される。東京都の場合、試験対調査書の割合を今まで各校で選ぶことができた。例えば「7対3」と決めていれば、5教科すべてで100点を取った時に、それを700点と換算するのである。(学力検査と調査書の総合得点は1000点満点とすることになっている。)

 「換算する」と今書いたけれど、もちろん業務としては「パソコン入力」である。事前にエクセル関数の式が作られていて、それは都教委から配布される。(僕が夜間定時制の教務だった時代は、フロッピーディスクが送られてきた。今は都庁用ネットワークの電子メールでやり取りするのだろう。)ところで、この「数字の打ち込み」というのは間違いやすい。そのため、詳細なマニュアルが規定されていて、準備段階で試験入力してみて報告したり、何段階かの細かい決まりがある。特に「調査書点の打ち込みミスがないか」の確認が非常に大変である。また、当日の欠席者がいるので(国立私立の難関校に合格して都立を受けない生徒が多いので、進学重点校ほど欠席が多い)、その扱いに間違いがないように気を使う。はっきり言ってしまえば、一問ぐらい採点ミスがあるより、欠席者を飛ばすのを忘れて間違った素点を入力したり、中学の調査書を間違って入力したりしたときのミスの方が段違いに致命的である。全く違う人と間違って合否が判断されてしまうのだから。学校レベルでは、そのような入力ミスによる致命的誤りを防ぐための入力チェックに多くの時間を取られるのである。そのためのマニュアルは整備されているし、今のところそういう誤りはないらしい。でも打ち込みミス以前の素点にミスがあったというわけである。

 今回のように「検査から発表まで間に3日」というのはどういう意味だろうか。今年は月曜検査、金曜発表だった。金曜に発表するためには、できれば木曜の昼に、どんな遅くとも木曜夕方には、全職員参加の「合否判定会議」を開く必要がある。そのため水曜日中には「入選委員会」を開き、合否判定の原案を決定しないと間に合わない。そうすると水曜日午前には「入力終了」にならないと、入力チェックの時間が取れない。逆算すれば、どんなに遅くても火曜日の夕方には採点を終了しなければ間に合わない。複数でやるのだから、採点そのものは終わるだろう。だが、「1次点検」「2次点検」「3次点検」(3検まではすることになっている)に掛ける時間はどうだろうか。2検、3検は「いい加減」とは言わないまでも、「すでに二人が見ているわけだから」と気持ち的にミスはないと思って見てしまいがちになる。忙しい中でやると、この点検作業に影響があるだろう。もちろんそこに時間をかければ、今度は入力チェックの時間が少なくなるから、もっと大変なミスにつながりかねない。全体的に発表までの時間にゆとりを持たせるほかに、手立てはないのだと思う。(次回以後には、東京都の不思議過ぎる入選制度や、どうしてこのような日程がまかり通ってきたのかなどの検討を行いたい。)
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何が起こったのか-都立高入選ミス問題②

2014年06月05日 23時02分36秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 都立高校で起こった採点ミス問題は、東京の新聞ではかなり大きく報道されているし、NHKの首都圏ニュースなどでも折に触れ報じられている。しかし、東京以外では多分それほど出てないだろうし、全く報道されていないかもしれない。ニュースも見出しだけで細かくは読まないことも多いし、時間が少し経つと細かい事実は忘れてしまう。都教委のホームページには出ているわけだが、年数が経つと探すのも一苦労になってくる。ということで、まずは発表されている事実を報告しておきたい。

 都教委から最初にこの問題が発表されたのは、4月18日(金)である。都教委HPに「平成26年度東京都立高等学校入学者選抜(学力検査に基づく選抜)における採点の誤りについて」という文書が公表されている。初めに発覚したのは、都立荻窪高校。(同校は23区西部の杉並区にある「三部制昼夜間定時制高校」と都教委が呼ぶ高校である。朝昼夜の三部に分かれているが、他部の授業も履修できるため3年でも卒業できる。)都教委ホームページによれば、「都立荻窪高等学校において新入生の学力を把握するために、既に終了した学力検査の答案を確認したところ、8名の答案に採点の誤りがあったことが判明した。」

 これが正しいとすると、荻窪高校が行おうと考えた「新入生学力把握」が思わぬ大問題につながったということになる。それを受けて、4月10日付で都教委は全答案の点検を指示した。その結果、「学力検査を実施した全ての都立高等学校で再度答案を点検している過程において、複数の学校で採点の誤りがあったことが判明した。」という。4月15日段階で、「48校、139件」の誤りが発見され、4校で4名の追加合格者があったとされた。この段階では誤りがあった校名は発表されなかった。また誤りの内容に関しては最後に紹介する。

