黒田官兵衛(如水)と文禄慶長役

2023-09-02 09:30:53 | Weblog

肥前名護屋城には文禄慶長役の詳細が記念館をはじめ、

城内のあちらこちらに詳しく表示版などで紹介されています。

この歴史探訪の道の版にも当時の様子が見て取れます。

ひとりの絶対権力者である太閤秀吉の力は想像がつきかねるほど

強大なものであったのです。

 

 

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城12武将陣址

2023-08-14 22:21:59 | Weblog

肥前名護屋城には当時180余の武将が居館を構えていました。

現在分っているのは150余と言われていますが、

秀吉の威光に従順にならざるを得なかった全国の武将の様子が

よくわかります。

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城11 文禄役

2023-07-20 08:02:55 | Weblog

肥前名護屋城博物館には秀吉の掛軸がありました。

堂々として時の天下人の威風が感じられます。

文禄・慶長の役の詳細がびっしり詰まり、

資料や構成もしっかり展示され素晴らしい博物館です。

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城10 文禄役

2023-07-01 21:56:54 | Weblog

文禄の役で海を渡った日本軍の船です

この船で大勢の兵どもが勇躍して朝鮮に渡り奮闘しました。

多くの大名たちは秀吉の無謀な戦と知りつつも

従わざるを得なかったのです。

 

 

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城9 文禄の役

2023-06-12 08:03:11 | Weblog

1592年秀吉の朝鮮出兵による

文禄の役の構図です。

秀吉の命により多くの日本軍が海を渡り、

朝鮮各地へ進軍して征きました。

黒田軍も居城の中津城から

長政をはじめ五千余の軍勢をもって

出兵し、各地で勇猛な活躍をしました。

その時の虎退治や大活躍した侍大将が

後に神格化された黒田二十四騎です。

 

 

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城8

2023-05-10 20:13:11 | Weblog

文禄慶長役時代の肥前名護屋城の鳥観図です。

日本の城郭の中で大坂城に次いで二番目に広大な城郭でした。

黒田官兵衛が渾身の縄張りです

 

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城7

2023-04-06 08:11:52 | Weblog

 

肥前名護屋城の立体図です。

壮大な城跡は黒田官兵衛渾身の縄張りでした。

黒田軍をはじめ日本軍はこの地から遥々、朝鮮の国へと海を渡って行きました。

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黒田官兵衛(如水)と肥前名護屋城6 黄金の茶室

2023-03-24 07:49:33 | Weblog

文禄慶長役の肥前名護屋城には、

秀吉の栄華を物語る金蘭豪華な

「黄金の茶室」が京から移設され、

外交上や有力大名との接待の場

として使われていました。

秀吉の威光を誇示せんとした

心理的な威圧もあったと思われます。

それにしても、この茶室で飲む

お茶の味は美味かったか、否か?

秀吉を面前にして、各武将たちは

お茶を味わうどころでは

なかったのではないでしょうか。

 

 

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城5

2023-03-04 19:31:45 | Weblog

名護屋城の石段を登って行くとそこには400年の時を経た本丸へ続く道が現れます。

太閤秀吉が描いた夢の跡です。

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黒田官兵衛(如水)と名護屋城4

2023-02-03 21:09:16 | Weblog

肥前名護屋城は日本で二番目の大きな城郭でした。

黒田官兵衛が秀吉の命により縄張りをしました。

今は石垣のみが往時を偲ばせるばかりですが、

ここから徒歩で本丸跡迄ゆっくり歩いて行くと

彼方此方に兵どもの夢の跡が眼前に

鬼気迫るごとく現れて来ます。

この城から秀吉の一声により、

全国の大名たちが恭順し、

黒田藩はじめ有力大名は朝鮮へと

渡って行ったのです。

 

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