実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

生活保護  実戦教師塾通信二百九十四号

2013-06-30 11:45:02 | ニュースの読み方
 教師の善意/親の愛

    ~その8 コラム「生活保護」~


 1 辛坊氏の辛抱


 ニュースキャスターの辛坊治郎たちが、出発後あっと言う間に太平洋横断を断念した。鯨と衝突(しょうとつ)したという。救助費用(4000万円)をどうするかで、ずいぶん話題になっている。本人は記者会見の席上で、
「救助にたくさんの人手や税金を使うことになり、反省しなければ」
と涙ながらの謝罪をしたらしい。騒ぐこともない、と思っていた私だが、その後、今度は『週刊新潮』の取材に対して、2004年のイラク人質事件の時、人質の高遠さんたちに対し、辛坊氏が、あの「自己責任論」を積極的に展開したことに触れている。したがって、
「言ってることとやってることが違うと言われても仕方ない」
と、辛坊氏は言っている。正直なのはいいが、そうなれば見過ごすわけには行くまい。ていうか、調べてみれば、辛坊氏、かなり辛辣(しんらつ)&がむしゃらに「自己責任論」展開してましたね。あの時の救助費用は1000万円超、人質当事者と支援団体は、支払いを拒否。警視庁が、
「ヤラセじゃねえのか」
と「自作自演」の疑惑をもとに取り調べに入るが、結局断念、といういきさつもあった。いま思い出しても恥ずかしい。当時の海外メディアは、この日本の態度を「邦人保護」の原則を逸脱(いつだつ)しているのではないか、と口を揃(そろ)え、「日本人の不可思議な感覚」とハテナマークを出した。パウエル米国務長官(当時)の「日本の人はどうしてそんなことを言うのか」と当時の日本の風潮を戒(いまし)める発言は、ここで以前書いた。国民の血税を浪費(ろうひ)する「非国民」を非難するため、プラカード持参で羽田空港の特別機を待つあのバカ共が鮮(あざ)やかに蘇(よみがえ)る。
 辛坊氏は、
「危険を承知で出向いたものを救出する必要があるのか」
という、今は自分に向けられた「自己責任論」の決着をつける必要がある。


 2 父と母

 人の噂(うわさ)もなんとやら、の御多分に漏(も)れず、私も辛坊氏の御乱心を忘れていたのであって、こんなことでいいのか、とは自分に対して思ったことだ。辛坊氏がイラクのことを蒸(む)し返した誠実があったわけではあるまい。おそらくは周囲が黙っていなかっただけだ。
「あの時(2004年)、あなたはこうおっしゃいましたが」
という、メディア内(仲間うち)の声がなかったはずはないのだ。
 この辛坊氏救出に限らず、税金の使い道がずいぶん話題になっているこの頃である。復興予算が不当に流用されていることが再び話題になった。復興のための(電子)書籍出版は、結局大手の会社中心で、しかも、内容は震災と直接関係ないものだったと、28日の東京新聞が報じている。中小からの申請がなかったことと、予算を消化しないといけない、という中で出てきた相変わらずの天下泰平ぶりだったようだ。

 ということで、その税金の使い道のことになる。話題の「生活保護改正案」のことだ。国民の血税を不正に受け取っている連中が膨大(ぼうだい)な数に登っているというのが改正案の主旨だ。
 本題に入る前に、私の「生活保護体験」を少し書いておきたい。何度かこのブログ上で触れたように、私の家は自慢ではないが、群をぬいての貧困(ひんこん)生活だった。今は銀行振り込みになった集金を、当時は担任が集めていたことなど思い出す。「手集金」という。集金袋の中で音をたてるわずかな硬貨を私が持っていくと、周りが
「どうしてコトヨリ君はこんなに少ないの?」
と、うらやましそうにか、うらめしそうに私や担任に聞いたことや、あるいは母が悔(くや)しそうにか、憤(いきどお)ってか、まるで食ってかかるように
「覚えておくのよ。お母さんに臨時(りんじ)収入があると、生活保護が削(けず)られるのよ。こんなバカなことがあるのよ」
と、まだ小さい私に言っていたことなどを思い出す。その時母は、実は裕福だった実家から勘当(かんどう)状態にあった。
「今の夫と離縁(りえん)して家に戻って来るか、それでなかったらオマエは、もう我が家とは関係のない人間だ」
と言われたのだ。当時、武装闘争を掲(かか)げて、非合法下にあった共産党の活動家だった父に、母の実家は烈火(れっか)のごとく怒ったのだ。結局母は、父との生活を選択したのだった。ちゃんとした収入が約束される生活を目指したところで、父は他界した。これで貧困のグレードがまたあがった。


 3 「生活保護改正案」

 とりあえず、与野党の政治屋どものドタバタで国会が閉会したため、この法案は廃案となった。もちろんホッとしてはいられない。
 何より、この「不正受給者」なるものの割合だが、NHKの報告によれば、全体の0,4%なのだ。1000人に4人ということになる。しかし、この法案も世間も、許せない受給者がごまんといる、という勢いだ。

①「厳格」な書類審査
 私が今回の「改正」でまず引っかかったのが、書類上の「厳密」さである。生活保護を受けるため、本人の両親だけでなく、親族が
「保護を受ける本人の面倒を見る余裕がない、その気持ちがない」
ことを証明することとなっている。
 私は、かつての我が家を思い出す。母はあの時、実家にどの面(つら)さげて、お願いします、書いてくださいだの、ハンコ押してだの言えただろうか。あの時の事情で考えれば、書類の不備で我が家が生活保護の対象から外されるのは見えている。