 その校名は4月24日付で発表された。「平成26年度東京都立高等学校入学者選抜(学力検査に基づく選抜)における採点上の誤りがあった学校名及び追加合格者がある学校名について」である。どうして発表しないのか、一体どこの学校かといった声があったのではないかと思う。ここではこの段階での校名は省略する。その後、各校と都教委による点検・調査が、今年度分だけでなく、昨年度分の答案に対しても行われた。その結果がまとまったのは6月3日である。なお、翌年度の入学者選抜の日程は、例年5月下旬に公表されていて、今年は5月22日に公表された。そこでは、非常に珍しいことに、検査実施日は2月24日(火)だが、発表日は未定とされている。そのため分割後期及び第二次募集の日程はすべて未定である。今回の事態を受け、発表までの日数が短いという指摘が相次ぎ、決められないのである。(「平成27年度東京都立高等学校入学者選抜の日程について」)

 さて、その調査結果のまとめ、6月3日の「都立高等学校入学者選抜学力検査の採点の誤りに係る答案の点検結果(第一次調査)と今後の方針について」は予想以上に多くの誤りが見つかったことで大きく報道された。(同日の読売新聞夕刊は、一面トップで報じている。)
 その結果を見ると、まず各校の再点検で、今年度実施分で126校、728件の誤りが見つかり、追加合格者が5校5人と増えた。それだけでなく、昨年度分の誤りも見つかり、追加合格が4校4人見つかった。ところが、その後の都教委の点検により、さらに誤りが見つかり、追加合格者も今年が3校3人、昨年が2校2人と増えたのである。

 今までに見つかった誤りの合計数をまとめてみておきたい。学校数は今年が146校 昨年が109校である。昨年の方が少ない理由は後で。 誤りの件数今年が1,139件昨年が1,072件である。その結果、追加合格者は、今年が10校12人、昨年が6校6人だった。追加合格者があった学校は、昨年が大崎、鷺宮、町田、小平、狛江、第三商業のいずれも全日制。今年が向丘、青山(2人)、文京、北園(2人)、府中、野津田、山崎、小平西、小平南の全日制、新宿山吹の通信制の各校である。誤りがあった学校名は省略する。非常に数が多いこともあるが、昨年と今年を見れば、ほぼすべてと言っていいほどの学校で誤りが見つかっている。しかし、別に学校方針で間違ったわけではないし、昨年と今年の採点担当は異動もあるから同じ人ではない場合もあるだろう。そういう問題もあるけど、実は昨年の答案点検が実施できなかった学校がたくさんあるのである。

 何と50校以上の高校で、昨年の答案がすでに廃棄されていた。いくつかの学校では、学校点検後に廃棄されていて、都教委による点検が出来なかった。これだけ聞くと、なんといい加減な処置をしているのかと思うかもしれないが、実は都教委の決めた保管期限は1年なのだそうである。つまり、逆に言えば、保管期限を超えて答案を廃棄していなかった学校の方が圧倒的に多く、120校以上が年度末に行うべき廃棄処理を行っていなかったと言えるのである。この年限はいつ決められたのか知らないが、自分の知る限り、1年で受検資料を廃棄した学校は記憶にない。「何が起こるか判らない」以上、このような事態を予想はしないまでも、「卒業までは保管しようか」と普通は思うのではないか。全日制は3年、定時制は4年、正規の在籍年限の間は保管するというのが正しいはずである。(休学、留学、原級留置などもあるだろうが、一応それは考えなくていいだろう。)この保管期限を決めた人は誰だろう。それは重大な追求課題ではないかと思う。一方、何も都教委の基準に盲従せず、現場で保管し続けるという判断は何故できなかったのか。「廃棄すべき書類を廃棄したかどうかの監査」などは聞いたことがない。そんなものはないだろう。

 ところで八王子北高校で、都教委点検により「169件の誤り」が見つかった。学校点検による1件とあわせて、170件である。この事例などは僕には理解不能である。学校で1件は見つかったのに、なぜ169件も見過ごしたのだろうか。新聞報道によれば、採点ミスというより、配点ミスだったらしい。105点満点になるような配点をしてしまっていたという話が書いてある。本当だろうか。その他、何十件ものミスが見つかった学校が幾つかある。今回の都教委点検は、それまでの学校点検で誤りがあった学校しか行っていない。この結果を受け、すべての答案を8月まで掛けて都教委自身で再点検するというので、さらにミスが見つかる可能性もある。

 誤りの内容に関しては、6月の報告では示されていない。4月段階の数字がおおよその傾向を示すものかとも思うので、紹介しておきたい。教科別に出ているが、まとめの数字だけを示す。
 「誤答を正答として採点した」が48件。
 「正答を誤答として採点した」が39件。
 「部分点を与えなかった」が5件。
 「誤って部分点を与えた」が9件。
 「部分点の基準等が統一されていなかった」が5件。
 「合計点の算出に誤りがあった」が33件。
 正答、誤答の基本的間違いが多いが、合計点で間違うのが多いというのは、定期テストなどで自分にも思い当たるという教師が多いのではないだろうか。

