首実験

2007-08-21 11:09:55 | Weblog
関ヶ原合戦図に首実検の場面があります。戦においてのお手柄は敵の大将の首を取ることです。名のある武将の首がそれに続きます。大物の首を取った者ほどより大きな褒美を与えられました。つまり手柄により千石も一万石も加増されたり、場合によっては一国一城の主にも成れたので皆必死で手柄を上げようと首取りに頑張ったのです。反対に負けたら取られるのです。取った首は本陣に持ち帰り首実験をします。名前を確認の上、図の右上にあるように筆と帳面を持った記録係が首の名前、取った者の名前を記入し、戦後の論功行賞の基となりました。首実検のもう一つの役目は討ち取った相手の祟りを封じるため、そして同じ戦場で戦った相手に対し敬意を表す場でもありました。信長、秀吉は特に猜疑心が強く必ず自分で敵将の首実検をしたそうです。謂わば戦国時代の戦は首取り合戦とでも言えるようです。黒田藩の重臣母里太兵衛は生涯76の首を取りましたが、33の首を取った時中津城西御門付近に首供養塚を建てたといわれています。供養のためと文禄の役前の陣内の勢いを鼓舞するデモンストレーションでもあったようです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする