黒田官兵衛の故郷を訪ねて 御着城祉

2012-02-12 07:46:06 | Weblog

姫路城を後にして播磨の黒田武士顕彰会の皆様の案内で御着城を訪ねました。黒田官兵衛は西播磨最大の領主御着城主小寺政職の家老職の嫡子として姫路城で生まれ、家督を継ぐまでここ御着城で小寺政職の近習として仕えました。長じて家老の家督を継いだ時代のことですが、当時は西の毛利家と東の新興勢力織田家の間にあってどちらに誼を通じるかで家の興廃が決まるというときに城内の重臣達は総て毛利を頼れという意見の中、官兵衛一人がこれからは織田であると主張したのですが聞き入れられずついには信長に攻められ小寺家は滅んでしまいました。今、御着城祉に立つと世の中の流れをしっかり見据え戦国時代の荒波を乗り越えて行った官兵衛の原点が偲ばれます。歴史は後になって顧みればいか様にも言えますが其の当時にあっては先を読み、判断することは官兵衛ほどの明晰な頭脳があって始めて成しえる事で今更ながら官兵衛の凄さが分かるというものです。姫路を訪れた方は少し足を伸ばして御着城址まで来られることをお薦めします。

願わくは中津の地においても乾坤一擲生涯を賭け大勝負に出た出発点「如水原」あたりにこのようなモニュメントを建てたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする