新しい生活Ⅱ
~寂しいスタート その2~
1 「寂しいもんだよ」
「コトヨリさんに話があるんだよ。家まで来てくれない?」
いいんですか、と私は答える。集会所のにぎわいの中で、私は喜び勇んだ。海岸に住んでいたこのおばちゃんは、家が流されたあとには戻(もど)らず、また、高台に建(た)つ復興住宅への入居(にゅうきょ)も選ばなかった。
「子どもに聞いたら『もう海や川のそばで暮らしたくない』って言うからよ」
と、もとの海岸からずっと離れた場所に家を建てた。
9月に引っ越したあとは、自宅からこの集会所にいつも徒歩(とほ)でおばちゃんは来ている。今までどおり毎日だ。だからこの日は、おばちゃん家まで私の車で行った。
「平屋(ひらや)で小さい家なんだよ」
そう言われても、周り(まわり)の真新しい二階建ての家々と、私には区別がつかなかった。
以前住んでいた近所の大工さんに頼んだという家は、中に入ると外からは分からなかった違いがはっきりと分かった。私は居間の太い柱に感嘆(かんたん)の声をあげる。
「大きい地震があったらこの部屋に逃げろって大工さんが言ってた」
とおばちゃんが言う。私は自分の家に、柱そのものが見当たらないことを思い出した。
ここには書けないことだが、集会所で耳にしたいくつかのことを思い出し、
「大変そうですね」
と、私から切り出した。二年前、まだ仮設住宅暮らしが始まった頃、集会所はおばちゃんたちの話し声で賑(にぎ)わっていた。しかし、それは気心(きごころ)の知れた昔からの「ご近所」ではなかった。なにかいさかいがあった場合、長いお付き合いで身につけた流し方を、ここで出来るわけはなかった。そしてさらに、みんなは傷を負(お)った「被災者」だった。新たに負った傷を癒(いや)すだけのゆとりを、みんなは持ち合わせていなかった。そんなことがある度(たび)、みんなは集会所に「行きづらい」気持ちを、ひとりひとり積もらせていたのかも知れない。
「もう私たちは年寄りだしさ」
「寂しいもんだよ」
おばちゃんが言った。
そんな集会所の会話で、言った方はこんな風に言ったつもりなのだろう、しかし、聞いた方はそうは受け取らなかった、と思える相談ともグチともつかないものを、私はたくさん見て、聞いた。私にすれば、どっちも親切のつもりで言ったはずなのに、と思えることもたくさんあった。仮設が始まってからずっと住んでいる人たちと、あとから入った人たちとの行き違いも大きかった。その度に私は、そうじゃないとか、それは違うと思います、などと言って間に入ろうとした時もあったが、そんなことが彼女たちの役に立つものではない。
2 「みんなバラバラだよ」
南はどっちですか、と私は聞いた。おばちゃんは庭の方の窓を指(さ)して、
「こんなちっちゃな庭だけどさ、大根を植えてんだよ」
と言った。そして、真新しい建て売りの家並みを見ながら、
「この辺の家はみんな鍵(かぎ)かけてんだよなあ」
と、しみじみ言う。前住んでたところでは、誰も鍵なんてかけないよ、だから留守(るす)でも勝手に上がり込んでお茶飲んでたんだよ、と懐(なつ)かしそうに言った。私は、少しためらったが、
「今はみんな鍵かけますよ。近くにおつかい行くんでもそうですからね」
と言ってしまった。おそらく、おばちゃんの言う通りだったのだと思うが、留守でも上がり込める家はそんなに多くなかったに違いない。でも、それぞれが馴染(なじみ)の相手と「勝手(かって)に上がり込む」お付き合いをやっていれば、やはり地域全体が「施錠(せじょう)」のない生活になったのだろう。都市が40年前にやめてしまった生活を、この人たちは二年前までやっていたのだ。
「寂しいもんだよ」
おばちゃんは続ける。せっかく仮設住宅で友だちになった人も、前に住んでた場所にみんな戻(もど)るんだよ。私たちは足がないからね、バスで行こうにもいったん駅まで出てからなんだよ。みんな遠くなるんだよ。今はこうして何分か歩けばすむけどね、そうなったらもうお茶飲みだって簡単なことじゃなくなるよ。前住んでた海岸近くの復興住宅に入らないってのは、確かに私が決めたことだよ。でも、ここの周り(まわり)は知らない人ばかりだよ。
それに、仮設のみんなが、もと住んでた場所にみんな戻るかっていうと違うんだよね。いったんここ(仮設)で気まずい思いをした人たちは、もう戻らない、いや、戻れないよ。ここでついた傷は深いんだよ。またもとのようにご近所を続けようたって、そうは行かないよ。
「みんなバラバラだよ」
「あたしたちは年とってるんだよ」
そうして、ずっと仲よくしてきた仲間のおばちゃんのことを言う。
「あの人とも遠くなっちゃう」
でも、と私は言う。幸い、というと変だが、仲よしのおばちゃんの復興住宅の進行は遅れていて、来年はまだ完成しない。その間は仮設でのお茶飲み話が出来る。
「まだ一年以上も先のことで悲しむのはやめましょう」
もう少し先になって考えましょうよ、もしかしたらいいアイデアが出てくるかも知れない、と言った。なんの根拠(こんきょ)もない、無責任な言葉でしかないと分かっていても、私にはこんなことしか言えない。なあに、新しいご近所さんにだって、きっと面白い(おもしろい)人がいますよ、とはとても言えなかった。
私は、いわき市街地(しがいち)での意地悪な言葉を思い出す。
「新築(しんちく)の家に引っ越しだってよ」
それがどうした、だからなんだ、と思い出す。
☆☆
お醤油やお味噌の支援をしているのはコトヨリさんたちだけだからね、そんなつもりで配ってね、とは会長さんの言葉です。喜びと自覚のもとに配りました。
「雨の中、ありがとうございます」
もうほとんどやんでいた雨。でも嬉しいですね。
「ヤマサしか使わないんです! ありがとうございます」
と言われたのですが、キッコーマンでもこう言ってくれたような気がします。でも、ありがたい。
「『また来る』って言ってください」
とは、以前別な方から言われた言葉です。また言われました。だから「また来ます!」と言いました。
台風がふたつ(27号と28号)近づいていたので、その心配でずいぶん話し込んだ家もありました。そして、ありがとうございます、と言いながらずっとあとをついて来る人。胸を温めながら仮設の間を歩きました。
☆☆
「じぇじぇじぇ!」のマー君、やりましたね! どうだ!ってやつで、あの雄叫びみたかった。日本シリーズでの雄叫びは、どっちか言うと、自分へのバカヤロー!みたいな印象でしたね。あとは周囲の雑音(ざつおん)に一喝(いっかつ)ですかね。シリーズ初戦での登板(とうばん)を望まなかったことで、いろいろあったんですねえ。ホント、外野は黙ってろ、ですよ。ワタクシ思わず昨日のスポーツ新聞買っちゃいました。
そして今度は沢村賞!
おめでとうマー君!
今日は東京ドーム。さて、巨人のホームで勝負ですね。
胸を借りて、頭を下げて、巨人をぶっ潰せ!
~寂しいスタート その2~
1 「寂しいもんだよ」
「コトヨリさんに話があるんだよ。家まで来てくれない?」
いいんですか、と私は答える。集会所のにぎわいの中で、私は喜び勇んだ。海岸に住んでいたこのおばちゃんは、家が流されたあとには戻(もど)らず、また、高台に建(た)つ復興住宅への入居(にゅうきょ)も選ばなかった。
「子どもに聞いたら『もう海や川のそばで暮らしたくない』って言うからよ」
と、もとの海岸からずっと離れた場所に家を建てた。
9月に引っ越したあとは、自宅からこの集会所にいつも徒歩(とほ)でおばちゃんは来ている。今までどおり毎日だ。だからこの日は、おばちゃん家まで私の車で行った。
「平屋(ひらや)で小さい家なんだよ」
そう言われても、周り(まわり)の真新しい二階建ての家々と、私には区別がつかなかった。
以前住んでいた近所の大工さんに頼んだという家は、中に入ると外からは分からなかった違いがはっきりと分かった。私は居間の太い柱に感嘆(かんたん)の声をあげる。
「大きい地震があったらこの部屋に逃げろって大工さんが言ってた」
とおばちゃんが言う。私は自分の家に、柱そのものが見当たらないことを思い出した。
ここには書けないことだが、集会所で耳にしたいくつかのことを思い出し、
「大変そうですね」
と、私から切り出した。二年前、まだ仮設住宅暮らしが始まった頃、集会所はおばちゃんたちの話し声で賑(にぎ)わっていた。しかし、それは気心(きごころ)の知れた昔からの「ご近所」ではなかった。なにかいさかいがあった場合、長いお付き合いで身につけた流し方を、ここで出来るわけはなかった。そしてさらに、みんなは傷を負(お)った「被災者」だった。新たに負った傷を癒(いや)すだけのゆとりを、みんなは持ち合わせていなかった。そんなことがある度(たび)、みんなは集会所に「行きづらい」気持ちを、ひとりひとり積もらせていたのかも知れない。
「もう私たちは年寄りだしさ」
「寂しいもんだよ」
おばちゃんが言った。