 一方、都教委点検に対する疑問もないわけではない。例えば定時制課程の答案も点検しているが、夜間定時制で倍率が2倍以上になって、誰かを不合格にした高校はないのではないか。だから採点ミスがあっていいわけではないが、都教委による点検まで必要なのだろうか。また、当然のことながら都教委点検にあたっては「統一的基準」に則って点検しているのだと思うが、模範解答で基準が明示されているならともかく、各校に採点基準がゆだねられている部分もあるので、それを無視して「採点ミス」と決めつけるのはどうなのかというケースもあると思う。

 それはともかく、こうして都教委による発表が行われ、「都立高校入試 調査・改善委員会」も立ちあがった。メンバーはHPに出ているが、よくある委員会と同じく、教育庁幹部と高校、中学の校長有力者、中学のPTA代表と外部委員5名(弁護士や大学教授など)で、現場の声を反映した改善策が作られるということはないと思われる。都教委の発表をもとにこの問題の経緯を簡単に紹介した。
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都立高入選ミス問題①

2014年06月04日 23時57分42秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 都立高校の入学者選抜において、学力検査の採点に多くの誤りがあり、当初の不合格が取り消されたという事例が相次いで大きな問題となっている。この問題については、こういうことが起こるのではないかと実は心配していた。そういう人も多いのではないかと思う。なぜなら、昨年に比べて入学者選抜から発表までの日程が一日少なくされていたからである。そのことは都教委のサイトでの「誤りの発生原因例」にも「学力検査から発表までの期間が3日間であるため、非常にタイトな日程での業務になる。」として3番目に挙げられている。(この「タイトな日程での業務になる」などという表現も、いかにも「都教委的」である。要するに「短すぎるから、何とかして欲しい」という現場の声を、このように書くわけである。)

 まあ、このブログに書いて全国に発信すると「予言成就」してしまうので、ここには書かなかったが、Facebookには入選当日におかしいのではないかと書き込んでおいた。「短い」ことも確かに問題なのだが、それ以上に問題なのは、「学力検査の日程を動かした事情」の方にある。次回以後に詳しく書くが、ここ10年近く都教委は「入選日程を2月23日に固定する」という方針を取っていた。これもどうかと思いますよねえ。だって、時には土曜や日曜に当たってしまうわけだけど、そういう年でも土日にやるのだろうかと誰でもすぐ思う。もちろん、教師は振替休日を取れるから、休日にやること自体はできる。文化祭などは普通土日にやっている。でも外部の人を呼ばないといけない文化祭などと違い、休日に検査をやると、電車のダイヤが違うとか、終わった後で中学の先生に報告や相談に行けないなどの問題もある。それより僕が思ったのは、「この日は皇太子の誕生日なんだから、いずれの日にか変えることになるんだろうけど、永遠に固定するようなことを言っていていいのかな」と思ったのである。(それは誤解されると困るので発言しなかったけど。)

 この方針が明らかになった年、僕はたまたま定時制課程の高校で教務主任をしていて、入学者選抜説明会に出席していた。だから「日で固定するのではなく、曜日で固定する方がいいのではないか」と質問したのだが、何と答えたかは忘れてしまった。どうせ都教委が現場の声を聞くわけはないので、僕も「一応言ってみた」というだけである。将来こういう場で、「あの時僕は言っておきましたけど」と書けるように。だから、昨年(2013年)2月に行われた選抜は、2月23日(土)に実施、28日(木)に発表となっていた。数年ずっと同じ。5日後に発表で、間は4日間だが日曜が入る。ところが、今年の入選では、なんと24日(月)に実施、28日(金)に発表と一日縮められていたのである。4日後に発表で、日曜を抜けば実質同じではないかとも言えるのだが、それは違うだろう。事実上日曜に出てきて採点や事務作業をすることもあっただろう。また学力検査が終わり次第、つまり1時間目の国語が終われば国語科は採点に入るが、文章問題や漢字の書き取りなど採点が一番大変なのが国語科である。明日は日曜で休みだと思えば、採点も今日頑張ろうと気合が入るだろう。

 今までの方針を貫徹するのなら、今年は23日(日)に実施、24日(月)は振替休日(授業なしで在校生も休み)、28日に発表となるべきだった。これだって「タイト」である。それはそうなんだけど、それがさらに短くされた。その理由がどの新聞にも出ていない。それは「東京マラソンと重なる」ためである。東京都においては、都立高校の入学者選抜よりも、(この方針ができた後に始まった)東京マラソンの方が大事なのである。では、発表を一日延ばせばいいではないか。しかし、そういうことはしない。乾いた雑巾をさらに絞るように、ひたすら現場に無理難題を押し付けるのである。わざと間違えた人は誰もいないだろうけど、この日程変更には皆納得していなかったに違いない。本当はその段階でマスコミが問題にすべきだったのである。(この日程が発表された2013年5月は猪瀬都知事時代で、東京都の最大の関心事は五輪招致にあり、東京マラソンが優先するというのは、ほとんど自明のことだったのであろう。)

