実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦的なⅣ  実戦教師塾通信二百七十六号

2013-04-30 11:49:08 | 子ども/学校
 若き教師に向けて

     ~その4「無能を乗り越える手だて」~part2「実際」前座


 1 「食」への反応


 私の父が亡くなったその後、ある時、母が思い立ったふうに、あるいは決意したように、クリームシチューを作った。まだ私が小さかった時のことだ。私たち兄弟は、いい匂いと綿のような乳白色の、珍しい料理に胸を躍らせた。しかし、いただきますのあと、私たちはその味の淡白さに失望してしまった。ルーなどない時代だから、母は自分自身で嫌いな牛乳から作ったはずだ。母の意気込みを私たちは知っていたが、このクリームシチューは、その時の私たちに言わせれば、味噌汁のような役割しか持っていなかった。
 最初にそのシチューに醤油をかけてしまったのは、兄の方だったと記憶している。他になにかおかずがあると良かったと、不満を口にしたのも覚えている。肉を50グラム買ったというのに、これ以上お金をかけられないよ、と母が悔しそうに言った言葉が、まだ耳元で聞こえるようだ。これだったらカレーが良かった、そう思う私は、その夜の食事が台無しになっていくのが全身で分かった。

 「その3」の記事に、実に多くの反響をいただいた。教師からよりも保護者、もちろんこの場合それは母親であるが、その方面からの反応が顕著だった。

○子どもが「食べない」のはどうすればいいのでしょう
○好き嫌いはなくせるのでしょうか
○忙しい私たちに、これ以上どうしろと言うのでしょう
○給食には本当に感謝しています
○子どもに嫌いなんて言わせません
○食事の時間を私たち家族は大切にしています 等々。

おそらくは、前回に舌足らずだった部分が、記事への注文という形になっている。なので、そこに応えたあとで、「教師の実際」に移ろうと思う。
 まずは、今という時代が、「食事」という生業を「育てる」のに困難な時代だということからだ。冒頭の昔の経験は、食べるものが「もうない」「これ以外にない」という時代だった。

○これを食べられないなら腹をすかせていればいい
○なに贅沢言ってるんだ

という時代に私たちは生きていた。昔は良かった、のではない。昔は大変だった、のだ。しかしこの話は、シチューであって、とりあえず米(麦)飯はあった。蒸かし芋や、大根飯の話ではない。母が、
「(おかずなんて)もうありません」
と言ったのは当然なのだ。
 ところが今は、食品が溢れかえっている。
「いやならいくらでも別なものがある」
のだ。食料への渇望が激しかったた昔から考えれば、今は楽でいい時代だとも言えるが、「食事をちゃんとしたい」と考えるものには、大変だ。こうして意見を送ってくれる読者の皆さんは、みんな真剣な人たちだ。


 2 「食指をそそる」力

            
        横川のおぎのや釜飯、ゲットしました。

 ファストフードと洋式な生活が定着したため、食べ歩きは公認されたし、畳の部屋でも帽子を被ったまま食事は可能(普通)になった。しかし日本の「食事」は、まだ「生き物の命をいただく」気持ちを様々なマナーに残している。食べる前とあとのあいさつ、箸の使い方など。箸に関しては、握り方もそうだが、使うことそのものが、食材への敬意を表している。分け/ほぐし/切り/つかむ(つまむ)等ということを、私たちはいつの間にか丁寧にやっている。左手を添えることを排しつつ、それらをこなしている。まだ小さいわが子が、両手で魚などと格闘する姿を、私たちは半分笑い、半分困惑して眺めていたはずだ。
 食事にそういった「躾け」の側面があることは紛れもない。しかし、好き嫌いを「躾け」るのは、そういった「食材への敬意」という観点からも、注意が必要な気がする。「子どもが料理を嫌いだと言って食べないので、殴ったら死んでしまった」などという、とんでもないのもあったが、これで料理や食材が喜ぶはずがない。もちろんこのケースは、食事の場面が決定的なものだったということであって、その他のあらゆる場面で子どもが虐待されていたことは言うまでもない。そんなやり方でする「躾け」ではないことは確かなのだ。
「おいしいよ」
「丈夫な身体になるよ」
と、勧めること。これで必要なことはすべて揃ってるし、充分だ。こういう幸せな食卓が出発点だ。この子にはちゃんとしたフィールドがあるということだ。この子にはいつでも「好き」になるチャンスが訪れる。あとは周囲にいる大人や子ども(両親や兄弟のことだ)が、うまいうまいと食べていればいいだけだ。たまにまた、
「こんなにおいしいのに」「病気に負けない身体になるよ」
と、言葉をかける。それだけだ。チャンスというものは、半分は与えることが出来ても、あとの半分、つまりそれを本人が選びとることがないと成立しない。
 例えば前も書いたが、晩年、こともあろうに死者との電信機械を発明しようとしたトーマスエジソンは、不登校やそれに伴って母が地下に作ってくれた実験室が、結果としてすべてはチャンスだった。よく言う、
「ちっとも勉強しなくて」
という悩みも同じことだ。子どもが勉強しようという気になるのは、親が「勉強せい!」と脅すからではない。優しい先生、きれいな(イケメン)先生に出会ったからとか、友だちが面白い解説をしてくれたとか、星を眺めているうちに理科が好きになったとか、テストが90点だったのを見て親が跳んで跳ねて喜んだとか、そんなものをきっかけにしている。大体が親の意図せざるところで生まれる。そして、そのチャンスの時期も内容も、子どもが「勝手に」選んでいるのだ。大人の思うようには行かない。
「あとで後悔するのはオマエなんだ!」
などと、子どもにきつく言ってうまくいった試しはない。
 ひとつ付け加えたいのが「気持ち/意気込み」だ。「食事」というのは、言わずもがな「食べる」ことではあるが、それは何度も言うように一部の出来事だ。準備から片づけまで一貫したすべての事柄を、私たちは「食事」と呼んでる。
           

 以前使わせてもらった福音館の『へへののもへじ』(え林明子ぶん高梨章)の一節である。このページの文は、

ままと
いっしょに
おかいもの
さあ さあ
かった かった
いか かった
まけた
おまけだ
いか いかが
かった
よかった
やすかった
へーい まいどありぃ

である。とりわけ「ぼく」の表情は、すでにしっかりと「食事」に入りこんでいる。このあと、家の台所からあたたかな湯気と匂いが漂って来ることは疑いない。包丁で野菜や魚を刻む音と茶碗の硬質な音。すべてが「食事」の音だ。それらがすべて「食べたい」気持ちを誘って来る。そういうすべてを指して「食事」というのだ。デパ地下やコンビニの惣菜を否定するものではない。しかし、大人(親)の意気込みというものは、こうして「食事」を構成する。そうしないといけないというのではなく、そういうものなのだ。そうしたくとも出来ないという事情とは別に、そうしたいと思わせる力を「食事」というものは持っている。そういうものが「食指をそそる」力を持っているのは当然と思われる。

「したいと思うこと」、その気持ちを大切にすることは「出来る/出来ない」とは違う場所にある。お母さんたちに、いやお父さんたちにも栄光あれと思う。


 ☆☆
おぎのやの釜飯、うまいんですが…やっぱり列車の中に限りますねぇ。車窓の眺めがあったらもっと味わって食べるのにと、何度も思いました。バイクのツーリングは極上ですが、欠点は駅弁を食べられないことです。列車万歳!

 ☆☆
北海道の石川先生から本をいただいた話(明治図書『エピソードで語る教師力の極意』)は先日報告しました。今、読んでます。「あとがき」に驚いたことと、石川先生の苦労のあとも見えて、前回よりすんなり読めています。これが、いつか書きたいと思っていたことのきっかけになりそうです。このシリーズが終えたら、書こうと思います。内容は、
○教師が入り込んでしまう「教師らしさの道筋」
○子どもと教師が、教師らしさを回避する手だて
です。きっと長くなります。

道のり  実戦教師塾通信二百七十五号

2013-04-27 11:30:46 | 福島からの報告
 海岸の道


 1 豊間


 二日続けて豊間に向かった。嵐のような雨は、海岸に大きな波を寄せていた。塩屋埼灯台は波のあおりで霞んでいた。四月上旬のブログで「今の様子を撮影します」と予告した場所まで来たが、撮影は次の日となった。これが今の様子だ。
         
ついでと言ってはなんだが、以前に載せた震災直後の写真も。おそらく携帯の写真では判明出来ないと思うが、同じ場所である。
     
無惨なことに変わりはない。あの時、形がそれなりに残っていた家屋に、
「この家を解体することを許可します」
の貼り紙があった。震災直後形をとどめていたものも、今はない。私たち(消防・警察・自衛隊・ボランティア)が「片づけた」のだ。
 確かこの辺だったはずだが、と思いながらさまよううちに、私は当たり前だがとてつもなくやり切れない気分になった。いつもそうだ。あたりは前日とは打って変わって春らしい空気だったし、波も穏やかだった。誰もいない海岸地帯には、傷跡だけがざっくりと鮮やかなのだ。あの頃、数多くのボランティアもそれに立ち会う被災者も、笑顔だった。
 うろうろしているうちに、こんな「二年後」の姿も見つけた。
         

 豊間復興協議会事務所を訪れた。一年前にあったプレハブは、津波で流されたガソリンスタンドの脇にあった。今は、そこから道を少しあがったところに移っていた。十坪ほどの木造の事務所で、区長さん(協議会会長)が話してくれた。
     
