黒田官兵衛(如水)と太宰府天満宮と犬丸天満宮

2017-03-27 08:06:58 | Weblog

 中津犬丸天満宮の24年毎に催される御開帳大祭は大盛況のうちに無事終わりました。

 NHKや大分合同新聞社などマスコミで取り上げられたせいか、地元の皆さんはじめお神楽のフアンの方、短歌俳句川柳関係の方々など大勢の皆さんが訪れていました。

 犬丸天満宮は時の右大臣菅原道真が讒言により左遷され、京の都を出立し海路を九州へと向かった時、周防灘を航行中嵐に会い、ここ犬丸の入り江にお舟寄せしましたが、二十日あまり逗留したのち、無事に太宰府へ向かわれました。

当時、その旅はお付きの者と言えば一人と子供二人、それに目付として二人の役人が同行と言われるくらいの淋しい船旅でした。

讒言をした左大臣藤原時平は政敵であった道真に対して、道中隙あらば殺さんと刺客を用意させ、食事や衣類を与えるな、助けるべからずのお触れを出していたのです。

今では学問の神様と崇敬されていますが、晩年はとても悲嘆極まる生涯だったのです。

官兵衛は中津時代に戦勝祈願に菅公ゆかりの犬丸天満宮に祈願したり、筑前52万石へと移封されて福岡城を築城中、太宰府天満宮内の草庵に棲まれたことは自分の有岡城幽閉の艱難辛苦に耐えた姿や和歌の詠まれた教養豊かなお姿を重ね合わせたからではないかという思いに至るのであります。

全国の黒田官兵衛(如水)フアンの皆様、中津へ来られた時は、ゆかりの犬丸天満宮へ足をお運びになることをお勧めいたします。