教師の善意/親の愛
~その8 コラム「生活保護」~
1 辛坊氏の辛抱
ニュースキャスターの辛坊治郎たちが、出発後あっと言う間に太平洋横断を断念した。鯨と衝突(しょうとつ)したという。救助費用(4000万円)をどうするかで、ずいぶん話題になっている。本人は記者会見の席上で、
「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり、反省しなければ」
と涙ながらの謝罪をしたらしい。騒ぐこともない、と思っていた私だが、その後、今度は『週刊新潮』の取材に対して、2004年のイラク人質事件の時、人質の高遠さんたちに対し、辛坊氏が、あの「自己責任論」を積極的に展開したことに触れている。したがって、
「言ってることとやってることが違うと言われても仕方ない」
と、辛坊氏は言っている。正直なのはいいが、そうなれば見過ごすわけには行くまい。ていうか、調べてみれば、辛坊氏、かなり辛辣(しんらつ)&がむしゃらに「自己責任論」展開してましたね。あの時の救助費用は1000万円超、人質当事者と支援団体は、支払いを拒否。警視庁が、
「ヤラセじゃねえのか」
と「自作自演」の疑惑をもとに取り調べに入るが、結局断念、といういきさつもあった。いま思い出しても恥ずかしい。当時の海外メディアは、この日本の態度を「邦人保護」の原則を逸脱(いつだつ)しているのではないか、と口を揃(そろ)え、「日本人の不可思議な感覚」とハテナマークを出した。パウエル米国務長官(当時)の「日本の人はどうしてそんなことを言うのか」と当時の日本の風潮を戒(いまし)める発言は、ここで以前書いた。国民の血税を浪費(ろうひ)する「非国民」を非難するため、プラカード持参で羽田空港の特別機を待つあのバカ共が鮮(あざ)やかに蘇(よみがえ)る。
辛坊氏は、
「危険を承知で出向いたものを救出する必要があるのか」
という、今は自分に向けられた「自己責任論」の決着をつける必要がある。
2 父と母
人の噂(うわさ)もなんとやら、の御多分に漏(も)れず、私も辛坊氏の御乱心を忘れていたのであって、こんなことでいいのか、とは自分に対して思ったことだ。辛坊氏がイラクのことを蒸(む)し返した誠実があったわけではあるまい。おそらくは周囲が黙っていなかっただけだ。
「あの時(2004年)、あなたはこうおっしゃいましたが」
という、メディア内(仲間うち)の声がなかったはずはないのだ。
この辛坊氏救出に限らず、税金の使い道がずいぶん話題になっているこの頃である。復興予算が不当に流用されていることが再び話題になった。復興のための(電子)書籍出版は、結局大手の会社中心で、しかも、内容は震災と直接関係ないものだったと、28日の東京新聞が報じている。中小からの申請がなかったことと、予算を消化しないといけない、という中で出てきた相変わらずの天下泰平ぶりだったようだ。
ということで、その税金の使い道のことになる。話題の「生活保護改正案」のことだ。国民の血税を不正に受け取っている連中が膨大(ぼうだい)な数に登っているというのが改正案の主旨だ。
本題に入る前に、私の「生活保護体験」を少し書いておきたい。何度かこのブログ上で触れたように、私の家は自慢ではないが、群をぬいての貧困(ひんこん)生活だった。今は銀行振り込みになった集金を、当時は担任が集めていたことなど思い出す。「手集金」という。集金袋の中で音をたてるわずかな硬貨を私が持っていくと、周りが
「どうしてコトヨリ君はこんなに少ないの?」
と、うらやましそうにか、うらめしそうに私や担任に聞いたことや、あるいは母が悔(くや)しそうにか、憤(いきどお)ってか、まるで食ってかかるように
「覚えておくのよ。お母さんに臨時(りんじ)収入があると、生活保護が削(けず)られるのよ。こんなバカなことがあるのよ」
と、まだ小さい私に言っていたことなどを思い出す。その時母は、実は裕福だった実家から勘当(かんどう)状態にあった。
「今の夫と離縁(りえん)して家に戻って来るか、それでなかったらオマエは、もう我が家とは関係のない人間だ」