 この図面は四倉地区のものであって、豊間のものではない。でも区長さんの話を聞く限りでは、基調はほぼ同じだった。これも携帯を使って読んでいる読者には分かりづらいと思う。海岸線を北上していくに従い堤防の造りが頑強になる図面である。そこをさらに北上した「ニイダヤ水産」がある漁港付近が色違いになっているのは、これから「漁業関係者の話を聞きながら」という場所だからだ。
 左側の堤防断面図で分かるのだが、海岸沿いの幹線道路が堤防の上にはなく、堤防を降りた低いところ、つまり波打ち際になっている。「道から海が見えるように」という計画らしい。住民は、観光を意識したロケーションを考えてもいた。この道路の考えで行けば、津波から逃げる時は車から降りて、堤防を乗り越えていくことになるのだろう。
 私が豊間の事務所を訪れたその前日に、四倉地区での復興実行委員会が開かれている。計画そのものは、豊間も四倉もそんなに変わらない。いわき市全体の計画をもとに進められるからだ。豊間の「協議会方式」の大きな違いは、市から出されたものを、住民の意見で修正してきた、ということだ。残念だが、四倉地区の実行委員会は、個別住民の意見を反映出来るものではない。参加者も、区長や漁業関係者、市民会議選出者と限定されており、ニイダヤ社長さんが言うように、
「説明会の域を出るもんじゃねえ」。
豊間の活動は住民全体のものとなっていて、細かく地域ごとにやるだけではなく、ある時は年代別や女性だけという、その都度、会議参加の呼びかけ対象が変わっている。住民と市をつなぐパイプの役割をうたう協議会なので、
「自分の住宅跡地にいきなり杭が打たれる」
ような事態は、豊間では起こらなかったという。
 ここで細かいことは書かないが、そんな中でこそ、

○集落は50~60世帯の水準が、適切なコミュニティを作る
○祭のときは、津波の到達したラインに沿って神輿(みこし)が練り歩く

などが生まれたのだと思った。市が出してきた区画整理の計画も修正したという。

 私は市の復興計画がどんな経過で確定されたものか知らない。住民のみなさんもその殆どを知らないはずだ。そこのところを調べていつか書かないといけないと思っている。


 2 ツーショットしたのよ

 味噌の送り主のラベルにあった名前をめざとく見つけた集会所の人が、少し色めいた。仲村トオルは、物資を芸名で送ったことはない。そんなあざといことはせず、いつも本名で送ってくれる。その事実を皆さんに知らせるのは、あえて本人の本意ではあるまいと、私は今まで黙っていた。でも本名を知っている人はいる。仕方なく私が解説すると、10人ぐらいの集会所のおばちゃんたちや職員が、一気に盛り上がった。私は仕方なく、その他いろんな方や仲間が、この味噌を送ってくれていますよ、と一応言う。でも、それでいいと私は思う。この仮設住宅に「流れ着いた」人たちが支援の温かさを受け止めてくれる、その場所の一角を仲村トオルが明るく照らしてくれている、それがいいのだ。昨年単身、バレンタインにちなんだチョコをみんなに配った仲村トオルを、みんな大切な思い出にしている。
 あまり見かけない職員(社福)が、
「いつもこうして配りにきているんですか」
と私に言う。そうですよ、と私は言うのだが、大変ですね、と驚いたように言う。これだからシロウトは困ると思い、
「ここの皆さんに配ってもらうなんてするわけがないし、出来るわけがないですよ」
と私は返した。味噌には、ひとつひとつ仲間や友だちの気持ちがこもっている。味噌送ったからどうぞ、みたいなことを私たちはして来なかった。
 話は3月末のドラマの話になった。
「よがったぁ」
「最後は泣げで泣げで」
「親は兄弟のどっちが大事ってわげじゃねえもんな」
「そんなに必死に見で、なにやってんだってうちの人が言うんだ」
「去年はツーショットしたんだぁ」
嬉しそうに話し続けるおばちゃんたちをあとに、役員さんや職員と味噌を配り始める。
 あと(仮設暮らしが)一年ですね、どうですか、ぐらいのひと言をかければいいのにと思いつつ、助かります、いつもありがとうございます、の笑顔を見ると、私はついついホッとしてしまって、入り口をあとにしてしまう。でも、この行為もあと五回しかないと思うと、入り口での会話はもう少しやらないと、と思う。6月は窓も開け放たれているはずだ。
「うちの親、知ってるのかな」
と言ったのは、まっキンキンのソバージュ、真っ赤っ赤の爪で出てきた若い子。もらっていいかためらう姿とのアンバランスが面白くて、笑った。回覧板で見てると思うよ、と私が言うと、そうなんですか、ありがとうとニッコリ笑った。
 そして今度はまた、別な家でドラマの話。味噌を渡す私の顔を見ると、
「見ましたよ」
と言って来る。家の中が見えて、その壁に昨年もらったという仲村トオルのサインが貼ってあった。
 おそらくは、学校に行かないで近所でいつもたむろっている風情の高校生?と中学生がいる家。この日はひとり。
「今日はひとり?」
の私に少しだけうなずいて。
 いろいろな暮らしのそばを、私は今日も少しだけ通っていく。