② パチンコ禁止
 もっと気になることがある。
 朝のニュースで、生活保護を受けている受給者の、追跡調査をしている映像が流れた。
「入りました。いま、パチンコ屋に入りました」
などとやっている。そして、
「ようやく出てきました。6時間を経過しています」
と続く。
 これを見ていて、私は情けなくなってしまった。この映像は、それこそ0,4%の「不正受給者」を追跡したものなのだろう。確かに、6時間パチンコ屋に入り浸(ひた)っていれば、告発の対象になるだろう。しかし、だ。この6時間は別としても、
「生活保護を受けているものはパチンコも出来ないのか」

 保護を受けている人たちの「自立」を、改正法はあげている。しかし、今の報道や世間を見ている限り、保護を受けるものは最低限の「衣食住」にプラスして、そこには「礼節」がなければならない、とでも言っているかのように見える。アルコール依存症と、お酒をたしなむこととは別なことだ。しかし、
「生活保護を受けているものは酒を飲んではいけない」
はずがない。お節介(おせっかい)な議論が始まっている、と思うのは私だけなのだろうか。
 以前、避難所に支援を呼びかけた時(もう二年前のことだ)、新潟の仲間に「酒」を要請したことを思い出す。快諾(かいだく)してくれた仲間の周辺で、
「避難所でお酒なんか飲んでいいのか」
というチャチャが入ったことを、あの時報告した。被災者は酒を飲むどころじゃないだろう、という偉(えら)そうで傲慢(ごうまん)な態度を思い出す。
 ちなみに報告するが、避難所での飲酒は、避難所ごとに違っているが、多くは許可されたコーナーか、屋外でされていた。ひっそりとされたところもあったが。
 ついでに、「衣食住」を削(けず)って、ブランド&整形につぎ込んでいた中村うさぎが、この「生活保護改正案」にコメントを言わせるとどうなるのかな、なんてことも思った。


 ☆☆
以前、茨城は友部のサービスエリアで、ハーレーの方と長話をした、とここで報告しました。その方から連絡を受けました。福島の干物屋の支援をしている、との私の話に、はるばる「ニイダヤ水産」を訪ねたというのです。名刺って役にたつんですね。嬉しい話でした。ニイダヤ社長と一緒に、
「これからも頑張ろう」
と、あらためて誓(ちか)いました。

 ☆☆
規制委員会が「規制」され始めますね。私は、7月の参院選までは規制委員会は機能する、と踏んでいましたが、先だっての都議選の結果を見て、どうやら自民党さん、待ちきれないとの思いですね。自民の衆参議員連盟が、「規制委員会の監督強化」提言をまとめたのは、都議選結果が出た翌日(よくじつ)ですからねえ。都議選の投票率が歴代二番目の低さだったというのは、関係がないわけです。
この翌日、規制委員会の田中委員長が
「(電力会社などが)気に入った結論が出なければ『意見が聞かれていない』と言うのは違う」
という、しごく真っ当な反論をしています。
梅雨明けの頃合いが投票日。カラッとするのか、じめっとするのか、憂鬱(ゆううつ)な気分はとれませんね。

復旧の陰に  実戦教師塾通信二百九十三号

2013-06-27 12:28:57 | 福島からの報告
 やり切れない思い 2

      ~その2 仕方がないのか~


 1 ラーメン屋さん


 以前ここで取り上げたが、避難先のいわきで営業を始めた食堂の話を、干物屋の社長さんと今もまだ続けている。原発立地点から避難を余儀なくされて、いわき海岸の近くで店を再開した、あの店のことだ。
 その食堂の経営者が、店のすぐ横にある、津波で更地(さらち)になった土地を買い取って民宿を始めた、というところまでは報告した。結局、その民宿は原発の作業員の宿舎になっている、という干物屋の社長さんの話だった。それらの建設費用は、政府・東電の補償金でやりくりしたという。それでまた新たな問題が出てきたんだ、と社長は言った。
「それまで地元で営業していた近隣の魚屋が、結構その影響を受けているんだってよ」
という。
 私は、双葉地区から避難し、郡山でラーメン屋を始めた人のことを再び思い出した。
 郡山という、自分にとっては異郷の地。そこでやっとの思いで始めたラーメン屋。ところが売り上げ/もうけの分から、補償金が差し引かれた。こんな理屈があっていいのか、と問題にされて後、補償金は今までどおりの据え置き(すえおき)となった話のことだ。
 しかし、このいわき海岸近辺での出来事で、私はまた考えてしまった。郡山のラーメン屋さんは、店の営業実績と補償金の両方を手にする。当然のことだ。しかし、近くの商店、とりわけラーメン屋は、このことを素直に受け入れられたのだろうか。自分の競争相手は、もうけがあろうとなかろうと、お金が入るのに、自分はもうけだけだ。と、こんなことまで思うようになるのが人情というもんではないだろうか。そして、余所(よそ)から来た人間が客を奪っている、と思っていても不思議ではない。これが普通の状態だったら、相手は単なる競争相手にすぎないというのに。
 私と社長は、よく聞かれるようになった、双葉地区からの避難してきた人たちに対する「いわき市民の声」について考えた。

「住民税も払ってないのにゴミを出す」
「病院での待ち時間がとてつもなく長くなった」
「でも、待合室で『まだか』『何してる』というのは、私たちいわき市民ではない」
「スーパーでいつもいいものを買っている。補償金があるから」
「パチスロをいつも一杯にしているのはあの人たちだ」等々

本当にそうなのだろうか、と思うこともたくさんある。確かに、私が避難所での生活で見たことや、仮設住宅でのイベントを見てきた経験で思い当たることもある。しかし、この辺りで私と社長は意見の一致を見る。