 さて、そういう次第で、今年は問題が起こるのではないかと心配していたのだが、案の定大きな問題が起こってしまった。しかし、このようにどんどん広がるとはさすがに予想せず、時間が経つ中でこの問題は書かないことにしようかと実は思い始めていた。今日はその事情を簡単に書いて、次回以後に、まず「どんなことが起こったのか」を書き、続いて「これまでの入選のあり方を歴史的に振り返る」ということをしたい。その後、では東京の教育にはどういう問題があるのか、どうしたらいいのかを当面の対策と中長期的な対策に分けて書いておきたい。

 最近「東京の教育」に関して書いてなかったのだが、関心がないわけではないのだが、書いても意味がないというか、無力感に襲われるのである。でも毎日のアクセス記録を見ると、自己申告書などを取り上げた記事は今でも読まれている。だから問題意識を持っている人もいるのだろうと思う。今回遅くなったけれど書こうかと思ったのは、またまた「現場教員が悪い」みたいな情報操作を感じるのである。例えば「入試は、毎年行われていることから、学校や教員に「例年どおり」という慣れがある。」というのが、誤りの原因の最初に書いてあるのである。次が「高校入試は受検生にとって1回しかない機会であるにもかかわらず、教員が、自分自身が行う採点業務が受検生の人生に影響するとの認識が希薄である。」

 それはこの日程を決めた人に対してこそ言いたい言葉である。都教委はどうして東京マラソンを優先したのか。「高校入試は受検生にとって1回しかない機会」だと思っていたのなら、そして学力検査は23日に実施するという方針を取っているのなら、例年通り23日に実施するはずである。まず誰に責任があるかと言えば、この日程を決めた人ではないのか。この問題は、今まで体力の限界まで働き続けてきて、ついに過労で倒れたような状況と言っていい。「発熱」しているのは、身体が発している信号なのである。ここで教育政策を見直せと言う信号なのである。それが判らないようではどうしようもない。まあ判らないと思うけど、書き残しておきたいと思うのである。

 さて最後に、この問題を書かないでおこうかと思った理由を3つ挙げておきたい。最大の理由は、過去の入選日程がなかなか調べられなかったことである。ホームページでは調べきれない。情報開示請求するまでもなく、新聞の縮刷版を見れば判ると思った。各紙の縮刷版は東京版に拠っているので、東京のニュースは追えるはずである。翌日には「試験問題」と解説が載るし、発表日には「15の春にサクラ咲く」などという写真入り記事が載る。だけど、この縮刷版がなかなかないのである。結局国会図書館に行くしかなかった。しかも、必ずしも「季節ニュース」としての発表ネタは毎年あるとは言えなかった。重大事件が起きると飛ばされるのである。だから過去30年近くを調べるためには、朝日、毎日、読売をすべて見る必要があった。開架式ですぐ見られるのは、やはり国会図書館しかなさそうである。

 もう一つの理由は、自分が実は採点業務の経験が乏しいことである。最初は中学の教員だから、一緒に心配して見守る立場。何人かの生徒は必ず学校に来て、報告したり正解を聞くのである。高校に異動して採点を担当したが、21世紀以後はもちろん「入学者選抜」はあるものの、夜間定時制の独自入試や三部制高校の「面接・作文」だったりした。10年以上採点していなかったので、その後変ったことなどあるかもしれず、もっと適任な人もいるだろうと思ったのである。

 最後の理由は、「間違いは人間のやることだから絶対にゼロにはできない」ということである。だから「間違った場合は、あまりにも取り返しがつかない」ことは、最初からやらない、廃止するという方策を取るのが賢いのである。死刑制度とか原子力発電所とか。だけど、「入学者選抜」をなくすことはできない。「できるだけ大きな過ちにならないように方策をつくす」しかないのである。それは本来、担当する人間に任せておけばいいレベルの問題のはずである。でも、どうもその議論の方向がおかしい。またまた、この問題を利用して、さらに現場破壊に利用しそうである。そういう危険性を感じたわけである。だからやはり書いておこうと思った次第。数回連続になる予定。
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「学校群制度」を、今どう考えるか

2014年01月27日 00時24分58秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 中高一貫校問題の新書を読むと、東京都の高校入試制度だった「学校群制度」についての話がよく出てくる。そこで最後に、この制度に付いて、今どう考えるかを書いておきたい。自分が高校を受けるときは、ちょうどこの制度だった。もうこの制度を直接知る人も少なくなっているが、今の制度に慣れてしまうと、ちょっと信じがたい部分もある。今は大体「都立高凋落の原因」と非難されることが多い。

