実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ニュース怪説  実戦教師塾通信五百四十五号

2017-04-28 11:12:43 | ニュースの読み方
 ニュース怪説
     ~いかがわしい蠢(うごめ)き~


 ☆
なんやら怪しい動きも、油断すると見えなくなります。ス
  トレスになっていませんか。少し探りを入れてみました

 1 森友/籠池問題

 もとはと言えば、森友問題って、このシーンから始まりました。

     『ゴーマニズム宣言』より
 こんな学校(幼稚園)があるのか、と私たちは驚き、呆れました。私たちが見たのは、年の端(は)も行かない子どもたちが、天皇に忠誠を誓っている、気持ちの悪い映像でした。私も今生天皇(平成の天皇のことです)は嫌いではないのですが、それと「御国のため」とは違う。おそらく大多数の人たちは、すっかり弱っている天皇が、被災地やかつての戦地に赴(おもむ)く姿に打たれて、心を寄せている。
 幼い子どもたち、いや、この場合ガキンチョと言っていい、その連中が、
「安倍首相、秘密保護法案通過おめでとう!」
なんてことも言ってる。子どもたちが喜んでやってることだ、とでも言うのでしょうか。強姦を和姦だと言ってるようなものです。
「北朝鮮の子どものようだと不気味に思うのが普通だ」(小林よしのり)
その通りだと思うのです。

 2 利権の争い
 しかしここで、とんでもなくいい加減なお金の動きが発覚した。小林よしのり氏の計算によると、森友側はたった200万円の出費で土地を買い上げたことになる。知ってましたか。ニュース/新聞をあさっても、具体的な数字の計上はなかった気がします。
 この段階で私たちは、あの気色悪い映像の大元と、大型事業(利権)が一体だったのを知るのです。私たちは、ウルトラな学校を追求することで、国家絡みの利権にまで到達できる、という勘違いをしたのです。もともとが利権屋どうしの争い、勝つ方は決まってる。肝心なところはすべて「信頼」という名のもとでやられていた「口約束」です。籠池氏の思惑通りに進んだことは、
「通常の取り引き/手続きだった」
が、繰り返されました。そして、かつて森友側に約束されたはずの数々、
「常勤の園長ではない」「職員の水増し」等
は反故され、それらは森友側の「不正」となりました。
 マスコミや野党議員まで呼んで牙を剥(む)いた役者・籠池に、
「一体、どれだけ我々の世話になったと思っているのだ!」
と憤り、実際「無礼者!」への異例の証人喚問となったことは、明快にいきさつを語っています。

 3 桜田淳子
 何が不愉快なのでしょう。
 当初あった、この学校の気味の悪さが、どっかに行ってしまったみたいなのです。おそらく、籠池氏が関係省庁に反旗を翻(ひるがえ)したことが、私たちの興味や疑惑の方向性を拡散させたのでしょう。
 そして政治家どもの空騒ぎのあとに、なんということでしょう、
「教育勅語は間違ってない」
なる逆襲が待っていたのです。稲田大臣は昨年、この理事長(籠池)に感謝状を送っていたことが明るみに出て、追求を受けました。全く同じ時期に、スーダンでの「日報隠し」が重なったのです。この頃、もう稲田は終わりだろう、ぐらいに思われていました。
 大臣は、2006年の雑誌(『Will』)対談で森友の幼稚園を取り上げ、教育勅語を暗唱している素晴らしい幼稚園、とたたえたのです。ここにきて、教育勅語のどこがいけないのかと開き直る姿を、私たちは見ているのです。

 ことのついでです。安倍昭恵夫人の動向をめぐって取り沙汰された「公人」「私人」というやつ。
 いま、統一協会(国際勝共連合)に入信、さらには合同結婚式に参加した、桜田淳子の芸能界への復帰が話題になっています。反対する人たちが多いのです。理由は、
「彼女を追って入信し、家族がメチャメチャになった」
「霊感商法などの広告塔になったことを反省するべきだ」
などです。何より「脱会」してからスタートするべきだという。
 桜田淳子個人(私人)が何をしようと自由ではないか、というのは通りませんよ、というのが世間の常識のようです。


     いつも遅れて庭に咲くんです。八重ですかね

 ☆☆
その点、豊洲/築地の問題は、大型利権の「通常の取り引き/手続き」が、世間目線で検証を受けている。どんなに「安全」と言おうが「安心できない」のは、都民/私たちが「豊洲をめぐるあれこれを信じられない」からです。それに、ここには築地/食をめぐる「文化」の問題が絡んでいます。
さっさと開場せんかという勢力が、仲卸業者にどんな扱いをして来たか、そんなことが、これからもっと明らかになるという期待が持てる気がします。開場延期で一日500万円の損害だ、という告発もされました。でも、それも「疑惑の数字」(昨年秋の週刊新潮)というレポートが出ていたことも覚えておきましょう。

 ☆☆
千葉の読者は、館山いじめ事件の新聞記事を読んだでしょうか。二年目をむかえた第三者委員会の会見上で、大野精一委員長は、
「自殺に直接結びつく原因は判明しなかった」(読売)
と言ったというのです。こんなことを言う人ではありません。「考える会」の事務局・小出さんのレポート(『泥子のブログ』5/10号)にその部分を見ましょう。
「亡くなったのが本人の事情だけとはとても考えられない。
ただ、現段階においては自死につながる明確なことが得られていない」
似てはいます。でもまったく違う内容でした。

 ☆☆
やりました、イチロー! セイフコフィールド、今となっては敵地です。でも凄いスタンディングオベーション! 嬉しいです。


 ☆☆
今村さん、辞めちゃいましたね。

開運招福しま  実戦教師塾通信五百四十四号

2017-04-21 11:27:17 | 福島からの報告
 開運招福しま
     ~楢葉の春~


 1 牧場の桜

 福島の桜の見頃は、首都圏よりいつもひと月ほど遅れる。楢葉町、そして蛭田牧場も見事に桜が満開だった。

林が伐採されて、切られた木が敷地内に置かれていた。搾乳(さくにゅう)ロボット?の施設を作るという。その向こうにも、誇らしげな桜たちが並んでいる。




 2 「農業に力入れるから」
 蛭田さんは、寸暇を惜しむように動き回っていた。でも、長居してしまった……。
 案内された事務所の机には、牛乳プリンとヨーグルト、そしてコーヒーが用意されていた。思わず私は、先日(4月8日)のニュースの映像を思い出した。

同じものを出してくれたようだ。牛乳プリンは、ちょうど杏仁豆腐のような食感で、味はあっさりと、でもコクがあった。
「総理は、胃腸がダメだってんでね」
その胃腸には、牛乳がてきめんなわけである。
「総理になんかあったら『ホレ、放射能の入った牛乳のせいだ』ってのが、日本のどこかから出てくるしね」
それで、牛乳はあっためて出すことにしたという。 
 一カ月ぐらい前に「重要人物が来る」とだけ連絡が入り、その後四、五回のリハーサルも含めた打ち合わせがあったという。
「オレ、なにやってんだって思いだったですね」
忙しいのにということだ。ニュースの写真だが、蛭田さんがマイクを持っている。進行をやるように言われたらしい。その右が渡部さんだ。「畜産農家も参加を」ということでの出席だ。
 そして、前列右端は、おお、あの「自分の責任だ。文句があるなら裁判でもなんでもやれ」の、今村復興相だ。笑ってるぞ。様子はどうでした?と、私はもうよだれが出そうだった。何も言わずに食べていたという。ただ、
「農業に力入れるから」
とは、何度も言ったそうだ。復興相の訪問は、当初予定になかったのではないかという、蛭田さんと渡部さんの見立てだった。福島の最後の訪問先、浪江町の記者会見の席上で、総理が今村発言について「謝罪」したのは、読者もご存じと思う。
 この日のお昼のトップを飾ったニュースを、なんと蛭田さんも渡部さんも見なかった。
「まさか二時間後にやると思わないから」
夜のニュースで見るつもりだったという。

 3 「開運招福しま」
 冒頭の写真は、蛭田さんと渡部さんにはさまれたダルマさん。仲村トオルからのお祝いである。仲村トオルから言い出したことではない。私が出しゃばって提案したものである。ほとんどの読者にはどうということのないいきさつだと思うが、一部からの妙なかんぐりを避けるため、一応断っておきます。

 写真を見てほしい。スマホやパソコンだったら、ダルマさんの顔の右と左に、それぞれ「心身健康」「開運招福」と書いてあるのが分かると思う。きっとご本人が書いたんですね、蛭田さんはそう言いながら、
「よく見るとここに字が書いてあるんですよ」
と指さすところを見ると、「心身健康」の上に小さく「人もうしも」と、そして「開運招福」の下には、同じく「しま」とある。「福しま」と続くのだ。蛭田さんは、自分の手がダルマさんに触れないように、私に説明する。
 ダルマさんの目をひとつ入れないんですか、と言う私に、
「なんか、片目の入ったダルマって、御利益が一年だそうで」
と、蛭田さんは理由を教えてくれた。そして、昨年いただいたサインだけでも申し訳ないとおもっているのにと、繰り返した。そんなことはない、ナカムラ本人もきっと喜んでますよ、私は思わず口走ってしまう。

 昨年夏のお父さんと三人の写真が、事務所を飾っていました。


 ☆☆
楢葉から戻って、さっそく仲村トオルに連絡をしたら、こんなメールが返ってきました。そうだったのかと驚き、心が温まりました。ぜひ読者の皆さんにも読んでもらいたいと思い、転載します。

メールと写真、
ありがとうございました。

蛭田さんに喜んでもらえたなら、
僕も嬉しいです。

あの日、先生から声をかけられて、福島に行って、
それまで知らなかった蛭田牧場の存在を知って、
その後、
ネットで見つけた、
蛭田さんのお嬢さんが
あの年の夏、
官邸に送ったという
「私の家族は137人です。」
という手紙に書かれていたことや、

そのお嬢さんが去年、
産まれてきた子牛に
「スタート」という命名をしたというエピソードから
僕がもらったものは
僕が送った達磨さんより、
たぶん、ずっと大きいです。

こちらこそ
「ありがとうございました。」
なんです。

同じ十代の娘を育てる父親として、
「お互いに頑張りましょう!」
という感じです。

先生は頑張り過ぎないように、
可愛い新車も
安全運転でお願いします。

ナカムラトオル

多分文面中の「お嬢さん」だと思いますが、総理一行が来た8日が入学式だったそうです。式に行けなくてね、と蛭田さんが言ってたのを思い出しました。
      
      昨日は柏場所でした。外からですが一枚……

 ☆☆
松戸の事件、犯人が本当なら…おぞましい。どの学校でも見かける「見守り」のボランティアの人たちの姿が痛々しく見えてきて…… そして男の先生たちは、老若を問わず、要らぬ気づかいを背に子どもたちと接していると言います。またこういう時には、
「海外では警備会社を雇って子どもの送り迎えをさせている」
「日本は子どもの安全を安価に考えている」
なんていうバカも出てくるんですねえ。金で雇った人間は安全だという。こんなバカが、根拠を持ってバカを言ってるというのが悲しいですね。

『共同幻想論』/山本哲士  実戦教師塾通信五百四十三号

2017-04-14 11:08:32 | 思想/哲学
 『共同幻想論』/山本哲士
     ~「週間読書人」(神楽坂)レクチャー~

     
  晶文社刊『吉本隆明と「共同幻想論」』(山本哲士)

 1 ムラ社会

 原発事故の時、
「原発存続を画策するのは、閉じられた原子力『ムラ』だ」
また、いじめ事件で学校が隠蔽に働く時には、
「学校は、内側に閉じられている『ムラ』だ」
などと、よく言われた。
 しかし私たちは、このことがなぜ「強固」で「繰り返される」かを、問い続けない。私たちは原発や学校を構成する当事者を、
「だらしないから」「悪いから」
等と、糾弾(きゅうだん)することに終始してしまう。もちろんこれは、現実する局面や実際的対応に、必要で不可欠なことだ。しかし、これらの出口に私たちは、「お金が欲しいから」「自己保身」等という、言ってみれば資質から来る因果しか見いだしていない。せいぜい頑張って、
「日本がもとから有する体質だ」
ぐらいの言及をするのだが、私たちは本当は納得していない。

 2 「禁制論」
 その答は、吉本隆明の『共同幻想論』にはっきり書いてある。吉本に精通している当ブログの読者も多いかと思うが、ビギナー向けに書きます。
 第一章の「禁制論」は、フロイト、そしてエンゲルスの批判に始まり、柳田國男の『遠野物語』を引用しつつ、「村を出てはいけない」「禁制」が生まれて繰り返される根拠を探っていく。以下は引用された『遠野物語』の要約である。

 山人にさらわれていなくなったと思われていた村の女に、猟師が山中で遭遇する。しかし、女は村に帰ろうとしない。理由は、
「自分は暮らす村を飛び出した(「禁制」を破った)」
「もう『よそ者』の自分は村に帰れない」
である。そしてさらに女は、
「あなたもここにいてはいけない。ここは恐ろしい所だ」
と言うのである。

 村の生活にズレを感じ、「ここにいられない/いたくない」と思うようになった「女の気持ち」が「山人」と重ねられている。それを「山人にさらわれた」と言っている。一度飛び出して(さらわれて)遠くなった村は、それまでの違和感の存在から、恐怖の存在へと成長する。「戻るも地獄/残るも地獄」となる。学校の不登校の場面で考えよう。
□先生や親は「どうして?」と心配する
□学校を休むが、「行かないと」と「行きたくない」の葛藤が続く
□友達に「一緒に休んで欲しい」とは思いも及ばない
□遠足の日、やっと出向けば「こんな日だけ来てズルイ」と言われる