「あの人たちだって、ここに来たくて来たのではない」
「故郷を追い出されて来た人たちだ」
「住みにくい、生きにくいと思っていることは間違いない」
「故郷には古くから住み慣れた家、あるいはまだローンがすんでいないピカピカの家がある」
「そして、見慣れた海や景色、通い慣れた道がある」

仕事を探す気力もなく、また実際、探したところで仕事のない中、パチスロに引きこもる双葉地区の被災者の姿を「堕落(だらく)した、落ちぶれた姿」だと蔑む(さげすむ)のは、いわきの被災者なのだ。
 はっきり言えることは、原発という核分裂をもたらすものが、人々をも分裂させていることだ。本当はいままでもそうだった。目の前に金をぶら下げられて、ある人たちは
「地域が活性化する」「日本の成長のために」
と原発を歓迎し、そして別な人たちは
「故郷を捨てるのか」「海を売る気か」
と、激しくやりあった1970年代から分裂が始まった。新たな分裂がこうしてはっきりした姿をとっている。
 こんな時私は、海岸線から遠く離れたいわき市街地で暮らす人たちが私に言う、
「いわきもずいぶん落ち着きましたでしょ」
という言葉や、
「福島の復旧はまだまだなんでしょうね」
と言って来る首都圏の人たちを思い出してしまう。両者の言葉に大した違いはない。
 複雑に絡まった糸をほぐす手だてはないものかと思う。


 2 初期被曝を追及するママの会

 今年改選のいわき市長に注目が集まっている。震災後、風評被害を払拭(ふっしょく)し、早期の復旧をうながすという理由で、さっさと「いわき安全宣言」を発表した市長に批判・疑問が集中しているのだ。この急先鋒(きゅうせんぽう)となったのが「いわき初期被曝を追及するママの会(以下、「ママの会」と表記)」である。先日、いわきの議員さんと話したところによれば、学校給食でいわき産の米を使うことになったのが、母親たちの不安を考慮し、急きょ延期されたという。ママさんたちの動きは大きい。
 この「ママの会」が、先日(4月24日)いわき市に公開質問状を出して、その回答があった(5月28日)。いくつかここに報告する。
○「ヨウ素安定剤」の配布
〔問〕いわき市は、ヨウ素安定剤の配布を決定するのが(3月)15日、配布を開始したのは18日だった。これでは遅きに逸(いっ)した。

この質問に対して市は、従来の「情報が限られていたため仕方なかった」の見解にくわえ、新たな防災計画のもと、市民の生活と命を守るとしている。下の写真は『いわき市原子力災害対応ガイドブック』(6月10日発行)のその一部である。携帯では確認出来ないと思うが、第一原発の直下、第二原発から30キロ圏内にいわきの半分(平地区)まですっぽり収まっている。下の同心円は、東海第二発電所のものである。
              
このヨウ素安定剤の配布に関しては、以前も報告したが、市長に対して事故直後に直訴した議員(佐藤和由氏)に対する答と同じものだ。そして、15日、いわき市の上空に膨大な量の放射線が到着する。今日発表された日米合同機関の発表によれば、いわき市内に3~4月の間、30~200万ベクレルのヨウ素が飛散している。
 事故の20日後、私が訪れた市役所。罹災(りさい)証明の発行を求める被災者で溢(あふ)れかえった市庁舎の扉(とびら)に「ヨウ素安定剤配布中」とあったことを思い出す。
 今となっては遅すぎた対処。ヨウ素はご存知の通り、一週間を過ぎれば半減する。そしてその間、甲状腺に蓄積する。しかし、これも忘れてはいけない。当時は次にまた原発がいつ爆発するかも知れない、という恐怖の中にあった。遅かったにせよ、あの時はヨウ素安定剤が配布されないといけない状況だった。

○事故後の3月末、小児甲状腺サーベイで、いわき市の4歳児が高度の被曝を受けていることに、積極的な開示をしなかったこと。

この質問は二度目だというが、答はあいまいだった。質問は6項目にわたっていたが、市側としては、苦しみつつ誠実に答えようという姿勢もうかがえた。おそらく、庁舎内で激しい議論があった。

 その市長選だが、現市長優勢の下馬評(げばひょう)である。「出てこい!」「(愛人と)逃げるのか!」などと、さんざんな罵声(ばせい)を浴びた市長だ。それがなぜ優勢か。今、復興バブルの恩恵を受けている、土木・建設関係者が、その片棒を担(かつ)いでいる。そしてまた、
「漁場関係者もなんだよ」
と言ったのは、干物屋社長だ。海であんなにいじめられた漁師たちがなぜ、と私は思う。
「海の(放射線の)監視」「海から瓦礫(がれき)の水揚げ」
でナンボ、と漁師たちはそろばん弾(はじ)いてんだよ、と社長は顔を歪めて笑う。


 ☆☆
ここのところ、色々な方からコメントやメールをいただいてます。この場で感謝いたします。力をいただいているのはこちらの方です。無理せず焦(あせ)らず頑張りましょう。

 ☆☆
前回に引き続き、お味噌/醤油支援の感謝をまたいくつか。
家のお手伝いをしたお駄賃(だちん)をもとに、味噌を一個送ってくれる小学生。職員室の自分の机のそばに段ボールを置いて「ここに入れてください」と呼びかけてくれる若い教員。あと、いっぱいいっぱいでそうなるのだと思いますが、思い出したように「今回出来ます」と協力してくれる弟子。
みなさんありがとう。

 ☆☆
「ニイダヤ水産」の『お魚カフェ』ようやく始まりました。毎週日曜日11~14時。
メニューは「お魚3種ランチ」500円(カット魚3種・いわき産こしひかり・あら汁・小鉢・漬け物)。プラス300円で「選んでランチ」もあります。機会があったら是非どうぞ。

女の地位  実戦教師塾通信二百九十二号

2013-06-24 10:04:46 | 福島からの報告
 やり切れない思い

    ~その1 笑顔の中に~



 1 仮設住宅閉鎖を控えて


「支援物資が足りてる? いや、全然足りてないよ」
「あんたみたいな人たちが、物資の支援をしてくれるんだ。行政はなにもしてくれない」
「だから、中央台の仮設に行ってみてくれないか」
秋も深まった豊間の海岸を訪れた時、区長さんにプレハブの事務所でそう言われたのは、もう一昨年だ。それから一年半あまりが過ぎた。
 前回の味噌支援の反省点として書いたが、この仮設住宅の閉鎖までもう一年とない。そろそろもう少し皆さんと話してみよう、皆さんの胸の内を聞いてみようという気持ちで、今回は住宅を回った。
              
            集会所の皆さんと記念のショット

 この日会長さんに、私はゆっくり回りたいのでよろしくお願いします、と断った。前日の雨はすっかりあがったが、曇りがちな梅雨の空気はねっとりとしていた。午後の授業を終えた子がふたり、キックボードで付き添ってくれた。私は入り口に顔を出した皆さんの様子を見ながら、二種類の質問を考えていた。

① お元気ですか?
「ええ、なんとか」
「お陰さまで」
「難しいところですね」
「いつも助かります」

皆さん、口々にそう言って笑ってくださる。あらためて私たちの物資支援が定着していることを感じた。「いつもの支援」という受け取り方をしてくれているからだ。集会所でよく顔を合わせて私を知っている方は、
「こんな陽気で、もうやんなっちゃう」
と、洗濯や買い物の大変さを長々と話してくれた。そして、嬉しかったのが
「また来てくださいね」
という声。また来ます、と言えるのが嬉しい。

② 仮設住宅もあと一年たたないうちに閉鎖ですが、どうですか?
 この質問はかなりシビアなので、相手の様子を充分にうかがって言わないといけない。
「困ってます」
「頑張ります」
と一様(いちよう)に言う皆さんの顔は、まだまだ決めようもない現実を語っている。具体的には書けないが、住民がまとまっている地域と、ひとりひとりばらばらで決める以外にないところがあることを感じた。復興住宅に移るとはっきり言う人や、アパートを探してもないんだとこぼす人に、その違いを感じた。

 いつも4、5人の子どもたちがいる家がある。中学生ぐらいの女の子がその家の中心のようだ。この日、元気でやってるか、と私は声をかける。中で小学生と思うが、二人、宿題らしきものに取り組んでいたからだ。女の子が笑い、中の二人が手をあげた。この次はまた、もう少しでしゃばってみようと思う。


 2 女の地位

 入り口のそばで鉢植えの手入れをしていた人が、千葉の方ですか、と声をかけてくれた。いつもありがとうございます、と言って鉢をいれる手作りの篭(かご)を見せながら話してくれる。久之浜から避難して来た人だった。

趣味の篭作りも、今は拾った木で作れなくなった/放射能で汚れているからね/仕方なくこうして買ってきて作ってるのよ

102歳になるその方の母の話になった。楢葉町出身の母は施設にいて、第一号機が爆発したあの3月の12日、避難するために施設に迎えに行ったという。

でもね、施設に入ったらここから出たらだめだって言うのよ/外は危ないって職員の人がね/お母さんが寒い寒いっていうから見たら布団がびしょびしょでね/ずっと放っておかれたからおしっこでひどいのよ

でも、施設から逃げずに残った職員だけでは大変なところもあったのでしょうね、と私は口を挟(はさ)んだ。いわき市の病院でも、職員の大半が逃げて、近くの住民が病院にご飯や水を運んだことなどを、私たちはずいぶん聞かされたことを思い出したからだ。
 そうですね、と思いなおしたようにその方が言った。あちこち転々と避難して、この仮設住宅は移動7回目だという。そして、憤(いきどお)りながら言った。

「あの、タカイチとかいう大臣はなんですか」
「この仮設住宅に転げ込んで来たたくさんの人たちが、しばらくの間お骨を抱いて一緒に寝ていたことを分かっているのでしょうか」
「母は生き延びたけど、みんな疲労と恐怖の中で弱って死んでいったというのに」

こういった当事者の怒りを、私は肉声で初めて聞いた。私は、以前ここで取り上げた『文藝春秋』特別号(『3,11から一年100人の作家の言葉』)の、ウルトラ才女・曽野綾子の言葉を思いださないわけにはいかない。
「私が体験した大東亜戦争の悲惨さは、とうていこんなものではなかった。……東京電力第一原子力発電所の事故の、健康被害をも含めた予後は、学者でもない私が予測出来る範囲にはないが、目下の所、すぐ膨大な数の死者が出ている気配もない」
のだ。騒ぐな、慌てるな、昔から見ればたいしたことないというこの言いぐさは、震災から一年後の発言だ。第一原発所長吉田昌郎始めとする、より抜きの社員と作業員からなる「フクシマフィフティーズ」の「決死の覚悟と活躍」があって、事故が大惨事に至らないですんだことを、もちろんウルトラ才女はご存知のはずなのだ。タカイチも一体なにを分かって言ってるというのだ。
 ついでに再確認しよう。この吉田所長、病気療養中だ。その病気の内容については、
「個人のプライバシーに触れるものなので、明らかに出来ない」
という公式発表だったこと、覚えているだろうか。
 そしてもう一つは、この原発決死隊の存在を、私たちは海外メディアから知らされた。それで横文字「フクシマフィフティーズ」になっていた。このいきさつの詳細(しょうさい)を、つまり、この決死隊の存在がどうして海外メディアから知らされることになったのか、などということについて、私たちはいまだに分かっていない。こういったことのひとつひとつを私たちは忘れてはいけない。
 私は地元紙にタカイチ発言の波紋を見たが、全国紙のレベルを出るものではないと思えた。見出しを書き抜いておく。あとは各党県連の発言も参考のために。
19日『福島民報』
「原発事故『死者なし』発言 高市氏が釈明 -安全徹底強調したつもり」
「実情知らない 県民から批判、憤りの声」
20日『福島民友』
「被災者厄介者(やっかいもの)か/配慮欠けている」
自民党県連-「復興に一層の尽力(じんりょく)を」
民主党県連-「県民を愚弄(ぐろう)している」
公明党県連-「責任ある対応を望む」
維新の会県連-「政調会長辞任すべき」
共産党県連-「福島犠牲にする考え」
社民党県連-「発言撤回と謝罪当然」


 3 星野監督

 このタカイチ発言に対して、
「これでまた『だから女には任(まか)せておけない』という世論が強まる」
と言った仲間の言葉を、私はなるほどと思わないわけには行かなかった。女が無能なのではない。日本では女の地位が低いのだ。弱いものが強いものを越えようとしたら、弱いものは強いものの何倍もの力を持っていないと、その位置関係を変えることは出来ない。
 以前、確か星野監督が中日の監督をつとめている時のことだったと思う。巨人戦だった。アンパイアに激しく抗議したあと、
「巨人に勝つのは大変なんだ。スタジアムもアンパイアもみんな巨人に傾いてるんだ。そこを引っくり返す大変さを我々他チームが背負ってるんだよ」
と言ったことがあった。今でこそ、この巨人びいき傾向は少し変わったと思うが、仕方のない現実ではある。武道でも、帯の色で判定は変わるのだ。
 こんな時、相変わらず「政治への無力感」とか「不信感」などを言われる。しかし、それは考えないといけない。つまり、タカイチが
「迷惑をかけました」
と言う。それがどんな迷惑なのか、また
「誤解を招いたとすれば残念」
の「誤解」と言うが、間違った理解とはどこが間違ったのか。ちなみにこの「誤解」とは、受け取った側の理解の仕方が問題だった、というのが「誤解」の意味だ。言った側の問題ではない、というのが「誤解」の意味だ。
 それを追及し、はっきりさせることもなく「辞任」だ「謝罪」だと言っていることが、本当の政治不信を招いてる。タカイチは、
「福島県の皆さまがつらい思いをされ、怒りを覚えたとしたら申し訳ない」
などと、笑みを浮かべながら言っている。「覚えたとしたら」なのだ。
 少しの間こいつも静かになるだろうが、都議選、自民圧勝だし、いやあ参りますね。


 ☆☆
そんなわけで、お醤油の配布、無事に終わりました。協力してくださった方々、いつもこんな形ですが、この場で御礼申し上げます。本来なら、皿洗いのバイトをしながら支援してくれている芸術家志願の若者とか、パラリンピック目指して頑張っているヤンママさんとか、ひとりひとり取り上げたいのです。そんな機会が来れば、またしたいと思ってます。ありがとうございました。

 ☆☆
スーパーに七夕の竹飾り。思い思いの短冊(たんざく)がありました。「志望校に合格」「夏休みが早く」「成績があがりますように」などの中に、
「エロ本2000冊いただけますように byうんこ」
が笑えました。「いただけますように」は、高校生のセンスかな。みんなの願いがかなうといいですね。

『オセロ』  実戦教師塾通信二百九十一号

2013-06-19 10:53:19 | 子ども/学校
 教師の善意/親の愛Ⅶ

     ~「囚(とら)われしもの」~


 1 嫉妬(しっと)、あるいは子どもの反撃


 今回の記事は舞台『オセロ』のことを取り上げるが、あくまで「教師の善意/親の愛」シリーズのひとつなのだ。
 舞台『オセロ』の脚本は、福田恆存(つねあり)の翻訳を使ったという。古文調のセリフに役者さんたちの苦労は、並大抵でなかったらしい。確かに舌を噛みそうなところが要所に見えて、私は聞き逃すまいとして前半はずいぶん力が入った。やがて物語が半ばに入ると、その肩の力が抜けていた。
 人をひっくり返すのに、そんな大した仕掛けは必要ない。というイアーゴのセリフを聞いて私は、思わず前回のブログを、頭に蘇(よみがえ)らせてしまった。それで終演後、主役にもその偶然を告げた。きっかけさえ与えれば、あとは勝手に転落していく、とイアーゴは言うのだ。心の明暗を、人は誰でも持っている。犯罪者になる道だって、いつでも大きく開かれている、とは前回のブログで書いたことだ。
              

正確には書けないが、以下のようなイアーゴのくだりもある。
「私がだました?」
「確かにそうかも知れません」
「でも、そうとばかりは言えないのです」
「ご自身がそう思ってやったことではないのですか?」

実はまったく根拠のないことで、妻のデズデモーナに嫉妬(しっと)を抱いたオセロだった。イアーゴに謀(はか)られたという思いのオセロは、イアーゴを責める。しかしイアーゴは、まるで開き直ったかのようにこう言ったのだ。
 確かなことは「ハンカチがなくなった」ことだけだった。あとの想像から導かれた妄想(もうそう)は、イアーゴとオセロの「合作(がっさく)」と言っていい。「そうとばかりは言えない」イアーゴの言葉は真実味を帯びている。

 まったく脈絡(みゃくらく)がないようだが、私は自分が勤務した学校での悲しい事件を思い出した。あまり正確に書くわけには行かないが、ここに記して大人が学んでおくこととしたい。
 私が中一の担任となった時、受け持ちとなったその子は、チックと吃音(きつおん)を抱えていた。その子の身体から、膨(ふく)れ上がるように漂(ただよ)うストレスに、私はこの子がとんでもなく大きなものを抱えている、と思わないわけにはいかなかった。春の家庭訪問をした時に、その原因がすぐ分かった。母親がその子を「優秀な」長男と比較し、なにかにつけてその子の不満を言うのだ。それに終始した家庭訪問で、母親のグチ・文句は延々(えんえん)と続くのだった。私はその後、なにか機会がある度に、焦(あせ)らないでください、本人はずいぶん頑張っていますよ、と母親に学校での話を聞かせた。しかし、一向に母親の表情が晴れることはなかった。
 二年生のクラス替えで、その子は私の担当ではなくなった。私から見て新しい担任は、優しかった。担任はその子を引き継いだあと、心配しながらその子を見ていた。そしてある日事件は起きる。その子が首をつるのだ。
 その日、家族で晩御飯を食べている時、母親がその子をなじった。するとその子が静かに席を外した。その子の異変に気付いた父親が、長男に見て来いと言った。長男が二階にある弟の部屋に踏み込んだ時、ちょうど首をつったところだった。蘇生(そせい)を試み、すぐに救急車を呼んでことなきを得た。本人は幸い、この時の記憶が飛んでいる。そして、首の周りの黒いあざを不審に思っていたという。
 その後、母親はこの子に何も言わなくなった。その子になにか温かい言葉をかけるとか、楽しそうな顔を見せるとかいうこともなかった。母親はまったく何も言わなくなった。すっかり自信をなくしたのだ。それで良かったというべきだろうか。でも少なくとも、仕方がなかったとは言える。


 2 「和解」のあと

 この日のこの家の食事風景から考えてみよう。家族四人揃(そろ)っての食事だ。わざわざ全員を介してのこういう場で、それぞれが勝手に新聞やゲームやという食事ではなかったはずだ。しかし、せっかくのそんなくつろぐはずの場所で、母親のグチ・不満が始まる。つまり、それ以外の時と場所でも、それは繰り返し行われていた行為であると思って間違いない。その子と二人でした時の会話を、みんなにも聞いて欲しいと思う母親は、そのことを家族の問題として承認して欲しいと思ったのではない。火だるまのように、憎悪という愛情を注ぎ込む作業にとりつかれていただけだ。もう取り上げることはなんでも良かった。話題の範囲、話のし方(黙り方)、箸の上げ下ろしと食し方…。すべてはひとつのゴールに向かっている。いつでも、だ。
「ハンカチを今すぐこれへ!」
そうオセロがデズデモーナに叫ぶ嫉妬に取りつかれた姿を、ここで思い起こしてしまうのは見当違いなのだろうか。オマエの純潔を証明するのはハンカチがあるかどうか、それだけなのだと迫るオセロの姿は、やはり転げ落ちている。一体どうしたというのか、と家臣たちもいぶかり、止めようとするのだが、すべては無駄なことだった。
 デズデモーナが、
「私は貴方を愛しております!」
としか言えない、それしか手だてを持たないのが、いじらしくも悲しい。
            

家族が不愉快な食事を承認しているわけではない。オセロもそうだが、真面目な人、または人がシリアスな出来事に接する時、あらかじめ希望を断ってしまうことがある。そうなれば、もうそこに、そしてその人に「未来」はない。その時、その人は
「どうせ○○に決まっている」
と思うしか道は残されていない。
 あらかじめ望みを断たれた家族。だから、ご飯の時ぐらいやめなさい、と父親は母親を制することもなかった。だが、この子が静かに席を外した時の異変を見逃さなかったのが救いだ。このあと、新しい夫婦のスタートを切ったらしい、といういい知らせも聞いた。子どもは、母親が孕んで(はらんで)いる多くの不満や不安が、どれだけ些細(ささい)なことであるか、ということを命がけで教えたのだ。
 この日の舞台の主役にも言ったのだが、
「和解することで悲しみは深まるんだね」
シェークスピアの四大悲劇のふたつだけ読んだ私だが、この『オセロ』は読んでいなかった。三つ目の悲劇をみたこの日、シェークスピアの悲劇の構造を見たように思った私だ。最後には必ず和解する。しかし、その時はもう「取り返しがつかな」くなっている。みんな死んでいるからだ。

 「取り返しのつかない」ことになる前、子どもたちは大人との「和解」に向けて、たくさんの「手だて」「反撃」をほどこしている。


 ☆☆
変わった造り(演出)の舞台でした。「休憩」はまさしく、観客に対しても告げられていて、そこで私たち「エキストラ」は「役者とともに」休憩に入る。幕は最後まで閉じられることはありませんでした。そして、まるで「終わったと思うなよ」とでも言うようなラストは、私たちの中に驚きと不安をかきたてたと思えました。それでおそらく、本当の終わりを確信したあと、私たちは繰り返しのカーテンコールをするのです。観客全員でのスタンディングオベーションは、私も初めての体験でした。マネージャーさんは、
「(劇中で観客が)立ちなれているからじゃないですか」
と言っていましたが、やはりこの称賛(しょうさん)とリクエストは、終幕を確認した安堵感(あんどかん)から来ている、と私は思ったのです。
これらの試みが、かつての寺山修司はじめ多くの演出家によってすでに行われている、と今は言われるのでしょう。そうではない、という日が来るといいです。

 ☆☆
東京に向かう駅で「ニューハーフ」とすれ違いました。肩までの髪をなびかせ、AKBバージョンの「彼女」は、長身で自信に満ちて歩いていました。しかし、志村けんの顔を彫りが深くさせたような顔は、ひげそり後も鮮やかに、青々としているのですね~ 部活帰りの中学生?の集団が、うわぁ/ちょっとぉ/キモわる~と、はばからずに言っているのです。
「彼女」は、精神的にタフなのでしょうか。周りが見えていないのでしょうか。感心することしきりでした。

教師の善意/親の愛Ⅵ  実戦教師塾通信二百九十号

2013-06-16 11:36:21 | 子ども/学校
 教師の善意/親の愛Ⅵ

       ~その6 「上手な子」と「下手な子」~


 1 逗子ストーカー殺人事件


 ニュースで今も話題になる事件なので、覚えている方も多いと思う。2012年の11月、かつての交際相手からつきまとわれた女性が、警察の身辺パトロールにも関わらず殺された事件が、この事件だ。この事件は多くの点で注目された。一つ目は、被害者への嫌がらせがエスカレートした結果、一度容疑者が逮捕された時のことだ。すでに別な相手と結婚していた被害者の姓と住所が、この逮捕の時、警察の読み上げた令状から容疑者に知られてしまう。それで最悪の結果が生まれてしまった、という点である。
 そしてもう一つは、この事件後のことだ。容疑者がかつて非常勤講師として勤めていた私立校(中高一貫校)の卒業生が、次々と学校に問い合わせに訪れた。そこで生徒たちは、
「本当にあの先生なんですか」
「信じられない」
と口々に言ったという。事件後に自殺してしまった容疑者は、部活も熱心に手伝い、生徒たちから慕われていた。
 こんな時私たちは誰でも、ふたつの推測・仮説をたてる。

○人生、一歩先になにがあるか分からぬ。転落は突然、あとは石が転げ落ちるようだ。
○人は見かけでは分からない。一皮むいて初めて本当の姿を現す。

といったものだ。後者のような感想を、ニュース上で私たちは実によく目にするし耳にする。
「そんな人には見えなかった」「近所づきあいもいいし」「温厚な人柄」
というやつで、この反対の「無愛想であいさつもできない奴だった」みたいなのもないことはないが、やはり「こんな人がこんなことをするなんて」は、好んで使われるように思われる。今のご近所付きあいなんて、ゴミだしの時に交わす天気の話だったり、その時笑っていたりといった程度のものだ。昔のように、近くの川で鮒(ふな)をつって甘露煮(かんろに)にしたからどうぞ、なんてことをご近所が互いにやりとり出来るものではない。それは庭も垣根(かきね)も、食料も貧弱な背景があって出来たことだ。今だったら地域の少年野球チームのコーチを熱心につとめていた父親でも、会社では上司とうまくいかずに相手を殺してしまうなんてことだって、不思議でもなんでもない。みんな色々な生活を抱えている。
 事件の兆し(きざし)、その人となりを私たちは見落とすのだろうか。


 2 「上手な子」「下手な子」

 以前、私がスーパーのトイレに入った時のことだ。中には、小学校の中学年ぐらいと思われる男の子が、ひとりいた。その子は手洗い場の水道を勢いよくひねって、しきりにうなったり叫んだりしていた。水道はひとつしかなかった。私は用が終わったら、悪いね、とその子に言って手を洗うつもりでいた。でも、水道を使う段になったら、その子は姿を消していた。私はその子が店内でどうしてるかと見回したが、なかなか見つからなかった。ようやく見つけて分かった。その子は、母親らしき人の腕に寄り添って、一緒に買い物をしていたのだ。その静かな様子は店内の景色になじんで、私の視界になかなか入らなかったのだ。
「上手な子だな」
あるいは、分かり合っている親子だな、と私は思った。母親は、男子トイレの中まで付き添っていなかったし、入り口で控えることもなかった。この子はひとりトイレに来て、束の間(つかのま)、トイレでの騒然とした時を過ごし、そのあと静かな買い物をしている。こんな時、つまり、こんな子を見かけた時、「不審者」として通報する大人が結構いることを私は知っている。まあこの場合は小学生なので、どっちみち通報する人もなかったと思うが、これが思春期を過ぎた若者や大人である場合は、お巡りさんが登場することだって珍しくない。こんな時こそ、先の

○人は見かけでは分からない。一皮むいて初めて本当の姿を現す。

のように思って欲しいものだ。
 こういった「上手な子」の場合はいい。しかし、世の中こんなに上手ばかりはいない。そこで悲劇が起こったり、大人がとんでもなく自信をなくしたりする。

「今は静かに見ていて」とか、
「ここは自分でやるから」
と言える子はいい。この子に、こう言われる相手は信用されている、と言い換えてもいい。相手を信頼していれば、見守ることは可能だ。あるいは、見守ることで信頼関係は構築される。それが、子どもから
「うるさい!」とか、
「向こうに行ってろ!」
と言われる場合もたくさんある。子どもが大人になったからこう言う。大人の「心配」、少なくとも今、そこの大人がしている「心配」を、この子が「不要なもの」としているからだ。この子は「上手な子」と同じことを言っているのだが、その子の近くにいる大人との関係でこんな言い方になる。でも、この子にしても「上手」の部類だ。上手でない子どもに対すると、たいていの大人は面食らう。
 チック症は、「上手」に言えない子が取る手段である。頻繁(ひんぱん)なまばたき、顔の痙攣(けいれん)、また、髪の毛を抜く技(わざ)を試みる子もいる。ケースによっては、腹痛や発熱も同じ部類に入る時もあるが、これを食あたりや風邪と思う親や教師が相手だと、この子は仕方なく次の段階に移る。自傷行為(じしょうこうい)に連続する場合もあるが、以下の三つにする。こうすると分かりやすい。