 都教委は、2014年1月23日に、「東京都立高等学校入学者選抜検討委員会報告書」なるものを発表した。入学者選抜のあり方を多少見直すということである。(細かくなるので、今は紹介しない。)その報告書に東京都の高校入試制度の変遷が書かれている。(16頁~)大きく言うと、以下の5つの時期に分かれるのである。
新制高等学校発足から学区合同選抜制度まで(1947~1951)
学区合同選抜制度(1952~1966)
学校群制度(1967~1981)
グループ選抜制度(1982~1993)
単独選抜制度(1994~) なお、2003年度からは「学区制度」も撤廃されている。

 各制度の詳細を知りたい人は前記報告書などを見て欲しい。こうして見ると、学校群制度以前も、単独選抜ではなかったことが判る。②の「学区合同選抜」と④の「グループ選抜」は、かなり似ている。「単独選抜」になったのは、1994年からだから鈴木俊一知事時代。「単独選抜」が「石原教育行政」の「競争政策」で始まったわけではない。「学区撤廃」は賛否があるが、都内でも特に23区内は地下鉄等の公共交通機関が多く、昔に比べて通学範囲は大きく変わっている。そういう事情を考えると、ある種の合理性はあると思われる。学区撤廃後の大きな混乱は起こっていないと思う。なお、島しょ部の普通科高校だけは、自由に受けることができない。大島海洋国際高校は都民なら誰でも受けられる。また、職業科高校はずっと学区と関係なしにどこでも受けられる。60年代後半以後にたくさん作られた新設普通科高校も、学校群と無関係に単独で受けられた。

 さて、岩波新書「中学受験」では、以前の都立高校がうまく行っていたと奥武則(法政大学教授)という人の主張を引用し、「この都立高校のシステムを崩壊させたのが、当時の東京都教育委員長だった小尾乕雄(1907~2003年没)だった。」(38頁)と書かれている。小尾乕雄(おび・とらお)は後に文教大学を開設する著名な人物だが、「教育委員長」ではない。もちろん「教育長」である。(岩波新書は「教育委員会」という本も出したばかりなのに、こういう間違いがあるのは驚く。教育委員長が教育行政を主導できるように間違うこと自体、教育行政に不案内なのか。)

 河合敦氏の新書では、「世にも奇妙な学校群制度」と題した章があり、「前代未聞の愚策」とされている。さらに「まさに人権の無視だといえる」とまで書かれている。では学校群とはどういう制度か。河合氏の説明を引用すると、「ナンバースクールを含めた複数の周辺校を群(グループ)としてくくり、中学生にはその群を受験させることにしたのである。そして合格者はアトランダムに群内の学校に振り分けられる。つまり、自分が入りたい学校を受験生が個人の意思で選べないのだ。」(15頁)

 ナンバースクールというのは、旧制の東京府立中学および東京府立高等女学校から続く都立高校のことで、特に明治、大正時代に作られたひとケタ台の学校は、長い伝統を誇る「名門校」とされている。簡単に紹介すれば、府立一中が日比谷、以下順番に立川、両国、戸山、小石川、新宿、墨田川、小山台となる。昭和に入って設立された九中が北園、十中が西(以下は省略)。一方、府立高女では、第一が白鷗、以下竹早、駒場、南多摩、富士、三田、小松川、八潮の第八高女までが大正までの設置である。こうして見ると、現在の進学重点校、都立中高一貫校にはナンバースクールが多いことが判る。東京以外の人には、煩雑な説明だったかもしれない。

 中でも日比谷高校1964年の東大合格者数で193名と圧倒的にトップを誇っていた。(岩波新書「中学受験」)2位が西高で156名、続いて戸山101名、新宿96名、次に教育大附属(国立)をはさみ、6位に小石川80名、私立麻布をはさみ、9位に両国64名と、10位以内に都立高校6校が入っていた。それが1977年のランキングでは、10位に西高が52名、13位に青山が41名、15位に富士が40名、17位に戸山が35名と、20位以内まで見ても4校になった。まあ、激減には違いない。それでも西、戸山などは健闘しているが、日比谷はランク外になってしまった。これが「都立高凋落」と言われるものの実態である。
(都立日比谷高校)
 以上のうち、戸山と青山は22群、西と富士は32群と、同じ学校群に所属していた。このように高い進学実績を誇る高校が2校組んだ場合は、それほど「東大合格者数」が落ちなかったのである。日比谷高校は「11群」となり「日比谷、三田、九段」と一緒だった。三つもの高校が同じ学校群になれば、当然(それまでと同じ学力レベルの中学生が受験したとしても)合格レベルが下がることになる。日比谷高校のある第一学区は千代田、港、品川、大田区だから、比較的豊かな階層が多い地域である。そこで、かなりの生徒が都立11群は滑り止めにして、私立高校に進学するという選択をした可能性が高い。その結果、東大合格者数で見る限り、日比谷高校は激減したわけである。