 「禁制論」での吉本の結論だ。少し長い引用で、かつ難解だが、ここまでの私の話が書かれていると思ってもらって結構だ。

「わたしたちの心の風土で、禁制がうみだされる条件はすくなくともふた色ある。ひとつは、個体がなんらかの理由で入眠状態にあることであり、もうひとつは閉じられた弱小な生活圏にあると無意識のうちでもかんがえていることである。この条件は共同的な幻想についてもかわらない。共同的な幻想もまた入眠とおなじように、現実と理念との区別がうしなわれた心の状態で、たやすく共同的な禁制を生み出すことができる。そしてこの状態のほんとうの生み手は、貧弱な共同社会そのものである」

この結論に接したときの、かなづちで頭を殴られたような衝撃をはっきり覚えている。これを自分が何歳の時どこで読んだかまで、はっきり覚えている。
 学校の話で続けよう。私たちは、
「学校に行かないと、社会で生きていけない」
と思う「入眠状態」にある。そして言うまでもなく、学校は、
「閉じられた弱小な生活圏」
である。一応断るが、フロイトの「入眠幻覚」を踏まえながら、言っている。

 3 実際行為
 山本氏は2008年、すでに500ページに及ぶ『吉本隆明の思想』(三交社)を著している。
「あれは解説書でしかなかった」
と述懐する氏が、またしても600ページ近い今回の『吉本隆明と「共同幻想論」』で展開するのは、私にはここまで拡張していいのか、と思える内容である。しかし同時にこの著で、私が長いことかかってようやくたどり着いたいくつかの点を確認できる気がした。
1 『共同幻想論』は国家論ではない(学生時代、私たちの誰もが国家論だと思っていた)
2 「共同幻想」は、たやすく崩壊しない(同じく「空虚な存在」と思っていた)
3 『共同幻想論』は、古い習俗や、村にありがちな「決まり事」を批判しているのではない

 そして、完成されてはいても、閉じられているこの社会を解き放つ手がかりは、私たちの日々の(生活/実際)行為の中にこそあるということも、この著で再認識できたように思っている。


 ☆☆
レクチャーについて全く触れませんでした。すみません。「週間読書人」の講義スペースは一杯でした。定刻の20分前に着いた私ですが、すでに一番前の席しか空いてませんでした。
終わってから、山本氏にいろいろ確認したいこともあったのですが、同席した出版社の人たちがいい人たちで、ついつい昔話に流されました。でも、おいしい焼きとりとお酒でした。

     ご近所のお屋敷で、勇壮になびく鯉のぼりです。

 ☆☆
浅田真央、引退しましたねえ。フィギュアってあんまり関心はないんですが、一流を貫く人って改めてすごいって思いました。イチローはそれなりの年齢なのでしょうか、でも、100年間その道を歩いて来たような重みを、言葉のひとつひとつにいつも感じます。浅田真央のように若くても、白鵬や田中マー君、そして内村君なんかにも同じオーラが見えるような……浅田真央、すごいですねえ。

 ☆☆
今日から福島です。今村復興相の「自己責任」発言のその後を確認してまいります。

梅/桜  実戦教師塾通信五百四十二号

2017-04-07 11:17:11 | 旅行
 梅/桜
     ~目覚めの遅い春を~



 
 春を探しに、新しい愛車と出かけました。

今まで乗ってきたバイクと比べると、3~5分の1サイズダウンです。250㏄。軽くて怖いくらいです。これで高速に乗ろうとは思わない。でも、レトロでかわいい。
まずは、いつも通りに手賀沼界隈。土手の愛らしい土筆(つくし)たち。そして、柏ふるさと公園の賑わいと桜です。




 ☆☆
 守谷のイタリアンで一服。



 ☆☆☆
 水戸まで来ました。
偕楽園に隣接する千波湖。その後、弘道館まで足を延ばしました。梅が盛りでした。この日も風の冷たい日でした。



 水戸駅です。


 ☆☆「被災者っつてもヨ」☆☆
 前回の館山いじめ事件第三者委員会でのことです。終了後、私は「考える会」の人たちと反省会&食事に合流しました。このブログによくコメントをくださる事務局の小出さんが、途中、福島から館山に自主避難している人の話をしたのです。
 その避難して来た人が、どうも猫が苦手らしい。猫が勝手にその辺を歩き回るし、汚い等と近所の人たちを責め、つないでおけと言う。ご近所も困り果て、
「田舎では、猫を放し飼いにしてるんですよ」
と訴えるのだが、ちっとも耳を貸そうとしない。らしいのです。
「初めのうちは大変だろうと思って、支援してたんだけど」
「もう、関係ねえやって思ってるんですよ」
ということでした。
途中から私は笑ってしまったのですが、読者の皆さんはどうでしたか。

 ☆☆☆☆☆
少し前の話になります。かまやつひろしが亡くなったというのに、吉田拓郎は全く表に顔を出しませんでした。『我が良き友よ』をかまやつに贈った拓郎が、です。
よっぽど本人の具合が……なんですねえ……