 昨日はあんなに寒かったのに、味噌を配り終えたら半袖のシャツは汗ばんでいた。


 ☆☆
いわきの「シオヤサキトウダイ」は、正式には「塩屋埼灯台」と書くのです。驚きました。知らなかった。「サキ」に注目してくださいね。ところが、すぐ近くのカントリークラブも観光ホテルも、その名前の頭には「塩屋」と書いてあるそうです。不思議です。

 ☆☆
ついにゴールデンウィークですね。皆さんはどうしているのでしょう。私はスーパーの駅弁フェアで横川の釜飯をゲットすることが目標です。なかなか買えません。ちなみに下の写真は、いわきのセブンイレブンに売っていたUCCコーヒーブラックについてたハーレーダビッドソンです。柏に戻ったらまた買おうと思っていたら、もう売り切れ、終わってました。
           

実戦的なⅢ  実戦教師塾通信二百七十四号

2013-04-23 17:45:14 | 子ども/学校
 若き教師に向けて

       ~その3「無能を乗り越える手だて」~part1「原理」



 ◇この「手だて」の部分、やっぱり長くなりそうです。一回では終わりません。とりあえず今回は「原理的」なところを書きます。

 1 自由な食事

 給食の話から始める。どうして給食か。ここは学校での、
「こうしないといけない」
そしりを免れるための道を考えたい、そんな手続きとして「給食」をたたき台にしたいということだ。
 小学校に勤務の時、私は給食指導なるものをやっていた。30~40年前の十年間だ。そして、その後中学校に異動。そこで15年ほど過ぎてから、中学校での給食指導という場を、私は迎えることになる。久しぶりの給食というものに対して私は、以前の考え方を若干変えないといけないと思った。小学校教員時代の「食」の事情に関しては、
「好き嫌いや栄養のことは家庭でやります。学校では美味しいものをおねがいします」
という親たちの声が象徴していた気がする。この頃は「食生活」が「育てる/育つ」ものとして考えられていた。
 しかし、その15年後の世の中では「食」はまったく違っていた。「飽食」の時代を謳歌していた人々の食べ物に対する感覚は、
「(安いし)うまい」
「なんだったら高くてもいい」
「柔らかい」
「たくさん(または欲しい分)」
といった「大雑把」なものだった。欲しいと思えば「いつでもどこでもなんでもある」という感覚は、贅沢を表しているかのように見えて、実は「淡白な味けなさ」を意味していた。ここに「食を構成するこだわり」といったものが残っているとすれば、もう「好み」だけだ。

 給食が始まって驚いた。生徒たちは揃いも揃って、
「いらない」「少し」
を連発。食材の入ったバケツ(食缶)には、たっぷりと惣菜が残された。それだけではない。配られるままに受け取った料理も、子どもたちは当たり前のように残した。給食台の上の食缶やトレーの中に、子どもたちは無造作に、汚いものでも捨てるように戻した。見るからに食べ散らかしたものは、ほんとに汚く見えた。無惨この上ない眺めだった。
 私の頭の中には目まぐるしく、今の子どもたちの食生活と生活の実態が駆けめぐった。子どもたちの食生活は、

○家でも勝手に(自由に)食べている
○親は子どもが「食べる」ものを与えている
○子どもは「食べたいもの(だけ)」を親にせがんでいる
○親は「その日の気分」の料理・食事をしている
○子どもは「その日の気分」で食事をしている

      
   嫌いなものレギュラー、椎茸とピーマン、デザートの飛車角マドレーヌ

まあ全部殆ど同じことを言っている。好き嫌いや栄養などは二の次である。結果、肉への偏食傾向や、「やわらか~い」「とろけるぅ!」指向。今さらだが、これはプリンやはんぺんに言ってるんではない。肉に言ってやがる。そして、家庭での「食べなさい」の言葉の消失。また、そのバックにある「いらない」の声。親は、
「こうしないと『食べてくれない』」
と言う。だから「リクエスト」と言えば聞こえはいいが、かつてあった積極的な響きが双方にあるわけではない。親の方に「頑張るぞ」という姿勢が脆弱だし(しっかり「頑張っている」家もあるのだが)、頼む方も、
「今日は絶対ハンバーグ!」
と、胸の前で手を合わせるわけではない。有り合わせ、または「なんでもあるデパ地下で買った」ものに、「食べなさい」と言わせる力はない。何せ子どもが「いらない」と言っても、他に食べるものがある。母が作ったカレイのムニエルにそっぽを向いて、冷蔵庫からパックのグラタンをチンすればいいだけだ。


 2 ふたつの違和感

 また、この時食事は、必ずしも「家族」一緒ではない。「いらない」という言葉さえないまま、料理は家人それぞれの「好み」と「都合」にあわせて扱われる。
 これらを裏打ちする子どもたちの生活感覚は、とりあえず「自由」、いやもう少し厳密に言えば「不自由がない」ことだ。給食の時、自分の行為が「不自由な」者の振る舞いに見えてはいけない、という気遣いが発生するのはそのせいだ。だから、
「好き」より「嫌い」
が先行する。それが「自分が自由に選んできた証拠」となるからだ。また同じことだが、見苦しいかも知れない、という遠慮で、
「少し」
が幅を利かせ、
「山盛り」や「お代わり」
を忌避する。「意地汚いのではないか」というわけだ。小学校では女子に多く見られるこの傾向は、中学校では男子まで浸食される。 
 そして、こどもたちにとって、この給食には学校での息苦しさ/違和感が発生している。給食は、
「お揃い」
なのだ。一番が、もちろん
「メニュー」
である。みんな同じ!? なんてこった。席も給食のための班だとぉ? 「勝手」ばかりでなく「自由」でない? と子どもたちは頭を抱える。ここんとこクリアするのが大変な子どもは結構多い。給食の時間に脱けだして、コンビニでカップラーメンや菓子パン&スナック菓子なんぞを買って、部室裏で食べる子があとを絶たないのは、この「不自由さ」も根拠となっている。
 さて、おまけに「いただきます」なる儀式もあると来ている。やっぱり「自由」でも「勝手」でもない。それで、子どもたちが給食に覚える違和感は、時として軽蔑にまで発展する。
 私はこのままでいいとは思えなかった。いや、これはとんでもないことだと思った。

 そろそろひとつ、ここで押さえたい。「メディアリテラシー」のように、目先を変えて子どもの興味を引こうという方法をこの給食にたとえると、子どもの「好み」にあわせた「複数のメニューを」となる。実際それをやっているバカなところもあるらしい。「食べない」ことさえ「自由」の選択肢に入れている子どもたちの現実は、そんな解決法を相手にしないと思われる。
 「おいしくたくさん食べても太らない」というタニタ社員食堂のメニューは、たったの一個だ。このメソッドの大好評はご存知だろう。この方式は、栄養バランスやカロリー、そして大切な「味」のほかに、「仲間みんな」で(社員食堂なのだ)、「同じもの」を「語りながら」食べる、というコンセプトがある。ここには「食事」の重要要素がたくさん盛り付けされているのだ。まさに「同じ釜の飯を食う」とはよく言ったものだ。
 そして、もうひとつの学校的体質がもたらす風景が、
「好き嫌いなく食べる子がいい子」
であり、
「全部食べるまで昼休みは許しません!」
という「毅然とした」姿勢だ。
 こうして食材/料理はますます行き場をなくして、惨めな姿をさらす。イチローの超偏食生活は、思えばこの学校給食がトラウマになっていると、私は記憶している。

 確認しよう。子どもたちの行動/選択には理由がある、ということだ。その筋道を探ることからしか解決は見えない。こどもを「なだめた」り「おだてた」りすることや、逆に「強制的」な「矯正」によっては、解決は先送り、または遠くへとやることになる。
 「実際」どうするか。次号からやってみよう。再び「給食」でやってみよう。


 ☆☆
薄ら寒い日が続きますが、明日から福島行きとなります。お味噌協力者のみなさん、いつもご協力ありがとうございます。また配りながら、少ししゃべってきます。今回、天気が崩れそうです。配る時に雨が降っていなければ、と願っています。
風薫る季節、もうすぐですね。

 ☆☆
やりましたね、佐藤琢磨。インディ500、とうとう優勝です。一年間で11戦戦われるこのインディは、総本山がインディアナポリスでのレースです。F1だと、モナコ戦が頂点というところ。一昨日のロングビーチのコースは、インディには珍しいストリートのコースでした。インディにあんなコースがあったんですねえ。インディのコースは、通常「オーバル(楕円)」状で、陸上競技のトラックのようになっています。アメリカ風の豪快さというか、大体さ加減を感じませんか。ここをひたすら左回りにぐるぐると回る。単純なコースなので、殆どブレーキを踏むこともなく、いつも時速350キロを出している。血液も内臓も、二時間近く常に右側に寄りっぱなしだそうです。
流暢な英語で、被災地を気づかう爽やかな笑顔でした。
おめでとう、佐藤琢磨!
       
   少し関係ないデザインですが、佐藤琢磨におめでとうということで(初版は「砂糖」琢磨でした。カッコわりい。ご指摘ありがとうございます)。
  

実戦的なⅡ  実戦教師塾通信二百七十三号

2013-04-20 15:59:56 | 子ども/学校
 若き教師に向けて

     ~その2「グチが作る学校の王道」~


 1 「これでいいのでしょうか」


      
          季節到来 愛車です

 グチはいいのだろうか。ケースバイケースである。いいことはないにしても、仕方がない場合はある。しかし、前号で示したようなグチはダメだ。
「(生徒が)ひどいもんです」に始まり、そこに自分の「善意と熱意」を訴え、最後に「だめですよ」と結論づける。さらに、「だめですよ」のあとには「ね」を付け加えることを忘れていない。
 こういうグチの類も「報告」のうち、と考えている「優しい」スタッフもいる。しかし、この例は「ひとりプレゼン」→「ひとり協議(討論)」→「ひとり判決(結論)」回路というのであり、概して「ひとりよがり」というのだ。こういう手合いを甘やかしてはいけない。グチとは、自分の非力を嘆くという要素が含まれてこそ、可能性があるものだ。こんな自己肯定のガードでがっちり守ろうとする奴に、未来はない。
 さて、この無能野郎の「だめですよ」「ね」の「ね」のあとに来るものは、
「このままでいいのでしょうか」
である。これは通訳すれば、
「このままではすまんぞ!」
という戦闘宣言、報復の誓いであり、そして、
「あなたもそう思いますよ、ね」のお誘いであり、ならば
「共に手を打とうではありませんか!」
と、あっと言う間に「意志統一」!?の入口にいざなわれていたりする。
 いやあ、これが暴走行為として認定されるほど、学校は健全ではない。言われた方が、自分はそんな話に付き合っているような余裕はない、というレベルだと助かる。しかし、ここに同意し、
「待ってました! 共に闘おう!」
と迎える景色は、残念ながらまだまだ多いのだ。


 2 「いいこと」は「いい」か

 1957年のスペイン映画で『汚れなき悪戯』という、大した映画ではないのだが、子どもの他愛ない遊びの「罪のなさ」を描いたのがある。こともあろうに、等身大のキリストの像を相手に、男の子(マルセリーノ)が他愛のない遊びを繰り返すという、まぁイエスの信者からすると、やっぱり少し大変な映画だったのかな。その後男の子が死んでしまうので、なんかそれでキリストも折り合いつけたのか、みたいな、変な後味の悪さがあった。
 もうひとつ、このブログ上で、一度紹介したような記憶もあるが、柳田国男の『遠野物語』で、

遠野のあるお堂の古ぼけた仏像を子供たちが馬にして遊んでいた。それを近所の者が神仏を粗末にすると叱りとばした。するとこの男はその晩から熱をだして病んだ。枕神がたってせっかく子供たちと面白く遊んでいたのに、なまじ咎(とが)めだてするのは気に食わぬというので、巫女(みこ)をたのんで、これから気をつけると約束すると病気はよくなった。

というのがある。両者、特に後者は「いいも悪いもない」ことを言ってる。「無邪気」なものはあるという、そういう話だ。
 ところが、学校または「学校的現実」はそうではない。
「『いいこと』は『悪いこと』よりいい」
のだ。当たり前でしょう、となる。すべての思考回路はストップする。

○服装は正しい方がいい
○言葉づかいは正しい方がいい
○そうじは勤勉にやる方がいい
○時間は守る方がいい
○食べ物(給食)は好き嫌いなく食べるがいい
○あいさつはきちんと出来た方がいい
等々。
これらはすべて、
「このようであった方がいいに決まってる」
ことである。
 問題はふたつある。ひとつ目は、以前ここで「際限のない正義」として、眉村卓の『ねらわれた学園』を引き合いに出しながら書いたことがある。学校、あるいは学校化社会というものは、いったん言い出したことは後に引けず、ひたすら深化し拡大する方向へと進む。もちろんここでいう「深化拡大」とは、積極的なそれではない、「偏狭な」という意味だ。
 例えばひところはやった服装や頭髪の議論・規則だ。男子の方に限定して考えてみよう。

○初期(黎明期)-みぐるしくないもので
○中期(勃興期)-長すぎないものを、アレンジが過ぎないものを
○後期(爛熟期)-前髪が眉にかからないように、後ろ髪は首にかからないように
○現在(混沌期)-パーマ&茶髪はだめ、見苦しくないように

と、大雑把に書いてみたが、当然これは「坊主頭」以降のことだ。「初期」以前だと、この坊主頭が、
「先生の指を頭に沿って入れた時、髪がその指をはみ出ないように」
だったり、坊主に伴う帽子の問題があって、
「校章を隠すように被ってはいけない」だの、
「フライパンでバターと共に固めてはいけない」
なんていうのもあった。こうするとどっちも、チイさんのハンチング帽のようになるのだ。昔も線引きの境界をどうするかという「問題」では、笑えるものがある。
 「後期(爛熟期)」は、実に様々なスタイルと指導が百花繚乱、桜吹雪で面白いのだ。スキンヘッドという「ネオ右翼」はいいのかとか、ヒゲを蓄えて来るのはどうも見苦しいとか。忘れていけないのは「整髪料」の出現である。まるで「発毛剤」のごとく、「においとべたつき」が摘発の対象になった。いや、製薬会社も大したもので、このあと「においなし/べたつきなし」の製品を開発する。じゃあなんのための「整髪」かとなるのだが、ここんとこの微妙な「おしゃれ」の主張は、向こうさん、ちゃ~んと残しておる。この辺りもホントに、大正製薬の「リアップ」のようだ。それで思うが、結局今流行りのキューピーさんの頭のような、あのお笑いのはなわが、今も広告塔となっている頭の格好って、この「後期」に使われた学校の規則「前髪は眉の上/後ろ髪は首より上」を通過出来る。モヒカン刈りをした生徒が、
「これで違反してないはずだけど」
と、すごんで見せたのを思い出す。やはり「現実は豊か」なのだ。それに追いつこうとすればするほど、生活は息苦しくなる。それは学校の問題に限らない。
 言葉づかいの問題もそうだ。「敬語」を「正しい言葉」と勘違いしているバカがいる。使う場所と相手を選ばないといけない。「マナー」として「敬語」を使うことがいいのであって、そうでない時それは、単なる「他人行儀」になるのだ。敬語は今や昔の「尊敬」「謙譲」「丁寧」のみっつではない。あとふたつ加わったらしい。バカで暇な学者どもが作っちまった。「多くの言葉で営まれている生活」を知らないマヌケな連中が「いい言葉」を奨励している。
 大切なことはなにか。簡単なことだ。
「むきにならない」
ことだ。

 私は小さい頃の十五夜、子どもたちだけで出掛けたことを思い出す。こっそり(本人たちはそのつもりなのだ)他人の家に忍び込んで、縁先に備えてある団子を盗んで食べる、そんな「悪気のない悪さ」のことだ。なぜか大人たちもこの夜だけは、夜遊びを公認した。そして、まんまと「獲物」をいただく快感に、私たちはおおいに満足した。しかし、この快感に関与してくれない相手もいくつかあった。ひとつは、
「どこのどいつだ! 盗っ人が!」
と烈火のごとく怒る家だ。もうひとつが、
「こらこら、こそこそしないで上がって食べていけ」
と、家に招き入れる家だ。
 どちらも、子どもたちのことをちっとも分かっていない。

             愛車 第二弾
          


 ☆☆
40年以上も前に、大学で中途半端に見た大島渚の『日本の夜と霧』、ようやく全編見ました。この映画がきっかけで、大島はプロダクションを追い出され、自ら若手の監督だけのプロダクションを立ち上げます(後の『atg』)。『愛のコリーダ』では、フランスでの撮影。「日本では本番(猥褻な)映画を撮れないから」というのがその理由でした。そんな大島のこの『夜と霧』を理解するのは、多分私たちの世代までだろうな、と思った次第です。
でも、『戦場のメリークリスマス』はもちろん、小学生の子を車にぶつからせ、それで生計を立てつつ、日本を漂流する当たり屋一家を描いた『少年』、これもお勧めですよ。

 ☆☆
なんか寒いですね。北海道は雪!だとか。せっかくしまったストーブです。エアコン使わない私なので、着膨れしています。
北海道の石川先生から本が届きました。『教師力の極意』という、前回と違ってタイトルでげんなりせず(失礼!)、少し(失礼!)楽しみです。ありがとうございました。

実戦的な  実戦教師塾通信二百七十二号

2013-04-16 18:23:07 | 子ども/学校
 若き教師に向けて

      ~その1「問題摘出」~


          
      藤沢とおる『GTO』より

 1 置き去りにしたもの


 鬼塚(GTO)のように、こんな希望に満ちた春を迎えた教師もいるかも知れない。
 学校が新学期を迎えた。若手の教師たちから、私のところにいくつか相談が来ている。新学期とは、転勤していった先生に変わって、よその学校から、あるいは先生の卵として、先生が学校に新しく入ってくる季節だ。新しく入ってくる中に必ずいる、困った先生たちを見て、私は毎年思ったものだ。この先生は、今までいた学校で勉強したことを、ちゃんと身につけて異動してきたのだろうか、と。つまり、来たばかりの学校で、事情も分からないはずなのだが、カッコいいことを言うのが必ずいるのだ。多くはないが、必ずいる。そして、こいつらが結構、職場/学校を引っかき回すわけだ。若手の相談は、聞けばどれもそんな類であった。
 今までいた学校で、そんなにうまくいっていたわけではなかったはずなのだ。でも、
「この学校ではどうしてますか」
と聞くあたりはまだいいのだが、
「それでは生徒に良くないのではないでしょうか」
となり、果ては、
「私はこうしてきました」
と、「指導助言」的な姿勢を示し始める。こうも自信を持って語りが始まると、その姿に目がくらんで、こいつの向こうを張ろうという人はあんまり出てこない。大した人なんだろうな、ぐらいに思ってしまう。なによりみんな、自分のやって来たことに、そんなに自信があるわけではない。
 こんな奴に大した奴がいた試しはない。なにがダメか。
「まず『現物』を見てみよう」
という態度に欠けているからだ。同じ態度で生徒を見ることは分かりきっている。「見る」前に結論付けることは、こういう連中の基本的態度となっている。
 驚きだが、実は、同じ学校にいても似たような現象にでくわす。つまり、自分がさんざん生徒で苦労し、というより、生徒から相手にされずに、やっとこ卒業させたという経験を持つ教師、その当人が、その無惨な過去を顧みることもなく、というか、潔く捨て去って、
「このままでいいのでしょうか」
などという。大体が、服装や時間や授業態度など、もっと厳しくしないといけない、そういうシステム、きまりを作らないといけない、といった「主張」である。自分の失敗は、きまりが不十分だったせいだ、という結論らしい。あるいは、みんなで厳しく臨まなかったのが原因である、ということらしい。そしてさらに、三年生(中学校)が示しをつけてくれないと、こっちの一年生が困る、と平気で言い始める。そうなれば、オイオイ待ってくれよ、オマエが三年を受け持った時って、生徒メチャメチャじゃなかったっけ?とみんな思うでしょ。そんなことが起こる、学校の春である。
 だから、今度の三年も爆発していいと言うのではない。一年生もだらしなくてもいい、と言うのでもない。失敗するのには訳がある。そこんとこきちんと出し合いましょう、となんでならないの?って、普通に思うわけだ。きまりがあればきちんと出来るって言うんなら、警察はいらないからね。