 ところで、これだけみれば、学校群制度は確かに「大愚策」にも思えるが、もちろんそういう制度をつくるには、それなりの事情があったわけである。ここまで日比谷高校が東大合格に近いとなれば、競って日比谷高校に入れたい親が多数出てくる。学区制があるから、先の4区に居住していないと日比谷高校を受けること自体できない。だから、日比谷にわが子を行かせるには、まず「転居」する必要がある。日比谷にもっとも合格者を出す中学は、千代田区立麹町中学校とされていた。そこへ入るには、千代田区立番町小学校から行くことになる。こうして小学生から子どもを「越境通学」させる風潮が蔓延したわけである。先の報告書でも以下のように書かれている。

 「いわゆる有名都立高等学校への過度の集中など、都立高等学校相互間の格差が固定するという課題が生じた。このため、中学校における過度の入試準備教育が行われ、中学校教育に弊害が生じることとなった。また、特定の高等学校に進学するために、小学校段階より越境入学が蔓延するなど、小学校教育にも弊害が生じていた。」

 学校群制度を非難する言説では、これらの事情が全く触れられない。僕はやはり60年代半ばの東京の公教育の実情は改革が必要だったと思う。それが「日比谷高校」の「凋落」を伴うのも仕方ないのではないだろうか。大きな目で見れば、日本の高度成長に伴い、「豊かな階層」が子どもを私立名門校や有名私立大学附属高(附属中)に進学させる風潮は、学校群がなくても生じただろう。だから進学実績が都立優位から私立優位に移ったのは、本質的な問題とは言えないのではないか。
(第2学区の学校群制度)
 問題は「学校群では進学する高校を自分で選べない」ということをどう考えるかである。僕もこれに関しては、自分の受験当時から完全に納得できるものではない。自分が52群を受験したとき、「上野高校、白鷗高校」のどちらかになるか、何の希望も聞かれないことに不満はあった。(自分は、「高校紛争」で定期テスト廃止、自主ゼミ創設など画期的な改革を打ち出した上野高校に行きたかったのである。)その場合、友だちと違う学校に分けられるということが一番大きな問題であって、学校内容はどっちになっても大きな不満はない場合が多いと思う。レベルが同じ程度で通学距離もあまり違わない高校を組み合わせれば、どっちになっても学校振り分けの不満は起こらない。(繰り返すが、友人と別になったということと、希望を全く聞かれないという2点についての不満は残る。)

 河合氏が「人権無視」だというのを読んで、そういう考えがあるかと思い、かなり考えさせられた。学校群制度が「人権無視」だとすれば、当時の生徒は「人権侵害を受けた被害者」である。僕は白鷗高校の生徒会で制服廃止運動は多少行ったけれど、「学校群制度を廃止せよ」という運動は行わなかった。というか、当時誰も自分が「被害者」だとは思っていなかった。子どもは大人が決めた受験制度の中で高校に進学するしかない。それが不満がある制度だったとしても、「そういうものだ」と思うのである。入れば入ったで、新たな友人ができて楽しくやっていく。中学時代の友人は、もともと違う学校群を受けたり、職業高校や私立高校へ行ったりする方が多い。中学を出たら様々な道に進むのは当然。学校群制度で友人とは違う学校になっても、そういう「一般的な別れ」の一種だと理解していたのである。

 群よう子「都立桃耳高校」(新潮文庫)という小説がある。今は古本でしか入手できないようだが、これは学校群時代の高校の様子を伝える面白い本である。そこにも書かれているが、同じ都立と言えど、地域性や伝統の違いで、ある程度気風の違いが出てくる。学校群では自分で希望したわけではなくアトランダムに振り分けるのだから、そういう伝統は消えていくはずである。しかし、各校の気風はやがて「伝染」して行って、なんとなく学校群以前の伝統が残って行ったのである。それが「学校」と「地域」の力と言うべきもので、結局大きな目で見れば、学校群制度は(一部有名校の進学実績を除けば)、都立高校の気風に大きな変化をもたらさなかったのではないだろうか。
 
 ところで、学校群が廃止された後、グループ選抜という制度になった。自分が中学教員になった時(1983年)には、制度が変わっていたので、最初は戸惑った。これは同じ学区を2つ程度の地域グループに分け、そのグループの中で希望校を受けるが、グループ全体で合否判断を行うというものである。だから、グループの最難関校を受けて不合格になっても、グループ全体としては合格することがある。その場合、上位校はすべて希望者多数でふさがっているが、下位校に空きがある場合そこに進学できる。この制度は果たして学校群よりいいのだろうか。僕は教員としてみる限り、改善とは思えなかった。上位校でも合格者が私立高校に回って空きが出ることもある。その場合、中堅校で不合格になった生徒がグループでは合格して、後から空きの出た最上位校に合格することもあった。そういう場合、生徒も教師も非常に苦労したということを聞いている。

 一方、学校群時代は、進学校でも東大合格の縛りが薄まり、それなりに行事や部活、生徒会、あるいは自分の趣味などに時間がさけるので、結構生徒は充実していたのではないか。最難関の日比谷では「生徒のレベルが落ちた」と不満だったというが。今、年長の都立高教員には学校群時代の都立出身者が多いが、大体は「昔の都立は良かった」と思っていると思う。その「昔」は学校群以前の時代のことではなく、学校群時代の都立も捨てたものではなかったと思っているのではないか。どんなもんだろうか。最後に繰り返しになるが、もう一度言っておくと、「学校群制度」を全面的に肯定するものではない。だけど、中学時代の友人と別れるのも、中学卒業というものではないかと思っていたのである。さらに、職業高校や定時制に行くクラスメイトは初めから学校群には関係ない。「学校群=都立凋落」というのも、一面的な見方ではないだろうか。
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「できる子」問題-中高一貫校問題⑦

2014年01月25日 00時27分47秒 |  〃 (東京・大阪の教育)
 「スピンオフ」(派生)と言ってたけど、内容的に続きだなと思うようになったので、中高一貫校問題の7回目として。政治、国際問題などで書きたい問題が多くなってきたけど、調べて書くのが大変なので、まず教育関係の記事を書いてしまうことにする。もともと、僕は中高一貫どころか、小中高一貫の12年教育が理想ではないのかと思っていた。それは学生の頃に、子安美知子「ミュンヘンの小学生」(1975、中公新書)を読んで、「シュタイナー教育」というものを知ったからである。続いて「ミュンヘンの中学生」も出て、またシュタイナー教育に関する本も出している。それらを読むと、「これが理想の教育ではないか」みたいな感想を持ったわけである。

 今、シュタイナー教育については書かないので、知りたい人は自分で調べて欲しい。今では、日本でも「シュタイナー学園」が神奈川県相模原市に作られている。非常に素晴らしい言葉がホームページには載っている。でも、僕は今では、そういう「全人的教育」みたいなものが、「すべての生徒にとっての理想教育」だとは考えていない。時と所を得なければ、人間にとってはどんなところも抑圧の場となりうると思っている。「日本の現実」の中で生きている今の日本の子どもにとっては、「多様な学びのあり方」が用意されていなければならないと思っている。だから、もちろん「シュタイナー学校」もあっていい。でも、それがすべての子どもにふさわしいとは思っていないわけである。

 世の中には「できる子」というものがいる。この場合の「できる」とは、主に学力面で「飛び抜けた才能を持つ」といった意味である。「できる子」には、今の日本の学校はあまり楽しくないだろうと思う。運動や芸術方面で飛び抜けた才能を持つ子どももいる。その場合は、学校空間では割と生きやすい場合が多いだろう。もちろん、「オリンピックでメダルが期待できる」レベルまで優れている中高生だったら、苦労も多いのかもしれない。でも「学年で一番足が速い」程度の運動技能だったら、人生を充実させてくれる場合の方が多いと思う。それは「才能を分け与える」機会が保障されているからである。運動会のクラス対抗リレーなんかに出て、皆の前で才能を披露して、クラスのヒーローとなれる。才能あるものも、社会の中の一員として生きて行かなくてはいけないので、その才能を周りに分け与えていく機会がないと評価されない。自分でも才能を持てあましてしまうことになる。

 でも、学力面で優れた才能を持つ子どもの場合、その才能を分け与える場がなかなかないのである。学力を測る機会はいつでもあるが、例えば定期テストで優秀な成績を取っても、それは「個人的な問題」とされ「個人の努力」として語られるてしまう。本人の意識では別に頑張っていないのである。学年で一番になって、教師から「よく頑張ったな」と言われても、別にそれほど頑張ったわけではないので、困ってしまう。今「できる子」と言ってるのは、そういうタイプの子どものことで、ものすごい努力のすえに成績上位をキープしている人は含まない。そんな「学力が優れている子ども」は現実にいっぱいいるだろう。今は成績を公開する時代ではないし、学力は「自己責任」とされがちな時代なので、クラスで「できる子」が「できない子」を支援するような学習集団作りがうまく行ってる学校も数少ないだろう。だから、「できる子」は学校に居場所がないことになりやすい。