そんな集会所の会話で、言った方はこんな風に言ったつもりなのだろう、しかし、聞いた方はそうは受け取らなかった、と思える相談ともグチともつかないものを、私はたくさん見て、聞いた。私にすれば、どっちも親切のつもりで言ったはずなのに、と思えることもたくさんあった。仮設が始まってからずっと住んでいる人たちと、あとから入った人たちとの行き違いも大きかった。その度に私は、そうじゃないとか、それは違うと思います、などと言って間に入ろうとした時もあったが、そんなことが彼女たちの役に立つものではない。
2 「みんなバラバラだよ」
南はどっちですか、と私は聞いた。おばちゃんは庭の方の窓を指(さ)して、
「こんなちっちゃな庭だけどさ、大根を植えてんだよ」
と言った。そして、真新しい建て売りの家並みを見ながら、
「この辺の家はみんな鍵(かぎ)かけてんだよなあ」
と、しみじみ言う。前住んでたところでは、誰も鍵なんてかけないよ、だから留守(るす)でも勝手に上がり込んでお茶飲んでたんだよ、と懐(なつ)かしそうに言った。私は、少しためらったが、
「今はみんな鍵かけますよ。近くにおつかい行くんでもそうですからね」
と言ってしまった。おそらく、おばちゃんの言う通りだったのだと思うが、留守でも上がり込める家はそんなに多くなかったに違いない。でも、それぞれが馴染(なじみ)の相手と「勝手(かって)に上がり込む」お付き合いをやっていれば、やはり地域全体が「施錠(せじょう)」のない生活になったのだろう。都市が40年前にやめてしまった生活を、この人たちは二年前までやっていたのだ。
「寂しいもんだよ」
おばちゃんは続ける。せっかく仮設住宅で友だちになった人も、前に住んでた場所にみんな戻(もど)るんだよ。私たちは足がないからね、バスで行こうにもいったん駅まで出てからなんだよ。みんな遠くなるんだよ。今はこうして何分か歩けばすむけどね、そうなったらもうお茶飲みだって簡単なことじゃなくなるよ。前住んでた海岸近くの復興住宅に入らないってのは、確かに私が決めたことだよ。でも、ここの周り(まわり)は知らない人ばかりだよ。
それに、仮設のみんなが、もと住んでた場所にみんな戻るかっていうと違うんだよね。いったんここ(仮設)で気まずい思いをした人たちは、もう戻らない、いや、戻れないよ。ここでついた傷は深いんだよ。またもとのようにご近所を続けようたって、そうは行かないよ。
「みんなバラバラだよ」
「あたしたちは年とってるんだよ」
そうして、ずっと仲よくしてきた仲間のおばちゃんのことを言う。
「あの人とも遠くなっちゃう」
でも、と私は言う。幸い、というと変だが、仲よしのおばちゃんの復興住宅の進行は遅れていて、来年はまだ完成しない。その間は仮設でのお茶飲み話が出来る。
「まだ一年以上も先のことで悲しむのはやめましょう」
もう少し先になって考えましょうよ、もしかしたらいいアイデアが出てくるかも知れない、と言った。なんの根拠(こんきょ)もない、無責任な言葉でしかないと分かっていても、私にはこんなことしか言えない。なあに、新しいご近所さんにだって、きっと面白い(おもしろい)人がいますよ、とはとても言えなかった。
私は、いわき市街地(しがいち)での意地悪な言葉を思い出す。
「新築(しんちく)の家に引っ越しだってよ」
それがどうした、だからなんだ、と思い出す。
☆☆
お醤油やお味噌の支援をしているのはコトヨリさんたちだけだからね、そんなつもりで配ってね、とは会長さんの言葉です。喜びと自覚のもとに配りました。
「雨の中、ありがとうございます」
もうほとんどやんでいた雨。でも嬉しいですね。
「ヤマサしか使わないんです! ありがとうございます」
と言われたのですが、キッコーマンでもこう言ってくれたような気がします。でも、ありがたい。
「『また来る』って言ってください」
とは、以前別な方から言われた言葉です。また言われました。だから「また来ます!」と言いました。
台風がふたつ(27号と28号)近づいていたので、その心配でずいぶん話し込んだ家もありました。そして、ありがとうございます、と言いながらずっとあとをついて来る人。胸を温めながら仮設の間を歩きました。
☆☆
「じぇじぇじぇ!」のマー君、やりましたね! どうだ!ってやつで、あの雄叫びみたかった。日本シリーズでの雄叫びは、どっちか言うと、自分へのバカヤロー!みたいな印象でしたね。あとは周囲の雑音(ざつおん)に一喝(いっかつ)ですかね。シリーズ初戦での登板(とうばん)を望まなかったことで、いろいろあったんですねえ。ホント、外野は黙ってろ、ですよ。ワタクシ思わず昨日のスポーツ新聞買っちゃいました。
そして今度は沢村賞!
おめでとうマー君!
今日は東京ドーム。さて、巨人のホームで勝負ですね。
胸を借りて、頭を下げて、巨人をぶっ潰せ!