黒田藩の重臣母里太兵衛が伏見城内の福島正則邸で呑み取った日本号であるが、その経緯について述べてみたい。文禄の役より帰国した黒田藩は1596年の正月の挨拶に藩主長政が母里太兵衛を福島公に使者として遣わした。丁度酒宴中であった福島邸で福島公が無理強いした酒を三度辞退した太兵衛であるが「この大杯の酒を飲み干せば何なりと望みのものをやろう」と言われ「それでは」と見事呑み干した後、壁に掛かっていた「名槍日本号」を担いで帰った。翌日酔いから醒めた福島公は槍が無いのに気が付き慌てて取り戻しに行ったが「武士に二言はあるまい」と返さずにそのまま船に乗って郷里の豊前中津まで持ち帰った。酒宴のときに福島公と日本号を賭けて酒を飲み干したという話もあるがどうも福島公は「この酒を飲み干せば何なりと望みのものを褒美に取らす」と約束したので日本号そのものを最初から名指しで賭けて呑めと強いたのでは無く、太兵衛は内心日本号の素晴らしさを目にし最初からこれをもらうぞと決めて飲み干したと思われる。飲み干した後(心の中でヤッター!これでこの名槍は俺のものだ!!とか何とか叫びながら)「ではこの槍を頂戴仕る」と言って持ち帰ったのだ。にやりとほくそ笑んだ吾等が母里太兵衛が目に見えるようだ。また、そのときに「黒田節」を謡いつつ舞ったという小文を見かけることがあるがその当時は勿論黒田節は無かったのでその話は誤りである。それと、呑み取りのあった場所を芸城(広島城)の中と勘違いされる方が居ますがそれも間違い。1596年は福島公は尾張清洲城主で関が原の合戦(1600年)の後、論功行賞で広島城主となったのだから。
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