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改正少年法  実戦教師塾通信二百三十七号

2012-12-18 18:20:35 | 子ども/学校
 少年たちの行方



 宮崎勤


 このブログでも少し触れたことがある宮崎勤のことを、みなさんも覚えていると思う。1988年から1989年まで、埼玉・東京の幼女が連続して誘拐され、殺された事件のことである。しかし、2008年、宮崎の死刑が執行されたことを、私たちのどれだけが覚えているだろう。聞けば宮崎は、絞首刑は転落死のイメージがあり、それを忌み嫌い、アメリカのような薬物での執行を申し出たという。
 悲しい事件だった。被害者の家族は愛する娘を失い我を取り戻せず、その後家庭崩壊になったところもあると聞く。また、宮崎の家族は家を逃げ、姓を変えるが、姉は決まっていた結婚も破談。父は自殺を遂げる。
 この事件は異常性欲の持ち主が起こした異常な事件だとして、世間ならびにメディアは落ち着こうとしたのではないだろうか。人々の恐れが引き起こしたパニックの最たるものは「個室」と「ホラー/ロリコンビデオ」は、健全な青少年の育成を妨げる、といったものだった。「ギニーピック」(スナッフフィルム)は、そのやり玉に挙げられた。勤被告の暮らしていた部屋におびただしい数のビデオが積み上げられていたのだ。
           
 そこで勤被告は、幼女の猥褻な画像にひたっていたという報道が、じつは正しくなかったことがあとで明らかになる。それで、その報道関係者(読売だったと思う)によって訂正が試みられたが、もう世相は雪崩をうつようだった。少し書けば、その6000本に及ぶビデオは、ニュースの録画200本を初め、映画・ドキュメントと、多義な領域にわたっており、もちろんホラー・ロリコンものもあったが、それぞれ50本と、1%だった。
 さて、凶悪犯罪が起こると、私たちは犯人に対して「こんな奴は殺してしまえ!」と言わんばかりの感情にとらわれる。恐ろしいものが居なくなってほしいという気持ちと、被害者の気持ちを思う、被害者に自分を重ねる気持ちが働くからだ。
 しかし、私たちは被害者ではない。犯人が生まれながらの凶悪人や異常人であるはずがない。被害者でない私たちは、そこを考える冷静さがあってもおかしくはないのだ。「個室」を与えるからこんな異常な人間が生まれるとか「ビデオを規制しろ」というのが、冷静な判断であるわけがない。おそらくは「個室」も含めた千にひとつの可能性というものがたくさん集中し、さらにそれらを引き受けることもないのに、個人の気質がたまたま引き受けてしまった、という偶然がたくさん重なって起こった「特異」な事件が、私たちの「震撼とした」この宮崎事件と思える。
 そこで、大切なことだが、宮崎勤が手に障害を持っていたことを知る人は、ビデオの本数の件よりもさらに知られていないのではないか。宮崎は4歳の時「とう尺骨癒合症」という診断をくだされる。掌が上に向けられない障害である。勤は幼少時にバイバイ出来なかった、お釣りを受け取れなかったという。お釣りを受け取るため仕方なく、お店の人の手を叩いてお金を落として「受け取った」こともあったという。そして重大なことだが、両親がこのことに気付かなかった。覚えている方も多いと思うが、両親は「秋川新聞」という印刷会社を経営していた。幼児期、この勤の面倒は近所の人が見ていた。この地域のおそらくは自慢の伝統と思えるが、この地域の子育てを地域の人がやることが出来た。勤の面倒をみた人がどんな人だったか、それは出版物でしか分からないので、ここではその記述をしない。しかし間違いないことは、この人は勤の障害に気付かなかったか、気付いてもそれを両親に申告しなかった。自分の不自由を両親に知られることなく育った勤は、おそらくこの乳幼児期に深い傷を負う。
            
