黒田官兵衛の足跡n豊前国 3 大野小弁正重墓碑

2012-12-23 07:59:09 | Weblog

広峰神社を後にして若き侍大将大野小弁正重の眠る峰に向かう。

 黒田家重臣の止めるのも聞かず若き猛将黒田長政は宇都宮鎮房の籠る城井谷を攻めた。既に軍師として高名な武将である父官兵衛の助けを借りずに己の力のみで反旗を翻した宇都宮鎮房を討つべく父の許可を得ずに出陣した。結果は入り組んだ城井谷の地理に不案内な黒田軍の惨敗であった。重臣たちは一端退却を進言するも自暴自棄になった長政は聞かず黒田軍は益々窮地に陥る。その時、大野小弁正重が長政の陣羽織を脱がせ「我こそは黒田長政なり!」と身代わりとなって敵陣の前に立ちふさがった。九死に一生を得た長政はかろうじて馬が岳城に辿り着いた。黒田家の窮地を救った大野小弁正重はその地で宇都宮兵と戦い壮絶な戦死を遂げる。大野小弁正重、恋も知らぬ弱冠18歳の生涯であった。

 もしこの地で大野小弁正重の身代わりなく長政が戦死していたらその後の日本の歴史は大きく変わっていたと言える。長政なくして関ヶ原の合戦で東軍の勝利なく徳川の世も無かったであろう。大野小弁正重は黒田家、ひいては徳川家の大恩人である。もっと顕彰されてしかるべき武将であると私は思う。

 墓碑は木々が鬱蒼と生い茂る山の中にあった。訪ねてくる人も少なく播磨学研究所長中元さんと一緒にカメラの中に納まって戴いた。同郷播磨人ゆえその魂は少し安らいで頂けたのではなかろうか。播磨で生まれ遠く九州の地でその若い命を落とさざるを得なかった無念の生涯を偲びつつ、惜別の情止まざる中その地を後にしたのであります。