と言われたのだ。当時、武装闘争を掲(かか)げて、非合法下にあった共産党の活動家だった父に、母の実家は烈火(れっか)のごとく怒ったのだ。結局母は、父との生活を選択したのだった。ちゃんとした収入が約束される生活を目指したところで、父は他界した。これで貧困のグレードがまたあがった。
3 「生活保護改正案」
とりあえず、与野党の政治屋どものドタバタで国会が閉会したため、この法案は廃案となった。もちろんホッとしてはいられない。
何より、この「不正受給者」なるものの割合だが、NHKの報告によれば、全体の0,4%なのだ。1000人に4人ということになる。しかし、この法案も世間も、許せない受給者がごまんといる、という勢いだ。
①「厳格」な書類審査
私が今回の「改正」でまず引っかかったのが、書類上の「厳密」さである。生活保護を受けるため、本人の両親だけでなく、親族が
「保護を受ける本人の面倒を見る余裕がない、その気持ちがない」
ことを証明することとなっている。
私は、かつての我が家を思い出す。母はあの時、実家にどの面(つら)さげて、お願いします、書いてくださいだの、ハンコ押してだの言えただろうか。あの時の事情で考えれば、書類の不備で我が家が生活保護の対象から外されるのは見えている。
② パチンコ禁止
もっと気になることがある。
朝のニュースで、生活保護を受けている受給者の、追跡調査をしている映像が流れた。
「入りました。いま、パチンコ屋に入りました」
などとやっている。そして、
「ようやく出てきました。6時間を経過しています」
と続く。
これを見ていて、私は情けなくなってしまった。この映像は、それこそ0,4%の「不正受給者」を追跡したものなのだろう。確かに、6時間パチンコ屋に入り浸(ひた)っていれば、告発の対象になるだろう。しかし、だ。この6時間は別としても、
「生活保護を受けているものはパチンコも出来ないのか」
保護を受けている人たちの「自立」を、改正法はあげている。しかし、今の報道や世間を見ている限り、保護を受けるものは最低限の「衣食住」にプラスして、そこには「礼節」がなければならない、とでも言っているかのように見える。アルコール依存症と、お酒をたしなむこととは別なことだ。しかし、
「生活保護を受けているものは酒を飲んではいけない」
はずがない。お節介(おせっかい)な議論が始まっている、と思うのは私だけなのだろうか。
以前、避難所に支援を呼びかけた時(もう二年前のことだ)、新潟の仲間に「酒」を要請したことを思い出す。快諾(かいだく)してくれた仲間の周辺で、
「避難所でお酒なんか飲んでいいのか」
というチャチャが入ったことを、あの時報告した。被災者は酒を飲むどころじゃないだろう、という偉(えら)そうで傲慢(ごうまん)な態度を思い出す。
ちなみに報告するが、避難所での飲酒は、避難所ごとに違っているが、多くは許可されたコーナーか、屋外でされていた。ひっそりとされたところもあったが。
ついでに、「衣食住」を削(けず)って、ブランド&整形につぎ込んでいた中村うさぎが、この「生活保護改正案」にコメントを言わせるとどうなるのかな、なんてことも思った。
☆☆
以前、茨城は友部のサービスエリアで、ハーレーの方と長話をした、とここで報告しました。その方から連絡を受けました。福島の干物屋の支援をしている、との私の話に、はるばる「ニイダヤ水産」を訪ねたというのです。名刺って役にたつんですね。嬉しい話でした。ニイダヤ社長と一緒に、
「これからも頑張ろう」
と、あらためて誓(ちか)いました。
☆☆
規制委員会が「規制」され始めますね。私は、7月の参院選までは規制委員会は機能する、と踏んでいましたが、先だっての都議選の結果を見て、どうやら自民党さん、待ちきれないとの思いですね。自民の衆参議員連盟が、「規制委員会の監督強化」提言をまとめたのは、都議選結果が出た翌日(よくじつ)ですからねえ。都議選の投票率が歴代二番目の低さだったというのは、関係がないわけです。
この翌日、規制委員会の田中委員長が
「(電力会社などが)気に入った結論が出なければ『意見が聞かれていない』と言うのは違う」
という、しごく真っ当な反論をしています。
梅雨明けの頃合いが投票日。カラッとするのか、じめっとするのか、憂鬱(ゆううつ)な気分はとれませんね。
~その8 コラム「生活保護」~
1 辛坊氏の辛抱
ニュースキャスターの辛坊治郎たちが、出発後あっと言う間に太平洋横断を断念した。鯨と衝突(しょうとつ)したという。救助費用(4000万円)をどうするかで、ずいぶん話題になっている。本人は記者会見の席上で、
「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり、反省しなければ」
と涙ながらの謝罪をしたらしい。騒ぐこともない、と思っていた私だが、その後、今度は『週刊新潮』の取材に対して、2004年のイラク人質事件の時、人質の高遠さんたちに対し、辛坊氏が、あの「自己責任論」を積極的に展開したことに触れている。したがって、
「言ってることとやってることが違うと言われても仕方ない」
と、辛坊氏は言っている。正直なのはいいが、そうなれば見過ごすわけには行くまい。ていうか、調べてみれば、辛坊氏、かなり辛辣(しんらつ)&がむしゃらに「自己責任論」展開してましたね。あの時の救助費用は1000万円超、人質当事者と支援団体は、支払いを拒否。警視庁が、
「ヤラセじゃねえのか」
と「自作自演」の疑惑をもとに取り調べに入るが、結局断念、といういきさつもあった。いま思い出しても恥ずかしい。当時の海外メディアは、この日本の態度を「邦人保護」の原則を逸脱(いつだつ)しているのではないか、と口を揃(そろ)え、「日本人の不可思議な感覚」とハテナマークを出した。パウエル米国務長官(当時)の「日本の人はどうしてそんなことを言うのか」と当時の日本の風潮を戒(いまし)める発言は、ここで以前書いた。国民の血税を浪費(ろうひ)する「非国民」を非難するため、プラカード持参で羽田空港の特別機を待つあのバカ共が鮮(あざ)やかに蘇(よみがえ)る。
辛坊氏は、
「危険を承知で出向いたものを救出する必要があるのか」
という、今は自分に向けられた「自己責任論」の決着をつける必要がある。
2 父と母
人の噂(うわさ)もなんとやら、の御多分に漏(も)れず、私も辛坊氏の御乱心を忘れていたのであって、こんなことでいいのか、とは自分に対して思ったことだ。辛坊氏がイラクのことを蒸(む)し返した誠実があったわけではあるまい。おそらくは周囲が黙っていなかっただけだ。
「あの時(2004年)、あなたはこうおっしゃいましたが」
という、メディア内(仲間うち)の声がなかったはずはないのだ。
この辛坊氏救出に限らず、税金の使い道がずいぶん話題になっているこの頃である。復興予算が不当に流用されていることが再び話題になった。復興のための(電子)書籍出版は、結局大手の会社中心で、しかも、内容は震災と直接関係ないものだったと、28日の東京新聞が報じている。中小からの申請がなかったことと、予算を消化しないといけない、という中で出てきた相変わらずの天下泰平ぶりだったようだ。
ということで、その税金の使い道のことになる。話題の「生活保護改正案」のことだ。国民の血税を不正に受け取っている連中が膨大(ぼうだい)な数に登っているというのが改正案の主旨だ。
本題に入る前に、私の「生活保護体験」を少し書いておきたい。何度かこのブログ上で触れたように、私の家は自慢ではないが、群をぬいての貧困(ひんこん)生活だった。今は銀行振り込みになった集金を、当時は担任が集めていたことなど思い出す。「手集金」という。集金袋の中で音をたてるわずかな硬貨を私が持っていくと、周りが
「どうしてコトヨリ君はこんなに少ないの?」
と、うらやましそうにか、うらめしそうに私や担任に聞いたことや、あるいは母が悔(くや)しそうにか、憤(いきどお)ってか、まるで食ってかかるように
「覚えておくのよ。お母さんに臨時(りんじ)収入があると、生活保護が削(けず)られるのよ。こんなバカなことがあるのよ」
と、まだ小さい私に言っていたことなどを思い出す。その時母は、実は裕福だった実家から勘当(かんどう)状態にあった。
「今の夫と離縁(りえん)して家に戻って来るか、それでなかったらオマエは、もう我が家とは関係のない人間だ」