 どんなわけがあったのだろう、なにかわけがあるに違いない、という大人の姿は、少年たちの未来を明るく照らす光になるはずなのだ。


 改正少年法

 この234号で報告した通り、訪問した法律事務所で、怠惰な私は、少年法が再び(4回目?)変わろうとしていることを知った。ここでは少しだけ抜き出してみよう。
 専門的な記述になりそうなことはあえて書かない。
 まず私たちの記憶にもある2000年改正では、なんと言っても
○刑事処分が16歳以上→14歳以上
という変化が挙げられよう。中学生での刑事処分の道が開かれた。これは1997年、あの神戸の酒鬼薔薇事件が契機となったことはいうまでもない。審判前の鑑別期間(多くがこの時「鑑別所」収容となる)が、4週間から8週間に延長になった。それがこの改正で決まったことを、またまた怠惰な私はうかつにも知らなかった。ここのところあちこちで、中学生が鑑別所に送られる事件が起きて、私はこれを知ることになった。
 2003年、長崎で4歳の男の子が性器をハサミで傷つけられ、量販店の屋上(駐車場だったと思う)から落とされて殺された事件を覚えているだろうか。この事件がきっかけで、この少年法は2007年に改正される。そして、アスペルガー症候群も脚光を浴びる。
 ここでのポイントは、それまでの福祉的措置が刑事的措置へと移行する、というものだ。

○12歳以下のものの触法少年の施設は、養護施設等「支援」を目的としていたものだった。それが少年院に送致可能となる。

この支援施設の特徴は、施設指導者が寮長・寮母となって、寝食を共にする夫婦小宿舎制というのが基本である(2005年キムタク主演のドラマ『エンジン』の舞台がここだった)。少年院送致が可能、とはそういうことだ。これは、2003年の「長崎事件」の少年が12歳であったことが裏付けになっている。

○保護観察中の遵守事項違反があれば、少年院への送致が可能となった。

知らない方のために一応説明すると、少年審判で保護観察処分を受けた場合、保護司のところに一定のインターバルで、一定期間、少年は出向いて話をする/聞く、というのが保護観察処分である。この期間に保護司が少年の更生をはかり、それを見極めるというものだ。この観察期間に、少年が新たな罪を犯すと、さらに重い処分が加わるというのが従来のあり方だった。
 しかし、少年が新たな罪を犯すのではなく、別な事項がここでは加わっている。「保護観察中の遵守事項違反」というのは、じつは罪のことではない。「学校に行く」「面会する(保護司と)」などということである。学校の欠席や保護司との面会をしないことが「罪」のポイントとなった。信頼関係を築きながら少年と相対していく、といった姿勢からは大きく遠ざかった。
 さらにこの改正後の通達で、
○触法少年には黙秘権の告知はしない。
とする。この理由が「触法行為は犯罪ではないから」というのだ。しかし、現実局面で考えてもみよう。警察が少年に、
「君のやったことは犯罪ではない。だからみんなしゃべりなさい」
とでもいうのだろうか。この法改正に加えられた、
○裁量により「国選付き添え人」をつけることができる
とした内容と共に、法務省の戦略があちこちに透けて見える。

 長くなったのでもうやめるが、これらが少年たちの今後を見ていく上で、私たちに大切なことで、知らないといけないことだと思えた。


 ☆☆
書いてて少し気になったので書きます。私は「ホラー/ロリコン」の趣味はありません。ホラーこそいくつか見ました(exホラーの金字塔「13日の金曜日(通称13金)」など)が、ロリコンは未体験です。いいもんではございませんよね? 冗談じゃございません。

 ☆☆
選挙のことですか? いやあ私も困りました。日本全国のみなさん、困り果てた結果がそのまま出たということではないのでしょうか。得票数や小選挙区の仕組みを解きながら、自民圧勝必ずしもそうではない、という分析をする方もいらっしゃいますが、とにかく前回は民主圧勝だったのですからね。国民のみなさんも自民党に期待しているわけではないと思います。三年前の暮らしがどんなだったか、少し思い出してみようか、ぐらいのものだと私には思えます。だからと言って希望はありません。

 ☆☆
今年最後の福島詣でに行って参ります。第一仮設への歳末支援は、報告した通り「白味噌」です。協力してくれるみなさんは、この「白」でずいぶん苦労をしたようです。この場を借りて御礼申し上げます。
ほかの方々も福島の暮れを温かくお見守りください。

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1 コメント

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忘れてはならないもの (リーガルハイ)
2013-07-25 11:09:11
如来寿量品第十六
方便して涅槃を現ず。しかも実には滅度せず。
常にここに住して法をとく。われ常にここに住すれども。諸の神通力をもって。顛倒の衆生をして。
ちかしといえどもしかも見ざらしむ。
衆わが滅度をみて。ひろく舎利を供養し。
ことごとくみな恋慕をいだいて。
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