 2 「禁止」への道

「ひどいもんですよ」
「教科書は出さないし、寝てるんですよ」
「親切に注意してるのに、ですよ」
「しょうがないから授業始めたら、今度は起きておしゃべりですよ」
「注意したら今度は、うるせえ、ですからね」
「どうしようもないですよね」
「あんな奴、この先もどうしようもないですね」

こんなしょうもない話を職員室でよく聞く。確かに大変な現実はある。今の子どもたちは、自分の身辺で起こっている出来事を理解することはもちろん、処理することなど思いも寄らない現実を抱えている。

なんで聞きたくもない話を聞かないといけないの/なんでじっとこうして座ってるわけ?/仲がいいわけでもないのが隣にいるし/前でずっとしゃべってるの、あれって誰よ等々。

これってもしかしたら「退屈」って奴?みたいなそんな現実である。子どもたち自身が、自分たちにとっての「必要/不要」を選びとって来ればこんなことは起こらない。子どもたちに、そんな「必要/不要」を選択する技術や手だて、そして生活というものを、私たちが示して来なかった、その結果と思える。
 私は考えてしまう。小さい頃、山に虫取りに出掛け、夢中のうちに暗くなる時を迎え、あわてて走って、転んで膝を擦りむいた時の痛みと心細さを、私ははっきり思い出すことが出来る。それは、あの芥川の『トロッコ』の、
「その路をやっと登り切ったら、今度は高い崖の向こうに、広々とした薄ら寒い海が開けた。と同時に良平の頭には、余り遠く来過ぎたことが、急にはっきりと感じられた」
が、了解/承認出来る世界だ。今の子どもたちは、このような「自由/孤独」な世界を経験しているのだろうか、と思う。経験しているのなら、是非それを知りたい、とまじめに思っている。
 また、子どもたちが、自分の周辺で起こっていることに無頓着に過ごしているとはいえ、自分の身の上に起こった出来事を認めざるを得ないこともあるはずだ。例えば、いつの間にか毛が生えて来た自分のことを、その「不可解で不愉快な」出来事を認めないで過ごすことは、今どきでも不可能なのだ。「大人への道」は、避けることができないものとしてある。それを「知らんぷり」させておく手はない。手がかり、いや、この場合、相手(子ども)の「弱み」と言ってもいい、それを利用しない手はない、ということだ。

           
           (同上)
ここの最初のところで紹介したしょうもない会話の行き着くところは三つだ。ひとつは

○メディアリテラシー
とか言ってるやつ。私に言わせれば「ビジュアル系」だ。子どもの目先を変えて「授業に飽きさせない」というのが、有効な根拠となっている。次は、

○授業を大切にするよう、毅然とした態度で生徒に臨む
というやつ。初めのやつは、子どもへの「ご機嫌とり」。二番目は「空威張り」。
 私がやって一番面白い、と思うのは、やっぱり

○こいつどんな奴? 面白い奴?それともただのバカ?
という、子どもへの興味に尽きてしまう。
 一応断るが、私の授業の準備は、結構しつこいですよ。内容で勝負とまでは言わないが、私が面白いと思ったものを、子どもと共有できたらと、そう強く思う。でも、子どもへの興味が、はるかにそれを上回る。


 ☆☆
このシリーズ、悩める教師向けです。でも、学校の事情をよく知らない一般の方にも読んで欲しいです。どんな風に思うんだろ。三回続けます。次回は「グチが学校の王道を作る筋道」といったこと、終わりの回は「無能を乗り越える手だて」、という予定です。ホントに同じことを学校は繰り返すのだなあと、つくづく思う春です。

 ☆☆
ボストンマラソン、大変なことになりましたね。それで思い出したんですが、知ってますか。今国会で「日本船舶警備特別措置法案」というのが提出されます。この法案がとおると、民間の武装した警備員が、アラビア海周辺の日本の船に乗船します。そして、最悪の場合、船体射撃ばかりでなく、海賊に向けて発砲出来るようになります。レスリング吉田選手のALSOKがそれを?って、違うんです。外国の警備会社が代行するんです。なんか無茶苦茶ですが、イラクの戦争に、地元の民間警備会社の社員(民営の軍隊と呼ばれています)が参加していたことは余り知られていません。そんなことも私たちは覚えておいた方がよさそうです。