 知的な障がいを持つ生徒に「特別支援教育」があるなら、知的に優れた生徒にも「特別支援教育」が必要なのだろうか。それが私立や公立の「中高一貫校」なのだろうか。私立の名門進学校などの様子を見ると、生徒の能力がもともと優れていて、そのため東大合格者数などが上位となるということでではないか。公立の小中高教師というのは、まあ、勉強が嫌いではならないだろうが、勉強がものすごく出来たという人も少ないと思う。「勉強がものすごくできる」とは、医学部とか東大法学部に合格するという意味で、そこまで行ったら公立校の教師になる人はほとんどいないだろう。私立中堅大学出身の教師も多いけど、そこでも一番優秀なら母校の教授になってるのではないか。学校で教えるのは、単なる学力だけではないから、どの大学で学んだのかなどは現実の教員にはほとんど関係ない。でも、「普通の教員」は自分では「東大に現役でスイスイ合格できるような生徒」ではなかった。生徒の方が上なのである。これでは「教師が生徒を教える」というより、「同じように才能豊かな生徒同士の切磋琢磨の機会を与える」方が生徒の成長に役立つのではないか。

 僕はそのようにも思うので、「できる子向けの中高一貫教育」もありうるだろうと思っている。でも、僕はそのことが書きたいのではない。そこには「2つの問題」があると思っているのである。まず一つは「通学問題」で、小学生時代から「できる子」というのは、頭でっかちで体力が弱い場合も多いと思う。大人に交じって長い通勤列車に乗って通学するというのは、ものすごく苦痛だと思う。地元の学校に行くのに対し、1時間以上早起きしないといけないとかなれば、体力的に持たないのではないか。こう思うのは、自分がまさにそうだったからで、遠足が雨になればいいと思うタイプだったので、長い通学時間をかけて通う気にはならなかった。でも中学受験はしたのである。それは「力試し」がしたかったからで、本心は小学校より圧倒的に近い家から極めて近い地元の中学校に行けばいいと思っていた。友達はいたのだから。

 それでも小学生時代に進学教室などに通う経験をした。面白かったのである。先取り学習も興味深かったし、大学のキャンパスに日曜ごとに通うのも面白かった。(学生運動華やかなりし時代で、「米帝」だの「粉砕」だのという言葉を覚えたのもその場である。)学校では現代史なんか全然教えない時代で、「2・26事件」や「東条英機」を歴史用語として学んだのは、実は小学校6年生の中学受験向け進学教室のことなのである。今思えば、これは親の考えや経済的条件があってのことであるだろう。小学生だから「自我の目覚め」前である。僕は自分が一度、世界の国や歴史的人物が出て来れば、一度で覚えてしまえるので、なんでそんなことができない子がいるのか、まだ判らなかったのである。子どもというのは、自分の尺度でしか見えないという時期があるのだ。

 だから、小学生で中学受験に向け勉強するのが楽しくてならないという場合は、やればいいとも思う。その場合、親は子どもに「高校受験をしなくていい」というプレゼントができるが、逆に「友人と共に高校受験に挑む」という体験を奪うことになる。それさえ判っていれば、後はどっちがいいかは誰にも判らない。ただ、僕はもっと別の問題があるのではないかと思うようになった。それは中学や高校になって、「自我の目覚め」が訪れ、自己の世界観が確立されていく。その時に必要な物は、学校の勉強ではない。それよりも「読書」や「音楽」や「映画」、あるいは「社会参加」の体験ではないか。しかし、中高一貫校に入ってしまうと、学校の学習と通学に時間を取られ過ぎる恐れがある。「こんな本を読んでいるのか」と思われるような本(僕の時代だったら、マルクスやフロイトやドストエフスキー、歎異抄や聖書、三島由紀夫や大江健三郎など、高校生なら普通に読んでいた本だけど、今なら何になるだろう)などに取り組む時間がどこにあるのだろうか。それが心配なのである。地元の中学校にいれば、それほど勉強に頑張らなくても学年トップ級を維持できる場合も多いだろう。それなら、勉強以外に自分の世界を確立できる時間を持てる。そういうこともあると思う。

 ただし、その場合「切磋琢磨経験」は少なくなるので、公立中で「豊かな学び」が保障されなければならない。これが難しいのかもしれない。それは学習面でも「優れた能力を周りに分け与える」体験でなくてはならない。英語劇のリーダーとして活躍するとか、理科の実験や観察をまとめて発表し評価されるとか。あるいはクラスの文化祭でやる演劇で、脚本を書いたり演出をするとか。映画製作でもいい。その場合、クラスには、役者になりたいタイプもいるし、裏方の照明や音響の方を引き受けるタイプもいる。でも、それらは他の人でも可能だけど、脚本を書けるとなると誰にでもできるわけではない、僕が「才能を分け与える」というのはそういう意味で、そう言う体験をできるかどうかで、学校も、本人に人生も変わっていくと思う。
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