と言われたのだ。当時、武装闘争を掲(かか)げて、非合法下にあった共産党の活動家だった父に、母の実家は烈火(れっか)のごとく怒ったのだ。結局母は、父との生活を選択したのだった。ちゃんとした収入が約束される生活を目指したところで、父は他界した。これで貧困のグレードがまたあがった。
3 「生活保護改正案」
とりあえず、与野党の政治屋どものドタバタで国会が閉会したため、この法案は廃案となった。もちろんホッとしてはいられない。
何より、この「不正受給者」なるものの割合だが、NHKの報告によれば、全体の0,4%なのだ。1000人に4人ということになる。しかし、この法案も世間も、許せない受給者がごまんといる、という勢いだ。
①「厳格」な書類審査
私が今回の「改正」でまず引っかかったのが、書類上の「厳密」さである。生活保護を受けるため、本人の両親だけでなく、親族が
「保護を受ける本人の面倒を見る余裕がない、その気持ちがない」
ことを証明することとなっている。
私は、かつての我が家を思い出す。母はあの時、実家にどの面(つら)さげて、お願いします、書いてくださいだの、ハンコ押してだの言えただろうか。あの時の事情で考えれば、書類の不備で我が家が生活保護の対象から外されるのは見えている。
② パチンコ禁止
もっと気になることがある。
朝のニュースで、生活保護を受けている受給者の、追跡調査をしている映像が流れた。
「入りました。いま、パチンコ屋に入りました」
などとやっている。そして、
「ようやく出てきました。6時間を経過しています」
と続く。
これを見ていて、私は情けなくなってしまった。この映像は、それこそ0,4%の「不正受給者」を追跡したものなのだろう。確かに、6時間パチンコ屋に入り浸(ひた)っていれば、告発の対象になるだろう。しかし、だ。この6時間は別としても、
「生活保護を受けているものはパチンコも出来ないのか」
保護を受けている人たちの「自立」を、改正法はあげている。しかし、今の報道や世間を見ている限り、保護を受けるものは最低限の「衣食住」にプラスして、そこには「礼節」がなければならない、とでも言っているかのように見える。アルコール依存症と、お酒をたしなむこととは別なことだ。しかし、
「生活保護を受けているものは酒を飲んではいけない」
はずがない。お節介(おせっかい)な議論が始まっている、と思うのは私だけなのだろうか。
以前、避難所に支援を呼びかけた時(もう二年前のことだ)、新潟の仲間に「酒」を要請したことを思い出す。快諾(かいだく)してくれた仲間の周辺で、
「避難所でお酒なんか飲んでいいのか」
というチャチャが入ったことを、あの時報告した。被災者は酒を飲むどころじゃないだろう、という偉(えら)そうで傲慢(ごうまん)な態度を思い出す。
ちなみに報告するが、避難所での飲酒は、避難所ごとに違っているが、多くは許可されたコーナーか、屋外でされていた。ひっそりとされたところもあったが。
ついでに、「衣食住」を削(けず)って、ブランド&整形につぎ込んでいた中村うさぎが、この「生活保護改正案」にコメントを言わせるとどうなるのかな、なんてことも思った。
☆☆
以前、茨城は友部のサービスエリアで、ハーレーの方と長話をした、とここで報告しました。その方から連絡を受けました。福島の干物屋の支援をしている、との私の話に、はるばる「ニイダヤ水産」を訪ねたというのです。名刺って役にたつんですね。嬉しい話でした。ニイダヤ社長と一緒に、
「これからも頑張ろう」
と、あらためて誓(ちか)いました。
☆☆
規制委員会が「規制」され始めますね。私は、7月の参院選までは規制委員会は機能する、と踏んでいましたが、先だっての都議選の結果を見て、どうやら自民党さん、待ちきれないとの思いですね。自民の衆参議員連盟が、「規制委員会の監督強化」提言をまとめたのは、都議選結果が出た翌日(よくじつ)ですからねえ。都議選の投票率が歴代二番目の低さだったというのは、関係がないわけです。
この翌日、規制委員会の田中委員長が
「(電力会社などが)気に入った結論が出なければ『意見が聞かれていない』と言うのは違う」
という、しごく真っ当な反論をしています。
梅雨明けの頃合いが投票日。カラッとするのか、じめっとするのか、憂鬱(ゆううつ)な気分はとれませんね。