○忘れ物をする。いくら言っても、そして、いくらでも忘れる。
○夜毎、物干し台で吠える。
○夜尿症復活。

二つ目までは、この子なりの「上手」なやり方だが、三つ目は大人を面食らわせるばかりでなく、自信を失わせる。上手とは言えない。


 3 解決の道
 
 では、自分の子どもが、または、受け持ちの生徒が、持ち物/提出物等で、何度言ってもダメだった場合で考えよう。担任が連絡帳に書かせても、連絡帳を学校に置き忘れる。掌(てのひら)に書かせても洗ってしまう。様々な手段を講じても、結果は同じことになった。担任はどうするだろう。
「この子はお手上げだよ」
と、最終的な結論を出す。
 この子の求めていたことが、ようやく現実となったのだ。この子は担任から解放された。この場合、犠牲(ぎせい)を払ったことと言えば、担任がこの子を嫌いになるとか、好きになれないとかそういうことだが、どっちみちこの担任はこの子、あるいは子どもを好きではない。従って犠牲と言えるものはない、とも言えるのだ。
 二つ目の「狼少年」はどうか。我が息子が毎晩、物干し台に上がって「月に吠(ほ)える」を繰り返したら、両親は普通、
「頼むから何もしないでくれ」
と願う。それだけを願い、それまで両親が息子にかけていた「願い」を忘れる。
 この子は、両親から背負わされていた重荷と、両親が背負っていた「希望/夢」という名の「干渉」や「課題」から解放される。
 しかし、こんな上手な子ばかりではない。それはこの子に責任があるとばかりは言えない。少しばかりのことがあっても、頑固(がんこ)に自説を曲げない大人がいるのだ。それで、仕方なく子どもたちは少しばかり過激な方法を選ぶ。前段の「夜尿症」もそうだ。あるいは、

○隣に住むお姉さんの洗濯物(下着)を盗む
○コンビニの成人コーナーから雑誌を万引きする

などの方法をとる。二番目のエロ本に関しては、中高生の集団が、見張りや防犯カメラのガード役までつける「組織的&計画的&快適」行為とは分けないといけない。自分の部屋を持っている、宿題や塾に励む少年が、単独でする行為がそのカテゴリーである。
 この子たちは、間違いなく
「思い通りにならない」
生活を抱えており、そして
「思い通りにする」
ことに踏み込んだのだ。
 大人は面食らい、両親がお互いに
「オマエ(あなた)が○○だから!」
などとなじりあってしまったりする。しかし、この間、息子本人は両親の目から自由でいる。こんなことでもしないと、この両親からは自由になれなかった。必ずしも「上手」とは言えないこんな手段は、大人を面食らわせる。
 だが、大切なのはここからだ。例えばこの子が、少しばかり落ち着きを取り戻した両親から「一体どうしたと言うんだ」と聞かれて、塾がいやだ、と答えたとする。すると、親の100人中99人が、
「そんなことがそんなに大変だったのか」
「そんなことであんなことをしたのか」
と、目を丸くする。ここで、両親がまだ目を覚まさずに、
「それとこれとは話が違う」とか、
「塾ごときが出来ずにどうする」
とか食い下がってしまうと、少年は追撃をする以外にない。露出や盗撮なんてのもいいかも。これで両親が少年を病院に連れて行く、というケースも読者はご存知だろう。今の医者はちゃんと病名までつけてくれる。
 大切なのは、塾が些細(ささい)なことなのではない。少年(息子)が事件を起こすことで初めて、両親は塾が些細なことだと気付くのだ。
 少年の事件や悪ふざけが話題になる。動機がいかにも納得(なっとく)しかねる、と私たち大人は首をひねる。しかし、それは違う。それらのおそらくは大半が、
「子どもなんだから」「子どものくせして」
と、子どもたちの気持ちをちっとも分かろうとしない私たちの態度によっていると思って間違いない。子どもはみんな分かってる。大人が子どもを「一皮むい」あげることが必要なのではない。大人自身が被(かぶ)っている分厚い「仮面」を剥ぎ取る(はぎとる)ことが大切なのだ。

 最初の部分に付け足しておこう。
 『嵐が丘』(1847年)の主人公ヒースクリッフは、自分を捨てて裕福な男のもとへ走ったキャサリンに執拗(しつよう)に、徹底的に迫る。キャサリン本人も含め、二人の周辺をヒースクリッフは一体何人殺しただろう。イギリスはヨークシャーの荒野に、ヒースクリッフの愛憎が吹きすさぶ。キャサリンの墓を暴いてまで愛するヒースクリッフを、
「究極の純愛」
などと今もいう。
 作者のエミリブロンテは、病弱薄命(びょうじゃくはくめい)、知的な美人なのだ。


 ☆☆
盗撮と言えば、お巡りさんや会社幹部、それに校長先生とか結構つかまってますよね。あれって結局、警察を辞めたいとか、今の会社や学校、家族から解放されたいということなのでしょうね。大人でも言い方や行動が「下手な」人がいる、ということですね。
許せないのが、その理由として多くが「盗撮に興味があった」などとおっしゃっていることです。警察の対処か報道の仕方が良くないのですかね。「どこまでしらを切る気ですか」と思ってしまいます。こう思う感覚、普通ですよね。

 ☆☆
舞台『オセロ』の観劇報告、次回いたします。