黒田官兵衛(如水)と北政所ねね

2010-03-19 22:15:39 | Weblog
京都出張の合間を秀吉の正室ねね(北政所)が秀吉没後その菩提を弔うために開創した高台寺を訪ねた。中津藩主になって間もなくのこと、秀吉の戯れ事に「今わしが死んだら天下を取るのは徳川でも前田でもない黒田官兵衛だ」と言ったことに自分は警戒されていると感じた黒田官兵衛はすぐ秀吉に隠居の申し出をし名を「如水/自分の心は水のごとく清らかで邪心これなく天下を狙うなどもってのほかです」とするが未だ44歳と若いことを理由に許可が下りませんでした。困った如水はかねてからお世話になっていた秀吉の正室「ねね」にその斡旋を頼んだ。ねねは長浜城主時代の秀吉に信長への人質として預けられていた幼少の息子長政がお世話になった大恩ある方です。秀吉はねねには弱く願いのうち家督を長政に譲るのは許すが隠居は認めず参謀として自分の帷幄に残るよう命を下した。
秀吉没後豊臣恩顧の武将がまだ各地に居たことから家康は政治的配慮から多大な財政的援助をしたので寺観は壮麗を極めた。ねねは後に高台院の号を賜り寛永元年(1624年)歴史の表裏様々な存在感あるなかに76歳の天寿を全うした。

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